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日本三大霊剣が集う石上神宮 伝説の剣が出土した霊地へ【紀行文】


古くからの神々が住まう地へ

 古代からの社叢が鬱蒼と茂る布留の地は、ひっそりとした静けさの中に、特別な雰囲気をたたえている。その中心に鎮座するのが、物部氏ゆかりの古社、石上神宮(いそのかみじんぐう)である。古の時代より、数々の神剣を守り伝えてきた、日本最古級の神社の一つだ。

威厳のあるたたずまいを見せる鳥居 額には布留御魂大神とある。

 ここから、奈良盆地の東縁を南北に走る山の辺の道沿いには、歴史ある寺院や神社が点在しており、その終着点には古代からの山体信仰を今に伝える大神神社(おおみわじんじゃ)が鎮座する。

 山の辺の道周辺には大和神社、そして崇神天皇陵もこの近くに位置している。
 史跡としては、鮮やかな辰砂(しんしゃ)で彩られた石棺墓が発掘されたことで知られる黒塚古墳もある。

 古代王権が成立する以前からの古い神々が住まうこの地で、何か素晴らしいものに遭遇しそうだ、そんな予感を胸にこの地に降り立った。

天理市柳本町にある国指定史跡 黒塚古墳

布留の地を見下ろす物部氏ゆかりの石上神宮

 松尾大社と月読神社に参拝した京都から、JRを使い移動した。
 近鉄を使うのが早いのだろうが、知らず天理までのJR切符を購入してしまったため、JR奈良線から桜井線を使って天理駅についた。乗客のほとんどが、外国の方で、古都への観光客が増えているという報道の実態を目の当たりにした。
 天理駅近くでレンタルサイクルを借りた私は、まずこの石上神宮を目指した。

 石上神宮が鎮座するのは、奈良県天理市の布留という地区である。布留は、縄文時代からの痕跡が見つかる古い遺跡でもある。
 現在、この布留遺跡の広大な跡地には、中山みきによって創始された天理教の教団本部が置かれている。

 天理市内の商店街をとおり、天理教団の巨大な施設を横目に、石上神宮へと続く坂道を登った。自転車を漕ぎながら、この地の地形の起伏を肌で感じることができたのは良い経験だった。
 少し小高い場所から、眼下の布留遺跡一帯を見守るように、石上神宮は静かに佇んでいた。

 鳥居をくぐり、一歩境内へと足を踏み入れると、清冽な空気が頭上から降り注ぎ、全身を包み込むようだ。鏡池のほとりでは、悠然と歩く放し飼いの鶏たちがのどかな風景を作り出している。

長鳴鶏の東天紅、烏骨鶏などの天然記念物の鶏が棲んでいる。
古来より朝を告げる鶏は神々との相性が良い。
鏡池 ワタカというある伝説を持つ珍しい魚が棲んでいる

数々の神剣が秘されていた地

 私がこの石上神宮に強く惹かれたのは、諏訪信仰について調べている折に、古代豪族・物部氏の存在を知ったことがきっかけである。
 この石上神宮は、物部氏の祖神である饒速日命(ニギハヤヒノミコト)と深い縁を持つ神社であり、数々の霊験あらたかな神剣が代々伝えられてきた。

 石上神宮に伝わる刀剣の中でも、ひときわ有名なものが国宝に指定されている「七支刀(しちしとう)」である。その刀身には金象嵌(きんぞうがん)による銘文が刻まれており、当時の倭の五王の一人であるとされる王の名や、この剣が奉納された時代などを知る上で貴重な資料となっている。

 石上神宮の主祭神は、布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)であり、国譲り神話や神武天皇の東征の際に登場する神剣に宿る魂だ。これを物部氏の祖が、石上布留高庭に遷したのが、この石上神宮の創建とされている。
 布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)は、死者をも蘇らせるという十種神宝(とくさのかんだから)に宿る神霊であり、先代旧事本紀には、物部氏の祖である饒速日命が天降る際に携えてきたと記録されている。
 布都斯魂大神は、天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)に宿る神霊とされる。この剣は、スサノオが八岐大蛇を退治する際に用い、またオオゲツヒメを斬ったとされる霊剣であり、別名を天十拳剣(あめのとつかのつるぎ)ともいう。

 これらの神剣は、長らく伝説の存在とされてきた。しかし明治7年、当時の石上神宮の神職が禁足地とされていた社殿裏を発掘したところ、地中から数々の剣が発見されたという。まさに、伝説の剣が現実のものとなった瞬間で胸躍る話だ。
 令和7年は、このフツノミタマ顕現から150年の記念の年となるようだ。

社殿裏で発見された神剣とは別に、石上神宮に伝わった七支刀は、現在東京国立博物館に収蔵されている

謎の布留 不思議な魅力

 「布留」という言葉の響きに、私は不思議な魅力を感じる。神社の祭文には「ふるへ ふる ゆらゆらと」という言葉があるという。これは、魂の振動を増幅させ、神の力、そして人の魂の力を高める呪文であるとされるが、この「ふる」という言葉が冠されたこの地域には、何か目に見えない力が宿っているのではないかと感じずにはいられない。

 先ほどまで開けた平坦な田園地帯を走っていたはずなのに、石上神宮の境内に一歩足を踏み入れると、そこはまるで山深い木々の精気に包まれたかのような不思議な空間だった。
 この場所がただならぬ聖地であることを直感した。直前に訪れた月読神社が持つ、柔らかく温かい空気感とは異なるが、かといって人を威圧するような強い力があるわけではない。

石上神宮境内を示す案内図
寝そべる撫で牛は、あまり石上神宮の歴史とは関係ないそうな

 拝殿・本殿に参拝する前に、私は深い緑に覆われた社叢の中をゆっくりと気持ちよく歩いた。

 楼門をくぐり、拝殿へと進み、静かに手を合わせる。
 拝殿の向こうには、本殿が立っている。その奥は禁足地とされており、おそらくあの場所から数々の神剣が発見されたのだろう。

国宝の拝殿
拝殿向こうに本殿の屋根が見え、その奥が禁足地のようだ

 境内では、七支刀の図像が描かれた特別な御朱印と、七支刀にまつわる伝説にちなんだ「起死回生」のお守りをいただいた。これを身につけていれば、絶対絶命のピンチをチャンスに変えてくれるという。 

この「起死回生」の伝説は、神武天皇が熊野の地で意識を失った際、高倉下がもたらした霊剣・布都御魂剣により、意識を取り戻し、敵を打ち破ったという神話に由来する。

 先日訪れた越後一宮・彌彦神社の祭神や縁起にも、この布都御魂剣が深く関わっていることに気づき、不思議な縁を感じた。
 やはりここ石上神宮へも私を導くような、不思議な力が働いているかのようだった。

重要文化財の楼門

日本三大霊剣が集うエネルギーの強い場所 

 この地には、何か特別な霊験があるような気がしてならない。楼門を出て正面には、いくつかの摂社と末社が鎮座していた。

 そこには、猿田彦大神と出雲早彦神が祀られていた。私は、猿田彦大神は、天津神である天孫一族が降臨する際、道案内を務めた国津神の代表であり、言わば征服された人々の象徴であると考えている。そして、出雲もまた同様の歴史と神々を有する。

出雲建雄神社 あの草薙の剣の荒魂が祭られているという
この地には、日本三大霊剣が揃っているということだ!

 その猿田彦大神と出雲の神が、この石上神宮の境内で並んで祀られている光景は、古代の律令期における政争に敗れた物部氏の姿と重なるように感じられた。

猿田彦神社

 そして興味深いことに、これらの摂社・末社を拝むようにして、国宝である拝殿が建っている。これは、かつて大伽藍を誇り、西の日光と呼ばれた内山永久寺にあった拝殿であり、神仏分離令により明治9年に廃絶したその寺から移築されたものであるという。

国宝でもある旧内山永久寺の拝殿

 多くの人々が、この摂社・末社に足を運び、熱心に祈りを捧げている姿が見られた。中には、石上神宮の拝殿での祈りの時間よりも長く、一心に祈っている人もいた。
 彼らの真摯な姿を見ていると、この場所にはやはり、言葉では言い表せない不思議な力が宿っているのだと感じさせられた。

 布都御魂・天十握剣・天叢雲剣は、日本三大霊剣と言われている。漢字表記や異名がそれぞれに複数あるが、布都御魂はここ石上神宮にあり、天十握剣も石上神宮に収められたとされている。そして、天叢雲剣(草薙の剣)の荒魂もこの出雲建雄神社に祭られているという。
 ここは、日本三大霊剣が集う場所ともいえるのだ。

山の辺の道への出発点

 石上神宮には、山の辺の道へと続く出発点があり、ここから桜井市の方面へと続く古道の趣を見せていた。しかし、先ほどまで感じていた、清々しい空気の圧が、ここでふっと消え去った。
 不思議に思い、石上神宮の方へ戻ると、またあの独特の空気の感覚が戻ってくる。これほどまでに明らかに感ずるような霊威をもつ物部氏ゆかりのこの古社には、一体何が秘められているのだろうか。
 その謎と不思議な感覚を体にとどめながら、私は石上神宮を後にした。今日の旅は、まだ続く。導かれるようにきたこの場所での不思議な出会いは、まだ続くような気がしていた。

この後、国指定史跡 黒塚古墳や崇神天皇陵、大和神社などを訪れた紀行文はこちら。

 奈良に来る前の京都の松尾大社と月読神社への紀行文についても、よろしければご覧ください。

昔、明日香村を巡った紀行文もよろしければお楽しみください。リライトしました。


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