太陽と大地の聖地でみたレイラインの謎と諏訪信仰との関わり~信州上田の生島足島神社 【紀行文】
下諏訪の毒沢温泉を早朝に出発した私の旅は、生島足島神社という"日本のへそ"へ向かう。そこは単なる古社ではない、太古の神々が集う神聖な場所であり、その痕跡が今も残る場所だった。
中山道を走り、塩田平へ
今は諏訪から上田方面に向かう山中のトンネルがあり、車での往来はスムーズだが、かつて街道を往来する旅人はかなり苦労をしたであろう。
中山道は山間の道で起伏はあるが、街道としては落ち着いており、海沿いの東海道を行くよりも、時間はかかるが確実に旅を進めることができたようだ。

塩田平の真ん中 生島足島神社とレイライン
信州の山並みは、北陸から見た山容に比べれば、丸みを帯びた優しい山で、それがもたらすの恵みを感じさせた。豊かな黄金色の稲がなびく田園風景が広がり、白いソバの花も可憐に咲き誇っていた。
上田市内に入り、開けた塩田平の平地の中に、神池に静かに浮かぶ生島足島神社が現れた。水面に浮かぶその神社は、辺りの空気をいっぺんに変えてしまった。

創建の年代は不明だが、神社の由緒によれば、建御名方富命(タケミナカタトミノミコト)が諏訪に入る前にここに留まったという伝承があることから、諏訪大社よりも前からある場所なのかもしれない。

この生島足島神社の東西方向に鳥居があり、参道が伸びているが、この東西のラインが太陽のレイラインであるという。
つまり、夏至には太陽が東の鳥居の真ん中から上がり、冬至には西の鳥居に沈むというのだ。


太陽の光が鳥居をくぐってこの参道に真っ直ぐに入るようだ。
日本遺産のストーリーについては、下記サイトを参照。
日本の国土・大地を祀る神社
こうした太陽の運行をもとに配置された特徴的な神社が、この生島足島神社。この太陽の運行を重ね合わせたというところも面白いが、ここの神社の特徴はもう一つある。
それはこの神社は日本の大地そのものをご神体としているという点だ。

生島足島神社は「日本のへそ」「日本の中央」というふうに呼ばれている。つまりここは日本列島における中心地点であるということだ。
生島足島神社は、神池の中央にある巨大な岩の上に建つ神社であり、その本殿の土間こそが、ご神体であるとされる。すなわち大地、この日本の島そのものが神ということである。
その壮大なスケールに、私は深く感銘を受けた。

生島足島神社での発見と気づき
神池にかかる太鼓橋は神が渡る橋であり、参拝者は渡ることはできない。
その横にかけられた石橋を渡り、本殿内殿の土間の「ご神体」に参拝する。

生島足島神社の拝礼は基本的には、他の神社と同じだが、説明板には「軽く一礼、二拝、そして二拍手、一拝、そして軽く一礼」と、前後に軽くお辞儀をする揖(ゆう)のことまで丁寧に書いてあった。

生島足島神社の拝殿の脇手を行くと、そこには十三社があり、十三の祓いの神を祀っているが、その脇に私は驚くべきものを見つけた。

木の根元に置かれた丸い石。それは、諏訪の地でみた、あのミシャグジ信仰の痕跡とあまりにもよく似た姿だった。
ここの十三社に祭られている神々の名は、諏訪の十三神とは異なるが、十三という数が符合していた。

この生島足島神社は諏訪地域からは、遠く離れているが、中山道でつながっている。しかし、その地理関係だけでない、深い人々の信仰のつながりもあることを、これは示唆しているのだと思った。

境内を歩きながら、ふと思いを巡らせたのは、この生島足島神社の神池は、もしかしたら諏訪湖を模したものではないだろうかということだ。
私は諏訪湖が、タケミナカタノカミではないかとの説もあると思っている。先ほど述べたとおり、この生島足島神社の神池の上にある巨大な岩・大地こそが、この生島足島神社の御神体なのだが、これは諏訪湖におけるタケミナカタノカミの姿と同じなのではないか。

生島足島神社が神池の中の岩を御神体とするように、諏訪大社もまた諏訪湖とその周辺の大地を神域としている。
水と大地を一体のものとして崇める信仰形態は、古代日本の宗教観の根幹をなすものであったのかもしれない。
摂社 諏訪神社の不思議
ところで、この生島足島神社の境内には、摂社の諏訪神社がある。
諏訪神社と生島足島神社拝殿は対面して配置されている。

生島足島神社の境内にある諏訪神社は、まさにタケミナカタノカミを祀っているところである。
伝承では、出雲から越の国を経て、この地に入ってきたタケミナカタノカミが諏訪に入る前にここに留まり、生島足島の神に粥をささげ、そしてこの地から諏訪に入ったという。
境内のミシャグジ信仰の痕跡と諏訪湖との符号、そしてこの諏訪入りの物語を知り、そのスリリングな展開に驚きと興奮を隠せなかった。
高揚した気分のまま、辺りを歩き回った。


この生島足島神社境内にも御柱が四本建っていた。摂社諏訪神社のものではないようだ。赤松を使ったもので、諏訪大社ほどの太い木ではないが、地域の氏子によって諏訪大社と同じく七年ごとに建て替えられている。


生島足島神社の境内にある特徴的なケヤキの木、夫婦ケヤキの大きさにも驚いた。このケヤキの根元にくぐって、子供たちはかつて遊んだのではないだろうか。今では立ち入り禁止になっている。
諏訪神社の裏手には、日除けの欅という、かつてこの神社を火事からまもったとされる欅の切り株があった。
これら巨木とのかかわりが、濃密な古層の神々の存在を思わせる。
この場所には、巨木、岩、水と自然の大切な要素がそのままの形で祭られている。アニミズム的な素朴な形で、神々の存在を感じることができる場所だ。神社とは本来、そのような日常と非日常が交わる場所であったはずである。
太陽の恵みと大地の神秘が織りなす場所で
生島足島神社の西の鳥居を出てしばらく歩いてみると、広大な塩田平と手前に広がる黄金の穂を垂れた田んぼ、そして別所温泉方面に走る別所線などが見えた。

太陽の恵みと大地の神秘性を感じさせる雄大な風景であった。
今では周りに多少の家が建っているが、遮るものがないのであれば、この地は、まさに太陽の通り道と思われたことであろう。
この風景を古代の人々も見ていたのだろうか。太陽の軌道を意識し、大地の恵みに感謝し、そして何か大いなるものへの畏敬の念を抱きながら。
現代の我々は、古代人の宗教観を完全に理解することはできない。しかし、こうした聖地を訪れ、その空気を感じることで、彼らが何を大切にし、何を畏れ、何に祈りを捧げていたのか、その片鱗に触れることができるのではないだろうか。
そうして心静かに耳を澄ますと、失われた神々の声が聞こえてくるのではないだろうか。
信州塩田平にある生島足島神社は、そのような古代と現代を結ぶ架け橋として、静かに佇んでいた。
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今回の諏訪の古層を巡る旅の記録はこちら。
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