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【聖なる経済学】 債務の免除

訳者コメント:
現行の経済、プラス金利の経済は「椅子取りゲーム」であって、必ず敗者(債務者)を生み出すように設定されています。経済成長すれば全員が助かるというのは、国の外、経済の外に敗者を生み出す構造に目をつぶることになります。そもそも、日本はもはや経済成長の燃料である金銭化されていないコモンズを使い果たしています。この経済の実情を映し出したマイナス金利とともに、これまでの債務を免除することが、社会の再出発には不可欠です。


第17章:まとめとロードマップ


最初は無視され、次に笑われ、次に戦いを挑まれ、そして最後に勝利する。
―モハンダス・ガンジー

聖なる経済の一部である、個人の経済思考と実践における変化をより深く掘り下げる前に、その主要なマクロ経済的要素を概説します。すでに実現しつつある要素もあれば、依然として政治的な議論の範囲外にあり、想像もつかないことが常識となるには、危機がさらに深刻化するのを待つしかない要素もあります。

私が描く変革は漸進的なものです。財産の没収や既存制度の全面的な破壊ではなく、それらの変革を意味します。以下の概要が示すように、この変革は既に進行中か、あるいは既存制度において芽生えつつあります。

読者の皆さんはお気付きかもしれませんが、これらの発展のほとんどは、誰もそれに気付いて分類していない場合を除いて、政治的立場で言えば左派の側に位置します。それは、これらの発展が富裕層から他の人々へと徐々に富を再分配するからです。富裕層が常に求めてきたのは高金利であり、労働者は低金利を望んできましたが、本書では金利がマイナスになる未来を予見します。リベラル派は社会福祉政策を好みますが、本書では社会配当という形で普遍化されると予見します。企業利権は環境保護や社会保護を骨抜きにするよう主張しますが、本書ではコモンズの回復を予見します。上記の唯一の大きな例外は所得税の廃止であり、これは実際には、金銭や財産を支配して経済的レントを生み出すのではなく、起業家精神に基づく生産性によって富を得ている少数の富裕層に恩恵をもたらします。

1. 債務の免除

本書の初版が刊行された後、私は債務免除こそが本書で提唱するその他のすべてのマクロ経済政策の鍵であると考えるようになりました。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響で膨大な新規債務が積み上がった今、債務問題はかつてないほど時宜を得た問題となっています。

ある社会秩序の正当性は、その債務の正当性に依拠しています。これは古代においても同様でした。伝統的な文化においては、債務が社会を結びつけるのりのようなものでした。誰もが、いつでも誰かに何かを借りているものでした。債務の返済は、社会的義務の履行と切り離せないものであり、公平や感謝の原則と深く結びついていました。

借金をきちんと返済することに対する道徳的な認識は、今日でもなお私たちの中に根付いており、緊縮財政の論理や法体系にも織り込まれています。良き国家、あるいは良き人間とは、借金を返済するためにあらゆる努力を尽くすべきものとされています。したがって、ジャマイカやギリシャのような国、あるいはボルチモアデトロイトのような自治体が、債務の返済に必要な歳入を確保できない場合、公的資産を民営化し、年金や給与を大幅に減額し、天然資源を現金化し、公共サービスを削減して、その節約分を債権者への返済に充てるべきなのです。このような処方箋は、その債務の正当性を当然の前提としています。

家計レベルでも同じ理屈が当てはまります。借金があるなら、もっと懸命に働き、支出を抑え、資産を売却し、借金の返済を軸に将来設計を立てたほうがよいでしょう。何しろ、その借金は紛れもなく自分が負っているものだからです。

2008年の金融危機以降、富の集中が激化するにつれ、こうした債務の多くが公正でも正当でもないという認識が高まっています。最も明らかに不公正なのは、2008年の金融危機の直前に横行していたような違法行為や欺瞞的な行為を伴った融資や、その後のLIBORライボー不正金利操作スキャンダルに関わる融資です。2010年代には、市民による監査や地方自治体による訴訟を通じて、こうした債務の正当性に異議を唱える動きが生まれました。

法律そのものが経済的利益によって操作されがちな現代において、こうした異議申し立ては、なぜ違法行為を伴う債務に限定されなければならないのでしょうか。単に欺瞞的あるいは非倫理的な融資についてはどうなのでしょうか。もし、不公正な経済的、政治的、あるいは社会的な状況によって、債務者が借金をせざるを得ない状況に追い込まれているとしたらどうでしょうか。そのような不公正が蔓延しているならば、すべての、あるいはほとんどの債務は不当なものではないでしょうか。もしそうであるならば、債務抵抗運動には深い政治的な結果が伴うことになります。

この蔓延する構造的な不公正の感覚は、第三世界だけでなく、第一世界でもますます広範囲にわたって、はっきりと感じられます。アフリカやラテンアメリカの諸国、南欧や東欧、有色人種のコミュニティ、学生、住宅ローンを抱える住宅所有者、自治体、失業者、新型コロナウイルスのロックダウンによって生活を破壊された人々……。自らの過失ではないにもかかわらず、莫大な債務の重圧に苦しむ人々のリストは尽きることがありません。彼らが共通して持っている認識は、たとえその認識に法的根拠がないとしても、自分たちの債務が何らかの形で不公平なものであり、正当性がないというものです。だからこそ、世界中の債務問題活動家や抵抗者たちは、「借りはない。払わない。」というスローガンを掲げているのです。

債務は、どこにでもある上に心理的に深刻なものなので、強力な結束の材料となります。スーパーマーケットにはまだ食料が溢れ、エアコンも動いている以上、気候変動の重要性は理論上のものとして後回しにされがちですが、債務はますます多くの人々の生活に直接的で紛れもない影響を及ぼしています。それは、くびきであり、重荷であり、自由に対する絶え間ない制約です。アメリカ人の4分の3が何らかの形で債務を抱えています。学生ローンの残高は1兆ドルを超え、卒業生1人あたりの平均債務額は約3万ドルに上ります。全米の自治体は、サービスを極限まで削減し、職員を解雇し、年金を大幅に削減しています。その理由は何でしょうか。債務の返済のためです。国全体についても同様で、債券市場は南欧、ラテンアメリカ、アフリカ、そして世界の他の地域をぎりぎりと鷲掴みにし、窒息させようとしています。借金が自分たちの生活を支配する暴君となっていることに、ほとんどの人は説得されるまでもなく同意するでしょう。

しかし、彼らがほとんど気付いていないのは、自分たちが債務から解放される可能性さえあるということです。なにしろ、債務は「逃れられない」とか「重荷」と表現されるぐらいです。だからこそ、先に述べた市民監査のように債務の正当性に対するごくささやかな異議申し立てでさえ、革命的な意味合いを持つのです。それらが疑問視するのは債務の確実性です。ある債務が変更できるのなら、すべての債務も変更できるかもしれません。

この異議申し立ての根拠の一つは、第6章で取り上げた「不当債務」の原則です。不当債務は、国家レベルで行われた最近の債務監査における重要な概念であり、とりわけ2008年のエクアドルにおける監査は、同国が対外債務の一部について債務不履行する結果となりました。同国に深刻な事態は起こらず、危険な先例が確立されました。ギリシャの「公的債務真実委員会」は、同じ可能性を念頭に置いて、同国のすべての公的債務を監査しました。このことには他の国々も注目すべきです。なぜなら、明らかに返済不可能な債務を抱えていることで、永遠に続く緊縮財政、賃金カット、天然資源の現金化、民営化などに追い込まれているからであり、その代償は債務を抱え続けるという「特権」なのです。ほとんどの場合、債務が完済されることはなく、永遠に不可能です。幸いなことに、新型コロナウイルス感染症の余波により、この「返済不能」という問題がより鮮明に浮き彫りになりつつあります。

債務は、ほぼすべての人に訴求力のある結束の象徴となり得るだけでなく、独自の政治的なツボでもあります。なぜなら、大規模な債務の免除や支払い拒否は、金融制度にとって壊滅的な結果をもたらすからです。2008年のリーマン・ブラザーズの破綻は、この制度が極めて高い率の借入金で支えられ、かつ密接に相互連結されているため、わずかな混乱でさえも大規模な全体的機能不全につながる可能性があることを示しました。さらに、孤立化したデジタル市民にとっては、ただでさえ他の形の集団的な結びつきから切り離されてしまっているので、支払い拒否は簡単に行使できる抗議の形であり、おそらくは現実世界に大きな影響を与える唯一のデジタル行動形態であると言えるでしょう。シルヴィア・フェデリーチは『サウス・アトランティック・クォータリー』誌でこう述べています。「煙突が林立する世界では際立っていた『労働』や『搾取』、そして何よりも『上司』といった要素に代わって、今や債務者たちは雇用主ではなく銀行と対峙しており、賃金労働者の場合のように集団や集団関係の一部としてではなく、単独でそれに立ち向かっているのだ」[1]。

新型コロナウイルスによる社会崩壊が起こるまでは、政治的に現実味があり実行可能な債務救済案など、追求する価値はほとんどありませんでした。金利の引き下げやその他の漸進的ぜんしんてきな改革では、無関心で幻滅した市民の関心を喚起することはできません。1980年代の「核凍結運動」を思い出してください。この運動は、主流派のリベラル派から「非現実的な甘い考え」と広く非難されましたが、声高で献身的な運動を生み出し、レーガン時代のSTART(戦略兵器削減条約)締結を支えた世論の形成に寄与しました。経済改革運動にも、これと同じくらい単純で、理解しやすく、魅力的な何かが必要です。学生ローンの全額免除はどうでしょうか。あるいは「ジュビリー〔ヨベルの年の債務免除〕」、つまり住宅ローン債務者や債務国に対する「新たなスタート」はどうでしょうか。

こうした提案には当然の疑問が浮かびます。その費用は誰が負担するのでしょうか。単に債務を完全に帳消しにしてしまうと、年金基金やおばあちゃんの貯蓄口座まで、ほとんどの金融資産も帳消しになってしまうことになります。幸いなことに、もっとスムーズな解決策があります。2008年の金融危機を受けて、各国政府は一貫して債権者を救済し、債務を帳簿上に残すという対応をとりました。例えば、連邦準備銀行は巨額の不良住宅ローン担保証券を全額現金と引き換えに買い取りました。しかし、債務者は支払いを続けなければならなりませんでした。もしも代わりに債務者を救済したら、どうなるでしょうか。

中央銀行は、どうやってその資金を捻出できるでしょうか。それは、2008年の救済措置や、新型コロナウイルス感染症対策の景気刺激策・救済融資を賄ったのと同じ方法です。この資金は税収から出たものではありません。連邦準備銀行(および欧州中央銀行などの中央銀行)は、会計項目として「無から」通貨を創出したのです。理論上、連邦準備銀行は国内のすべての学生ローンや住宅ローンを買い取り、一方的に金利をゼロに引き下げたり、さらには債務を全額免除したりすることさえ可能です。世界各国の中央銀行も、第三世界の債務やギリシャ国債などに対して同様の措置を講じることができるでしょう。

このようにして、債務者は救済を受けられる一方で、債権者は損失を被ることがありません(融資に対して現金を受け取ることになりますが、その多くはそもそも返済されることのないものばかりです)。悪質な貸し手たちも救済されますが、前回の救済措置の時のように自らの不正行為でさらなる利益を得ることはできません。なぜだでしょうか。それは、「神聖な経済」への移行を支える第二の柱、つまり「マイナス金利」があるからです。債務免除は可能ですが、それは大規模な制度変革があって初めて実現するものです。


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注:
1. フェデリチ、「コモン化から債務へ」。

原文リンク:https://sacred-economics.com/sacred-economics-chapter-17-summary-and-roadmap/


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