それをむこうまでもってゆくことはできない、と分配
僕はこれまで幾度か格差について書いてきました。例えばこちらで
コロナ禍に浮き彫りとなった格差がインフレでさらに顕著になるのではないかと書きました。そもそも僕たちの社会において、格差は分配の問題です。
「豊かな社会」の内部の飢えている人びとに関していえば、それはほんとうは、これ以上の経済成長の問題ではなく、分配の問題である。分配の問題を根本的に変革しないで、いくら成長をつづけても、富はそれ以上の富の不要な富裕層にぜい肉のように蓄積されるだけで、貧しい人びとは、いつまでたっても貧しいままである。
分配の問題を解決できれば、僕たちの社会の格差はなくなります。
計算してみれば分かることだが、日本を含む先進産業諸社会においては、まずすべての人びとに、幸福のための最低限の物質的な基本条件を配分しても、なお多大な富の余裕は存在している。
僕たちの社会は分配の問題に取り組めているのでしょうか。それとも取り組めていないのでしょうか。
アメリカは1930年代、ニューディール政策を用いてこの問題に真っ向から取り組みました。おそらく皆さんも中学社会でそれを習ったはずです。
当時の日本社会はどうでしたでしょうか。衆議院議員選挙に社会民衆党から立候補した菊池寛はこのように言ったそうです。
大きなお盆を貧乏人が持ち上げて、その上で金持ちが芸者を揚げてドンチャン騒ぎをしている。今の社会はこれだ。他の無産党はこれを引っくり返そうとしている。社会民衆党は、それをそっと下に置く。・・・引っくり返すよりは、そのままそっと下に置いた方がいい。それで自分は社会民衆党を選んだ、と。
日本の1930年代には、分配の問題に取り組もうとしていた人々がいたようです。しかしご存知のように、日本はニューディールではなく当時ニューオーダーと呼ばれていたファシズムを選びました。
それをむこうまでもってゆくことはできない(You can't take it with you.)。いくらお金を貯めても、死の向こうまではもってゆけない。だからこそ、生前に分配し合おうという想いはグリーン・ニューディールでアメリカに再生しています。僕たちの社会はどうでしょう?
