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回り道・寄り道・非効率の中に、大切なモノ・ヒト・コトは隠れている!!【映像回顧録 No.V00004】街の灯


【映像回顧録 No.V00004】
タイトル: 街の灯
作品形態: 映画
 脚本 : チャールズ・チャップリン
 監督 : チャールズ・チャップリン
 制作 : チャールズ・チャップリン
 主演 : チャールズ・チャップリン
ジャンル: コメディ(サイレント)
鑑賞回数: 1回



1.はじめに

 チャップリンの映画はかなり昔、子どもの頃に見た記憶がある。
 ただ、記憶がほとんどなく、テレビで見たのか、映画で見たのか、それすら定かではない。

 ほとんど、ストーリーは覚えていない。
 覚えているのは、シュールな話だったような曖昧な記憶があるのみである。

 今回、チャップリン「街の灯」を観ようと思ったのは他でもない。
 私の尊敬する教え子からのお願いだったらからでもあるし、自分自身よく覚えていないのでしっかり今の自分で観てみたい、という気持ちと両方である。

 サイレント映画というのはかなり久しぶりなので、それも楽しみの一つである。セリフのない映画、現代ではありえない映画形態である。

 この映画はサイレント映画ではあるが、伴奏音楽と音響が入ったサウンド版という形態である。セリフはないが、音楽や音響はある。

 どんな作品なのか、じっくりと鑑賞してみたい。

2.概要

 チャップリンの作品の中では初期の頃の作品になる。
 トーキー(声のある映画)に反対だったチャップリンがサウンド版として発表した「街の灯(まちのひ)」

盲目の花売り娘主人公(チャップリン)の出会のシーンは342回のNGを出すというギネスにも乗る撮り直しを行なったことで有名だ。

 重要なシーンとして、大切なシーンだったのだろう。

 トーキーを見慣れてる現代において、サイレントは鑑賞が難しく感じる。
 言葉による演技に慣れてしまったせいであろう。
 普段使わない脳を使わさせるため、疲れるというより、最初は正直、不快感さえ感じてしまった。

 ただ、見慣れてくると、言葉ではなく視覚メインに脳が切り替わってくると、自然に鑑賞できるようになってくる。

 人という生き物は、不思議である。

 そして、環境適応能力が高いことをあらためて知ることになった。

 最後まで、一気に鑑賞する。

3.観た感想

 先ほども書いたが、サイレント映画の感覚に、自分の感覚をチューニングし直す作業が最初大変だった。
 サイレント映画に慣れるまで少々時間を要した。

 しかし、一度チューニングが完了して、鑑賞すると、不思議と人間の感性は切り替わる、ということに驚いた。

 視覚だけでちゃんとストーリーが追えるようになるのだ。
 表情やしぐさから、心の動きも理解できるようになってくる。

 言葉や声に影響されないため、自分自身の感性で、受け止め方が変わる気がする。

 多分、もう一度、別の日に、別の状況、別の環境、別の心の状態で鑑賞したら、受け止め方や感じ方が変わると思う。

 相手主体ではなく、自分主体で鑑賞できるのが興味深い。

 思っていたより、物語は短く感じた。

 しかし、心の揺れ具合は、想像以上に揺れまくってしまった。

 映画というものが、いつもよりも演技や表情や舞台セットなどに対して、質感が繊細に、そして強く感じられる気がする。

 最後のシーンでは思わず泣いてしまった。

 自分ではきっと泣かないだろうな、と思っていたので正直驚いている。

4.映画詳細

 ここからはネタバレも含みます。ご注意ください。


 序盤、盲目の花売り娘と主人公(チャップリン)との出会いや富豪との出会いは展開が早くて、理解するのに時間を要した。
 サイレントを久しぶりに見ることも影響している。

 冒頭の登場シーンも強烈な始まり方で、主人公という人間のキャラクターと破天荒ぶりが強調されていた。

 偶然出会った富豪がお酒に酔っている時と、シラフの時の差分が大きく、演技力に力が入っている。

 ストーリーが進むごとに、主人公や富豪や盲目の花売り娘などの「ひととなり」がわかってきて、だんだんストーリーに私自身のめり込んでいく。

 この映画が作られた時代の時代背景がわからないので、なんとなく感覚的にわからないところもあったが、チャップリンの表情やしぐさ、演技の幅の豊かさで、あきることなく話が進んでいく。

 ユーモラスで、繊細で、悲哀があふれていて、大胆なストーリーだ。

 どうしても、主人公に一番目が入ってしまう。

 セットにかけるお金も演技にかける時間も今の映画では考えられないような時間軸と価値観だ。

 だからこそ、演技やストーリーに重みが増す。

 富豪からもらった1000ドル全てを盲目の花売り娘に預けて、家賃と目の手術代として渡してしまい、そのまま去っていくチャップリンに、悲哀と悲壮感が漂う。

 盲目の花売り娘の嬉しそうな顔や、悲しそうな顔や、寂しそうな顔が心を打つ。

 また、チャップリンの表情やしぐさも哀愁が漂い、こちらまで切ない気持ちになる。

 主人公が濡れ衣の罪から牢獄にいれられるが、数十日後に解放されて、街をさまよい歩く。

 目を手術して見えるようになった花売り娘が新しくオープンした花屋の中から外を見ていると、みすぼらしい放浪者の姿をした主人公を見る。

 気づかず、滑稽な姿に笑っていた娘も、優しい心をもっているため、同情して、みすぼらしい放浪者の姿をした主人公に花と少々のお金を渡そうとする。

 全く主人公だと気づかなかった娘が、主人公の手を取った瞬間に、あの時の方だ、と理解する。

 この時の、チャップリンと娘の表情に心が大きく揺さぶられた。

 言葉はなくても、映画というものは伝わるものなのだ、と再認識した。

 静かに自分の頬を流れる涙が心地よい。

 また、涙を流せた自分を褒めたい、と心から思う。

 大人になって失くしてしまった感覚や感性があると自分では思っていたが、ちゃんと自分の中に繊細な心が残っていたことに嬉しく思う気持ちと同時に、安心した気持ちが溢れる。


 現代社会の中で、〇〇思考が大切とか、無駄のない効率的な仕事を目指すとか、テンプレート化とか言うが、本当に大切なモノ、コト、ヒトとは、効率的でも、テンプレートでも、思考するだけでもない。

心でありのままに感じることが大切だ

 と思い出させてくれる映画であった。

 ときには、回り道や、寄り道など、非効率だと思えることの中に、大切なことは隠れているのである。

 最後に、「街の灯」をすすめてくれた教え子に感謝したい!

 ありがとう♪ ❤️

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