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「 夏の色は 」 (1)セピア色の夏

 一緒に過ごした時間がどれだけあっても、互いの歯車はうまく噛み合わないこともある。
付いたり離れたりを繰り返しながらも、それでもその歯車は近くにあり続ける。
壊れることなく、共に寄り添い、動き出すことはできるのだろうか。

とある男女の、ある日を重ね、繋ぎ合わせた短編ストーリー。


 思い出は色褪せるとはよく言ったものだ。

この夏に見たはずの、晴れ渡る空の青も、砂利道を挟む水田の初夏の緑も、誰かが食べていた昔ながらのかき氷の色だって、
セピアのような、モノクロームのような、鮮やかとは違う、どこか曖昧な色になって、あの時の夏の色をなかなか思い出せない。

どうせ色褪せるのなら、思い出ごと忘れられたらいいのに、感情だけを残して色はどこへ行くのだろう。
それとも色褪せていくから、これからの景色を色鮮やかに魅せてくれるのだろうか。

なんとか思い出せる色は、何色とも言えないけれど、太陽が反射して瞬く海面の色。
黒っぽい砂浜が、夕陽を受け入れたときの色。
彼女と過ごした海辺の、一日の終わりの色だった。

僅かな色をなんとか見つけながら、僕は夜のひんやりとした浜辺に寝転び、身を預けた。
考えてもどうにもならない頭を、少しずつ冷やしながら、ただ波の音に集中したかった。

波音は、その時の心情を表すかのように、日によって聴こえ方が変わるのだと、誰かが言っていた。
そうなのであれば、穏やかなはずの今日の波音は、僕の心拍数とは噛み合わなくてもどかしかった。


「100人のうち99人が嬉しい言葉でも、1人にとってはそうじゃないかもしれない。 そうやって少しだけ気を付けてみるの。」

仕事の合間の彼女との何気ない会話の中で、ふと話してくれたその言葉は、仕事も交友関係も、より良いものにしてくれた。

つい熱くなって、自分の意見をストレートに主張し過ぎてしまうようなことは減ったと思うし、言葉の選び方次第で相手の反応がこんなにも違うのかと、恥ずかしながらも、初めて腑に落として理解することが出来るようになった。
丁寧に言葉を選べるようになったのは、彼女のおかげだ。

それなのに今は、あのときの彼女の言葉が僕を混乱させる。


 彼女というのは、同級生でもある同僚のことで、初めて出逢ったのは、もう6年程前。
地元の高校時代からの友人でもあった。
運動部が盛んな高校だったけれど、どこにも所属していなかった僕らは、帰宅ルートが同じだったのもあり、必然的に一緒に帰るようになっていた。

海のある町に住んでいた僕らは、海という存在は日常生活の一部だった。
マリンスポーツを愉しむ大人も多く、シーカヤックやセーリングに乗せてもらうこともよくあった。
ぼんやりと釣りをしたり、ただ砂浜を走ってみたり、寝転んでみたり、なんて自由気ままな放課後を過ごしていたのだろうと、社会人になった今なら、そう思う。

一つの場所に所属することが苦手だった僕にとって、放課後をそうやって気ままに過ごせるということは、とても有り難い環境だった。

彼女は、そんな僕の遊びに付き合うというより、なんとなくいつも近くにいてくれていたように思う。
時々、僕のすることに交じりながらも、大半は浜辺で絵を描きながら、読書をしながら、彼女なりの自由を愉しんでいるようだった。

やってみれば、それなりにスポーツはなんでも出来てしまうような、運動神経の良い女の子だったけれど、彼女も部活動には興味がなかったらしく、海でゆっくり過ごすほうが好きだと言っていた。

彼女は、時々こちらを気にかけてくれて、手を振ってくれたり、魚を釣って彼女のほうを向けば、親指を立てて一緒に喜んでくれた。

同じ海で過ごしていても、彼女の時間の流れは僕とは違う。
彼女はよく、僕のことを早送りして見てるみたいだと言って笑った。
僕のペースを、彼女が適度に緩めてくれていた。

性格はまるで真逆な僕らだったけれど、何かに属することが苦手なところ、ただ海が好きだというところ。
それは、似ていないあの頃の僕ら二人を繋ぐ、数少ない共通点だったのだと思う。

そうやって放課後になれば、暗くなるまでの時間を、ほとんど一緒に過ごすほど仲は良かったけれど、付き合うというような、恋愛関係には至らなかった。

彼女がどんな絵を描いていたのか、どんな本を読んでいたのか、聞くということもしていなかった僕に、彼女のことを好きだという資格があるのかは分からない。
それでも僕は、彼女のことを一人の女の子として好きだった。

彼女は僕のことをどう思っていたのかは分からないけれど、多感な時期にあれだけ一緒にいられたのだから、一人の人間としては、きっと好きでいてくれたと思う。

自分の意見は割とストレートに言えるにも関わらず、彼女に告白をするような自信や勇気はなかった。
それに、言い訳みたいに聞こえるかもしれないけれど、なんとなく言わないほうが良いような気がしていたんだ。


 気づけば、高校生活最後の夏、夏の大会などのピークが過ぎ、部活動に励んでいた周りの友人たちも、一気に受験モードになっていった。
僕も彼女も、その流れに乗るようにして、それぞれ予備校に通い始めるようになった。

最後に一緒に帰ったのは夕立が降った日だった。

それきり、通う予備校が違った僕たちは、帰るルートも変わり、自然と一緒に過ごすことはなくなってしまった。
時々顔を合わせることがあれば、「同級生」という距離感で、少し話すくらいだった。

無事、受験が終わっても、卒業までの僅かな時間を、部活や受験から解放された友人達と過ごすことが増え、前のように彼女と二人で自転車で下校をして、海で過ごすということはなくなっていた。
放課後、今まで女友達と過ごすことがほとんどなかった彼女も、僕と同じなようだった。

僕は、志望していた県内の工科大学への進学が決まっていた。
彼女は、志望していた都内の大学へ進学するために、この春上京すると聞いた。
早いスピードで高校3年の後半が過ぎていって、気がつけばそのまま卒業の日を迎えると、あっという間に新しい生活が始まった。
大学生活という新しい環境に馴染んでいくうちに、自然と会うことも、連絡を取り合うということもなくなっていた。

それから数年ぶりに、就職先で再会したときは、お互いに驚きを隠せなかった。
二人して高校時代に戻ったかのように、自然と笑みが溢れて、再会を喜んだ。

高校時代に、彼女に確かに恋をしていたけれど、高校を卒業してからは僕もそれなりに恋愛をしてきて、特別な感情を抱くというよりは、仲の良かった同級生との再会が素直に嬉しかった。
これからは同僚として、一緒に仕事が出来る仲間がいるという、心強さも感じた。


 彼女は高校生の頃から、同年代の子と比べると落ち着きのある子だったけれど、更に大人な女性へと変化していて、以前にも増して落ち着いているようだった。

同年代の女性100人に聞けば、99人が嬉しいと言うであろう言葉でも、彼女にとっては違うようだった。
彼氏とデートでどこに行ったとか、結婚の話が出たとか、恋愛話に盛り上がってる女性たちの会話の輪の中にいても、彼女から自分の恋愛話をする事は滅多にないように見えた。

僕も今まで彼女からそういう話を聞いたことや、相談されたこともなかった。

100人に聞けば99人、それ以上の人が、彼女のことを褒めるだろうと思うくらい、彼女の人となりは魅力的だ。

今の彼女を一言で表すのなら、『丁寧』という言葉がとてもよく似合う。
『丁寧』という言葉が、どこからともなく流行し、理解が曖昧なまま、言葉だけがひとり歩きしてしていたことがあった。
意識して生活に取り入れている人も、周りにたくさんいたけれど、そういうのとはどこか違った。
ストイックであったり、意識して身に付けたともどこか違う。
彼女の中に存在している、そう感じていた。

彼女といると、少し背筋が伸びるような気持ちになるのに、不思議と心地良かった。
慌ただしい都会の中でも、木漏れ日の中でゆったりと過ごしているような安らぎを感じる。

高校生の僕は気づいていなかったけれど、あのときの僕もそんな彼女に惹かれていたんだと思う。


 そんな落ち着いている彼女でも、僕といるときは気が楽になるらしく、よく仕事の合間の休憩を共に過ごした。
高校時代に一緒に過ごした放課後のように、自由を愉しんでいるような感覚に戻れるのかもしれない。

職場で再会してから初めての夏だった。
外で息抜きをしようと、テラス席で過ごした。

彼女は暑くて湿った空気の中、しばらく空を見上げて何を考えているのかと思えば、陽射しに背を向けながら、
「夏は苦手だな。」と一言呟いた。
彼女が夏を苦手だと初めて知った。

「恋愛寿命は2、3年て言われているんだって。 ちょうど昨日で3年だったんだ。」

「付き合ってる人いるの?」

「昨日で別れたの。 大学時代から付き合っていた人で、3年目の昨日が最後だった。」

「そうだったんだ。」

「これで良かったんだろうなぁって思う。」

「別れた直後なのに、悲しくないの?」

「恋愛寿命3年きっちり、なんとか私のことを好きでいようとしてくれたのかなって思ったら、抗えなかった。」

彼女が夏を苦手だと言うのは、その彼氏と別れたからだろうか。
高校時代の夏も、彼女は苦手だったのだろうか。
いろいろ聞きたくなってしまったけれど、なんとなく聞かないほうが良いような気がした。

「どっちを選ぶ?右か左か。」

彼女が背を向けた空には、空高く上へと真っ直ぐに伸びる飛行機雲が見えた。
まるでこの広い空を二つに分けているかのようだった。

「右の世界か、左の世界か、どちらか選ばないといけないとしたら。」
彼女はそう続けた。

「僕は、左利きだから、左にしようかな。」
急な質問とはいえ、我ながらなんて安易な返事なんだと思った。
それでも、明るく振る舞おうとする彼女の想いを遮りたくはなかった。

「じゃあ私は、右利きだから、右かなぁ。 どちらを選んでも後悔はするし、どちらを選んでもそれで良かったんだって思うんだよね、きっと。」

「世界が二つに分かれても、地球が真っ二つになるわけじゃないよ。だから、どっちを選んだって大丈夫だよ。」

泣きそうに笑う彼女に言える、精一杯の言葉だった。
根拠はない。けれど、確かにそう思ったんだ。

彼女が苦手な夏は、代わりに僕が好きでいたらいいと思った。

「暑い夏の日に飲む、ほとんど氷のアイスコーヒーが僕は好きだよ。」
聞きたいことも、言いたいことも、どこからか湧いてくる嫉妬のような感情も、全部飲み込むようにして、キンキンに冷えたコーヒーを一気に飲み干した。

彼女も笑って、残りのアイスコーヒーを一気に飲み干し、空を見上げていた。

「この質問、高校生のときにもしたのを覚えてる?」
僕は正直覚えていなかった。
「そうだっけ?」

「そのときも、同じことを言ってくれたよ。」

「そうだっけ? それならあの時から成長してないのかもしれないや。」
彼女が覚えていたその日のことは思い出せなかったけど、俯きながら笑う彼女を見て、少しだけ安心した。

夏を苦手だと言う彼女は、夏がよく似合う。
そう思ったのを今でも覚えている。

そんな夏を、僕は本当に好きだと思ったんだ。


 夏の水田は、涼しげで好きだとか、陽差しが強いほど、空の青が綺麗だとか、かき氷は、どの味が好きだったかとか、そんな他愛もない話をしながら見たこの夏の景色は、あの時間違いなく色鮮やかだった。


僕たちは高校時代を思い出したかのように、予定の合う日は自然と一緒に過ごすようになっていった。
会わない期間を埋めていくみたいにして、高校卒業後から今までのことをなんでも話した。
この懐かしさと、居心地の良さに甘えて、僕は自分の話ばかりをしていた。

この時も、まるで早送りして聞いているみたいだと、彼女は笑って聞いてくれた。
落ち着いている彼女でも、普段はそんなことで無邪気に笑う。
そんな彼女のことをやっぱり好きになっていた。

上京していた僕らは、帰省中に同じ時間を海で過ごすこともしばしあった。
上京といっても、地元から都心までは片道1時間半程の距離で、週末に同じタイミングで帰省することも珍しくなかった。
夏の間は特に頻繁に帰省して、本当に高校時代に戻ったかのようだった。

この夏は時間がゆっくりになったような、それでもあっという間だったと思えるような、自由でいてとても充実した時間だった。
海で過ごす時間が多かったから、日の長さの変化が分かりやすかった。

夏がもうすぐ終わる。
海で過ごす彼女は、東京にいるときよりも少しだけ幼く見える。
高校時代の彼女の面影を感じて、思わずあの頃好きだったことを伝えた。

「それはきっと、君にとっての嫌なところが見えない私だったんだよ。」
困って笑う彼女に、間違っても今も好きだなんて言えなかった。

彼女の嫌なところを、確かに考えたこともない。
そんな部分を隠しているようにも見えない。
自分には釣り合わないなんて、そう言われたわけでもないのに、そんな気がして、急に自分が情けなく感じた。

いつからだろう。
彼女は、急ぎ足で毎日を過ごすような僕のペースを緩めてくれていた。
いや、出逢ってから今日まで、一緒にいるときはいつだってそうだった。
彼女が僕に合わせてくれていることで、自然と僕のペースが緩んでいたんだと思う。

今更ながら、同じ時間を過ごしていると思っていたのは、僕だけだったのかもしれない。
今までこんなことで悩んだこともないのに、彼女のことを想像以上に好きになっていた僕は、彼女が付き合っていた男性だけでなく、それと同じ位彼女にまで嫉妬してしまった。
そんな僕の心境は、大人げなくも、素っ気ない態度となって表れていた。
いつもなら何事もなかったかのように冗談じみたことを言えるはずなのに、この時ばかりは出来なかった。
そんな自分に戸惑いを隠せないまま、そう思うほど、彼女への接し方がわからなくて不甲斐なかった。

こんな時間はもちろん長くは続かなかった。

「一緒にいるのに、一緒にいないみたいだな。」
痺れを切らしたように言う彼女の顔は、僕の知る彼女の中で、一番悲しそうだった。

目には見えないけれど、僕等を繋いでいた何かが失われてしまいそうな、そんな不安さえも感じた。
彼女の気持ちが痛いほど伝わって、何も言えなくて、何も聞こえなかったみたいにしてしまった。

彼女が気まずくならないようにと気を遣ってくれているのが分かった。

「明日朝早くに、東京に戻るから、私はもう実家に戻るね。また休みが明けたら会社で会おう。 今日もありがとう。」
帰り際に彼女のほうが何事もなかったように、優しい笑顔で、でも泣きそうな笑顔で、そう言ってくれた。
こんな時でもありがとうと、いつもより少しだけ早口に言う彼女に、素っ気ない挨拶をして見送るのが精一杯だった。

彼女は時間だけを残して、帰って行った。
一緒にいないみたい、確かにそうなのかもしれない。
彼女が僕に歩幅を合わせてくれていた。
彼女が僕に合わせるのを辞めたとき、急に彼女が遠くに感じてしまうんだ。
彼女の歩幅に合わせられない僕は、住む世界が違うみたいに思えてくる。


 あの陽差しの強い日に、空を見上げる彼女の姿が好きだった。
それ以上に、俯いて笑う彼女のことも好きだった。
夏の陽差しは、俯いて笑う彼女をとても幸せそうに魅せてくれていて、彼女が夏を好きにさせてくれた。
そんなことを言ったら、君を困らせてしまうんだろうか。
君はまたこの夏を苦手だと思うだろうか。

夏が終わる前に、この夏の色を取り戻したくて、柄にもなく、大げさ過ぎる位にそんなことばかりを考えた。
黒っぽい砂浜が、夕陽を受け入れ、影の残らない夜の色をぼんやりと眺めながら、一日の終わりを過ごした。


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