子どもを「医学部」に入れたパパに見る、子育て3つの本質|記事紹介
「医学部」とか、「有名理系大学院」と聞くと、皆さんは何を思い浮かべますか?
私は、条件反射的に
課金ゲー
を思い浮かべます。笑
都心の、なんかバカでかい高級タワマンに住み、受験となればSAPIXや鉄緑会(東大医学部への登竜門的な塾ですね)にブチ込み、親は狂気のごとき形相で「勉強しなさい!」と叫び続け、年間数百万、いや一千万単位の教育費をドブに捨てる覚悟でつぎ込む……。
そんな、「狂気」と「札束」の殴り合い。
それが、医学部受験という名のリングだと思っていました。
東大卒の私の妻も、一時期はSAPIXに通っていたそうですから、そこまで間違ったイメージでもないのかなと。
彼らの教育熱(という名の狂気)は、凄まじいものがありますよね。
ですが、今回ご紹介する記事を読んで、私のこの
薄汚れた偏見
は、木っ端微塵に粉砕されました。
地方の人口5万人の町に住む、
ごく普通のサラリーマン家庭が、
公立ルート(幼稚園〜高校)を貫き、
特別な早期教育もなしに、
長女を有名理系大学院、
次女を医学部へ送り出した。
って聞いたら、どう思います?
えー、どうせ地頭が良かったんやろ?
実は隠れてスパルタだっただけやろ…。
そう思ったあなた。
甘い。甘いです。チョコレートケーキより甘い。
今回ご紹介する記事群の筆者であるお父様が実践していたのは、スパルタとは真逆の
自然体子育て
であり、
そして何より、
親自身が人生を楽しむ
という、
子育ての王道、ど真ん中
だったのです。
今回は、このお父様が綴った宝石のような記事群の中から、私たち子育て世代が今すぐ真似できる(けど、意外と勇気がいる)
3つの本質
を抽出して、ご紹介させていただきます。
本質① 学びは遊び
まず、私がこれぞと思ったのがこのエピソード。
教育熱心な親なら、子どもが「音楽に興味があるかも?」と思った瞬間、
脊髄反射で
ピアノ教室を探しますよね?
「ヤマハ音楽教室 月謝」とかでググって、「うわ、高いな…でも子どもの可能性のためだし…」とか言いながら、結局、子どもがいやいや通う姿を見てイライラする。笑
でも、このお父様は違いました。
ピアノは習わせず、
「電子ピアノ」をリビングに
ポンと置いた
のです。
ピアノは習わせていませんでしたが、あるきっかけで電子ピアノを買い与え、リビングで一緒に遊ぶうちに、いつしか、娘は耳コピで即興演奏ができるようになっていました。
これ、さら~っと書いてありますが、
学びの究極形
なんですよ。
私たち親は、ついつい、 「カリキュラム」とか「教室」といった
枠組み
に子どもをハメ込もうとします。
なぜかと言えば、単純です。その方が
親が安心できるから
です。
月謝を払って、プロに任せておけば、なんとなく「教育している感」が得られますからね。
でも、子どもにとっての「学び」の原点は、いつだって
遊び
の中にしかないんです。
以前の研究紹介記事でも触れましたが、子どもは
教えられたこと=義務
と認識し、
自分で発見したこと=喜び
と認識する生き物です。
子どもは「教えられたこと」は、特別な情報だと仮定しがち。
つまり、「教えられていないこと=意味がない」と解釈することが合理的だと考えてしまう。
このお父様は、電子ピアノという「環境」だけを用意し、あとは「遊び」として関わることで、娘さんの中にある音楽への好奇心という火種に、フーフーと優しく息を吹きかけ続けたわけですね。
その結果、娘さんは「耳コピで即興演奏」という、型破りな才能を開花させました。
もし、最初からピアノ教室に入れて、
指の形はこう!
楽譜通りに弾くのよ!
なんてやっていたら、
この才能は
「矯正」という名の暴力
によって、跡形もなくブッ潰されていたかもしれません。
枠に押し込む前に、
まずは親が一緒に、
そのへんの道具で遊んでみる。
お金もかからない、でも親の覚悟と時間が試される、素敵な教育哲学が感じられます。
本質② 決断させる
次にご紹介したいのが、私が読んでいて思わず涙腺が緩んでしまったエピソードです。
医学部を目指して浪人していた次女さん。受験本番直前の、とあるラーメン屋での出来事。
普通、浪人生の親なら、 「ラストスパートだ!頑張れ!」 「今年こそは合格だぞ!」 と、カツ丼でも食わせて気合を入れるところですね。
しかし、次女さんはお父様にこう告げます。
「私、今年で(受験を)終わろうと思う」
と。
第一志望の国立には届かないかもしれない。
でも、もうこれ以上は精神的にも限界だ、と。
この時、このお父様はどうしたか。
「えーっ、諦めるの~!?もったいない!」なんて野暮なことは1ミリも言いません。
娘が私たちに頼らず自分自身で下した「今年で終える」という決断。
本人の覚悟でもあり、私たちのことを思ってくれての優しさでもあった。
そう受け止め、娘さんの決断を全面的に肯定したのです。
これ、できますか?
私なら多分できません。笑
「いやいや、あと少しじゃん!ここまでいくら課金したと思ってるの!?」 という、
サンクコスト(埋没費用)の亡霊
に取り憑かれて、子どもを追い詰めてしまう気がします。
でも、このお父様には見えていたんですね。
「合格」という「結果」
よりも、
「自分で決断した」という「プロセス」
の方が、 長い人生において遥かに価値がある、ということが。
結果、次女さんは第一志望の国立には届きませんでしたが、 進学した私立大学の医学部で、「建物が綺麗!」「設備が豪華!」と目を輝かせ、「むしろこっちで良かったかも〜!」と笑っていらっしゃるそうです。
これを「負け惜しみ」と取る人はいないでしょう。
むしろ「たくましさ」 と取れる。
自分の置かれた環境を肯定し、そこで楽しみを見つける能力。
これこそが、
幸せの偏差値
を決める最大の能力だからです。
親が引いたレールの上を、脱線しないように走らせるのではなく、
子どもが「もう降りる!」と言った時
に、
「OK!じゃあここからは歩いて行こうぜ!」
と言えるかどうか。
この美学こそが、子どもを追い詰めない、本当の「親の愛」なのかもしれません。
本質③ 親は自分の人生を生きろ
最後にもう一つ。
この「父さん」の子育て論の根底に流れる、最も重要な哲学について。
それは、
親が自分を大事にする
ということです。
親が自分を犠牲にしすぎると、子供はどこかで罪悪感を抱いてしまいます。
親が自分を大切にすると、子供は安心して自分の人生を歩き始めます。
素晴らしい言葉ですよね。
私たち親は、ついつい、「子どものために」自分の趣味を諦め、自分の時間を削り、ボロボロになりながら奉仕することを「美徳」としがちです。
でも、子どもって、親のそういう姿を、
「愛」 ではなく 「重圧」
として受け取ってしまうんですよね。
私のせいでママは疲れてる、僕のせいでパパはお金がない、みたいな。
そんな「罪悪感」という名の鎖を、知らず知らずのうちに子どもの足に繋いでしまっている。
ビートたけしもこう言っています。
「父親は自分の好きなように生きろ」
まさに、このお父様の実践そのもの。
このご家庭では、親自身が人生を楽しんでいるからこそ、子どもたちも変なプレッシャーを感じることなく、
あ、私も好きに生きていいんだ
と、安心して自分の好奇心を爆発させることができたのではないでしょうか。
親が幸せそうにしていると、子どもにとって安全基地にもなりますしね。
まとめ 寄り添いながら歩く旅
今回の記事群を読んで、改めて痛感しました。
子育てに、魔法の杖なんてないんです。
「これをやらせれば医学部に行ける!」なんていう必勝法もありません。
あるのは、
「今日はピアノで遊んでみようか」
「ラーメン食いながら話を聞こうか」
「辞めたいなら辞めてもいいよ」
という、目の前の子どもと向き合い続ける、
地味で、泥臭い「各論」
の積み重ねだけです。
でも、その「各論」を積み重ねた先にしか見えない景色がある。
このお父様は、子育てを
「寄り添いながら、ともに歩く旅」
と表現されていました。
医学部合格という「目的地」に着いたことよりも、そこに至るまでの、笑ったり、泣いたり、ラーメン食ったり、電子ピアノで遊んだりした、その
旅の記憶
こそが、このご家族にとってのかけがえのない財産なのだと思います。
私も、元官僚だなんだと偉そうな能書きを垂れていますが、子どもが将来、
「オレ、ユーチューバーになりたい!」
と言い出したら、
「えっ…福利厚生は…?」
とか言わずに、笑
「よっしゃ!じゃあパパが最初のチャンネル登録者になってやるよ!」
と言えるような、
粋な旅の相棒
でありたいと、強く思いました。
皆さんも、「教育しなきゃ!」と肩肘張るのをちょっとやめて、今日はお子さんと一緒に、リビングでゴロゴロしながら、「面白いこと」を探す旅に出てみましょう。
(もちろん、片手にはビール、もう片手にはおつまみを持って。親が楽しむのも大切ですからね!笑)
このお父様のことが気になった方はぜひこちらから!
(ご参考 1/2)あなたの記事を紹介させてください!
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(ご参考 2/2)引用した書籍
ビートたけしの子育て論。
キレッキレで、令和の父親には刺激が強すぎるかもですが、死ぬほど面白い。
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お気持ちめちゃくちゃ嬉しいです!でも、本当にいいんですか?