【第1回/全6回】父として歩き始めた日々 -娘の誕生と、覚悟の芽生え-
地方公立から医学部へ 〜 ある家庭の子育て回顧録
-親子の時間、受験の現実、そして決断へ-
【第1回】序章〜第1章/全6回(無料)
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序章 はじめに -地方に住む、ごく普通の家庭の物語-
私は、地方の人口5万人ほどの小さな市で暮らす、ごく普通の家庭の父親です。
2人の娘たちは、公立幼稚園、公立小学校、公立中等学校と、すべて徒歩圏内にある“家から一番近い学校”に通わせてきました。
妻も教育ママではありません。
幼少期から塾漬けにするような方針もなく、特別な教育環境があったわけでもありません。
中学校ではなく中等学校(高校偏差値57)を選んだのも、家から最も近いこと、そして「高校受験をしなくていいのはラッキー」くらいの軽い気持ちでした。
それでも、長女は有名私大の理系大学院へ進学し、次女は第一志望だった国立旧帝大の医学部医学科には届かなかったものの、難関と言われる私立大学の医学科に進学しました。
「都会の進学校や大手塾じゃないと難しいのでは?」
そう思われがちですが、私たちの家庭は決してそんなタイプではありませんでした。
大学受験の段階では、塾の力を借りざるを得ない場面はありました。
その話も後で触れますが、私たちが子供の成長で本当に大事だと感じていたのは、もっと日常の中にある、ある意味、普通のことでした。
それは、幼い頃から“子供の好奇心を親子で一緒に育ててきた”ことです。
子供の頃に続けていた習い事は、公文と習字の2つだけでした。
本人がやりたいと言ったものであっても、興味が続かないものはすぐに辞めさせました。
ピアノは習わせていませんでしたが、あるきっかけで電子ピアノを買い与え、リビングで一緒に遊ぶうちに、いつしか、娘は耳コピで即興演奏ができるようになっていました。
スキー、スノーボード、ゴルフ──
どれも部活ではなく、親子の遊びから始まりました。
(都会では信じがたいかもしれませんが、地方には保護者同伴なら数百円でラウンドできるゴルフ場もあります。)
次女は大学でゴルフ部に入り、それなりに活躍しているようです。
私たちは特別な家庭ではありません。
いわゆる“エリート教育”や“受験用の英才方針”とは無縁でした。
私自身は、バブル期の空気に甘え、大して勉強もせずに親に学費を出してもらって首都圏の私立大学へ進学しました。
胸を張って誇れるような大学でもなく、決して褒められた学生生活でもありませんでした。
妻も短大卒で、医学部受験など考えたこともない家庭で育っています。
教育熱心な家系でもなければ、特別に恵まれた進学校に通った経験もありません。
そんな“普通の親”である私たちが娘の進路に向き合ったのは、次女がこう言ったのがきっかけでした。
「なりたいものが思いつかない」
それなら一緒に考えよう。
そうやって何度も話し合った結果、私たちはひとつの考えにたどり着きました。
「可能性を狭めないために、一番高いところを目指してみよう」
医学部を目指したのは、その結論の延長線上だっただけです。
もし届かなければ、それはそれでよいと思っていました。
思い返せば、
娘が医学部に進んだという“結果”以上に、
親子で向き合い、話し合い、悩み、決めていったあの時間こそが、私たち家族にとって最も価値のあるものだったと、今では心から思っています。
第1章 誕生 -父親としての始まり-
気づけば私は、父親として歩き始めていました。
その歩みがどこへ続いていくのかは、この時、まだ知りませんでした。
●1-1 子育てに不安しか無かった自分
私自身、子供の頃から小さな子供と日常的に接する機会がほとんどありませんでした。
親戚に年の近い子供はいたものの、そのグループが一番幼い世代で、お盆や正月に親戚が集まると、私の周囲はいつも“お兄さん・お姉さんだらけ”という印象でした。
そのため、
“赤ちゃんとどう接したらいいのか”
“幼い子がどんな存在なのか”
“自分より小さな子をどう扱えばいいのか”
全く実感として分からないまま大人になったのです。
だから正直なところ、妻の妊娠が分かった時は、喜びと同じくらい不安でした。
父親になる心構えもできていなかったし、自分に子供をちゃんと育てられるのだろうかという疑念がずっとありました。
子供という存在が、自分にとっては未知の領域そのものだったのです。
正直、「なるようにしかならない」と思っていました。
漠然と責任は感じているものの、何をどうしていいのか分からない。
今振り返ればとても未熟で頼りない話ですが、当時の私は本当にそんな状態だったと思います。
●1-2 父になった瞬間 -長女の誕生
里帰り出産で妻は実家へ。私は普段通り仕事の日々を過ごしながら、生まれて1週間後にようやく会いに行きました。
病院の新生児室。
ガラス越しに並んだ小さな命たちは、まさに“新生児らしい”というべきで、泣きわめく声が響き、どこか頼りなく、か弱い存在に見えました。
けれど、その中にひときわ強烈な光を放つ子供がいました。
それが、私の娘でした。
周りの赤ちゃんが泣き声を上げる中で、娘はなぜか整った表情でこちらを向き、微笑んでいるように見えたのです。
あの瞬間は、今思い返しても後光が差して見えたと言っても大げさではない衝撃でした。
胸の奥が急に熱くなり、これが父としての最初の感情なのだと、本能的に理解した気がしました。
それまで、小さな子供と接した経験が乏しく、“ちゃんと育てられるのか”という不安の方が大きかった私にとって、問答無用に、でも当たり前のごとく、自然に“父になる実感”が一気に込み上げてきたのです。
この長女がその後、有名私大の理系学部へ進学し、さらに本人の強い意志で大学院へと進んでいきます。
新生児室で見せてくれたあの落ち着きや整った顔立ちは、のちに彼女の知的な雰囲気や性格の片鱗だったのかもしれません。
──さぞや呆れておられることでしょう。
そうです。私は相当な親バカなのです。
●1-3 静かな部屋で生まれた“父としての覚悟”
病院から妻の実家へ戻ったその夜。
娘をしっかり抱きあげたのは、その時が初めてでした。
妻と義母が風呂に入るために席を外し、部屋には新生児の娘と私だけが残されました。
急に静けさが降りてきて、外の世界から切り離されたような密度のある時間が訪れました。
私の腕の中にいる娘は、小さくて、温かくて──、
呼吸に合わせて胸がほんのわずかに上下していました。
その軽い重さをそっと支えた時、
言葉にならない、不思議な感覚に包まれました。
緊張でも恐怖でもありません。
でも確かに、“逃げ場のない責任”が天井から降りてくるのを感じました。
──もし今この子が泣き出したら、自分がどうにかしなければならない。
そんな思いも自然に沸いてきます。
けれど、娘は泣かず、むしろ落ち着いた様子で、薄明かりの中、じっと私を見つめ返してきました。
その瞳は驚くほど透き通っていて、まるで「だいじょうぶ」と語りかけられているようでした。
その一瞬で、胸の奥底から一気に愛しさが湧き上がり、
同時に“父として生きていく覚悟”が静かに芽生えていきました。
気がつけば、
「ちゃんと守ろう」
「この子が安心できるようにしよう」
そんな言葉が、心の中に自然と浮かんでいました。
やがて風呂から戻った妻が、「どう?大丈夫だった?」と聞いてきました。
私は娘を抱いたまま、小さく頷きました。
──ああ、もう自分は元の自分ではなく、今日から“父親”なんだ。
場違いなほど真剣な表情だったであろう自分。
でも、娘はそんな私の顔を、変わらず穏やかな表情で見つめてくれていました。
●1-4 不思議なくらい自然になれた新米パパ
娘との初めての夜を過ごしてからの日々は、自分でも不思議なくらい自然に“父親としての役割”をこなせていたと思います。
振り返れば、子育て自体は数多の人が繰り返してきた、ある意味とても“自然な営み”。
もちろん大変なこともありましたが、いろいろ考えて構え過ぎていたのかもしれません。
妻も初めての育児で疲れたり、不安と向き合いながら必死に頑張っていました。
そんな中で、我が家ではいつしか「お風呂と寝かしつけは私の担当」と自然に決まっていきました。
でも、初めての育児なのに、不思議と嫌ではありませんでした。
むしろ、娘を抱いて湯船に浸かる時間や、ゆっくり寝かしつける時間は、私にとって小さな喜びになっていました。
おむつ交換もミルクをあげるのも、“大変な育児”ではなく、“かわいい娘と関われる貴重な時間”でした。
とにかく、可愛かったのです。
ただただ、可愛くて仕方が無かった。
抱っこをしても、ミルクを飲ませても、こちらをじっと見つめてくるその目が嬉しくて、自然と笑ってしまう。
そんな日々が続きました。
この頃から既に、私はどこかで感じていたのだと思います。
育児は義務ではなく、楽しみなのだ──。
そんな実感が、静かに自分の中に根を下ろしていきました。
もちろん大変だったこともありました。
けれど、それでも“楽しかった思い出”のほうが圧倒的に強く残っています。
今思い返しても、あの頃の時間は間違いなく、私の人生の中で最も温かい時間のひとつでした。
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