【第2回/全6回】ドラクエは“学びの入口”だった -親子の成長記録-
地方公立から医学部へ 〜 ある家庭の子育て回顧録
-親子の時間、受験の現実、そして決断へ-
【第2回】第2章/全6回(無料)
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第2章 1歳半までの“境界線”と、そこから始まった褒めて育てる子育て
子育ての正解は、子供を育てる中で自分が気づいていくものなのだ──
そう思えるようになったのは、幼少期の娘たちとの経験からでした。
●2-1 “1歳半まで厳しく”という考え方に出会った頃
もともと私は、物事を論理的に理解したいタイプでした。
娘が生まれてからは、育児書や当時のインターネットにあった育児論をよく読み漁っていました。
その中で、ひとつだけ妙に心に残った文章がありました。
当時、わりと人気だった教育評論家が書いたコラムで、こんな趣旨の内容でした。
“子供のしつけは1歳半までに決まる。
映像記憶が残るのは2歳頃からなので、それまでは厳しく育てたい。”
まさに昭和初期世代の価値観による過激な内容で、細かく内容をお話しすると、今の価値観からすれば到底受け入れられないものだと思います。
特に体罰を肯定するような記述については、私自身も今の時代ではとても賛同できる内容ではありません。
ただ、当時は情報も少ない時代で、「幼児が、何をどう感じ取るのか」というテーマに初めて触れた瞬間だったこともあり、
「子供がルールを理解する前に、境界線を示すことは大事」という一部分だけ、妙に腑に落ちたのを覚えています。
誤解してほしくないのですが、私は体罰を肯定したいのではありません。
ただ、厳しくしつけるタイミングとその重要性をひとつの経験談としてお伝えしたいだけです。
娘たちからも、後になってこう言われたことがあります。
「お父さんは怒ると怖いのは知ってるけど、怒られた記憶はほとんどない。」
私がその教育評論家の文章から受け取ったのは、
“感情に任せて叱ったり、体罰をする”という意味ではなく、
“やってはいけないこと”のラインだけ最初に明確に示す
“その後は安心して褒めて育てる”
という解釈でした。
そして実際に、
「1歳半までは線引きをはっきりさせる」
「それ以降はとにかく褒めて育てる」
という方針が私の中で明確に固まっていきました。
●2-2 1歳半までの“線引き”としての叱り方
1歳半までの育児で、私はいくつかの場面で“やってはいけないこと”を示す必要があると感じていました。
食事中に立ち上がった時
明らかに危険な行動をした時
人を叩いたり、物を投げたりした時
叱る時は、表情や声色で“真剣である”ことをしっかり伝えました。
それでも伝わらない時期には、やむなく紙おむつ越しにおしりを叩きました。
紙おむつは厚いクッションのようなもので、大きな音はしますが痛みはほとんど無かったと思います。
それでも周りからはずいぶん厳しい父親と思われたようです。
見知らぬ人に怪訝な顔をされたこともありました。
もちろん、今の価値観では体罰と捉えられかねない方法であることも理解しています。
でも、親としてまだ言葉が理解できない幼児に「危ないことは危ない」と伝えるための方法でした。
この期間は実際には半年ほどの短いもので、その後は家でも外でもほとんど怒る必要がなくなり、子育ては完全に“褒めて育てるスタイル”へと変わっていきました。
●2-3 褒めて育てた時期 -反抗期が無いことへの不安
1歳半を過ぎると娘たちの行動は大きく変わりました。
ルールを理解し、「これはやってはいけない」という線が自然と身についたのか、強く叱る必要がほとんどなくなりました。
家でも外でも礼儀正しく、我慢もでき、安心して任せられるようになりました。
友人の結婚式でスピーチを頼まれた時、
スピーチを終えて席に戻ると、ついさっきまで、にこにこと愛想を振りまいていた当時2歳になったばかりの次女が、誰にも気付かれず、座ったまま円卓に突っ伏した状態で眠っていました。
小さな体でよく頑張ってくれたんだなと、思わず頬が緩んだのを覚えています。
友人たちも、ぐずることなく寝落ちしてしまった姿に驚いていました。
率直に言えば、
「反抗が無かった」
という表現が一番近いかもしれません。
もちろん、私は反抗期が悪いこととは思っていません。
むしろ成長の大事な過程だと思っています。
しかし娘たちには、一般にイメージされるような“ぶつかり合いの反抗期”がありませんでした。
親の言うことを盲目的に聞くわけではなく、
こちらが丁寧に説明すれば必ず理解し、納得してくれる。
物わかりが良すぎて、逆に不安になるほどでした。
娘たちが思春期を迎える頃になると、私は時々、こう尋ねました。
「本音はどうなんだ?」
「不満はないのか?」
けれど、返ってくる言葉はいつも穏やかで曇りがなく、そのたびに私が安心させられていました。
今思えば、早い段階で境界線を明確にし、その後は徹底して褒めるスタイルになったことで、
「反抗して自己主張しなくても、家の中には自分の居場所がある」
という安心感につながっていたのかもしれません。
●2-4 褒めて育てた結果 -ディズニーランドで起きた出来事
娘たちが2人とも幼稚園児だった頃、家族でディズニーリゾートへ出かけました。
小さな子連れのテーマパークは、並ぶ・待つ・暑い・疲れる…と、親にとっては結構な試練でもあります。
園内で、親子の言い合いや夫婦喧嘩を見かけたこともあります。
そんな中で、私たち家族はどこか“異質”だったのかもしれません。
パレードを待つ間も移動中も、娘たちは本当に楽しそうで、わがままも言わず、こちらが言うことを自然に受け入れてくれていました。
聞き分けが良い──では足りません。
あれはもう“協力”でした。家族一丸になってとことん楽しみました。
子供たちが疲れ果てて寝落ちするまで、全員が笑顔でいられる時間。
毎回、本当に全力で遊んでいました。
その時、ふいに見知らぬお母さんから声をかけられました。
「どうしたらそんなに小さい子と親子で楽しめるんですか?」
驚きましたが、すぐに思いました。
──あぁ、これは、娘たちの力だ。
確かに幼い子供連れだと、制限で乗れないアトラクションもあります。
長く並ぶ必要があったりして、楽しむことが難しい場所もあるかもしれません。
でも、
どんな状況でも楽しもうとする姿勢。
家族を信じて行動する安心感。
親の言葉を自然に受け取れる関係性。
これらが揃っていたからこそ、私たち夫婦も全力で楽しめたのだと思います。
子供が安心していると、親も安心できる。
親が楽しんでいると、子供も楽しめる。
このような声がけは一度ではなく、映画館、レストラン、旅行先などでも、何度かいただきました。
娘たちが小学校高学年になると、私の友人と一緒にゴルフをプレーすることもありました。
練習場に一緒に行ったのをきっかけに、少しずつ河川敷のショートホールから始めていました。
子供らしい無邪気さを残しながら、大人の世界のルールやマナーも理解し、きちんと振る舞える娘たち。
“褒めて育てる”スタイルが実を結び始めた時期でした。
●2-5 親子でゲームを買いに行った日 -学びと遊びの共通項
褒めて育てる時期の中で、特に印象的な出来事があります。
長女が小学校低学年、次女がまだ幼稚園児の頃、親子3人でゲーム機のWiiと、ソフト「ドラゴンクエスト I/II/III」を買いに行った日のことです。
当時、既にネット通販もありましたが、私はあえて
「親子でおもちゃ屋さんへ行き──
ワクワクしながら選び、家へ持ち帰る」
という“体験そのもの”を大切にしたかったのです。
テレビゲームは、あの当時でもどこか“悪”のような扱いもあったかもしれません。
「ゲームばかりやると勉強しなくなる」
「子供に悪影響がある」
通い始めた小学校でも、そんな意見を多く聞きました。
でも私は、ゲームには人生の縮図のような学びがあると思っていました。
むしろ対象年齢よりずいぶん前の、感受性が一番強い時期にこそ、やらせる意味がある──
くらいに思っていました。
ドラゴンクエストは、ただの娯楽ではなく、
別世界での人格体験
労働してお金を得る
装備を整え努力して強くなる
目的を達成する喜び
仲間との役割分担や成長
こうしたエッセンスが詰まった、立派な“疑似体験教材”だと思っていたのです。
だからこそ、
“親がゲームを禁ずる存在ではなく、
一緒に世界を冒険する仲間になる”
そんな構図を意図的に作ったのです。
娘たちと3人でおもちゃ屋さんへ向かい、
キラキラした棚の前で
「おもしろいの?」
「買ってくれるの!」
と話し合いながら選んだ時の娘たちの興奮と笑顔は、今でも鮮明に思い出せます。
単にゲームを買ったのではありません。
“親と一緒にワクワクできる共有体験をした”
という事実が、その後の学びや遊びの際に通じていく、親子の関係性を作るひとつになったと思っています。
家に帰ってからは、親子で冒険の旅に出ました。
洞窟に入るタイミング。
武器と防具どちらを先に買うか。
敵から逃げるか戦うか。
そんな些細な選択にも
娘たちは目を輝かせ、
私も本気でワクワクしながら
一緒に画面に向かっていました。
この小さな体験が、子供たちの“自分で考えて選ぶ力”や“挑戦する楽しさ”を育てる土台になった。
大げさかもしれませんが、私自身は本気でそう思っています。
●2-6 ゲームで泣き、震え、逃げ、そして成長した -娘たちの物語体験
一緒にドラゴンクエストを始めてから、私は「子供の感受性」の強さを思い知りました。
娘たちの感情移入は、とにかく強烈なものでした。
暗い洞窟で怖い敵が出てくると、2人同時にテレビの前から逃げ出したことがありました。
本気で“自分が襲われる”と感じているような反応でした。
ゲームの中で初めて「死」を経験した時は、顔面がみるみる蒼白になり、息を呑んで画面を凝視していました。
あまりに必死なその姿に、こちらは後ろで笑いをこらえるのに精一杯でした。
2人で肩を寄せ合いながら真っ暗な洞窟を進んでいく姿は、まるで現実の冒険をしているかのようでした。
そして忘れられないのは、当時5歳だった次女が、初めてゲームをクリアした日のこと。
エンディングで登場人物に褒められた途端、娘の動きが止まったのです。
しばらく動きがないので顔を覗き込むと、娘は小さな肩を震わせて号泣していました。
「ど、どうしたの!?」
「…みんなが褒めてくれて嬉しぃ」
私の人生で他に見たことがないくらいの嬉し涙でした。
「がんばったね」
「あなたのおかげで世界が救われました」
そんなゲームの中の言葉を、まるで“自分に向けられた本物の賞賛”のように全身で受け止めていたのです。
その姿を見ていると、こちらまで涙が出てしまい、「バカ親だよなぁ」と思いながらも、娘の成長を誇らしく感じました。
そして私は確信していました。
子供にとってゲームは、ただの遊びではなく“人生の疑似体験”そのものなのだ。
努力して強くなり、困難に挑み、失敗しながらも前に進み、誰かに認められる喜びを知る。
そうした体験を、娘たちは本気の感情をもって受け取り、自分の人生の感覚として吸収していた。
この経験を共有できたことは、親子にとって何ものにも代えがたい宝物だったと思います。
“願わくば、実際の人生でも人に感謝されて涙する人物になって欲しい。”
そんな大そうなことを思いながら、まだ泣き止まない小さな背中を見つめたことを覚えています。
(追記)
その後、娘たちは小学生のうちにNintendo DSを入手しドラクエ1〜6を制覇。
私が“日本地理の勉強になる”と認めていた桃太郎電鉄シリーズもよく一緒に遊びました。
ただ、それ以外は勉強系のソフトか、短時間で終わるゲームしか買ってもらえなかったことは不満だったようです。
私自身、時間を浪費するという点でゲームの弊害も重々理解していましたので、一定の制限は設けました。
●2-7 褒めて育てたことで起きた成長の加速 -スキー指導者の言葉
私の住む地方は雪が降ります。
私自身も子供の頃から父に連れられ、スキーを楽しんでいました。
娘たちも幼いうちからスキーを始めましたが、親子で楽しみながら滑っていると、驚くほど早く上達していきました。
ちょうどその頃、テレビで“子供を教える名人”として知られるスキー指導者の特集が放送されていました。
私の父と同じ世代の方でした。
その方はこう言いました。
「子供が転んだら、すぐ私が助けて立たせてあげるんです。」
私は驚きました。
昭和育ちの私は「転んだら自分で立ちなさい!」と言われるのが当たり前だったからです。
しかしその方は続けました。
「最初から“スキー=つらい”と感じたら、子供は続かない。」
「まずは、とにかく楽をさせて“楽しい”と思わせることが大事。」
私は深く納得しました。
「楽しければ続く。続けば上達する。」
この考え方は、スキーだけでなく、のちのピアノやスノボ、ゴルフ、そして勉強にまでつながる、私の子育ての根本姿勢となりました。
できないことを叱らない。
できたことを一緒に喜ぶ。
前に進みたくなる環境を作る。
この頃から、“褒めて育てる”スタイルが、私だけでなく、我が家の自然な空気として完全に定着していきました。
●2-8 自主性が芽生え始める兆し -ピアノの前に座ると始まる“きまぐれな競演”
ピアノは、娘たちの自主性をいちばん育ててくれたきっかけだったかもしれません。
私はピアノ経験がなく、楽譜も読めませんでしたが、どこかに「弾けたらいいな」という憧れはありました。
クリスマスプレゼントとして娘たちに電子キーボードを与えたところ、思いのほか興味を示したため、その後、本格的な電子ピアノを購入したことをきっかけに、私も練習を始めました。
すると、必ず娘たちが左右から顔を覗き込んできます。
「ちょっとどいて」
「わたしも弾く」
そう言って邪魔をしてくるのに、私が席を立つと5分も経たないうちにどこかへ消えてしまう。
最初はそんな気まぐれな関わり方でした。
ところが、私がひとつの曲を弾けるようになる頃には──
娘たちもいつの間にか同じ曲を弾けるようになっているのです。
むしろ私よりも数段上手でした。
教えたわけでも、練習を強制したわけでもありません。
ただ、私が楽しそうに弾いている。
それだけで娘たちは影のように吸収し、
気がつけばしっかり自分のものになっている。
やがて、私には絶対に弾けないレベルの曲を、娘たちは勝手に練習し始めるようになりました。
私は何度も“追い越される瞬間”を味わいましたが、そのたびに確信が深まりました。
子供は、やらされると動かない。
親が楽しんでいると、自分で動き出す。
ピアノだけでなく、スキーも、ゲームも、勉強も。
この仕組みはすべて同じでした。
娘たちの学びは、いつも
“強制”ではなく“共感”から始まっていたのだと思います。
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