【第5回/全6回】“やりたいことがない”から始まった対話 -親子の覚悟が重なった日-
地方公立から医学部へ 〜 ある家庭の子育て回顧録
-親子の時間、受験の現実、そして決断へ-
【第5回】第7章/全6回(無料)
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第7章 なぜ医学部を目指すことになったのか -その根にあった“父の気づき”-
──娘が医学部を目指すことになった理由は、才能でも特別な夢でもありませんでした。
若い頃に私が抱いた価値観が、彼女の選択の原点になっていったのです。
●7-1 入社式の日に教わった“学ぶ理由”
娘が医学部を目指すことになった背景には、私自身の若い頃の経験が一つのきっかけになったのかもしれません。
私は大学でプログラミングを学び、ゲームが大好きだった子供の頃から憧れていたシステムエンジニアとして、東京の大手企業に就職しました。
バブルの残り香が漂う、晴れ晴れしい入社式の日。
壇上に立った偉い方が挨拶の中で、こう言ったのです。
「皆さん、入社おめでとうございます。
そして──、皆さん残念でした。」
「皆さんはもうプロ野球選手にはなれません。
パイロットにも、宇宙飛行士にもなれません。
明日からは、プロのシステムエンジニアとして一人前になるために勤めてください。」
私はショックを受けませんでした。
「当たり前のことを言っている」と思っただけでした。
しかし、周りを見ると──
不意をつかれたのか、顔を曇らせている新入社員が何人かいました。
後に付き合っても間違いなく優秀な彼らでしたが、その時の表情は意外なものに感じました。
勉強もできて、私よりもはるかに良い大学で学び、恐らく就活も大学入試と同じようにそつなくこなしてきた彼ら。
でもその時は、一生の職業として受け止める覚悟ができていなかったように見えました。
その瞬間、私はひとつのことに気づいたのです。
ああ…勉強って、“夢を叶えるため”だけにするものじゃない。
“可能性を狭めないため”にも、するものなんだ──。
この気づきは、それ以降の私の人生観に少し影響を与えるものでした。
勉強する理由は、
誰かに言われたからではなく、
偏差値のためでもなく、
いい大学に行くためだけでもない。
「選べる未来をできるだけ広く残しておくため」
──私にとっての、ひとつの結論でした。
そして、この経験談はその後、娘たちが「なぜ勉強をしなくてはいけないのか」を問いかけてきた時の答えになりました。
●7-2 次女との対話 -「やりたいことがない」から始まった模索
長女は早い段階から理系のある分野に興味を持っていて、おおよその進路は自然と本人が定めました。
しかし、次女は違いました。
成績は良い。
周囲からの期待も高い。
でも本人は、ずっと言い続けていました。
「やりたいことがない」
「何に興味があるのか分からない」
「未来の自分が想像できない」
そのたびに、私は自分のつたない人生経験や社会の現実を伝えながら、話し合いを重ねました。
「やりたいことがない」──それは悪いことではない。
むしろ、だからこそ“可能性を狭めない選択”が必要なんだ。
そんな話を親子で何度もしてきました。
そして、自然に浮かび上がった選択肢が医学部受験でした。
この点は異論のある方も少なくないでしょう。
確かに医学部に進学すれば大半は臨床医になります。
職業選択という意味では、むしろ一番狭い学部学科かもしれません。
ただ、私の考え方は違いました。
娘が中等学校に進学した直後、担任の先生との懇親会に参加した際に、こんな話を聞かされました。
入学直後の個人面談で、担任の先生が「将来なりたいものは何か」を尋ねたら、娘は「人の役に立つ職業につきたい」と答えたそうです。
「もう少し具体的に」と先生が重ねて問うと、しばらく考えた娘は、
「…(国家)官僚とか?」と答えたそうです。
「小学校を卒業したばかりで、なかなか、官僚と答える子はいませんよ」
「普段、家庭でどんな会話をしているんですか(笑)」と先生に冷やかされました。
なぜそんな単語を知っていたのか、私には会話に出した記憶すらありませんが、当時、小学校を卒業したばかりの娘でも、社会全体の職業構造は、私が想像するよりも知っていたのでしょう。
実際に現在、娘は厚労省主催の医系技官を募集するセミナーなどにも参加しているようです。
私はこの先、彼女がどんな選択をしても支持するつもりです。
一般的に、医師には臨床医だけでなく研究医の道もあります。
また、大手企業の中には、実際に医学部卒業者対象の就職枠を設定しているところもあります。
毎年、一定数存在する、何らかの事情で医師にならない人たちの受け皿になっていると聞きます。
なりたいものが決まっていないなら、最も未来の選択肢が広い道を選べばいい。
その原点には、私の入社式での経験談があったのかもしれません。
●7-3 医学部という決断 -環境・覚悟・“あの塾”とともに
次女が医学部を目指すことになる。
その最初の“きっかけ”は、ささやかな出来事でした。
中等部(中学生相当)の三者面談で、担任の先生が何気なく口にした一言。
「医学部は目指さないんですか?」
私はその時、全く考えていませんでした。
医学部など、遠い世界の話だと思っていたし、ましてやうちの子が?と、現実味もありませんでした。
娘はたしかに成績は良かった。
しかし本人はその頃からずっと、
「やりたいことはない」
「自分に何が向いているか分からない」
と言い続けていました。
担任の先生に言われたこともあり、医学部について聞くと、返ってくる答えは決まっていました。
「私には無理だと思う。」
医者になりたくないわけではない。
でも、自分がなれるとは思えない。
そう思っていたようでした。
無理もない。
正直、私自身、今でも娘が本当になれるのかという気持ちが全くないと言えば嘘になります。
実際に医学生になった現在、勉強は過酷そのものだと聞きます。
倒れ込みそうなほど課題が多く、テストは容赦なく難しい。
だから私は今でも時々心配になります。
「後悔していないだろうか」と。
しかし幸いなことに、娘はその問いかけにいつも答えを返してくれます。
地方では見られない世界。
多様な価値観を持つ友人たち。
医学という学問の奥深さ。
楽しそうにそれらをひとつひとつ話してくれる様子を見ると、あの時の方針は間違っていなかったのだと思います。
娘が本格的に医学部を目指すと決めたのは、あの塾への通塾を相談していた時のことでした。
私たち親子がずっと話してきた「可能性を狭めない」という考え方。
それを極限まで実行するなら、医学部はまさに「将来の選択肢が最も広い」進路でした。
ですが、医学部を目指すということは、環境への投資も必要になります。
浪人生も少ない地方では孤軍奮闘になりやすく、高度な情報戦も必須です。
だからこそ、料金は高額ではあるがプロの伴走が欠かせないという認識は親子で一致していました。
娘の言葉と意思、そして親としての覚悟。
それらが自然に収束するようにして、私たちは決断しました。
あの塾に通うこと。そして医学部を本気で目指すこと。
この2つはセットでした。
どちらか一方だけでは成立しない選択でした。
そしてその瞬間、私たち親子の“本当の受験”が始まったのです。
──ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
最終回は、第8章〜第10章(終章)を1本にまとめて掲載します。
現役から浪人へ。親としての覚悟。
家族で迎えた“最後の模試”の日。
そして、父親としての役割を一つ終えた夜、胸に去来した“自分でも驚くほど意外な感情”とは。
内容の脚色や誇張はせず、当時の記録として書いています。
是非、最後まで読み届けていただけたら幸いです。
【第1回】序章〜第1章(無料)
【第2回】第2章(無料)
【第3回】第3章〜第5章(無料)
【第4回】第6章(無料)
【第5回】第7章(無料)
【第6回/最終回】第8章〜第10章(一部有料)
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第1回〜第5回(序章〜第7章)までは無料で公開します。
最終回の第6回(第8章〜第10章)は有料記事として公開します。
