母からもらった、ハイテンションな愛|両親の記憶④
母の記憶をたどると、些細なやり取りばかり浮かびます。
だけど、それはだいたい騒がしい。大げさに褒める。自慢げに話す。怒るときは本気で怒る。
母の愛は、いつもすこしハイテンションでした。
よく笑う人
明るくて、人が好きで、笑顔が多い人でした。
しかも、その笑顔は本心から出ている、本当の笑顔だった気がします。
ただ、大人になって振り返ると、
それはただ苦労していない明るさではなかったと思います。
母は幼い頃、弟や妹と比べられて、「長女なんだから」と結構な我慢を強いられていたと聞いています。
僕が10代の頃は、父が中国に単身赴任していたので、母はひとりで家を買ったり、県外へ引っ越したりして、僕と姉の3人で暮らしていました。
なぜか英語に燃えていて、稼ぎにならない英語教室をやっていました。
当時の僕には、母が「強い人」だという実感はあまりありませんでした。
賢そうに喋らないし、感情の起伏は激しいし、何かに慌てていることも多い。
けど今思うと、母には芯を外さない、よくわからない強さがありました。
そして、とにかくよく笑っていました。
本気で怒る人
母は、本気で怒る人でもありました。
小学校に上がる直前、父の転勤のために家族で引っ越しました。
そこで転入した幼稚園で、僕は身体の大きな同級生にいじめられました。
それまでそういう経験がなかったので、ショックでした。
自分が何をしたのかもわからないまま、誰かから悪意を向けられる。
その感じに、子どもながらに戸惑っていたのだと思います。
そのとき、母は僕と一緒に怒ってくれました。
今思うと、それはとても大きかった気がします。
母が一緒に怒ってくれたことで、僕は少なくとも、
「自分が悪いからこうなったわけじゃない」と感じられたのだと思います。
小学校の頃、僕は女の子と殴り合いの喧嘩しました。
そのときは、母から本気で怒られました。
「女の子のお腹は大事なの。将来、子どもができなくなっちゃう可能性もある」
その言葉は、強く残りました。
人の身体を雑に扱ってはいけないという感覚を、そこで刻まれた気がします。
母は、人が好きな人でした。
でも笑って流さず、自分のものさしで、ちゃんと怒る人でした。
子どもを信じる人
一方で、母は僕を、かなり自由に育ててくれました。
中学生の頃、僕はパソコンのオンラインゲームに夢中になっていました。
当時、オンラインゲームは「オタク」がやるものでした。
でも、母はわりと伸び伸びやらせてくれました。
むしろ、そのためにWindows95からXPに、パソコンを新調してくれたような気すらします。
その頃から、僕はどこかで感じていました。
「おかんは、僕がやっていることは、僕のためになるはずと信じている」
大学受験のときも、予備校選びから出願先まで、ごく自然に自分で決めていました。
当時の僕は、それが当たり前だと思っていました。
なんなら「おかんもおとんも大学は出てないし、受験のことはわからないだろう」と見くびっていました。
でも今思うと、口を出さないことは、簡単なことではないと思います。
どうやって決めたかくらいは、確認したいはずです。
それでも母は、それすら言いませんでした。
それは無関心ではなく、信頼だったのだと思います。
その受験で、すこし自分の身の丈より高い大学に受かりました。
ちょうど出かけようとしていた母と姉にに報告すると、玄関口で大騒ぎを始めました。
近所の人も出てきて、「どうしたの?」と聞かれるほど。
母は嬉しそうに、息子が国公立に受かったと自慢していました。
近所の人に「どう育てたらそうなるんですか?」と聞いてもらい、母は嬉しそうに言いました。
「私は何もしてないんですよ!勉強しろなんて、一度も言ったことないんです!」
ありふれたセリフでした。
だけど、母は本当に「何もしない」を貫いていました。
僕を信じていました。
僕が決めたことは、きっと意味がある。
僕は僕のやり方で、勝手に育っていく。
そういうふうに、信じてくれていたのだと思います。
ハイテンションな愛
幼稚園の頃、母は僕を自転車の後ろに乗せながら、急に「おかんとおとんは、一心同体機動隊だから!」と宣言しました。
一心同体も、機動隊も、意味はよくわかりませんでした。
だけど、その妙な勢いだけは伝わってきました。
母は専業主婦で、僕は保育園に入らなかったので、たぶん4歳頃までは母と2人で過ごす時間が長かったと思います。
その頃の記憶は、ほとんどありません。
でも母の、人が好きなところ、自分のものさしで怒るところ、妙なハイテンションで生きているところは、今の僕にも移っているように感じます。
大人になって、自己紹介の資料にこう書いたことがあります。
「笑顔が本当な人が好き、偉そうな人が嫌い」
ほとんど直感で書いた言葉だったけど、母の影響が色濃く出ていました。
母の笑顔は、本当でした。人を値踏みしない、人といることを楽しんでいる笑顔でした。
そして、倫理に反する人間を、許さない怒りを持っていました。
褒めるときは大げさに褒める。喜ぶときは玄関で大騒ぎする。怒るときは一緒に怒る。よくわからない言葉で、家族の結束を自慢する。
僕は、そのハイテンションな愛を浴びて育ちました。
母はもういません。
でも、母の笑い方や怒り方は、たぶん今も僕の中に生きています。
