面倒な父を思い出す、まとまらない感情|両親の記憶③
父は、僕にとって「最後の後ろ盾」だったのかもしれない。
社会人になってからも、ふとした瞬間に、
「何かあっても、最悪、実家に戻れるし」
と思うことが、何度かありました。
経済的にというより、たぶん孤独というものを、
究極的には引き取ってくれる存在として、父を想起していたんだと思います。
結婚してからは、妻と子がいてくれて、
僕らが住む横浜には、義母や義理姉一家もいます。
父は埼玉にいて、会うのは年に2回ほど。
僕の中で、父の存在感は、きわめて薄くなっていました。
もう「孤独の後ろ盾」として、父がいなくても大丈夫になっていました。
父は、2024年11月に急逝しました。
「孤独」じゃない僕は、それでもどこか、真空の穴のようなものを感じています。
心にぽっかり穴とか、身体の一部を失った感覚というより、どこかに放り出されたような。
たとえば、船外活動中の宇宙飛行士が、テザーを失ったような。
別に、ここ数年は、父のことが大好きだったわけじゃない。
悪い人じゃないけど、面倒くさい人でした。
決めつけ激しいな。
もっと素直に感情出せよ。
なのに僕のこと好きすぎるだろ。
孫より息子が可愛かったんじゃないか?
なんだあの人。
それなのに、真正面から褒めたりはしない。
むしろ腐してくることの方が多い。
けど、論理的に返すと、案外素直に納得したりする。
なんだあの人は。
急に死ぬなよ。
ぜんぜん、どういう人か、わかってないままだ。
僕のことも、まだぜんぜんわかってなかっただろ。
先月、父の兄が運営しているゲストハウスに、家族3人で行った。
父の兄が焼いた鮎をほおばって、やたら旨い豚肉のしゃぶしゃぶを食べて、雪が残るスキー場跡地に連れて行ってもらった。
父の兄は、一見そっけなくて、ふいに親切で、ずっと面倒くさそうで、笑顔で、猫背で、父に似ていた。
3歳の息子は、父の兄を「福島のじいちゃん」と呼びはじめた。
