母に「会いたかった」と気づくまで|両親の記憶②
2014年4月2日。母の命日から12年経ちます。
あのとき、現実として受け止め切れてなかった、と思う。
おかんが死んだ、と聞いても。
たぶん、無感動状態でした。
その翌日、僕は第一志望企業の最終面接を受けて、内定をもらいました。
夜の公園を散歩して、桜の枝を触った。
棺が焼却炉に入って、観音扉が閉まったとき、涙が出た。
母の骨は白く、葬儀屋が言った。
「これが喉仏ですね。座禅に見えるでしょ」
その夜、帰る道すがら、吉野家の牛丼を食べた。
父は何も喋らなかった。
僕は眠れなくて、Youtubeを観ながら、大声で歌っていた。
父は、
「おかんが死んだのに、どういう神経してんだ」と怒鳴った。
姉は、
「たけはいつも歌ってるよ」と言った。
10年後、僕は33歳で、1歳の息子がいた。
偶然知った、島田潤一郎さんの夏葉社に興味を持ち、『さよならのあとで』を読んだ。
僕は泣いた。
ともに、感情も溢れた。
「おかんに会いたかった」と気がついた。
ずっと会いたかった。あの笑顔を見たかった。
悲しかった。
おかんのことを思い出すようになった。
お弁当の甘い甘い卵焼き。チキチキボン。海苔がないおにぎり。
鶏肉の入っていない親子丼、毎朝楽しみだった。
ラタトゥイユは食べ飽きたけど、おかんは作るのが簡単だったみたいだし、冷めてもおいしかった。
スーパーのカツ丼を買ってきた時は、感動するおいしさだった。
おかんには悪いけど。
おかんの声は、あまりよく思い出せない。
なのに、変なセリフは覚えてる。
「おかんとおとんは、一心同体機動隊だから!」と謎の結束自慢。
『ミドリのマキバオー』のライバルキャラを気に入って、よく名前を叫んでた。
「カッスケード!」
それから僕は、墓参りに行くようになった。
その道中、時間に、意味があると知った。
母の命日から12年経った。
両国にある、あのマンション型のお墓に行く。
私のことをこれまでどおりの
親しい名前で呼んでください。
あなたがいつもそうしたように
気軽な調子で話しかけて。
あなたの声音を変えないで。
重々しく、悲しそうな
不自然な素振りを見せないで。
私たち二人が面白がって笑った
冗談話に笑って。
人生を楽しんで。
ほほえみを忘れないで。
私のことを思ってください。
私のために祈ってください。
私の名前がこれまでどおり
ありふれた言葉として呼ばれますように。
私の名前が
なんの努力もいらずに自然に
あなたの口の端にのぼりますように。
私の名前が
少しの暗いかげもなく
話されますように。
掲載元 https://natsuhasha.com/news/382/
