ベンが落としたもの
20年ぶりに届いた往復葉書に首を傾げる。
「小学校卒業時に埋めたタイムカプセルを掘り起こします」
母が実家から転送してくれたそれを、結人は狭いアパートの一室でぼんやり眺めていた。
「タイムカプセル?」
一体なんの話だ。
同窓会も行われるらしい。
小学校時代の結人は友達の輪の外にいる子どもで、休み時間はひとりでカラスの絵ばかりを描いていた。
そんな結人のことをクラスメイトらは「変わり者」と囁いていた。
葉書の返信欄の「欠席」に丸を付けかけた時、集合場所に目が止まった。
瀬竹森林公園
瀬竹森林公園……それは結人にとって、かけがえのない場所だ。
公園内には大きな楠木がある。
結人の親友……カラスのベンの寝床だ。
その木の下には、東屋があり、ここが結人とベンの居場所だった。
当時の記憶が蘇る。
放課後、結人はいつも近所の公園でベンを描いていた。
それを見ていた子どもたちは、
「薄気味悪いカラスはあっち行け」とベンめがけて石を投げつけた。
その一件から、瀬竹森林公園が結人とベンの遊び場になった。
高台の墓地の隣りにあるので、墓参りに来る人以外は、滅多に人が来ることがなかったからだ。
結人は楠木の下の東屋で、沢山の絵を描いた。結人の描くベンのどれもが柔らかな眼差しで、人懐っこい。
そして、その中のひとつが大きなコンクールで入賞し、海外の美術館飾られ話題になった。
そしてこんなこともあった。
母の指輪を狙って空き巣が入った時には、ベンが犯人に襲いかかり、指輪を咥え返してくれた。
母にとって大切な指輪をベンが守ってくれたのだ。
ベンは結人にとってヒーローだった。
中学生になった結人は美術部に入部し、新しい友達が出来た。
新しい日常が始まると共に、いつしかベンとの距離が離れてしまい、同時に瀬竹森林公園が遠い場所になってしまった。
それでも、時々ふと空を見上げると、そこにはベンがいて、相変わらず、あの柔らかい眼差しで見守ってくれていたのだ。
高校の卒業式の朝、ゴミ捨て場にベンの姿があった。
ベンはいつもの柔らかな眼差しでこちらを見つめ、大きな声で鳴いた。
「カァー、カァー、カァー」と鳴き、
空高く飛んで行ってしまった。
ベンを見たのはそれが最後だった。
結人は出席に丸を付け、返信葉書を投函した。
ベンが呼んでいる……そんな気がした。
当日、集合場所に集まる。
瀬竹森林公園の正門前だ。
同級生たちは、昔何事もなかったかのように結人に話しかける。
「カラスの絵、描いてたよな」
「賞とか取ってたじゃん」
クラスメイトにとって、結人の存在は特別だったようだ。他のクラスメイトのことは忘れても、変わり者として扱われていた結人こことは記憶に残っているらしい。
幹事の合図でタイムカプセルの掘り出し作業が始まった。
皮肉なことにそこはベンの寝床がある、あの楠木の下だった。
ますます記憶にないのだ。
ベンとの大切な場所なのだから忘れるはずがないのだ。
結人の思いはよそに、錆びた大きな缶が姿を表し、歓声が上がる。
中を開けると、沢山のポリ袋が出てきた。ポリ袋にはクラス全員の名前が書いてあり、幹事がそこにいる全員に配り、欠席者の分は空き缶に戻し、再び元の場所に埋めた。
結人は自分の名前が書いてあるポリ袋を訝しげに開けてみた。
するとそこから出てきたのは一本の黒い羽だった。
結人の胸が小さく跳ねる。
昔、ゴミ捨て場で石を投げられたベンが、驚いて飛び立った時に抜け落ちたものだった。
結人はその美しい羽を拾い、絵の道具が入っている手提げカバンの内ポケットに入れていつも持ち歩いていた。
そして寂しくなると、そっと羽を取り出し話しかけるのだった。そこにベンがいるかのように。
ところが、どうしたことか大切な羽を無くしてしまったのだ。
どこで無くしてしまったのかもわからず、何日も何日も探したが結局見つからなかったのだ。
どうしてこれが、タイムカプセルの中に?
羽を指先で撫でながら、
ひときわ背の高いクスノキの枝に止まる一羽のカラスが結人を見下ろしていた。
ベンなのか?
ベンと同じ黒鳥石のような羽ををバサバサさせ甘える仕草を見せる。
だがすぐに首を振る。
毎日ベンを描いていたので、くちばし形や、首を傾げる時の感じが違うのだ。
けれども……あの目、あの柔らかな眼差しはベンそのもの。
ベンの子どもだろうか?
その時だった。
カラスが枝を蹴り、風を巻き起こしながら結人めがけて飛んできた。
一瞬で結人の手元から羽を奪い取り
黒い影はそのまま森の中に消え去り、代わりに新しい羽が、ひらりと結人の足元へ落ちてきた。
他の同級生たちはタイムカプセルから出てきた品物を見て懐かしむ者、黒歴史だの騒いでいる者、誰にも見られないように隠してしまう者……それぞれが久しぶりに対面した思い出に浸っていた。
結人はこの後、居酒屋で行われる同窓会の会費を幹事に渡し、
「悪い、ちょっと予定を思い出したから帰るわ」
そう言い残し、その場を去った。
瀬竹森林公園の隣には、祖父母の墓地がある。
石段を登りながら、子どもの頃に両親とペルセウス座流星群を見に来た夜のことを思い出していた。
墓の前で。
そして母の指輪の秘密も。
「……織田くん」
振り返ると、同級生の芦田里奈が立っていた。
20年ぶりなのに、不思議とすぐにわかった。
里奈は少し息を切らしながら笑う。
「やっぱり一人でどっか行っちゃった、あの時とちっとも変わらないね」
「あの時?」
里奈は苦笑いをして
「まだ、カラス好きなんだね」
結人は里奈に戸惑いながらも呟く。
「誰がタイムカプセルにこの羽根を入れたんだろう?」
里奈は困惑しながらも、笑って言った。
「覚えてないの?」
「え?」
「卒業式の日。織田くん、自分で入れてたよ」
「僕が大人になって、ベンがこの世からいなくなっても、この羽があれば変わらず側にいてくれるって」
木々がざわめき、遠くでカラスが鳴いていた。
里奈は茜色に染まる空を見つめながら呟いた。
「小学校の頃ね、織田君がちょっと羨ましかったんだ」
「えっ?」
結人は驚いた。
「織田くんには、友達がいたよね」
里奈は結人の手の中の新しい黒い羽根を見つめた。
休み時間里奈はいつも本を読んでいた。放課後は学校の図書館で過ごしていた。
結人と同様に友達の輪から外れていたのだ。
遠足のバスの隣の席にいたのはいつも里奈だった。
あぶれた者同士だったが、なぜかほっとしていた記憶がある。
里奈はどうだったんだろう。
「今から祖父母の墓参りに行くけど、一緒に来る?」
「いいの?」
「こんなところまで追いかけて来て、追い返すのもなんだから」
歩きながらも結人は、あのカラスが咥えて行ってしまったベンの羽の事を考えていた。
タイムカプセルのことも未だ、不可解だった。
隣で歩く里奈もまた、カラスが咥えて行った羽のことを考えていた。
結人があの羽を大切にしていたことを知っていた。
結人が放課後、学校の図書室から借りたカラスの本を返却しに来た時に、手提げカバンからあの羽が滑り落ちたのを拾ったのだ。
すぐに返せばよかったのだが、結局返す勇気がなかったのだ。
そんな時、タイムカプセルを埋めることになり、その実行委員を押し付けられた里奈は、とある計画を企てた。
ポリ袋を2枚手に入れ、そのひとつに結人の名前を書いて、あの羽をタイムカプセルの中にこっそり入れようと。
埋める場所は、結人が良く行っていた瀬竹森林公園のあの場所だ。
墓地の隣りで怖いと反対されたが、人があまり来ない場所の方が安全だと言うと、すんなり受け入れられた。
そして卒業当日。予想だにしなかったことが起きたのだ。
結人は式を終えると、そのまま帰ってしまい、瀬竹森林公園には現れなかった。
結人はタイムカプセルを埋めることを知らなかったのも当然だ。
タイムカプセルの話し合いの時期に、インフルエンザで学校を休んでいてたのだから。
そして今度こそ、あの羽は手の届かない所に行ってしまったのだから。
2人が結人の祖父母の墓前に着いた時、まだ明るい空に、流れ星が流れたような気がした。
「ここからペルセウス座流星群が良く見えるんだよ。今度一緒に見にくる? 夜の墓地が怖くなかったら」
里奈は笑ってうなづく。
「私、カラスも墓地も怖くないよ」
そう言うとまたひとつ、星が流れ、
その先には、母が仏花を抱えて歩いているのが見えた。
指にはあの、指輪をつけて。
そしてカラスもまた、あの羽を咥えたまま、ベンと同じ柔らかな眼差しで二人を見守っていた。
