痛みに支配されない人生へ、関節リウマチと生きた私が本来の自分を取り戻すまで
「いっそ、この指を取ってほしい」
子供を出産し、新たな人生を歩み始めた32歳のとき、突如として関節リウマチ(以下リウマチ)を発症。 激しい痛みに耐えながら、母として、ステップファミリーとして「ちゃんとしなければ」と自分を追い込み続けたエイシー明子さん。 薬に頼り、希望を見失いかけた先で、明子さんはある「選択」をしました。
その後、発症から20年以上経った今では趣味のズンバを全力で楽しめるまでに。「治らない」という思い込みから自分を解放し、痛みに支配されない人生をどう切り拓いてきたのか。 現在はリウマチ当事者に寄り添うメンタルケアをしている明子さん。輝きを取り戻すまでを伺いました。
エイシー明子/ リウマチ・心身回復の伴走者
アメリカでの出産、3人の子育て、ステップファミリーという環境のなかで、32歳で関節リウマチを発症。激しい痛みと向き合う日々を経験する。薬中心の治療に疑問を感じたことをきっかけに、自然療法や身体との向き合い方、思考の在り方を見直した。それ以降10年以上薬なし・痛みなしの生活が続き、現在は、リウマチ当事者を中心に、痛みや不安、迷いを一人で抱え込んでいる方に向けたメンタルケアと伴走サポートを行っている。「何から始めたらいいのか分からない」状態からでも完璧に治すことをゴールにせず、今の状態や生活背景を大切にしながら、本来の自分を取り戻していくプロセスに寄り添うサポートが特徴。ズンバ講師としても活動中。

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※本記事では専門書から得た情報に加え、実体験を交えた見解を示しています。医療を否定するものではなく、読者の健康や安全性を保証するものでもありません。必要性や妥当性を判断した上で、取り入れていただけますと幸いです。
「指が曲がらない」産後に突きつけられたリウマチの発症
ー リウマチを発症されたのは32歳の時だったそうですね。当時はアメリカでご結婚された直後で、育児に奔走されている時期だったとか。
明子: はい。アメリカの会社で働きたいという夢を叶えるために渡米し、そこで出会った夫と結婚しました。夫には前妻との間に2人の子どもがいて、結婚と同時に私は11歳と5歳の子を持つ母になったんです。その後私自身も出産し、3人の子育てが始まりました。リウマチを発症したのは、三男が生まれて半年が経った頃です。
※関節リウマチとは:
免疫の異常により全身の関節に慢性の炎症が起こり、痛み・腫れ・関節のこわばりが生じる自己免疫疾患。進行すると軟骨や骨が破壊され、関節が変形・機能障害に陥りる。原因は解明されておらず「完治は難しい」という声もある。
ー産後半年、心身ともにハードな時期ですね。最初はどのような異変を感じたのでしょうか?
明子: 夜中に寝ている時、ふと手の指先が痺れるような感覚がありました。それが何日か続いたある朝、指がこわばって曲がらなくなったんです。その時は「痛い」というよりも「硬くて動かない」感覚でした。インターネットで調べると、リウマチの初期症状と合致しており、嫌な予感がして病院へ行きました。診断結果を待っている間は「どうかリウマチではありませんように」と祈る思いでした。
ー 医師から診断を下されたときのこと、よければお話しいただけますか?
明子: その時のことは、今でも忘れることはできません。生後半年の息子を抱っこしながら診察室で診断結果を聞きました。リウマチだと言われた瞬間「やっぱり」という悟りと「なんで、私が」という憤りが押し寄せました。リウマチについて詳しくなかった当時の私は「お年寄りの病気」だと思い込んでいたので「まだ若いのに」という疑問もありました。
帰り際夫に電話をかけましたが、何を話したのか、夫はどう答えたのか、記憶が抜け落ちているんです。これまで平穏に暮らしていたのに、急に出口のない深い暗闇のトンネルの中に入り込んでしまった感覚でした。
ー その後、痛みはどのように進行していったのでしょうか?
明子:まず最初に手の指から始まって、次は足の裏へ。激痛が走るので床に足をつくのが怖いんです。その後、肩にも痛みが出るようになりました。例えるなら、重いハンマーでずっとガンガン叩き続けられているような痛みです。「いっそこの指を取ってほしい」と、あまりの痛みに死すらよぎるほどでした。
ー壮絶な痛みの中で、3人の育児もこなしていた。その過酷さは想像を絶します。
明子: 毎日泣きそうになりながら、痛みに耐えて過ごしていました。なかでも辛かったのは、子どものおむつ替えです。指が痛くて曲がらないから、おむつのテープをギュッと締めることができないんです。でもちゃんと締めないと汚物が漏れてしまう。たった数分のおむつ替えに、10分もかかっていました。もたついていると息子もぐずり始め、悪循環に陥り、泣き声を聞きながら「ごめんね、ごめんね」と心の中で謝り続けていました。
ー 身体が思うように動かないもどかしさと、母としての責任の板挟み。精神的にもお辛い状況でしたね。
明子: 崖っぷちでした。一歩踏み外すと真っ逆さまに落ちてしまう絶壁にいるような。でも私には守らなければいけない3人の子どもがいる。絶対に落ちるわけにはいかない。そんな思いで毎日生き延びていました。
ー 身体の痛みもさることながら、ステップファミリー(前妻の子を育てる母)の難しさもあったのでしょうか?
明子:ステップファミリーの方々すべてに当てはまる話ではありませんが、私たち家族の場合は、前妻との関わり方で気を遣う場面が多かったです。たとえば、前妻(上2人の息子の母)が自宅に突然訪問し「夕飯は子どもたちと食べてくるから」と連れていくこともありました。痛みに耐えながら何時間もかけて夕飯を作ったのにと思いつつ、私の立場上引き止めることができず、残された夕飯を見て悲しくなったことを覚えています。今思えば当時の私は「継母として一歩引いた立場でいなければ」と思うと同時に「病気だからって母業を放棄してはいけない」と、自分で自分を追い込んでいました。
※ステップファミリーとは:
夫婦のどちらか、または双方に子ども(連れ子)がいる状態で結婚、あるいは事実婚・同棲をして新しく形成される家族のこと。
「このままではいけない」と、身体が叫んだ日
ー どのような治療をしていましたか?
明子: 病院から処方された薬を服用しながら、定期的に通院していました。診察では、指や肩の動きの確認が中心だったのですが、私自身、その限られた診察時間では気持ちを十分に伝えられないまま終わってしまいました。車の運転さえままならないなか、幼い息子を連れて通院し、長い待ち時間を過ごすのは、当時の私にとって負担が大きかったんです。痛み止めや処方薬を受け取るために通ってはいましたが、心細さから気持ちが沈んでしまうこともありました。しかし当時の私は「リウマチを発症した以上、ある程度の負担は受け入れるものなのだ」と、自分に言い聞かせていました。
ー そんな日々が2年ほど続いたある日、大きな出来事があったそうですね。
明子:はい、定期的な血液検査のときです。ふと採血されている自分の血を見た時、鮮やかな血色ではなく、どろりと濁った茶色のような血色に、全身が一気に凍りつきました。胸がざわついたんです。ただ突然のざわついたというより、これまで心のどこかに溜まっていた違和感が、表に出てきたんだと思います。痛みを抱えながら薬を飲み続ける日々や育児や日常生活の中で「このまま耐え続けるだけでいいのだろうか」と感じる瞬間が、少しずつ増えていたからだと思います。血液検査の出来事は、そうした思いに向き合うきっかけになりました。このまま痛みに耐え続ける生き方ではなく、痛みから抜け出す可能性を探しながら、自分の足で地に足をつけ、背筋を伸ばして歩き続けたい。そう考えるようになったんです。そこから私は、通院を止めることにしました。

「痛みで顔がこわばって、笑顔になれていない」と明子さんは言う
ー大きなご決断ですよね。 病院での治療をやめた後、痛みとどのように向き合われたのですか?
明子: 通院しなくなったとはいえ、痛みが消えたわけではありません。薬以外の可能性を探そうと模索しましたが、子育てや痛みに耐えることで精一杯で、そんな余裕はありませんでした。結局は、薬局にある一番強い市販の痛み止めを購入し、ごまかしながら5年間過ごしていました。痛みと戦いながらステップファミリーとしての複雑さや幼い息子たちの育児に奮闘し、限界の10倍、20倍を越えながら過ごす日々。鞭を打ち続けて5年が過ぎた頃、病院に通っていた時よりもさらに激しい痛みが襲い、私の身体は限界に達しました。
「自分で決める」 次第に変わり始めた身体
ー市販薬を5年間飲み続けた結果、これまでにないほどの悲鳴を上げたんですね。
明子:その場しのぎではなく、リウマチと真正面から向き合わなければいけないと思いました。処方薬や市販薬だけに頼ってきましたが「薬以外の方法はないのか」と考え、インターネットでリウマチを患っている人たちの生き方をリサーチし必死で情報を集めました。「リウマチが良くなった」という方々の体験談を読み漁ったんです。そこには、お茶・カイロプラクティック・鍼・呼吸法・遠赤外線療法など、私が知らない選択肢で溢れていました。そのときに「もしかしたら良くなるかもしれない」というひと筋の光が初めて見えました。
ーお茶や鍼、遠赤外療法など、試す怖さはなかったのでしょうか?
明子:怖さはありませんでした。藁にもすがる思いだったからです。まずは遠赤外線療法を試そうと思い、その先生のもとまで必死で車を走らせました。指が曲がらないのでハンドルを握るのも不安でしたが「1ミリでも可能性があるなら」と、半ば祈るような気持ちで向かいました。治る確証がなくても、何もしないまま痛みに耐え続けるより、できることはすべて試したかったんです。
ー遠赤外線療法・ハーブティー・カイロプラクティック、鍼治療を試されましたが、いかがでしたか?
明子:遠赤外線療法では、身体の芯からじんわりと温まっていく感覚がありました。治療後は関節の痛みが和らぐだけでなく、強張っていた気持ちまでほぐれ、心が穏やかになれるんです。ハーブティーは、毎日飲み続けるうちに身体の重さが少しずつ抜けていきました。急激な変化ではありませんが「昨日より少し楽かもしれない」と思える日が増えていったんです。
なかでもカイロプラクティックでお世話になった先生から言われた「いつも怒っているでしょう。怒りは身体の緊張につながるから、まずは心を落ち着かせて」という言葉は、今でも心に残っています。その言葉にハッとして、身体的な痛みだけでなく、切羽詰まっていた自分の心にも目を向けるようになりました。
さらには鍼の先生から「リウマチだからといって、関節そのものを直接治療するわけではない」と教えられました。治療では、肝臓や腎臓の働き、免疫機能の状態、食事、さらにはストレスなど、身体全体のバランスを重視します。一見すると、関節や痛みのある部位とは関係がないように思える要素が、実は影響していることがあると知ったんです。こうして心と身体を労りながら「身体の中で何が起きているのか」「どう変化していくのか」を、丁寧に確認していきました。
ー 実際に、痛みはどう変化しましたか?
明子: 3〜4ヶ月で、痛みは半減しました。完全に痛みをなくすことはできませんが「10ある痛みが6になると、生活がこんなにも楽しくなる」と実感できました。他にも挑戦しようと、加圧トレーニングも始めました。最初は痛みで腕立て伏せもできませんでしたが「できることだけやろう」と寄り添ってくれるインストラクターのもとで10年以上続け、今は痛みは完全になく充実した日々を過ごしています。
ー ズンバまで!様々なことを「自分で決めた」ことで、巡り巡って身体も前向きになっていったのですね。
明子: そう思います。誰かに人生を預けるのではなく、ゆっくりでもいいから自分で行きたい方向を決める。その意識が、知らず知らずのうちに身体の緊張を緩め、回復へ向かう力になりました。
「薬をやめた方がいいのか」というご質問もいただきますが「薬か、自然療法か」という二択で考える必要はありません。大切なのは「言われたからそうする」ではなく、自分で納得して選ぶことです。たとえば、薬を飲みながらハーブティーも試してみる。いきなり薬をやめるのではなく「3錠飲んでいる薬を2錠半にできるか」を医師に相談してみる。そうやって、自分で調べ、考え、選択する。そのプロセスが「自分の力を取り戻していく」ことにつながっていくと思います。

痛みに支配されない人生へ、息子に笑顔を見せて安心させたい
ー自然療法に出会ってから10年経った現在は、お薬も飲んでおらず、痛みもないそうですね。
明子: はい、今は痛みはありません。たまに「少し違和感があるかな?」と感じる朝もありますが、軽く身体を動かし始めると、すぐに治まります。市販薬も飲んでいません。こうなれたのは、自然療法が私に合っていたから、という理由だけではないんです。私自身の思考が180度変わったからなんです。
ー「思考が180度変わった」具体的に教えていただけますか?
明子:過去の私は「一生治らない」「リウマチにコントロールされ続ける人生なんだ」と、どこか諦めた気持ちで過ごしていました。でも、自然療法というひと筋の光を見つけてからは「私がリウマチをコントロールする」「絶対に良くなる」と、おまじないのように何度も自分に言い聞かせていたんです。それが、痛みや不安に振り回される日々から抜け出し、自分の身体と前向きに向き合えるようになったのだと思います。

ー 「痛みに支配されない」という前向きなマインドセットが、明子さんの身体をもパワフルにしていったのですね。
明子: 本当にそう思います。思考は、私たちが思っている以上にパワフルで、ダイレクトに身体へ伝わります。「たかがおまじない」と思うかもしれませんが「絶対大丈夫」「絶対治る」と自分に言い聞かせることで、痛みがあっても心の受け皿が広がり、必要以上に不安に飲み込まれなくなったんです。
一方で「良くなんてならない」「一生このままなんだ」とネガティブな気持ちで心が閉じているときは、どんなに情報や助けが目の前にあっても、受け取る余裕はありませんでした。少しずつ思考を前向きに広げていくと、引き寄せられるように必要な情報やご縁が私のもとへ届き始めたんです。
ー「ポジティブに視野を広げる」なかなかできることではないと思います。他にも気持ちの変化はありましたか?
明子:ありましたね。当時の私は「母親なんだから」「ちゃんとしなきゃ」と、周囲の目を気にしながら、自分を追いつめていたように思います。本当はつらくても「弱音を吐くのはダメ」「耐えるのが母」と言い聞かせて、家事も育児もリウマチも一人で抱えていました。無意識のうちに、自分自身を攻撃し続けていたんです。
そして、母としてちゃんとした自分でいようとする必死さから、息子たちに「こう育てなければ」という理想を押し付けていました。ガミガミ言いながら「理想の枠」にはめようとしていたんです。
ー その「枠」を外すことができたきっかけは何だったのでしょうか。
明子: 今さらとも思いますが、成長した子どもたちの姿を見て気づきました。20代、30代になった彼らは今、それぞれの個性を大切にしながら、自分の人生をしっかり歩んでいます。その姿を見て「笑顔で過ごしてくれてさえすれば、それでよかったんだ」と、心から思えるようになったんです。これまで私が抱えてきた過剰な心配や怒りは、実は必要のないものだったのだと、ようやく分かりました。
ーなんだか、愛を感じます。
明子:もちろん、ステップファミリーとしての難しさや子ども達との葛藤もありました。ただ一貫して、自分の思いをぶつけ、息子達の思いもしっかり受け止めることだけは大切にしてきました。そうやって泥臭く関わってきたことで、本気でぶつかり本気で愛し合える関係になったんだと思います。血は繋がっていなくても「本物の愛」は繋がるんです。
痛みのある私ではなく「本来の私」へ、ひかりのほうへ一緒に歩む
ー ご自身の経験を、誰かのために役立てたいと思うようになったのはいつ頃ですか?
明子: 加圧トレーニングをきっかけにズンバを始めて、身体を動かす喜びを感じ始めた頃です。「自分だけこんなに元気になって、人生を楽しんでいていいんだろうか」「見えないところでリウマチで悩んでいる人はたくさんいる」と思ったんです。夜も眠れず、朝が来るのが怖くて、子どもの前で笑顔になれない孤独を感じている人がいる反面、私は今こうして、ズンバまで踊れている。リウマチという鎖から抜け出す扉は、実はすぐそばにある。そのことを、自分の経験を通して伝えていきたいと思ったんです。
ー辛さを知っているからこそ、手を差し伸べたいと思われたのですね。具体的に、どのようなサポートを届けているのでしょうか?
明子:リウマチで悩んでいる方に向けたケアです。大切にしているのは「完璧に治すこと」をゴールにしないこと。リウマチに向き合ってきた方の多くは、痛みや制限のある日常の中で、責任感を持って懸命に頑張ってこられた方ばかり。だからこそ、知らず知らずのうちに「こうしなければ」「我慢しなければ」と、自分自身に厳しくなってしまうことがあります。サポートでは、まず生活の中で感じている行き詰まりを、言葉にしてもらうことから始めます。その上でこれまで大切にしてきた治療を尊重したうえで、今の体調や暮らし、家族の状況に合わせて「他にも選択肢があるかもしれない」と、一緒に視野を広げていく。一人で暗闇の中を耐え続けるのではなく、隣で伴走しながら、その方にとっての出口を一緒に探しています。
そして、根幹となるのは「リウマチ」という言葉にとらわれない本来の自分を見つけること。痛みと戦っていると、どうしても「痛みのある自分」がアイデンティティになってしまいます。けれど、その奥には必ず「本来の自分」がいるはずです。何をしたいのか。どう生きたいのか。その問いを一緒に見つけていきます。
心を耕していくと、ガチガチに固まっていた土が、少しずつ柔らかくなっていく。すると、自分にとって本当に良いものを吸収できる心の状態へと変わっていくのです。
ー 明子さんも、そうやって「本来の自分」を取り戻してきたのですね。
明子: そうなんです。リウマチ発症からの10年間、息子達は私の苦しい顔や怒った顔ばかり見て育ってきました。だから今は、息子達にたくさん笑顔を見せて「お母さんはもう大丈夫だよ、元気だよ」と笑顔で伝え、心から安心させてあげたいです。
ー 改めて、家族への強い愛と絆を感じます。最後に「出口が見えない」と絶望しているリウマチを患っている方に伝えたいことはありますか?
明子:「治らない」と、最初から決めなくていいと伝えたいです。100%の完治でなくても、10%でも20%でも痛みが和らげば、日常や人生はぐっと軽やかになります。薬を使うことも、使わないことも、どちらが正解という話ではありません。大切なのは「どう在りたいか」「何を選びたいか」を、自分で決めることです。
知らず知らずのうちに「一生こうなんだ」と思っていると、可能性まで狭めてしまうかもしれません。一方で「きっと良くなる」「まだできることがある」と自分に言葉をかけていれば、心や身体は少しずつ前向きになります。今よりもっと輝けるし、やりたかったことを叶える力が眠っているはずなんです。痛みに耐える自分ではなく「本来の自分」を取り戻すため、一緒に「ひかりのほう」を探しませんか。良くなる未来は必ずあります。私はそれまで一緒にいます。

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編集後記
明子さんのお話を伺いながら、何度も胸が締めつけられました。
産後間もない身体で、突然始まった激しい痛み。
指が曲がらず、おむつ替えに10分かかる日々。
「母だから」「ちゃんとしなければ」と自分を奮い立たせる姿は
私では想像もできないほど過酷だったと思います。
お話しをうかがう中で印象的だったのは
「自分で決める」という言葉です。
明子さんはこの言葉を何度も伝えてくださいました。
薬か自然療法か。
頑張るか休むか。
治るか治らないか。
つい二択で考えたくなりますが、明子さんは「どちらか」ではなく
「私はどう在りたいか」を問い続けながら、
一つひとつ自分で選び直してこられました。
なので、この物語は病気を克服するストーリー以上に
「人生の主導権を取り戻していく物語」だったように思います。
そして、私は明子さんの「母としての愛」に
何度も心を動かされました。
苦しい顔ばかり見せてしまった息子さんたちに、
今はたくさん笑顔を見せて「お母さんはもう大丈夫だよ」と伝えたい。
そんな言葉に、
20年以上という時間を超えて積み重ねてきた愛情を感じました。
痛みは、身体だけではありません。
「ちゃんとしなきゃ」
「弱音を吐いてはいけない」
「母だから」
見えない痛みを抱えている人も、きっとたくさんいると思います。
もし今、出口が見えない方がいたら。
明子さんが伝え続けている「ひかりのほう」を探す、
小さなきっかけになれば嬉しいです。
そして何より、20年以上の時を経て
ズンバを全力で踊り、笑顔でいっぱいの明子さんの姿そのものが、
「希望」だと感じました。
「たしかなこと」ひとり編集部 / 木全彩花
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これから歩み出そうとする方々や
これまでの自分を見つめ直したい方々の人生を編集し、
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作品は、ひとり編集部である「私」が書いております。
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あなたと人生を一緒に歩めること、楽しみにしております。
