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言葉の深淵と実存:22/7 3期生「叫ぶしかない青春」考察②

この記事は22/7 3期生『叫ぶしかない青春』の①音楽とメンバー、②歌詞、③映像、④思想(信仰)の全4回にわたって徹底解釈する連載の第2回目となる。

今回は、22/7 3期生『叫ぶしかない青春』を徹底解釈する連載の第2回目である。前回は楽曲が持つ音楽的構造とメンバーの表現力に焦点を当てたが、本稿では歌詞というテキストの深層を、実存主義の視点から解読する。

秋元氏が描いた詞は、単なる青春の葛藤を超え、人間が直面する「選択の限界」と「不条理への対峙」という普遍的なテーマを提示している。何者でもない自分という不安、そして抗えない社会の力学に対し、なぜ彼女たちは「叫ぶ」のか。その行為の裏にある「抵抗の実存」を明らかにする。

なお、ミュージックビデオにおける映像表現や舞台設定の考察は、後半へ譲る。まずは言葉の深淵から、本作が提示する「未完の証左」を浮き彫りにしていきたい。


22/7(ナナニジ)のYoutubeチャンネルでは、この曲を以下の通りに説明している。

22/7_the 3rd『叫ぶしかない青春』music videoの説明より
青春とはほろ苦い。青春とは胸が苦しい。そして、2度とかえらない。 だから叫ぶ。だから泣き叫ぶ。誰かに伝えたい。誰かにこたえて欲しい。 こたえのない時間と気持ちが音楽に変わる。“ そんな思いの込められた楽曲です。

22/7_the 3rd『叫ぶしかない青春』music video
22/7 OFFICIAL YouTube CHANNEL

叫ぶしかない青春:実存的限界と「未完の自己」の受容

秋元康氏が作詞した22/7(ナナニジ)の『叫ぶしかない青春』は、一見すると青春期の葛藤を描いたポピュラーな楽曲とよく紹介されているのを確認する。

22/7 3期生

しかし、哲学を好む私の視点からは、『叫ぶしかない青春』の歌詞の深層には、単なる若者の一時の青春を表したものではなく、人間が生きていく上で何度も突き当たる「自己の選択の限界」と「不条理への対峙」という普遍的なテーマが鮮明に刻まれていると思う。

青春はとうの昔に通り過ぎた、私であるが、幼いころから現在に至るまで持病に苦しみ、社会的制約(社会的障壁)とともに生きている私には、そう感じざるを得ないのだ。

「叫ぶしかない青春」の歌詞を実存主義の視点から解読すると、そこには「主体性の喪失」と「それでもなお自己であろうとする意志」の痛烈な対立が見えてくる。

浦賀ドックで踊る3期生

「何者でもない」という実存的不安

冒頭の歌詞

求めてる何かが見つからない(北原実咲)
その何かが何かもわからない(南伊織)

というフレーズは、サルトルが説いた「実存は本質に先立つ」という概念を示しているといえないだろうか。人間はあらかじめ「何者か」として生まれるのではなく、世界に投げ出され(被投性)、自ら意味を見出していく。

北原美咲・南伊織

歌詞における「僕たち」は、「淡い青春を語る楽曲」と語る者は「僕と君」は心許し思い合っている若い男の子と女の子を思い描く人は少なくないのだろう。

しかし、私から実存主義的視点でこの曲を聴きこめば、「僕」(あるいは自分達)が何者でありたいのかという「本質」が定まらない中で、正体不明の「何か」を追い求める。夜が明けるまで語り合いながら黙り込んでしまうのは、言葉が他者との共通理解に届かない限界、すなわち「コミュニケーションの限界性」という実存的孤独に直面している状況を表している。

「愛」の存在

『叫ぶしかない青春』のターニングポイントと言える重要な歌声を担当をしているの三雲遥加であろう。

となりにずっと、いてほしい
もしかしたら 愛なのか (三雲遥加)

22/7『叫ぶしかない青春』

この言葉によって、若者が求めていたものが見えてくるわけである。しかし、それに伴い、残酷にもその愛は理不尽に崩される運命にもある。

三雲遥加

「叫ぶしかない青春」では、「愛」という言葉は出るが、「恋」、「好き」という言葉は全く表れない。つまり、恋愛ソングとは一線を画している。

22/7(ナナニジ)「叫ぶしかない青春」にある「愛」とは、「不安と孤独の絶対的受容」、「理不尽に抗う「利他」の意思」、「未熟ゆえの「未知」」「絶望を乗り越える誓い」など、生きていく上で常に悩み・苦しむ永遠のテーマとなるのだろう。

どうすれば(どうすれば)
心は満たされたか(満たされたか)
愛について(愛について)
僕たちは無知だった(無知だった)
(折本美玲・黒崎ありす)

折本美玲・黒崎ありす

「大人たち」という不条理の象徴

サビの歌詞は、淡い青春を意識している方は、この曲を「大人」の存在が、若者(僕たちの関係)を理不尽に引き裂く存在と見ているのかもしれない。

この歌詞の核心は、自己(僕たち)の意志が「大人たち」つまり社会の力学によって理不尽に崩し、奪い去られる描写がある。

「大人たち」とは、社会の既存の規範、合理性、あるいは「管理された未来」の象徴だ。若者のあがきが表現されている。若者の苦しみと戦いを表現した舞台が浦賀ドックになる。

「腕を掴めなかった」「羽交い締めされ動けなかった」とは、単なる物理的な制約ではない。「自分の人生を自分で選んでいるはずなのに、不可抗力によってその選択肢が奪われる」という、実存的な自由の剥奪を表している。

カミュの言葉には「不条理」がある。意味を求める人間に無関心な世界が突きつける障壁をあらわす。

世界は「理不尽」であり、自己の情熱や意思は、社会的な力学の前では無力なものとして扱われ、崩れ去り、壊される。

サビでみせる、若者と大人の対立を22/7の他の楽曲に求めれば「ムズイ」や「とんぼの気持ち」があげられる。「ムズイ」と言えるだろう。

大人たちは簡単にいうけど
私にとっての希望って
どこにあるの?       (西條和)

22/7「ムズイ」

「無力さ」の承認と叫びの意味

「だから大声で叫ぶしかない青春」

22/7「叫ぶしかない青春」

サビの最後のフレーズは重要だ。22/7(あるいは「僕」)は、なぜ「叫ぶ」のか。それは、「僕」が、社会という強固な壁を物理的に打破する力と手段を持っていないからだ。

実存主義において、「無力さ」を自覚することこそが、真の主体性を獲得する第一歩となる。「若さはいつも無力なもの」という自省。これは、単なる敗北宣言ではなく、世界の理不尽を直視した者が到達できる、冷徹な自己認識となる。

南伊織

羽交い締めにされ、殴られても闘う「僕」、微笑みながら涙を流し連れ去られる「君」との対比において、「僕」は拳を握りしめる。

これはハイデガー的な「死への存在(死を意識することで真の生を生きる)」の変奏とも言えるかもしれない。

力強く歌う南伊織

自分がいかに無力で、自由を制限されているかを悟ることで、初めて

もう一度、君とえたら 絶対手を離しはしない(北原実咲)
たとえ誰に、とめられようと 、Ah (南伊織)

22/7「叫ぶしかない青春」

という、未来に向けた主体的な「投企(プロジェ)」が可能になるのだ。

夢と現実の狭間で

夢と現実の狭間でカーテンが閉まった
(桧山依子・三雲遥加)

22/7「叫ぶしかない青春」

という言葉は、「青春」という、特権的な時間が閉幕することを指している。「僕たち」によってつくられた安住の地を作ることが許されないのである。

若者に残された唯一の手段「叫び」

いつの日にかわかるのか (桧山依子)
若さはいつも無力なもの (三雲遥加・桧山依子)

22/7「叫ぶしかない青春」

という言葉は、自己の正当性を未来という不確定な時間に委ねている。たとえ過去・現在の時点では「動けなかった」としても、その悔しさを抱えて叫び続けること。

その「叫び」という行為そのものが、他者に定義された運命を拒絶し、自分自身であろうとする「抵抗の実存」であり、若者の「唯一の手段」なのである。

彼女たちの叫びを聴くということは、理不尽な世界を苦しみながら生きる私たち自身に対して、『終わりのない永遠の道へ、常に突き進め』という静かな、しかし確固たる意志の覚醒を促すものとなるのだろう。

この楽曲の救いは、「諦念」でおわるのではなく「未完」のまま終わる点にある。

この『叫ぶしかない青春』は、決して、成功への物語ではない。しかし、理不尽な世界の中で「自分の手で何かを掴もうとする」という事実そのものが、何よりも尊い個の証左となっている。

叫ぶしかないその姿は、不条理な世界を生きる私たち全員にとっての、切実な実存的肖像であると言える。

夕暮れの中の22/7 3期生

ひとまず、まとめとして


ここでは、『叫ぶしかない青春』が内包する実存的葛藤と、歌詞に刻まれた「未完の自己」について考察を深めてきた。秋元康が紡いだ言葉は、若者特有の青臭さではなく、理不尽な世界と対峙する人間存在の普遍的な抗いを描き出している。我々が彼女たち(ナナニジ)の「叫び」に耳を傾けることは、自己の無力さを自覚しつつも、なお主体的に生き抜こうとする「意志の覚醒」に他ならない。

しかし、この楽曲の真価は歌詞というテキストの解釈のみに留まらない。浦賀ドックという歴史的な舞台設定や、メンバーの身体表現、光と影を巧みに操った映像演出が重なることで、初めてその実存的肖像は立体的な説得力を帯びるのである。

次回の記事では、ミュージックビデオという視覚的テクストを詳細に解読し、映像の中に刻まれた「身体的覚悟」や「場の記号性」について論じていく。楽曲が描き出す哲学が、いかにして視覚的な芸術作品として完成されているのか。その深淵に迫りたい。


22/7 3期生「叫ぶしかない青春」解釈記事

①音楽とメンバーはこちら

②歌詞とミュージックビデオの後半、映像表現に注目したものは、こちら

③哲学的視点からの考察記事はこちら


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Ringo / 越川欣和|22/7の音楽哲学と世界観の言語化 記事をお読み下り有り難うございました。いただいたサポートは、クリエイターとしての活動費や勉学費用に使わせていただきます。(書籍、文具代など)どうぞ応援のほど、何卒よろしくお願いいたします。