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実存と信仰の深淵へ:22/7 3期生「叫ぶしかない青春」考察④

この記事は22/7 3期生『叫ぶしかない青春』の①音楽とメンバー、②歌詞、③映像、④思想(信仰)の全4回にわたって徹底解釈する連載の第4回目となる。

第4回目となる今回は、哲学的視点的視点から、考察した記事を展開する。はじめに、「叫ぶしかない青春」が表すナラティブを示し、そのナラティブを哲学的に解釈、22/7_the 3rd プロジェクトによる楽曲との比較展開、最後にキリスト教的視点から「叫ぶしかない青春」を解釈し、この楽曲に潜む世界の深淵を追い求めるものである。


『叫ぶしかない青春』のナラティブ

簡単にまとめると、つぎのようになるだろう。

求める者がものがなんであるか、若者は理解できずにいる。それはおそらく愛だろう。若者は心の拠り所として愛を渇望するが、その平穏は大人たちの理不尽な介入によって無残に崩されていく。

夢と現実の狭間で、若者はただそこに留まることを切に願う。しかし、若さゆえの無力さは、抗う術を持たぬまま大人という巨大な暴力に踏みにじられる。愛を求め、得ては奪われるという喪失の連鎖。彼らにとって、世界はあまりに残酷で不条理だ。

三雲遙加

積み上げた日常が脆くも崩れ去る中で、追い詰められた若者に残された唯一の抵抗、それは叫ぶことである。世界に対する問いかけなのか、あるいは自身の存在証明なのか。出口の見えない閉塞感の中、彼らは声を張り上げることでしか、この理不尽な現実に立ち向かえないのである。

折本美玲・黒崎ありす

ナラティブの哲学的解釈

「被投性」から「疎外」への転落

ハイデガーのいう「被投性」とは、人間が自らの意志とは無関係に世界へ投げ出された状態を指す。若者が「二人」の関係に依存していた世界は、大人の介入により理不尽に破壊される。これは「自分の実存の根拠を他者に奪われた」という疎外であり、世界に抗えない無力さを突きつけられる経験に他ならない。

北原実咲

「他者」という名の「地獄」

さらにサルトルの視点では、大人という他者の視線は、若者の純粋な愛を「管理対象」へと変質させ、その内面世界を客観的な現実へと引きずり下ろす「地獄」として機能する。この実存的聖域の崩壊により、若者は自身の連続性を保証していた支柱を失い、絶対的な不安に晒される。

橘茉奈

「実存的聖域」の崩壊と不安

「ここに留まることを望む」という願いは、彼らが自分の実存を賭けて守ろうとしていた「場所(内面世界)」を意味する。実存主義において、この場所は「自己が自分自身であるための唯一の拠点」となる。 愛が理不尽に崩されることは、「自分が何者であったのか」を保証していた証人(=君)を失うことを意味する。これにより、若者は「自己の連続性」を維持するための支柱を失い、絶対的な「不安」の中に放り出されるのだ。

吉沢珠璃

「絶望」こそが真実であるという認識

しかし、叫びの先にある絶望こそが、むしろ真実への覚醒を意味する。それは大人たちが提示する幻想を脱ぎ捨て、不条理な現実を直視し始めた証となる。叫びとは解決策ではなく、絶対的な答えなど存在しないという空虚を独りで背負うための、過酷な自問自答である。

桧山依子

叫びは「答え」ではなく「問い」の更新

このとき、若者は「愛という他者への依存」から切り離される。「求める者が何か分からない」という問いは、他者に意味を委ねる執着から脱し、自分自身の生の意味をゼロから探求するという、厳しい自由の刑に処されている状態を示唆している。無力さを完全に自覚したとき、彼は初めて真の自由へと足を踏み入れるのである。

南伊織

3作品に見る実存の対比

テーマの変遷

22/7 the 3rdプロジェクトによって形成される人間像。『命の続き』、『未来があるから』、『叫ぶしかない青春』の3曲は、いずれも「自分とは何者か」「どのように生きるべきか」という問いを一貫したテーマとして掲げている。しかし、その問いに対する向き合い方や、楽曲が語る物語の核心はそれぞれに異なる。

『命の続き』は、自己との内省的な対話を通じて「生きる意味」を希求する楽曲である。ここでは、心の安らぎを不確かな未来に投影することで、実存の均衡を保とうとする姿勢が描かれている。

『未来があるから』は、他者への不信と自己疎外あるいはアンビバレントという実存的な裂け目の間で揺れ動く心のあり様を表している。この曲における安堵は、自身の内面ではなく「君の言葉」という他者の介在によってのみ獲得されるものであり、依存と疎外のジレンマが色濃く反映されている。

そして『叫ぶしかない青春』は、二人の間で共有された「愛」という真実を軸に展開する。しかし、大人の理不尽な介入によってその聖域は崩壊し、若者は再び自己の拠り所を探す孤独な旅路へと突き落とされる。前2作が未来や他者に安らぎを求めたのに対し、本作は「自身の叫び声」という唯一の能動的な行為によって、崩壊しゆく自己を防衛しようとする。

これら3曲を並べると、若者が不条理な世界の中で「意味」を模索し、最終的には自己の叫びという実存の盾に辿り着くまでの、精神的な変遷の軌跡が浮かび上がってくるのである。

「腕をつかむ」愛の実存的対比

「未来があるから」と「叫ぶしかない青春」では、「腕をつかむ」と「愛」の存在が歌われている。
「未来があるから」には次の歌詞がある。

誰かに手首をぎゅっと掴まれて
行くなと言われて引き留められる
そういう経験したことあるかい?
もちろん愛だとわかってはいても

22/7「未来があるから」

主体的な自己は、他者からの拘束を拒み、孤独へと走るものとなっている。たとえ、他者からの愛であってもそれを受け入れない事を表していると言える。

北原実咲

では、「叫ぶしかない青春」では、どうだろうか。

隣にずっといて欲しい
もしかしたら愛なのか?
誰も知らないどこかへ逃げ出したかった

ごめんね 君をまもれなかった
腕を掴めなかった
大人たちが未来連れて帰った

22/7「叫ぶしかない青春」

ここでは、「未来があるから」とは全く違った実存的対人関係が描かれるわけである。「叫ぶしかない青春」は接続の願望と脆くも崩される愛の不確実性が表現されている。

『未来があるから』と『叫ぶしかない青春』は、他者との関係を対照的に描かれている。前者は、手首を掴む他者を「束縛」と見なし、自由を求めて孤独を選択する実存を描いた。

北原実咲・南伊織

対して後者は、隣にいてほしいという「接続」を渇望しながらも、社会構造に愛を阻まれ、守るために腕を掴めなかった後悔を吐露する。

愛への拒絶と渇望という、対極の実存的対人関係が浮かび上がる対称的なストーリーが浮かび上がってくるわけである。

桧山依子・三雲遥加

キリスト者の視点による「叫ぶしかない青春」とは

私は、キリスト教徒である。したがって、「叫ぶしかない青春」にあるメッセージが自然に浮き上がる。必ずしも、作曲家秋元康、22/7 3期生による解釈とは合致せず、大きくずれたものとなるだろう。

「愛についての無知」(人間の不完全さ)

どうすれば(どうすれば)
心は充たされたか? (充たされたか)
愛について(愛について)
僕たちは無知だった(無知だった)

22/7「叫ぶしかない青春」

「心が充たされない」という渇きは、神から離れた人間の根源的な孤独そのものだ。「愛について無知だった」との告白は、聖書が教える「真の愛(アガペー)」を自力では理解できず、自己中心的な愛に迷う人間の罪性を認める悔い改めの姿勢と重なる。

「愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。……わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償う生け贄として御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」

ヨハネの手紙一 4章8節、10節
折本美玲

「理不尽な大人たち」と壊れた世界

大人たちが未来 連れて帰った
世の中って理不尽なものなんだ

22/7「叫ぶしかない青春」

「大人たち」や「ドアを叩く誰か」は、若者の純粋な世界を壊しに来る「この世の支配者や理不尽な現実(構造的悪)」の象徴と言える。どれほど足掻いても抗えない理不尽に直面したとき、人間は自らの無力さを痛感させられるのである。

「地上は悪者の手にゆだねられ、神は裁判官の目を覆われる。そうでなければ、いったい誰がそうするのか。」

ヨブ記 9章24節
吉沢珠璃

なぜ「叫ぶしかない」のか?

己の力ではどうにもできない罪深い世界への絶望の叫び、すなわち神への祈りである。同時に、絶望の中でも自分を肯定し、赦しを与えた大いなる愛に出会ったことによる魂の震え、いわば讃美でもある。

苦しみのただ中で誰も責めずに微笑む「君」という存在を見出したことこそ、この理不尽な世界における唯一の救い、福音なのである。

「御霊(聖霊)もまた、わたしたちの弱さを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、御霊自らが、言葉に表せないうめきをもって執成してくださるからです。」

ローマの信徒への手紙 8章26節
黒崎ありす

おわりに

22/7(ナナニジ)3期生による楽曲表現は、グループ創設期から続く「世界に放り出された個の孤独」と「そこから叫び出される実存」という22/7(ナナニジ)の核心的哲学への鮮やかな回帰を遂げている。

現在、Youtubeによるミュージックビデオの再生回数は179万回を超え、22/7(ナナニジ)の全ミュージックの3位となり、2位に君臨していた「理解者」をも凌駕しかねない現状にある。

この再生回数は、「22/7(ナナニジ)ファンが必死に動画を回した」だけではない。「3期生が『主人公』を宣言し、西條和から受け継ぐ哲学の継承と作品の芸術性の高さにより、ファンの壁を突き破って外の世界の音楽リスナーのもとにまで、「叫ぶしかない青春」の曲は届いたといえる。まさに、「魂の叫びが世の中に届いた」といえる、22/7(ナナニジ)にとっての決定的な文化的勝利である。

加えて、22/7_the 3rdプロジェクト 第2弾で2026年3月1日に公開された「未来があるから」の再生回数も驚異的であり、62万回再生を超え、22/7(ナナニジ)の全ミュージックビデオの上位に入り込みつつある。

ドラマはまだ終わっていない。次に発表される作品「願いの眼差し」、「風は吹いてるか?」が先日の22/7 3期生 定期公演Finalで紹介された。今後も、作品の奥にある『叫び』という名の深淵を読み解いていきたい。

22/7 3期生「叫ぶしかない青春」解釈記事

①音楽とメンバーの記事はこちらになる

②(前半)歌詞とミュージックビデオ(歌詞編)の記事は、こちら

②(後半)歌詞とミュージックビデオの後半(映像表現)の記事は、こちら



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Ringo / 越川欣和|22/7の音楽哲学と世界観の言語化 記事をお読み下り有り難うございました。いただいたサポートは、クリエイターとしての活動費や勉学費用に使わせていただきます。(書籍、文具代など)どうぞ応援のほど、何卒よろしくお願いいたします。