映像が物語る「未完の証左」:22/7 3期生「叫ぶしかない青春」考察③
前回、歌詞の精読を通じて、22/7(ナナニジ)『叫ぶしかない青春』が単なる青春の葛藤を超えた、実存的な「問い」であることを明らかにした。若者が突きつけられる理不尽な世界と、それに対峙する個の主体性。その内面的な苦闘は、ただ言葉の中だけに存在するのではない。
今回は、ミュージックビデオという視覚的テクストを解読していく。ドラマシーンにおける静謐な対話と、浦賀ドックを舞台とした激しいダンスパフォーマンス。色彩の対比や身体表現、そしてロケ地が持つ歴史的コンテクストまでを詳細に分析する。映像という装置を通じて、彼女たちがどのように「叫び」を可視化し、未来へ向かう覚悟を象徴しているのか。その現象の深淵へと迫る。
【現象の現出】― 映像・舞台が物語る「未完の証左」
22/7(ナナニジ)『叫ぶしかない青春』の楽曲構成は以下の通りになっている。
イントロ→
Aメロ→Bメロ→1サビ→
Cメロ→Dメロ→2サビ→
Eメロ(ブリッジ)→大サビ→ラスサビ→
アウトロ
『叫ぶしかない青春』は、メロとサビでは大きな対比が表現されていることが分かる。ドラマとダンス、暗と明、静と動が象徴的に表されていると言えないだろうか。
舞台設定は、これまでの22/7 the 3rdプロジェクトの作品と大きな違いがある。『命の続き』、『未来があるから』は閉じられた、暗いステージとなっている。第3弾となる『叫ぶしかない青春』は、ガラリと変わり、開かれた空間にステージが用意された。
この開かれた空間によるミュージックビデオでは、神奈川県横須賀市と三浦市で撮影されたものとなる。様々な舞台(ロケ地)を使用し多彩な撮影技術を複雑に組み込み作り上げた作品になっている。
ドラマシーン
ドラマシーンでは、二人が語り合い、互いの真意を確かめようとする姿が描かれる。これは本プロジェクト共通の『自省的語り合い』という構造を踏襲しつつ、より映像的な対話としてつくりあげられている。
動画のカラーリングは、フィルムルックぽくなり、明るい背景に対し、被写体(3期生)は暗い映像となっている。これは人の心の深淵まで語り、悩んでいる様子を強調的に表現されている。
その言葉を交わすパートナーとなっているのが、
A:北原実咲、南伊織
B:折本美玲、黒崎ありす
C:桧山依子、三雲遥加
D:吉沢珠璃、橘茉奈
となる。各シーンで、ユニット毎で展開されるドラマチックな動画となっている。

ダンスシーン
『叫ぶしかない青春』は、ドラマチックな動画とダンス動画を組み合わせたものとなっている。イントロ、1サビ、2サビ、大サビ、ラスサビ、アウトロは浦賀ドックで展開される3期生全員によるダンスパフォーマンスになっている。

激しいダンスパフォーマンスの舞台として選ばれたのは、神奈川県横須賀市にある「浦賀ドック」だ。かつて大型船舶を建造し、海へと送り出してきたこのレンガ積みのドックは、MVの中では広大かつ無機質な背景として提示される。この冷徹なまでの広がりこそが、3期生の未完の叫びを際立たせる舞台装置となっている。
ドラマシーン:自省的語り合い
夕暮れの中語り合う二人:屋上
折本美玲と黒崎ありすが「日暮れ」に語り合う姿は、まさに「孤独を分かち合う実存の儀式」なのだろうか。役割を脱ぎ捨て、何者でもない自分に還る黄昏時となる。

そこで交わされる言葉は、正解を求める議論ではなく「私がここにいる」と確かめ合うためのものだ。激しい叫びとは対照的に、静寂の中で互いを錨のように繋ぎ止める二人の姿。それは理不尽な世界で自己が崩壊しないよう、絆を頼りに「生きている」ことを証明し続ける切実な表現となるだろう。
互いを認め合う空間:参道階段
三雲遥加と桧山依子により、最福寺の階段で二人が共に寄り添う光景は、単なる休憩以上の意味を持つ。日常の役割を脱ぎ捨て、息を切らしながら登る階段は、自分と向き合う「実存の坂道」だ。

そこで互いを認め合うことは、自分とは異なる「他者」という世界を、そのまま丸ごと受け入れる行為といえる。孤独な個同士が、階段という不安定な場所で視線を交わし、絆を確かめ合う。それは世界への抵抗であり、自分は独りではないと確信しているのだろう。
静かな語り合い:静まった朝市
誰もいない朝市の静寂の中で語り合う橘茉奈と吉沢珠璃の姿は、哲学的には「日常の機能停止が生む、純粋な生の対話」と言える。

朝市という本来「賑わい」や「役割」を象徴する場所が、誰もいないことでその機能から解放されている。そんな非日常的な空白地帯で向き合う二人は、社会的な仮面を脱ぎ捨て、剥き出しの自分として存在を表しているのかもしれない。
周囲の喧騒が消えたからこそ、二人の間には言葉以上の深い共鳴が生まれる。この「空っぽの場所での対話」は、正解のない世界で「私たちはここにいる」と確かめ合う、極めて実存的な儀式なのだ。まさに、何者でもない自分たちとして、世界に静かに抗っている姿といえる。
大洋への視点:港とドック
三崎漁港の海原と歴史を刻む浦賀ドック。その大洋へとつながる二つの地を背景に、北原実咲と南伊織の静かな対峙が浮かび上がる。この楽曲においてキーパーソンの二人。何を求めているのか、自己が求める真意は何なのかと深く、繰り返し語り合い、(他のメンバーの歌声のもとで)沈黙を守り、共にお互いに感じ、自己(僕たち)形成を行う時間を表したシーンとなっている。


かつて大型船舶を建造し、海へと送り出してきた浦賀ドックは旧造船所である。ここで22/7 3期生を「大型船舶」として完成させ、芸能界という広大な「海洋」(三崎漁港)へ漕ぎ出させることを物語っているようにみえてくる。
歌声において重要な役割を果たす南伊織、歌声・パフォーマンスの解釈・世界観を作り上げる北原実咲が、その役割を果たしているのかもしれない。
22/7 3期生の現状と将来性を潜ませた舞台となっているのかもしれない。
ダンスシーン:激しい叫び
ダンスシーンでは、若者つまり「僕たち」が、「大人たち」という、社会の既存の規範、合理性、あるいは「管理された未来」の象徴に対する、若者の叫びが8人の3期生により表現されている。
ダンスシーンでは、管理された未来に対する若者の抗いが、8人の身体表現を通じて爆発する。カメラワークはドローンを活用し、浦賀ドックの壮大な幾何学模様を捉える。重厚な歴史を刻む鋼鉄の構造物と、そこで躍動する彼女たちの生身の肉体。その色彩の対比、逆光やスモークによる演出は、彼女たちがこの場所で何者かになろうともがいている様子を、極めて美しく、かつ切迫感を持って浮かび上がらせている。
若者のあがきが表現されているのは、浦賀ドックでのダンスになる。ミュージカル経験の北原実咲、バレエしていた吉沢珠璃、新体操をしていた橘茉奈、日本舞踊を学んでいた折本美玲などの経験を生かしたダンスとなっているのかもしれない。
手を伸ばすポーズ
22/7(ナナニジ)のダンスは、片手を大きく前に伸ばす振付を持つ楽曲が、数多い。激しいダンスであり、ドローン撮影を行っている「ロックは死なない」でも確認できる。
一方で、3期生による「叫ぶしかない青春」では、両手を使った表現を数多く取り入れ、これまでの22/7のダンスとは全く異なるパフォーマンスとなっている。

また、22/7(ナナニジ)は、片手を前に大きく伸ばすポーズが数多い。手を開き何かを求めているかのような表現と、指先で前を指しメッセージを送る表現がある。
「叫ぶしかない青春」でも、片手を伸ばすポーズがみられるが、特徴的なのは、両手による表現が数多くあらわれているところにある。



また、片手を前に伸ばす、南伊織のポーズは、これまでの22/7(ナナニジ)のような何かを求める手、あるいは指さす表現とは、全く違ったものになる。南伊織は大きく前に伸ばし、自分のものにしようとしっかりつかみ自分に寄せる覚悟を表すかのようだ。
他のメンバーも、手を伸ばし掴み取り握りしめる動きをしている。橘茉奈、折本美玲、黒崎ありす、桧山依子、三雲遥加、北原実咲なども同様なポーズをとっていることが確認できる。


力強い叫び声
「叫ぶしかない青春」で、南伊織は、力強い叫び声をあげ、魅力的なワンシーンがある。
22/7(ナナニジ)で叫び声をあげる楽曲はなかったが、22/7_3rdプロジェクト第2弾「未来があるから」において、そのパフォーマンスが表れている。南伊織の見せ場の一つとなるだろう。
かつての22/7における「叫び」は、自身の内面に潜む葛藤の吐露という趣きが強かった。しかし3期生南伊織の叫びは、救いを求め、他者や世界へと切実に手を伸ばす、人間的な生への必死なアプローチへと進化している。



様々なフォーメーションなど
フォーメーションは多彩なものとなり、22/7(ナナニジ)でよくみられる形もあるが、これまでの22/7とは全く違ったダンスとフォーメーションによって作り上げられている。
撮影技術には、ドローン撮影、多彩な自然光の計算されたライティングと逆光の活用(逆光・フレア・ゴーストの多様)やカメラアングルの複雑さ、水面に3期生を映し出し上下に反転した姿を撮影するレフレクション撮影、傾きを複雑に組み上げにより美しい芸術作品へと作り上げているといえるだろう。




ワンシーンを想起させるフォーメーション

リフレクション撮影

浦賀ドック
「叫ぶしかない青春」22/7三期生のダンスシーンの舞台となるのが、神奈川県横須賀市にある浦賀ドックである。

浦賀ドックは、江戸時代から続く歴史と、レンガ積みドライドックとしては国内でも極めて希少な文化的価値を誇るこの場所となる。
単なる撮影地という枠を越え、22/7の新たな叙事詩を刻むにふさわしい聖域となっている。
この場所の歴史に目を向けるとき、本作の意図はより鮮明になる。浦賀ドックは、かつて多くの船舶を完成させ、広大な海洋へと送り出してきた「門出の場所」だ。
ここでのダンスを俯瞰すれば、それはアイドルとして完成しつつある3期生を、芸能界という名の広大な「海洋」へ送り出すための「現代の進水式」に他ならない。かつて大型船舶が海へと漕ぎ出したように、彼女たちはこの場所で自身の覚悟を握りしめ、未知なる未来へと歩み出す。
歴史的価値のある聖域を選び抜いたことは、単なるロケ地選定を超えた、3期生の将来を刻み込むための野心的な物語が垣間見えるのである。
まとめ
3期生の「叫ぶしかない青春」のミュージック・ビデオによる映像は、深淵なる心の語りと、なす術がなく、そして理不尽にも永遠に正解の見えない人生に対する叫びを、多様な撮影技術によって表し作り上げた作品と言えるだろう。
おわりに
22/7(ナナニジ)3期生定期公演Finalで販売されるロゴTシャツには、「Learning from the past to understand the present(過去から学び、現在を理解する)」という言葉が刻まれていた。まさにこの楽曲は、22/7が紡いできた歴史を深く学び、それを現代の3期生の感性で再定義した、重層的な芸術作品であると言えるだろう。彼女たちは過去の断片を継承するだけでなく、それを自らの「叫び」へと昇華させることで、いまこの瞬間の実存を鮮烈に刻みつけたのである。
22/7 3期生「叫ぶしかない青春」解釈連載記事
①音楽とメンバーはこちら
②歌詞とミュージックビデオの前半、歌詞に注目したものは、こちら
③考察(哲学的視点)を表した記事はこちら
作品のロケ地
22/7_the 3rd「叫ぶしかない青春」のロケ地は神奈川県横須賀市と三浦市となる。詳細は、以下のページで紹介されている。
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