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「小説 組織風土改革推進委員会」第14話:大谷社長  

第14話:大谷社長

 我々の組織風土改革についての取り組みは、自分たちから言うのも憚られるが、昨年度から多少はビジネス系のマスコミにもとりあげられていた。本来は、この時点では、まだまだの感はあったが、社会に対しての広報的に発信する意味合いもあり、取材に応じていた。できるだけ若い人がよかろうということで、八木沢と荻野が、ある意味、広告塔となってきた。ビジネス雑誌や、経済新聞にも掲載されていたので、彼らにとっても、社外に対して、なにか顔をうまく売れていた。そうしていると、いろんな企業から意見交換させてほしい、組織風土改革について、どんな取り組みなのか聞かせてほしいという面談依頼が相次ぎ、うちの営業通じての依頼もあったが十数社ほど一年間でそういう機会を持った。こちらとしてもヒントになる取り組みがあるだろうということで、各社との意見交換の場を持った。こういう「他社と交わるようなコミュニティの場がもっとあれば」とは、メンバー間でもよく話していた。自分たちだけでは、活動の評価などなかなか気づかない面もあるし、他社の取り組みにもヒントはあると考えていた。

 1月末のある日のこと八木沢からチャットが飛んで来た。
「来週水曜日お昼に大谷商事の社長が来訪して組織風土改革の取り組みを是非聞きたいとのことで連絡ありました。対応は、広報と話しましたが、大谷社長が、『是非、村田さんにお願いしたいのですが』という内容だったとのことです」
ときた。

 随分、急な話だなと思いつつ、きっと誰かがどう対応しようかと握っていたのだろうな。「これは、営業案件だな」と薄々感じた。大谷商事とはかれこれ50年以上の取引である。材料系の仕入れもあるし、こちらからはソリューションなどの外販もある。村田も十年近く前、ソリューション事業本部時代、購買窓口の頃に取引があり、大谷商事の社長とも面識があった。というか、毎月、会社の外で会うような間柄にもなっていた。そのことで俺に応対の話が来たのだろう。「大谷商事さんも組織風土改革か・・・・・・」とつぶやいていた。

 大谷社長との関係は、最初はなんだったのだろう。たぶん、社長が福岡出張へ行くときに「どこかでおいしい魚を食べたいのだが」という話が商談の席であった。「村田君はどこか知っているかい?」と聞かれ、いくつかお店の紹介をした後、その日のうちに大谷社長の秘書の方に、だいたいのエリア、営業時間、価格帯、店の雰囲気、広さや個室、それに特におすすめの料理を連絡したのだった。大谷社長は、おすすめの料理を優先して、水炊きを選択したそうだ。それもいくつか水炊きの店を伝えていたが、その中で中洲の夜景が見える昔ながらの店を。私も家族でよく通っていた店だったことから、大谷社長がお店の女将に紹介で来たことを話し、私の名前を告げたところ、かなりサービスが増したそうだ。それから、私が紹介した福岡の店を半年ですべてまわったと聞いた。それからは、俺は、逆にグルメ通の大谷社長から都内の色々なお店でごちそうになっていた。本当は女将が気を利かしただけで、そうではないだろう。

 2月初旬の水曜日、ソリューション事業本部の担当役員、事業本部長と、3人で、一緒に会社の玄関口にいた。風がそんなに強くなかったことと、久しぶりの晴天で、2月というのに、この日の気温は15度を超えていた。寒くない日でよかったなあと思いつつ、10年ほど前は、よく大谷社長にお世話になっていたなと、なにか頭の中で思いが重なりながら、物思いにふけっていたところ、山手通りからすーっと入ってきた黒のクラウンが玄関口に横付けされ大谷社長がやってきた。 

 担当役員から順番に挨拶を済ませた後に、
「大谷社長、お久しぶりです。お元気で何よりです」
「おー、村田さんも組織風土改革で大活躍と聞いていますよ、どうですか?」
応接に入り気づいたが、めずらしく、今日は大谷社長一人であった。いつもは何かしら他の役員も帯同していることが多い。本日は誰も同行もなく、「営業的な話は無しでいこう」というムードだったが、なにかしらの違和感を俺は感じていた。
「佐々木役員、末永本部長、今日はちょっと会社の恥部を話すこととなるので、村田さんと二人で話すというのはどうだろう。大変申し訳ないが、組織風土に対して取り組んでいる村田さんの本音が今日は聴きたくてまいりました。たくさんアドバイスをいただきたいと思っておりますが、役員の方がいたら、村田さんの本音も聴くことができないと思いました。大変失礼なお話ですみません。よって、今日は私一人でまいりました。会社の人間もなぜ私が御社にお邪魔しているかも知っているものは誰一人おりませんので、私が来たことも内密にお願いいたします。本当に申し訳ありません」
大谷社長の頭を下げる態度に、逆に佐々木さんも、いえいえ、という表情で、
「では、村田の話から何か良いヒントにでもなればと存じます。大きく会社も変わったのですが、私どもも、まだ道の途中という認識であります。今後とも宜しくお願いします」

 佐々木さん、末永さんは部屋から出て行った。二人ともドアを閉める時に目配せして「しっかり支援をしろよ」という顔で見ていた。
「早速、びっくりですよ、社長。役員を所払いするなんて、一瞬、どうしたものかと私のほうが困りましたよ」
「いやね、腹を割って話す時は一対一がいいと思ってさ。正直、佐々木さんたちには申し訳なかったけど。今日は君の意見を聞きたくて」
「何かあったんですか?」
「まず、ご覧の通り、私は二代目社長で、もう今年で六十八歳になる。次の世代にバトンタッチだ。子どももいないので、以前から今の役員達とは自分の子どものように可愛く接してきた。もちろん子どもというほど、大きな年の差はないが」

 今の専務が55歳、常務二人が52歳、役員の方々は48歳から52歳くらいで七人くらいいただろうか。確かに子どもほどの年の差はない。しかし、先代を亡くして、40歳で若くして社長になった大谷社長にしてみれば、今の役員は家族同然だし、子どものようなものであろうと俺は思った。

「もちろん、専務も、常務二人も、しっかりやってくれて、5,000億円企業へ引っ張ってくれた。とにかく、会社を大きくとかいう意識も昔から高く、先頭を走ってくれることでみんなからの信頼も厚かった。しかし、ここに来て伸長率も落ちている部門が三つくらいあるなかで、その部門を、会社から切り離すこととか策を考えているようだが、そこまでやらないとしても、そこで働いている人や組織をおざなりにしそうな気がしてならないんだ」
「はい、専務、常務の頑張りは私も見てきております」
「彼らは強い人間だ。それを育てたのは私かもしれない。組織風土改革などの言葉を彼らは表層的にしか受け止めないかもしれない。世の中で、”人的資本”と言われていても、彼らが、そこにフォーカスしていくような感じに見えなくなってきた。村田さんも承知の通り、このような平成の時代的な企業では新入社員も離職するだろうし、みんなの人間力も落ちていくと思う。私の年頭や期初に出すメッセージや経営方針、『みんなが、お互いを尊重して自由に意見を言いあい、新しい事業と企業風土を作り上げていこう』といったものも、末端までには届いていないように感じるんだ。そういう雰囲気でもないし、行動も見えてこない。この辺りを末端に伝わり、彼らが行動していくにはどこからスタートすればよいかを、村田さんにアドバイスいただきたいと思ってました」

 俺は、そんな恐れ多いとは思わず、はっきりと話した。
「でも社長は気づかれているんですよね」
「どういうこと?」
「いや、末端まで伝わっていないとおっしゃる原因を。おそらく、末端には伝わっているんです。何度もそういうメッセージを出されているのであれば。間違いなく」
社長のしっかりとした真っ直ぐな視線、社長の目を受け止めながら話を進めた。
「なぜ、末端の社員は行動に移せないのでしょう。末端の社員に原因がありそうですか」
「いや、違う。私と同じようなメッセージを発している役員が少ないのかな」

 大谷社長は少し部屋の窓から見える山手通りを見ながらしばらく黙っていた。暖かい日差しが差していた。俺はゆっくりと大谷社長が話すのを待った。
「みんな私たち経営層の動きを気にしているのかもな。私も含めてだが」
徐々にそう話し始めると、
「専務や常務は本当に頼りになる人たちだ。しかし会社を大きくしていく時には、私も含めて、『やれ営業だろ!もっと売ってこい』『今期は前年の百二十パーセント』だとか、『あそこの部は既に目標達成しているぞ』などの言葉を発していたことがあります。それが今の本部長、部長、課長に染み付いてしまっているのだと思います。だから私がお互いにに尊重、信頼して、自由に意見を言い合える組織にしていこう、挑戦を促す職場としていこうと言っても、なかなかひびかないのでしょうね」
「大谷社長、ほかには何かありますか?」
「そうだな、挑戦を促すということは失敗を許容することだと何かの本にも書いてあったが、挑戦について掛け声だけあげるだけでなく、本当に懸命にやって失敗しても何も言わないことを見せないといけないのではないかと。ついつい、私の頭のどこかにも、最初から失敗してもいいんだと言ったらどうなるのだろうという不安があるかもしれない。社員は失敗したら、結局叱られるだけだと思っているのかもしれない。何がいけなかったかはしっかり考えて、成功するまで、どんどんやっちゃえよというくらいないといけないんでしょうね」
「色々と思うところが出てきますね」
「最初は役員がさあ、というような話し方もしたけど、一番変えるべきところは自分にあるような気がしてきたよ。組織風土改革という言葉も、私に言わせると、大谷改革、自分改革に他ならないね」
「今、話してきて、どんなお気持ちですか?社長。最初と少し変わりましたか?」
「君といるだけでなんか短い時間に、色んなことが話せてスッキリしたよ。まあ、やらなきゃいけないことが、いくつか見えてきたけど」
「何をやっていくかについて、少し掘り下げますか?」
「なんか悪いね。村田さんにコーチング料金など払わないとね」

 確かに俺はコーチングは二年前に個人的にスクールに通って学んでいた。昨年六月には、そのスクールの認定コーチの資格もとってはいたが、コーチングをバンバンやっているわけではなかった。大会社の社長にやるのも初めてだった。
「駆け出しコーチでよければ、いいですよ」
と、さらっと答えていた。
「では宜しく頼みます」
「社長は、コーチング受けられた経験は?」
「あー、昨年までは毎月コーチをつけていたんだ。三年くらいかな。でも、その人も忙しくて、なかなかお互い、時間調整難しくなって」
「今日は、大谷社長はどのくらい時間ありますか」
「最大。一時間はいいよ」
「では一旦、40分ですすめて、お互い残りの時間で整理する時間にしましょうか」
「わかった。始めよう」
「では、先ほどの続きでよいのか、もっと何かお話ししたいことありますか?」
「今日は、先ほどのまず何をやっていくかの深掘りでいいよ」
「大谷社長、今日のこの場はなんと呼んでもらったらいいですか」
「そうだね。おーさんって友達には呼ばれてるから、今日は、おーさんで、いいかな」
「では、おーさん、本日は40分後にどこまで決まっていたらよろしいですか?」
「いま、頭の中に、やっていくことが大きく三つくらいあるのかなと思っていて、優先順位を決めたいと思ってるかな。あるいはそもそも、その三つでよいかという点もある」
「おーさん、一旦、その三つを出してもらえますか」
「一つめは私が何か宣言をすべきかと思っている。今まで以上のものを」
「宣言ですね」
「二つ目なんだが、その宣言を実行に移す組織が必要かなと思ってるんだが。どんな組織がよいか、メンバーはどうやって集めるか、どんな権限与えるかなど細かいことはたくさん出てくるな」
「はい、実行のための組織ですね」
「三つ目はちょっと難しいんだが、役員とその改革成果をどう繋げるか、あるいはその下の本部長や全ての管理職なんだが、彼らの役割にどう落としていくかなのかな」
「うん、整理されてますね、おーさん、他にはありますか」
「そうだなー。さっき組織のこと、メンバーのことを言ったけど、全て私が実行に移すために常に前面には立つが、本当に施策を推し進めるトップは誰がよいか鍵なのかな。誰でもよいというわけにはいかない気がするんだよな」
「まだ、でてきますか?」
「後は細かいことになるかもな。うん」  
と言って、大谷社長は、しばらく考えている時間を欲しているようであった。

「ちょっとボード使いますね」
俺は大谷社長が言ったことをホワイトボードに書いてみた。
一.宣言、言葉、メッセージ
二.組織、メンバー
三.役員や管理職の役割、成果 
四.リーダーは?
と書いて、
「おーさん、こんな感じですか?まだ何か足りない感じですか?」
「うん、付け足す言葉がまだ出てきそうだな」
しばらく手を組んだり、腕組みして考えこみながら、
「なんか浮かびそうだけどな。いくつか、ちょっと待ってな」
そのあと、しばらくノートにメモを取りながら、大谷社長は少しそのノートをしっかりと見ていた。少し前を向かれたタイミングで、俺は大谷社長へ
「では、何か足りない言葉とか浮かんだことを書いていきますか?それとも何か別の方法でもいいですが?」
「うん、書いてもらっていい?そうだな、ビジョンと、ビジョンの共有」
さっきとったノートのメモを見ながら大谷社長は続けた。
「目標値」
「改革のメリット、社員へのメリット」
「基盤となるオープンなコミュニケーション」
「データによる理解、納得感」
「自分事化」
少し、大谷社長もホワイトボードを見ながら何か言葉を振り絞ろうとしていた。
「村田さん、仕組み、仕組み化、それに仕掛けだね。社員に共有しても社員がついてこなきゃ意味がない。その日はわかっても、理解したようでも、研修と一緒で席に戻ったらいつもの風景となるのは宜しくない。熱い状態にしておかないといけないね」
「何か、おーさんに熱いものが降ってきたように感じました。どうですか?」
「『みんなが、お互いを尊重して自由に意見を言いあい、新しい事業と企業風土を生み出している』というゴールに対して、みんながやらされ感なく進んでいく仕組みだな。仕掛けだな・・・うん、どうつくるかなあ」

 大谷社長は、ホワイトボードを見ながら大きくうなずいていた。もう、この段階で、社長自身の頭の中で、何か作戦が閃いていたのかもしれない。この後の時間は、大谷社長も、じーっとホワイトボードを凝視したかと思うと、ノートに書き出すという繰り返しが過ぎて行った

「おーさん、ゴールに対しての仕組化、仕掛けをいかにしていくかについて考えていらっしゃいましたが、開始から三十分ほど経ちましたが、残りの時間どうしましょう。仕組化を話しますか?何をやっていくか優先順位を決めますか?それとも一つ優先したいことからスタートしますか?」
「社員に共有する機会、メッセージをしっかり届ける機会から、私が社員に表現するところはスタートするが、その前段階の準備を深堀していいかな」
「優先していくものはなんですか?」
「誰と一緒にやるかだな?リーダーとなる、私とのパートナーが決まれば、そいつと一緒に作戦を描いていきたい」
「ゴールに向けて一緒に伴走するパートナーのイメージはありますか?」
「ああ。今までなら、役員層、あるいは本部長層を考えていたが、違うなと思ったよ。さっき考えていて・・・多様性が必要かと思ってたんだよ。ただし、一人だけだとプレッシャーがかかるから、30代一名、40代一名、50代一名。さらに、私が60代だな。うん、4人体制にしよう。私がリーダーではなく一人にメンバーとして入ることがポイントだな」
「おーさん、声に張りがでて、わくわく感が伝わってきましたが、どうですか?」
「ああ、村田さん、わくわくしてきたよ。チーム名も考えなきゃな。何がいいかなあ」
楽しそうに、まるで子どもの笑顔を連想させるくらいにニコニコして、大谷社長は考えていた。
「元気が出るのがいいなー、未来プロジェクト、架け橋プロジェクト、新しき風とか…さっきノートに書いていたんだ」
「伴走するパートナー、おーさん以外の三名はいつまでに決めますか?」
「そうだね、3週間、いや2週間以内に決めたいところだね。2月中旬までに決まれば、来期にギリギリ間に合うかな。そうしよう。早速、人事と話すよ」

 急転直下の動きだった。
「おーさん、もう本日行動ですね。さすがです!では、コーチングの最後に一言なにかございますか?」
「そうだね。今日は本当にありがとう。村田さんとのコーチングは合いそうだなあ。お願いすることとなってもいいかな?」
「はい、おーさん、こちらこそです。お力になれれば幸いです。では、いったんコーチングは終わりにしますね」
「ちょっと、社内ごとを急ぐので、コーチングの件はまた連絡するよ。もう一つ、お願いが浮かんだんだが・・・いいかな」
「ええ、なんでしょう?」
「いや、村田さんたちは、組織風土改革の先輩だから我々に月に一度、一時間でも意見交換、アドバイスしてもらえる時間をもらえたらいいかなと思ったんですが。もちろん、研修費として支払いもするから。コンサルよりも、実際、現場でやっている活動を、みんなになにか届けてもらったほうが実感があるかなと思って」
「そんな研修費だなんて、上司にいったん報告いたします。どんな形がよいかなど相談しておきますね。我々も素人なんで・・・」
「村田さん、いやいや、またメンバー決めて揃ってからなんで、四月以降からなにかそんな機会があれば助かりますので。今日は本当にお世話になったね。ホワイトボードは写真とらなきゃ」
と言って、大谷社長は、先ほど書いたボードをスマートフォンで何回も撮影していた。おそらく光の反射などで、ボードの文字がとれていないのだろう。
「撮れた。うん、写っているよ、村田さん、では今後の件と、個人的なコーチングの件、よろしくお願いします」

 大谷社長は帰っていった。来た時の雰囲気からは大きく変わっていたので、一緒についてきて、一階の受付で待っていた秘書の方もなにか驚いている感じを受けているようだった。

 これをきっかけに、4月のオンラインミーティングの後、正式に、大谷商事と定期的な意見交換ミーティングの場をもつこととなった。また、大谷商事には、新しい組織風土改革チームも社長直轄でできたようで、「シン・オオタニ」という組織名で、人事関係の方一名と、組織風土改革に関心をもっていた二名でやることとなったと聞いていた。

 結果、我々、組織風土改革推進委員会としても、他社に他流試合をすることで、「自分たちは何が足りないのか」「自分たちの活動は、ほかの会社からどう見られているのか」「どんなことが参考になるのか」など様々な視点で気づくことがあることが、最初の4月のオンラインミーティングの意見交換で気づくこととなった。後で振り返れば、こういうことが、一人ひとりの自信にもつながっていったように思える。

 また、このオンラインミーティングの時、上司となった加藤さんが、大谷社長や先方の人事の古賀さんと何かしら接点があるのかなと感じることがあった。仕事の取引があったのかなとこの時は思ったくらいであった。実際、この件は、後でわかることであったが。


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