小さな卵の、これから
~事故のあと、食品会社は何を届けるべきか~
プロローグ
2024年2月26日、福岡県の小学校において、学校給食中に悲しい事故が起きてしまった。7歳の男児が、味噌おでんに入っていたうずらの卵を喉に詰まらせ、尊い命が失われた。
その知らせが会社に届いたとき、誰もすぐには言葉を出せなかった。
業界への影響を考えるより前に、商品への不安を考えるより前に、ひとりの子どもの命が、学校の給食時間に失われたという事実が、重く、静かに、社内の空気を止めた。
翌日以降、報道が続いた。
国や自治体、学校現場では、学校給食中の事故を防ぐための注意喚起や確認が進められた。各地の学校給食センターや学校でも、うずら卵の使用を見合わせる動きが広がっていった。
保護者からは、不安の声が届いた。
それは当然のことだった。
子どもを持つ親にとって、学校給食は安心して任せたい場所である。学校で出される食べ物が、子どもの命に関わるかもしれない。その不安を、簡単な言葉で片づけることはできなかった。
ニュースやSNSの中では、「危険性」という言葉が繰り返されるようになった。
うずら卵を作る側にとって、その言葉は重かった。けれど、まず受け止めなければならないのは、事故への悲しみであり、保護者や学校現場の不安だった。
何が原因だったのかを、単純に言い切ることはできない。
ただ、ひとつだけ確かなことがあった。
同じことを、二度と起こしてはいけない。
そのために、自分たちは何ができるのか。
その問いが、会社の中に残った。
一方で、時間が経つにつれて、別の現実も少しずつ見えてきた。
国産うずら卵の産業は、事故の前からすでに厳しい状況に置かれていた。
飼料価格の高騰が、農家の経営を直撃していた。ウクライナ危機による穀物相場の上昇と、円安の進行が重なり、輸入飼料のコストは急激に膨らんだ。価格転嫁も容易ではない中、経営の余力は削られ続けていた。
後継者不足も深刻だった。日本の農業全体が抱える課題ではあるが、うずらのような畜産業はとりわけ厳しい。生き物を育てる仕事は、一日も休むことができない。盆も正月も、台風の日も、うずらの世話は続く。その現実が、若い世代の参入を遠ざけてきた。
輸入品との価格競争も続いていた。かつて全国に数百軒あった養鶉農家は年々減り続け、事故が起きた時点で30軒にも満たなかった。うずら卵を育てる農家は、愛知県豊橋市を中心とした東海地方に集中していた。
そのうずら卵にとって、学校給食は大きな需要先だった。
日本の学校給食は、世界にほとんど例を見ない独自の教育制度として発展してきた。文部科学省の方針のもと、地産地消と食育を柱とし、その土地で育った食材を、その旬の時期に、子どもたちに届ける。どこで誰が育てたのか、どんな栄養があるのか、どう料理するのか——食べることを通じて日本の食文化を学ぶ、教育の一環として学校給食は定着してきた。
その理念の中で、国産品は欠かせない存在だった。国内の農家が育てた食材は、産地と生産者の顔が見える食材でもあった。
タンパク質、鉄分などのミネラル、ビタミンB群——小さな卵に詰まった栄養素を、全国の栄養教諭たちは長年評価してきた。地元の農家が育てた国産うずら卵は、学校給食の献立の中で、子どもたちに親しまれてきた食材だった。
けれど、事故のあと、その食材は学校給食の現場から遠ざかっていった。
学校や自治体が慎重になるのは当然だった。保護者の不安も、現場の判断も、軽く扱うことはできない。
それでも、学校給食からうずら卵が消えていくことは、産地とメーカーに大きな影響を与えた。生産農家の経営はさらに厳しくなり、このまま需要が戻らなければ、廃業が相次ぐ可能性もあった。国産うずら卵という食文化そのものが、少しずつ失われていくかもしれない。
命への哀悼と、安全への責任。
そして、食材を支えてきた人たちの現実。
その二つを、どちらか一方だけで語ることはできなかった。
うずら卵の加工品製造において、国内最大手の食品メーカーがある。
名古屋に本社を置き、愛知県に工場を持ち、全国7つの営業所を含む12拠点で、国産うずら卵と真摯に向き合い、全国に製品を届けてきた会社だ。
その会社は、事故のあと、一つの選択をした。
商品を届けるだけでは、もはや足りない。
安全です、と言うだけでも足りない。
栄養があります、と伝えるだけでも、まだ足りない。
子どもたちが、食べ物を安全に食べるために、何を知っていればいいのか。丸くて、つるんとした食べ物を、どう噛み、どう飲み込めばいいのか。学校現場や保護者の不安に、どう向き合えばいいのか。
そこまで届けて、初めて、本当に届けたことになる。
全国の小学校を回り、食育の出前授業を行う。よく噛んで食べることの大切さを、一校一校、伝えていく。
うずら卵と共に、食べ方を届ける会社へ。
これは、事故のあと、食品会社が何を届けるべきかを問い続けた人たちの物語である。
第1章「教室」
村川あおいは、体育館の袖に立っていた。
壇上には、工場の品質管理責任者である速水が立っている。50代の、体格のいい男だ。うずら卵の原料の主産地、豊橋の小学校で食育授業を何度もこなしてきた。声は意外なほど穏やかで、子どもたちの前に立つと自然に柔らかくなる。マイクを握る手に、迷いがない。
100人ほどの一年生が、いっせいに顔を上げた。5月の朝の光が、体育館の高窓から差し込んでいた。

あおいは袖からその光景を見ながら、手元のチェックシートに目を落とした。今日のあおいの役割は、裏方だった。
ただ、一つだけ、ずっと気になっていることがあった。
今日のプログラムには、豊橋でやってきた授業とは違う、一つの重要な要素が加わっていた。誤嚥事故を防ぐ——よく噛んで食べることの大切さを、子どもたちに伝えるパートだ。
それが、うまく届くかどうか。
子どもたちに。そして、担任の先生や栄養教諭に。
あおいの関心は、そこだけにあった。
授業が進むにつれ、子どもたちの顔が変わっていった。
そして、「よく噛んで食べよう」のスライドが出た。
速水の声のトーンが、少し変わった。
「みなさんに、一つ大事なことを覚えてほしいんです。まるくて、つるんとした食べ物は、よくかんで食べよう。」
「うずらの卵はね、まるいでしょう。つるつるでしょう。こういう形のものは、急いで食べると、喉にひっかかることがあるんです。」
「何回かんで食べたらいいか、わかる人?」
「10回!」「20回!」「100回!」
思い思いの声が上がる。あおいは息を詰めていた。
「30回、かんでみましょうか。一緒にやってみよう」
空咀嚼の練習が始まった。100人の子どもたちが、口をもぐもぐさせる。担任の先生も、一緒にもぐもぐしていた。
あおいは、その光景を見て、ようやく息を吐いた。
伝わっている。
怖がらせていない。嫌いにさせていない。それでも、ちゃんと真剣に聞いている。
狙い通りだ、よかった、と思った。
授業が終わり、チームは校門の前で解散した。
あおいは一人、そこに残った。
運動場は静かだった。授業中なのだろう、校舎の窓からは何も聞こえない。さっきまであんなに笑い声を上げていた子どもたちが、今頃は教室で別の世界にいる。
あの子たちは、今日の授業の内容を覚えくれただろうか。
かみかみマスターになる、と言っていた子がいた。あの子は今日のことを、家に帰ってお母さんに話すだろうか。学校だけでなく、家庭でも、よく噛んで食べてほしい。食育は、教室の中だけでは完結しない。子どもが家に持ち帰ってこそ、本物になる。
あの子たちには、今日の授業がきっかけになって、安全に食べることを覚えてほしい。
それだけだ、とあおいは思った。
今日は、その始まりにすぎない。来週は北海道、その次はどこか——全国の教室に、このメッセージを届けていく。うずら卵を食べることへの不安を、正しい知識と食べ方で、一つずつ解いていく。それがこれからの自分の仕事だと、今日初めて、はっきりと確信した。
社用車に乗り込んで、シートベルトをする。
エンジンをかけながら、あおいは思う。
この仕事が、少しずつ好きになってきている。
理由はわかっている。子どもたちの顔だ。クイズに全力で手を挙げ、はく製を恐る恐る触り、着ぐるみに歓声を上げる、あの無邪気な姿。その子たちが、安全に、安心して食べられるように守る仕事だから。教室に立つたびに、それを思い出す。
うずら卵を届けるだけでは、足りない。食べ方まで届けてこそ、本当に届けたことになる。そのことが、今日の授業を終えて、静かに、でも確かに、胸の中に根を張り始めていた。
第2章「コピー」
村川あおいが転職したのは、40歳の春だった。最初の授業を終えて名古屋へ戻る新幹線の中で、あおいはふとその頃のことを思い出していた。
前の職場は東京の出版社だった。中堅どころの、専門書と実用書を主に扱う会社だ。編集者として12年、働いた。結婚して、子どもが生まれて、時短勤務を続けながら、それでも仕事は手放せなかった。
辞めたのは夫の転勤がきっかけだった。名古屋への異動が決まったとき、あおいは迷わなかった。迷う間もなかった、というほうが正確かもしれない。子どもはまだ幼く、夫の収入だけで暮らせる計算は立った。だから辞めた。正しい選択だと思っていた。今も思っている。
ただ、東京を離れる新幹線の中で、あおいは窓の外をずっと見ていた。12年かけて積み上げてきたものが、座席の後ろに置き去りになっていくような気がして、振り返ることができなかった。
名古屋での三年間、子育てだけをした。嫌いではなかった。ただ、何かが少しずつ薄くなっていくような感覚が、ずっとあった。
子どもが小学校に上がった春、就職サイトで求人を見た。食品会社の一般事務職。正社員。特に興味はなかったが、通勤時間が短かった。それだけの理由で応募した。
一般事務として採用されて半年が過ぎた頃、上司に呼ばれた。
「村川さん、総合職に変わってみる気はないですか」
営業本部長の伊沢は、50代の穏やかな男だった。あおいより10歳ほど年上で、いつも少し困ったような顔をしている人だった。
「私が、ですか」
「うん。あなたのメモの取り方を見てたんですが、思考の整理の仕方が、うちの他の社員とちょっと違う」
褒め言葉なのか判断しかねて、あおいは黙っていた。
「編集者だったんでしょう。言葉の扱い方が、全然違う、素晴らしい。」
その一言で、あおいは少し背筋が伸びた。
総合職への転換から一年後、社長直轄のプロジェクトにアサインされた。会社のブランディングを一から作り直す、というものだった。プロジェクトリーダーは、あおいだった。
ブランディングの対象は、業務用うずら卵販売事業だった。
この会社は、業務用のうずら卵加工品において国内トップのシェアを持っている。缶詰、レトルト、成形容器、常温、チルド——様々な形態と温度帯で全国の食品メーカー、外食チェーン、ホテル、事業所給食、学校給食に商品を届けている。かつてライバル会社の製造子会社だった茨城のうずら卵メーカーをグループに迎え入れ、供給体制はさらに盤石になっていた。
ただ、それだけの規模を持ちながら、会社としての顔が見えにくかった。
社長が目指したのは、「うずら卵のことなら、まずこの会社に相談する」と思ってもらえる存在になることだった。商品を売るだけでなく、うずら卵のコンシェルジュとして、お客様の食の課題を一緒に解決できる会社へ。缶詰やレトルトの製造技術を持つメーカーとして、うずら卵にとどまらず、食の未来を共に育てていける会社へ。
そのために必要なのは、社員一人ひとりが理念を持って動くことだ、と社長は言った。ブランドブックを作る。理念と哲学を共有する。それがプロジェクトの出発点だった。
プロジェクトが始まってすぐ、あおいはうずら卵のことを一から調べた。
栄養素、生産地、流通、消費動向。業界の歴史。競合他社との違い。給食への供給量。産地である愛知県豊橋市と、三河の農家たちとの関係。
調べれば調べるほど、この小さな卵のことが好きになっていた。
同じ100グラムで比べれば、鉄分は茹でほうれん草の約三倍、ビタミンB2は鶏卵の約四倍。1個わずか9グラムの中に、それだけのものが詰まっている。給食の栄養士たちが長年この卵を選び続けてきた理由が、数字を見るだけでわかった。
農家を訪ねたのは、夏の終わりだった。
豊橋の養鶉農家は、広い鶉舎の中で何万羽ものうずらを育てていた。小さな鳥が立てる羽音と、卵が転がる音が、低く重なって聞こえた。

農家の主人は60代で、無口な人だったが、卵を一つ手に取って「見てみなさい」と言った。
模様が、一羽一羽違う。
「同じ鳥が産む卵は、ほぼ同じ模様になるんです。でもケージに何羽も一緒に入ってるから、どの子の卵かは普通わからない。気づける人はまずいない」
鶉舎の奥まで、小さな羽音が続いていた。
「それでも、ちゃんと違う。一羽ずつ、自分だけの柄を持ってる」
あおいは、その言葉をメモした。
コピーを書いたのは、プロジェクト開始から八ヶ月が過ぎた、11月の夜だった。
オフィスには誰もいなかった。画面には、完成間近のウェブサイトのデザインが映し出されていた。あとはトップページのキャッチコピーだけが、空白のままだった。
何十案も書いた。全部、違った。
うずら卵の栄養を伝えるコピー。産地の誇りを伝えるコピー。給食との縁を伝えるコピー。どれも正しかったが、どれも足りなかった。
あおいは椅子の背にもたれて、天井を見た。
農家の主人の声が、ふと甦った。
それでも、ちゃんと違う。一羽ずつ、自分だけの柄を持ってる。
小さい。でも、詰まっている。見た目より、はるかに多くのものが。
指が動いた。
小さな卵の、大きな力。
画面に打ち込んで、声に出して読んだ。
これだ、とは思わなかった。ただ、これしかない、と思った。
その夜、あおいは初めて、この仕事が好きだと思った。編集者だったころの感覚に、似ていた。言葉が、ものの本質に触れた瞬間の、あの静かな手応え。
翌年の春、uzura.comが公開された。
社長からメールが来た。「よくやってくれた」という、短いねぎらいの言葉だった。
その夏、会社は創業100周年を迎えた。あおいは記念事業のプロジェクトメンバーにも選出された。その秋の決算期には、会社は過去最高益を記録した。
うずら卵の、これからが始まる。
あおいはそう思っていた。
2024年の2月まで、そう信じていた。
第3章「2月26日」
その日の午前中、村川あおいは営業部のデスクで受発注の確認をしていた。
2024年2月26日、月曜日。
窓の外は青く晴れていた。名古屋の2月にしては風が強く、空は雲一つなかった。暖房の効いたオフィスの中だけが、妙に静かで穏やかだった。画面にはExcelのシートが開かれていて、あおいは数字を一列ずつ目で追っていた。
隣の席の後輩が、スマートフォンを見ながら小さく声を上げたのは、13時を少し過ぎた頃だった。
「村川さん」
振り向くと、後輩の顔色が変わっていた。
「福岡で、うずらの卵で……子どもが」
あおいはその先を聞く前に、自分のスマートフォンを手に取った。ニュースアプリを開く。
画面に、速報のテロップが流れていた。

読んだ。
もう一度、読んだ。
七歳。一年生。給食。うずらの卵。窒息。意識不明。
言葉が、頭の中で意味を結ぶまでに、少し時間がかかった。その後、男の子が亡くなったことを、夕方のニュースで知った。
午後になると、電話が鳴り始めた。
取引先からだった。最初の一本は、関東の食品卸の担当者で、声のトーンが低かった。今後の取り扱いについて社内で検討が必要になるかもしれない、という内容だった。
あおいは電話を受けながら、メモを取り続けた。
二本目、三本目と続いた。内容はどれも似ていた。学校給食向けの納品を当面見合わせたい。保護者からの問い合わせが来ている。教育委員会から連絡があった。
オフィスの空気が、午前中とは変わっていた。誰も大きな声を出さなかった。電話の声だけが、低く続いた。
あおいは受話器を置くたびに、画面に向かった。ニュースの続報が、次々と更新されていた。事故の詳細。文部科学省の動き。各地の教育委員会のコメント。
見出しの中に、「うずら卵」という文字が繰り返し現れた。
その文字を見るたびに、あおいの中で何かが、静かに軋んだ。
社長から全社メールが届いたのは、夕方だった。
文面は短かった。事故で亡くなられた児童とご家族に対して、深くお悔やみ申し上げます、という一文から始まり、現時点で把握している状況の共有、そして今後の対応については改めて連絡する、という内容だった。
あおいはそのメールを、三回読んだ。
深くお悔やみ申し上げます。
事実の前で、その言葉はどこまでも小さかった。あおいは画面から目を離して、窓の外を見た。名古屋の夜が始まっていた。オフィスのガラスに、自分の顔が映っていた。

7歳の男の子が、学校給食の時間に亡くなった。その事実が、まず胸に来た。純粋な悲しみとして。見知らぬ子どもの死が、こんなにも重いとは思っていなかった。
ただ、その悲しみの上に、じわりと別のものが重なってきた。自分たちのこれからへの不安だった。その二つが混ざり合って、どちらがどちらかわからなくなっていく。あおいはそれを、どうすることもできなかった。
帰り際、エレベーターで製造部の先輩と乗り合わせた。50代の、寡黙な男だった。
二人とも、何も言わなかった。
エレベーターが一階に着いて、扉が開いた。先輩が先に降りながら、独り言のように言った。
「丸くて、小さくて、つるつるしたものは、何でも気をつけないといけないんだろうな」
あおいは応えなかった。
先輩も、応えを求めていなかった。
ただ、その言葉は胸に残った。丸い。小さい。滑りやすい。そういう形の食べ物には、確かに注意が必要なのだろう。低学年の子どもたちにとって、食べることは大人が思うほど簡単な行為ではないのかもしれない。
けれど、それで何かが軽くなるわけではなかった。
事故が起きたこと。命が失われたこと。保護者や学校現場が不安になること。そのすべてを、メーカー側の理屈で説明してしまってはいけない。
あおいはそう思いながら、夜の駐車場を歩いた。
空は晴れていた。2月の星が、冷たく光っていた。
それから一ヶ月の間に、状況は変わった。
学校給食からうずら卵を外す動きが、西日本を中心に広がった。取引先からのキャンセルが続いた。学校や給食現場からは、不安や確認の連絡が増えた。営業の数字は、はっきりと落ちていった。
その影響は、オフィスの中だけにとどまらなかった。
国産うずら卵を生産する農家は、全国でもう30軒に満たない。飼料の高騰、後継者不足、輸入品との競合——事故が起きる前から、産業としての土台はすでに揺らいでいた。そこへ、学校給食での使用見合わせが重なった。大きな需要先を失えば、農家の経営は立ちゆかなくなる。廃業が相次げば、国産うずら卵そのものが消えてしまうかもしれない。
あおいはその現実を、数字として知っていた。ブランディングプロジェクトで農家を訪ね歩いた日々が、頭の中に甦った。鶉舎の羽音。農家の主人の、無口な横顔。あの人たちの卵が、市場から消えていく。
でも、その危機を語る前に、考えなければならないことがあった。
どうすれば、同じ事故を防げるのか。
子どもたちに、どう伝えればよいのか。
保護者や栄養士の不安に、どう向き合えばよいのか。
うずら卵を、どう従来よりも安全に食べてもらうか。
事故の再発をなくすために、最も大事なことはそこだと思っていた。消費を戻すことより先に、それを考えなければ、何も始まらない。
ただその考えを、会議の場でうまく言葉にできないまま、日々が過ぎた。
社長室に呼ばれたのは、3月の終わりだった。
第4章「使命」
社長室のソファは、いつも少し沈みすぎる。
村川あおいは背筋を伸ばして座り、社長の言葉を待った。3月の終わりだった。窓の外には名古屋の空が広がっていて、春の光が柔らかく差し込んでいた。
事故から一ヶ月の間、現場の営業社員たちからも声が上がっていた。取引先を回るたびに、給食現場の栄養士たちと話すたびに、同じ思いにぶつかる。うずら卵を排除することが答えではない。どう安全に食べてもらうか、それを伝える人間が必要だ——そういう声が、全国の営業所から本社へ届いていた。
食育に力を入れることは、大手食品メーカーも取り組んでいることだった。食べることの大切さを伝える。食と農業と加工の現場をつなぐ。それは企業の社会的使命でもある。うずら卵の国内最大手として、その使命から逃げるわけにはいかなかった。
あおい一人が考えていたことではなかった。社内外に、同じ方向を見ている人間がいた。社長も、その一人だとあおいは感じていた。会議の場で発言するたびに、社長の目がわずかに動く。言葉にはしないが、同じことを考えている——そういう確信が、じわりと積み重なっていた。だから、呼ばれることは予感していた。
「村川さんに、お願いしたいことがある」
社長の言葉は短かった。
「全国の小学校を回ってほしい。食育の出前授業として。うずら卵を安全に食べるための授業を、子どもたちに届けてほしい」
あおいは一瞬で、言葉の意味を整理した。
全国の小学校を回る。会社を代表して、子どもたちの前に立つ。事故の後、この会社が何をするかを、世の中に示す仕事だ。その重さが、じわりと体に染みてきた。
「やります」
迷わなかった、と言えば嘘になる。ただ、迷う理由を探す前に、体が先に答えを出していた。
準備に二ヶ月かかった。
ただ、最初から順調だったわけではない。
社内では「今は守りに徹すべきだ」という声も少なくなかった。
売上が落ちているこの時期に、直接利益を生まない食育活動に人と時間をかけるのか。営業現場からは「まず取引先への対応が先だ」という意見も出た。
あおいはその都度、言葉を尽くした。
消費を戻すことより先に、安全な食べ方を届けることが必要だ。そうでなければ、需要が戻ったとしても、本当の安心にはつながらない。うずら卵を守りたいなら、まずうずら卵を安全に食べる方法を届けなければならない。
反論するたびに、自分の中での確信が深まっていった。
速水が豊橋でやってきた授業を土台にした。
うずらの生態、卵の栄養素——その骨格は生かす。はく製やぬいぐるみを使った実物教育を加え、子どもたちの興味をひく。——そこに、全く新しい最も重要なパートを加えなければならなかった。
よく噛んで食べること。
まるくて、つるんとした食べ物は、急いで食べると危ない。その事実を、低学年の子どもたちに怖がらせず、でも真剣に受け取ってもらう。うずら卵を好きになってもらう前に、まず、安全に食べる力を伝えなければならない。
ただ怖がらせるだけでは、食べることそのものが遠ざかってしまう。けれど、楽しいだけでは、事故を防ぐ学びにはならない。その二つの間にある言葉を、あおいは何週間もかけて考えた。
編集者だった経験が、ここで生きた。
読み手を想定して書く。相手が何を知っていて、何を知らないかを考える。難しいことを、簡単な言葉で、でも安っぽくならないように伝える。あおいはかつて本でやっていたことを、今度はスライドと話し言葉でやった。
スライドの原稿を書き、栄養教諭に監修を依頼し、修正して、また直した。クイズの問題を考えた。子どもたちが飽きないための仕掛けを入れた。殻むき体験のオペレーションを決めた。
教材も揃えた。つがいのうずらのはく製と、原寸大のニワトリのぬいぐるみ。スライドの写真だけでは伝わらない、本物の大きさと感触を、子どもたちに手で確かめてもらうためだ。実物を手に取ることで、うずらという生き物が子どもたちの記憶に残る——そう考えた。
授業の最後に何かインパクトが欲しい、と思ったのは、準備が半分ほど進んだ頃だった。
豊橋市が市内のうずら事業を応援するために誕生させたマスコットキャラクター(着ぐるみ)で、子どもに大人気のクーちゃんを借りられないか。
担当部署に連絡を入れると、快く貸してもらえることになった。ただ、スケジュールが重なることもある。いずれは自前で用意することも考えなければ、と頭の隅に置いた。
5月、最初の訪問校が決まった。
中国地方のある小学校だった。
前日の夜、あおいはホテルの部屋でスライドを見直した。
何度も確認したはずの内容なのに、画面を見ると手を入れたくなる。この言葉は一年生に伝わるか。この順番でいいか。時間は収まるか。
11時を過ぎた頃、ようやく画面を閉じた。
窓の外に、知らない街の光が広がっていた。
明日、教室に入る。
その事実が、今になって重くなってきた。子どもたちは何も知らない。栄養教諭は、この授業が生まれた背景を知っている。あおいは、全部知っている。その非対称の中で、あおいは話し続けなければならない。
スマートフォンに、夫からメッセージが入っていた。「明日うまくいくといいね」という短い言葉だった。
あおいは返信を打ちながら、そうだな、と思った。うまくいく、というのがどういう状態なのか、まだわからなかった。ただ、行くしかなかった。
翌朝、学校に着いたのは八時半だった。
校門の前に、すでに三人が待っていた。広島営業所のメンバーだった。あおいより若い二人と、所長の三人が、資材の入った段ボールを抱えて立っていた。
「お疲れ様です。昨日のうちに届いてました」と所長が言った。
「ありがとうございます。助かりました」
間もなく、工場からも速水が合流した。名古屋から朝一番の新幹線だったという。五人が、校門の前に集まった。

あおいはその顔を見渡して、少し胸が緩んだ。
この二ヶ月、授業の設計も、スライドの原稿も、栄養教諭への交渉も、ほぼあおい一人で抱えてきた。うまくいくかどうか、誰にも保証できなかった。でも今日、ここには五人がいる。同じ使命を帯びて、それぞれの場所から集まってきた。
一人ではなかった。
担当の栄養教諭が出迎えてくれた。40代の、てきぱきした女性だった。六人で打ち合わせをしながら体育館の設営を確認し、机の配置を調整し、殻むき体験用の卵の数を数えた。チームで動くと、準備が早かった。
「子どもたち、楽しみにしてたみたいです」と栄養教諭が言った。
「うずらの卵、好きな子多いので」
あおいは頷いた。その言葉が、少し体に染みた。
栄養教諭は続けた。
「タンパク質もあるし、鉄分などのミネラルやビタミンB群も含まれている。小さくても、給食の食材として大事にしてきた理由があるんです。だからこそ、また安心して使えるようになってほしい。子どもたちのためにも」
その言葉を、あおいは手帳に書き留めたいと思った。書き留めなかったが、忘れないと思った。
好きな子が、多い。使いたい栄養士がいる。
だからこそ、まず安全に食べる方法を届けなければならない。
授業は、速水が進めた。
あおいは袖から見守った。スライドの切り替えだけを担当しながら、子どもたちの顔を見続けた。速水の声が体育館によく通った。つがいのうずらのはく製が取り出されると、子どもたちが身を乗り出した。原寸大のニワトリのぬいぐるみと並べると、その大きさの違いに歓声が上がった。クイズで全員が手を挙げた。

殻むき体験では、小さな指がまだら模様の殻と格闘した。つるりと剥けた瞬間、「できた!」という声が上がる。その快感が、子どもたちの顔をほころばせた。
速水はそこで言った。「つるっと剥けたね。でも、そのつるつるが、急いで食べると喉にひっかかることがあるんだよ」と。剥きたての卵を手に持ちながら。子どもたちが真剣な顔になった。楽しさの中に、安全の学びが自然に滑り込んでいた。
そして「よく噛んで食べよう」のスライドが出た瞬間、あおいは息を詰めた。速水の声のトーンが変わった。子どもたちが、静かに聞いた。担任の先生も、一緒にもぐもぐしていた。
伝わっている。
あおいは、ようやく息を吐いた。
そしてクライマックス。
「最後に、お友達を呼んでいいですか」
袖からクーちゃんが登場した瞬間、体育館が揺れた。歓声と笑い声が、天井まで届いた。
子どもたちが立ち上がり、駆け寄ろうとして先生に止められ、それでも手を伸ばした。
あおいは袖から、その光景を見ていた。
隣に速水が立っていた。その隣に、広島営業所の若手社員が一人いた。所長はもう一人の若手社員をクーちゃんとして送り出し、反対側の袖でその動きをサポートしていた。
100人の子どもが、一斉に笑っている。
速水が、小さな声で言った。
「来てよかった」
それだけだった。でも、その声のトーンで全てがわかった。あおいは頷いた。言葉はいらなかった。
営業所の若手社員が、目を細めて子どもたちを見ていた。事前に学校の許可を得て、子どもたちの顔が映らないアングルからビデオに収めていた。社内資料にするためだ。
この子たちの笑顔が、全員をここに連れてきた。そしてこの笑顔が、全員をまた動かすだろう。
授業が終わると、子どもたちがクーちゃんを囲んだ。
記念撮影だった。クラスごとに並んで、クーちゃんの両脇に子どもたちが集まる。笑顔が、弾けた。シャッターを押すたびに、「もう一回!」という声が上がった。あおいはその列を整理しながら、一人ひとりの顔を見た。
記念撮影が終わると、クーちゃんの中から若手社員が出てきた。着ぐるみを脱ぐと、シャツが汗でびっしょりだった。顔も真っ赤だった。5月とはいえ、着ぐるみの中は信じられないほど暑い。それでも彼は、汗を拭きながら、ぽつりと言った。
「やって、よかった。でも、まだ始まりですね」
あおいは、その言葉を聞いた。感動、という言葉とは少し違った。もっと静かで、もっと重いものだった。子どもたちが笑ってくれたから終わりではない。笑ってくれたからこそ、この授業を続けなければならない。自分が感じていたことも、たぶん同じだった。
その後、栄養教諭に招かれて、チーム全員が給食をごちそうになった。
その日のメニューは、うずら卵をふんだんに使った中華スープだった。子どもたちと同じ食卓を囲んで、同じスープを飲んだ。うずらの卵が、白く丸く、スープの中に浮かんでいた。

誰も何も言わなかった。
ただ、みんなが黙って、スープを飲んだ。
あおいは、その卵を口に入れた。よく噛んだ。30回、噛んだ。
温かかった。
帰りの新幹線の中で、報告書の下書きをした。次の訪問校への連絡事項を整理した。改善点をメモした。クーちゃんのスケジュール調整が難しくなってきた。自前の着ぐるみを作ることを、本格的に検討しなければならない。
もう一つ、頭の中にあることがあった。
今日のチームは五人だった。全国7営業所を含む12拠点の全員が、この問題に向き合っている。あおい一人が全国を飛び回っても、届く学校には限りがある。各拠点に、この授業を任せられる人間を育てなければ、本当の意味での出前授業の全国展開にはできない。
社内講習会を開く必要がある。スピーカーを育てる。それがあおいの次の仕事だと、今日の授業を終えて確信した。
名古屋が近づいてきた頃、あおいは窓の外を見た。
夕暮れの東海道を、新幹線が走っていた。
今日の子どもたちの笑い声は、本物だった。
それだけで、続けられると思った。この仕事を、続けなければならないとも思った。
第5章「小さな力」
最初に出張授業を届けた小学校に、あおいが二度目に訪れたのは、初回の訪問から一年が経った秋だった。
今年も対象は一年生だった。あの日と同じ体育館に、新しい一年生が集まっていた。
ただ、体育館の入り口付近に、去年の子どもたちの姿があった。二年生になった彼らが、廊下からこちらを覗いていた。担任の先生が止めようとしたが、栄養教諭が「少しだけ」と笑って許してくれた。
準備をしていると、二年生の女の子が声を上げた。
「あ、去年来た人だ!」
別の子が続いた。「うずらのおねえさんだ!」
そしてひとりが、袖に置かれた段ボール箱を指さして言った。
「去年と、なんか違う!」
あおいは思わず笑った。よく気がついた、と思った。
今年の箱の中には、クーちゃんではなく、うず太郎が入っていた。
あおいの隣には、今日初めてスピーカーを務める後輩の女性社員が立っていた。東京営業所の、20代の社員だった。この一年で、あおいが社内で開いた講習会を三回受け、各地の訪問に同行し、今日ようやく自分でマイクを握る日を迎えていた。
「緊張してます」と後輩が小声で言った。
「大丈夫」とあおいは答えた。「子どもたちが助けてくれるから」
この一年で、多くのことが変わった。
社内講習会は年に四回開いた。各拠点から集まった営業スタッフ、工場のメンバー。のべ30人近くが受講し、それぞれの地域で授業を担えるようになっていた。
訪問校の数も、様子が変わってきた。
最初は会社側から学校へ働きかけていた。ところが半年を過ぎた頃から、逆の流れが生まれ始めた。「かみかみマスターの授業」の評判を聞きつけた学校から、問い合わせが来るようになった。一件、二件と増え、多い月には同じ月に二度、三度の依頼が重なるようになった。あおい一人では到底回れない数だった。各拠点にスピーカーを育てておいて、よかったと思った。
うず太郎も、生まれた。
豊橋市のクーちゃんを借り続けることに限界を感じたあおいが、会社に予算を申請した。うずらの卵をモチーフにした、黄色い丸い着ぐるみ。名前を社内で募集したところ、うず太郎という案が選ばれた。初めて着ぐるみが授業に登場した日、子どもたちの反応は想像以上だった。
そのうず太郎に、来年、弟ができる予定だった。少し体の小さい弟だ。全国の教室で、兄弟並んで子どもたちの前に立てる日が、もうそこまで来ていた。
全国7営業所を含む12拠点の全員が、それぞれの場所でこの問題と向き合い続けた。キャンセルの電話を受けながら、取引先との関係を丁寧につなぎ直しながら、それでも前を向いた。
あおいは、その全員の顔を知っていた。
後輩がマイクを握った。
「みなさん、こんにちは」
声が少し上ずっていた。でも、子どもたちはそんなことを気にしなかった。100人の目が、一斉に前を向いた。
あおいは後輩の斜め後ろに立ち、スライドのクリッカーを握った。今日の自分の役割はサポートだった。前に出るのは後輩だ。
授業が進んだ。栄養の話、かむことの大切さ。後輩の声が、少しずつ落ち着いてきた。子どもたちが手を挙げ、クイズに答え、笑った。殻むき体験では、小さな指がまだら模様の殻と格闘した。
夢中で殻をむこうとする一年生たちを見ながら、あおいはふと去年のことを思った。二年生になった去年の子どもたちは、今頃どこかの教室で別の授業を受けているだろう。かみかみマスターになると言っていたあの子は、今も覚えているだろうか。
そしてクライマックス。
「最後に、お友達を呼んでいいですか」
袖からうず太郎が登場した瞬間、体育館が揺れた。

新しい一年生の歓声が天井まで届いた。そして廊下から覗いていた二年生たちが、「あ、違う!」「去年と違うやつだ!」と口々に言いながら、それでも同じように目を輝かせた。
授業が終わり、後輩が深呼吸をした。
「終わった……」
「よかったよ」とあおいは言った。「子どもたちの顔、見てた?」
「見てました」後輩は少し笑った。「途中から、緊張してるの忘れてました」
あおいは頷いた。そうなる、と思っていた。子どもたちの顔を見れば、そうなる。それはあおい自身が、最初の授業で経験したことだった。
片付けをしていると、一人の男の子が近づいてきた。二年生だろう。小柄で、眼鏡をかけていた。
「あの」と男の子は言った。
「なに?」
「うずらって、たまご、いっこずつちがうんですか」
あおいは手を止めた。
「そうだよ。殻の柄を見れば、どのお母さんが産んだたまごか、わかるんだよ」
男の子は少し考えてから、言った。
「じゃあ、ぼくが食べたたまごも、だれかのお母さんのたまごなんだ」
あおいは、その言葉を聞いた瞬間、何かが胸の奥で静かに動いた。
「そう。誰かのお母さんのたまごなんだよ」
男の子は満足そうに頷いて、走って友達のところへ戻っていった。
あおいはその背中を見送りながら、しばらく動けなかった。
帰りの新幹線の中で、あおいは窓の外を見ていた。
瀬戸内の海が、遠くに光っていた。秋の光の中で、穏やかに、静かに。
だれかのお母さんのたまごなんだ。
さっきの男の子の言葉が、頭の中で繰り返された。
うずらを育てた農家の人がいる。卵を集めて、加工して、届けた人たちがいる。学校給食の献立を考えた栄養士がいる。調理した人がいる。そして、食べた子どもがいた。
一つの小さな卵に、たくさんの人の時間と仕事が詰まっている。
それは、二年前にあおいが書いたコピーと、同じことだった。
小さな卵の、大きな力。
その言葉が今も本当だと、あおいは思っている。
事故があった。学校現場の不安があった。保護者の心配があった。給食から外す判断もあった。取引先からのキャンセルもあった。
それでも、小さな卵の中に詰まっているものは、変わらなかった。
変わらなければならなかったのは、届ける側だった。
この仕事が好きかどうか、と問われたら、今は答えられる。
好きだ、とは少し違う。
でも、自分がやらなければならない仕事だと、思っている。それは義務ではなく、もっと静かな、確信に近いものだった。
窓の外で、海が遠ざかっていった。
次の訪問校は来週、今度は仙台だ。後輩は別の学校へ、一人で向かう。
あおいは手帳を開いた。11月、12月と、予定が続いていた。
小さな卵が、全国の教室へ届いていく。
それでも、まだ途中だ。
あおいは手帳を閉じて、また窓の外を見た。新幹線は東へ走り続けていた。
終章「届けるものが変わった日」
小さな卵が、全国の教室へ届いていく。
それでも、まだ途中だ。
あおいはその言葉を、何度も胸の中で繰り返していた。うずら卵そのものが、急に別の食べ物になったわけではない。小さくて、丸くて、白くて、つるんとしている。タンパク質があり、鉄分などのミネラルやビタミンB群も含まれている。子どもたちの学校給食を支えてきた。農家の人が育て、工場の人が加工し、営業の人が届け、栄養教諭が献立に組み込んできた。
その事実は、何も変わっていない。
けれど、事故のあと、変わらなければならないものがあった。
届け方だった。
商品を届けるだけでは、もう足りない。安全です、と説明するだけでも足りない。栄養があります、と伝えるだけでも、まだ足りない。
どう食べるのか。どう噛むのか。どんな形の食べ物に気をつけるのか。子どもたちが、自分の口で、自分の身体を守るために、何を知っていればいいのか。
そこまで届けて、初めて、本当に届けたことになる。
あおいは、そう思うようになっていた。
最初に「小さな卵の、大きな力。」というコピーを書いたとき、あおいはうずら卵の中に詰まった栄養や、農家の仕事や、産地の誇りを見ていた。小さな卵の奥にある、見えない価値を言葉にしたつもりだった。
けれど今は、その言葉の意味が少し違って見える。
小さな卵の力は、栄養だけではなかった。売上でも、シェアでも、ブランドでもなかった。
一つの卵が、会社のあり方を変えた。営業所を動かし、工場を動かし、学校を動かし、栄養教諭と会社をつなぎ直した。そして何より、働く人たちに問いを突きつけた。
私たちは、何を売っているのか。
最初の授業は、怖かった。
子どもたちにどう伝わるのか。怖がらせてしまわないか。嫌いにさせてしまわないか。それでも、真剣に聞いてもらえるのか。
体育館の袖で、あおいは息を詰めて見ていた。
子どもたちは笑った。手を挙げた。殻をむいた。うずらのはく製に驚いた。着ぐるみに歓声を上げた。そして、もぐもぐと口を動かした。
ただそれだけの光景に、あおいは救われた。
伝えることはできる。怖がらせずに、でも軽く扱わずに。楽しい記憶の中に、安全の知識を残すことはできる。
その日から、会社の仕事は少し変わった。
誰か一人の熱意を、会社の仕組みに変えるための時間が始まった。
ブランドとは、コピーのことではない。
あおいは、今ならそう言える。
コピーは、入口にすぎない。本当に問われるのは、その言葉の通りに会社が動けるかどうかだ。
「小さな卵の、大きな力。」
その言葉を掲げるなら、小さな卵に関わる人たちを守らなければならない。農家を。工場を。学校を。栄養教諭を。そして、食べる子どもたちを。
そのすべてをつなぐ行動がなければ、言葉はただの飾りになる。
豊橋の農家から、営業所に短い電話が入ったことがあった。
「授業、続けてくれているそうですね」
それだけの言葉だった。
感謝とも、期待とも、祈りともつかない声だった。
あおいは、その声を聞いて思った。
教室に届けているのは、子どもたちへの知識だけではない。作る人たちの時間を、未来へつなぐことでもあるのだ、と。
事故のあと、会社が選んだのは、逃げないことだった。
言い訳をするのではなく、現場へ行く。安全性を主張するだけではなく、安全な食べ方を伝える。需要を戻すためだけではなく、子どもたちが安心して食べられる未来を作る。
それは、すぐに数字になる仕事ではなかった。
一校ずつ。一時間ずつ。一人ずつ。
効率だけで考えれば、遠回りだったかもしれない。けれど、信頼はいつも、遠回りの中でしか戻らない。
あおいは、そう思う。
新幹線の窓の外を、光が流れていく。
手帳には、次の訪問校の予定が並んでいる。仙台。大阪。金沢。福岡。そして、まだ名前の書かれていない空白のページ。
そのどこかで、また子どもたちが手を挙げる。誰かが殻をむく。誰かが、30回噛む。誰かが家に帰って、今日の授業の話をする。
「まるくて、つるんとしたものは、よく噛むんだよ」
その一言が、食卓に届く。
それだけでいい。いや、たぶん、それがいちばん大きい。
小さな卵のこれからは、まだ決まっていない。国産うずら卵の未来も、学校給食の未来も、簡単に安心できるものではない。
けれど、少なくとも今、届ける人たちがいる。作る人たちがいる。伝える人たちがいる。受け取ってくれる子どもたちがいる。
あおいは手帳を閉じた。
商品を届ける会社から、食べ方まで届ける会社へ。
その変化は、大きな宣言とともに始まったわけではない。一つの教室から始まった。100人の子どもたちの、もぐもぐと動く口元から始まった。
小さな卵は、今日もどこかへ運ばれていく。
その先に、誰かの食卓がある。誰かの学校給食がある。誰かの「おいしい」がある。
そして、その隣に、もう一つの言葉がある。
よく噛んで、食べよう。
あおいは窓の外を見た。新幹線は、次の街へ向かっていた。
まだ途中だ。
けれど、たしかに進んでいる。
-完-
小さな卵 三部作
学校給食から姿を消したうずら卵。
その後を追った三つの物語です。
新しい届け方をつくる物語
子どもたちへ届ける物語
食卓へ戻す物語
うずら卵の未来は、
誰かひとりが変えるものではなく、
多くの人の小さな選択の積み重ねでできている。
