71歳のじいじ、温水プールで監視員に平謝り。孫娘たちが教えた「枠からはみ出す」快感
「安全第一」という檻の中で、71歳の私と孫たちは、静かな反乱を企てていました。
私は二人の孫娘を連れて、中学校の温水プールへ向かいます。
自転車の荷台には水筒と荷物。
小学4年生と2年生になった彼女たちが、まるで踊るように、きゃっきゃと笑いながら走ってついてきます。
信号待ちして後ろを振り向くと、「じいじ、じいじ!」
誰憚らず 大きな声で叫んでいます。
こちらに向かって手を差し上げて、2人とも 元気いっぱいです。
あの道中の弾むようなおしゃべりは、今も私の耳の奥に心地よく残っています。
しかし、一歩プールに足を踏み入れれば、そこは「安全第一」という規律の世界です。
コースを真っ直ぐ泳ぐ、追い越さない、潜りすぎない。
もちろん、安全が大切なのは重々分かっています。
私も監視員に負けないくらい、目を光らせて彼女たちを見守っているのです。
けれど、彼女たちは天衣無縫な「人魚」です。
クロールや平泳ぎといった「正しい泳ぎ」よりも、彼女たちは遊びに夢中です。
水中でくるくると体をねじったり、2回転させたりします。
「じいじ、鬼になって! 私たちを追いかけてきてね」
孫娘にそうせがまれれば、私は彼女たちにメロメロなので、「よしきた」と安請け合いして、どこまでも追いかけていきます。
そうしているうちに、監視員が駆け寄ってきたりします。
「だめだよ、水の中で回転しちゃ!」
「潜りっぱなしは危ないよ!」
監視員に注意されるたびに、私は「ごめんなさい」と頭をかき、平謝りします。
「ねえねえみんな、監視員さんこっちを見てるよ!」
彼女たちは視線のスキを見ては、相変わらずのお転婆を繰り返します。
けれど、心のどこかでは、彼女たちの姿を眩しく、誇らしく思っていました。
誰に教わったわけでもない、自分たちだけの遊び。
人がやらない動き、決められた型からはみ出していくその奔放さ。
それは、大人が作った窮屈なルールの中で、彼女たちが本能的に守り抜こうとしている「生命の自由」そのものに見えます。
「危ない」と「楽しい」の境界線で、私はいつしか見張り役であることを忘れ、彼女たちと同じように水と戯れる一人のシニアになっていました。
四泳法を行儀よく泳ぐことよりも、水の中で笑い転げて戯れる。
真っ直ぐ進むことよりも、人魚のように自由に舞う。
かつて私も、周囲の声ではなく、自分の内なる叫びに従って生きてきた一人でした。
だからこそ、型にはまらない彼女たちの動きの中に、何よりも尊い「自分らしさ」を見出してしまうのです。
プールの消毒液の匂いと、弾ける水音。
厳格な監視の目の中で、私たちは確かに、世界で一番自由な魚になっていたのでした。
【魂の三部作】
人生というタペストリーを編み込んだ、三つの物語。
ついに全編が揃いました。どうぞ、続けてご賞味ください。
(2026年5月5日 火曜日 晴れ)
