テニス上達メモ535.「誰にでも、最後の一球はやってくる」──モンフィスが教えてくれた「今を打つ」
ガエル・モンフィスが、来季での引退を表明。でも「最後の一球」は、プロだけに訪れるものではありません。私たちも、明日テニスができる保証はない。だからこそ、今を打つ。モンフィスは迷わず跳び、私たちは思い止まる。焦らず、比べず、今を生きるためのテニス論。
▶誰にでも、「最後の一球」はやってくる
ガエル・モンフィスが、来季での引退を表明していますね。
「一戦一戦を最後の試合」と思って、残りの現役生活をプレーするそうです。
とはいえ何も、活躍したプロが引退するときばかりが、「最後」なのではありません。
私たちだって、いつ、どこで、テニス人生が終わるかは、誰にも分からない。
地震、台風、ケガ、病気、戦争、テニス仲間の喪失……。
環境による不可抗力ばかりではないでしょう。
突然「やる気」を失う内面的な変化(関連記事「『足りない』のではなく、『焦りすぎていた』だけ」)。
誰にとっても、「今日が最後」のテニスになる可能性は、いつだってあるのです(関連記事「今日が生涯最後のテニス」)。
▶終わりを知ると、やさしくなれる
東日本大震災を機に、結婚や離婚を考えた人が多かったといいます。
それは、死を覚悟した場合に、人生を考え直すきっかけになったからではないでしょうか。
しかし考えてみれば、私たちは「いつだってそう」なのですよね。
そのような境遇になる可能性がある。
死なないまでも、テニスができなくなるきっかけくらいは、いくらでもあると思います。
▶今日が「最後のテニス」かもしれない。だからこそ、ていねいに
だったら毎回、「今日が最後のテニス」と思ってプレーするのも「現実的」なはずです。
逆に「いつまでも元気でテニスができる!」などとというほうが、「非現実的」。
そんなことを言う人がいたら、大嘘つきですよ。
だって私たちが死ぬ確率は「100パーセント」なのですから。
「未来は誰にも分からない」とはいえ、これだけは、絶対的に分かっているのです。
▶「限られた時間」が、人を本気にする
実際過去には、ノバク・ジョコビッチやアナ・イワノビッチは、空爆によりテニスが自由にできる環境を奪われました。
戦火がひどければ、歴史に残るチャンピオンたちが、生まれなかった可能性さえあったのです(関連記事「イバノビッチの例」)。
最後となる引退試合に東レPPOを選んだ土居美咲は、こう振り返ります。
本当に今日が最後かもしれないと思いながらも、自分の中ではどうやったら勝てるかというのを結構本気で狙っていたので、そういう気持ちがあったからこそ勝てたのかなと思います。
▶「また次」があると思うと、人は鈍る
だから、目の前の人ともこれが最期と思って会うのが、「一期一会」なのですね。
振り返れば、何気なくバイバイした人とも、「あぁ、あれが最期だったかな」という顔は、誰しも何人か思い浮かぶのではないでしょうか?
それが、親だったり、級友だったり、恋人だったり、自分の子どもだったりする人も、中にはいらっしゃるかもしれません。
そう思うと、いつもなら適当に聞き流していた相手の話も、集中して聴くことができるかもしれません。
伊達公子さんは、「試合に『もう一球』はない」といって、「ラストボール」に心身を研ぎ澄ませました。
▶明日が来ないかもしれない。だから「今」を打つ
一期一会で集中する。
「これからもずっと」から、「今」へと、範囲が一気に狭められる著効がある(関連記事「『今日も仕事か……』。それでも『死にたくなる』のなら」)。
まさに、「全体」を見るのではなく「一点」を見るボールの見方と同じですね。
背景の中でボールが動くのではなく、中心視野にとどめたボールの背後で、背景が流れる新しいボールの見方。
「新しい」というのは、今までやってきた普通の見方だと、ボールのほうが動く見方が、一般的だからです(関連記事「『新・ボールの見方~怖れのメガネを外して、ありのままに見る技術~』」)。
▶モンフィスは、迷わず跳んだ。私たちは、思い止まる
ところで、アクロバティックなプレーで楽しませてくれたガエル・モンフィス。
彼が、「ジャンプするときはヒザを曲げて、腕を振り上げる勢いを使って……」などと、果たして意識しながらプレーしていると思いますか?
そんなことすると、反応が遅くなるのは明らかです。
反応が遅くなると、勢いが弱まって、遠く高くへ跳べないから、ダイナミックなプレーではなくなるのです。
でも今はまだ、多くの一般プレーヤーが、「テイクバックは上から引く」とか、「壁を作ってトロフィーポーズ」とか、「体重移動で後ろから前へ」とか、意識しても「動きの妨げにならない」と、なぜか思っているのです。
思考は行動よりも何倍も速いから、それができると思い込む。
それを「机上の空論」というのです。
▶まわりは待ってくれている。焦っているのは、自分だけ
たとえば、人に見られながら作業すると、自分がモタモタしているように「思う」。
それは、思考のスピードに行動が追いつかないからです。
だけど、それは当然。
なのにモタモタしているように「思う」から、行動を焦って、ミスするのです。
急かされてもいないのに、転がったボールを駆け足でセカセカと取りに行って、サービスのポジションに入ろうとするプレーヤーが該当(関連記事「早足になる?」)。
自分だけが「待たせること」を気にしていて、みんなは全然に気にしていません。
「眠れる森の美女」よろしく、自分のペースで、ゆっくりやれば、いいのです。(関連記事「眠れる森の美女、マフチフの堂々たるマイペースぶり」)。
▶正義に縛られ、自由を忘れる
「ジャンプするときはヒザを曲げて、腕を振り上げる勢いを使って……」
現場でたたき上げてきたプロたちは、そんな身体動作なんて、意識していません。
ただ、現役を引退して後進の指導に就くにあたって「これぞアカデミック!」とばかりに理論武装するから、おかしくなるのです(関連記事「ドロップショットの打ち方、アルカラスに聞いてみたら?」)。
そんなことをするから、せっかく指導者になっても、「名選手名監督に、あらず」になってしまう(関連記事「『テキトーに打てば入る』──それがプロのリアル」)。
▶人はいつも、「これが最後」と知らずに別れている
いつ、どこで、何が起こるか、未来は本当に、誰にも分かりません。
私(テニスゼロ)だって、いつか最後は来る。
それは明日かもしれないし、今日かもしれない。
だから、スティーブ・ジョブスは言いました。
「もし今日が人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることを私は本当にしたいだろうか?」(関連記事「スティーブ・ジョブズが残した2つのメッセージ」)。
こういうと、「そうはいっても将来のことあるし……」などと不安になるのが、好奇心ではなく恐怖心(関連記事「人生=実験場──ノーベル賞から学ぶ『好奇心でテニスを変えるヒント』」)。
▶『イクサガミ』主演・岡田准一が語った「最後の覚悟」
「日本のバトルロワイヤル時代劇」と評される『イクサガミ』の主人公・嵯峨愁二郎を演じる岡田准一さんは、「これが最後という思い」で取り組んだといいます。
そして繰り返しになりまずか、考えてみればそれは、つねに言えること。
だったら、「これが最後かも」という思いは、つねに「今・ここ・この瞬間」でよいはずです。
▶だからこそ、今、目の前の人に集中する
話が逸れましたが、アクロバティックなモンフィスのプレーは、果たして意識的だったのでしょうか?
ここに、『テニス上達のヒント』があります。
そして「今日が最後のテニス」と思ってプレーする「一期一会」。
ここに、集中のヒントがあります。
即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
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テニスゼロ代表
吉田無型(よしだ・むけい)
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スポーツ教育にはびこる「フォーム指導」のあり方を是正し、「イメージ」と「集中力」を以ってドラマチックな上達を図る情報提供。従来のウェブ版を改め、最新の研究成果を大幅に加筆した「note版アップデートエディション」です 。https://twitter.com/tenniszero