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第153話 「普通に生きる」って、誰が決めた基準なのか

教員として働く中でうつ病を経験し、休職・入院・リワークを経て回復の途中にいます。
このnoteでは、うまくいかない日も含めた闘病の記録と、自己肯定感について綴っています。
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「普通に生きたい」と、思っていました。

普通に働いて、
普通に人と関わって、
普通に毎日を過ごしたい。

でも、うつ病になってから、
その「普通」ができなくなりました。

朝、普通に起きられない。
普通に仕事に行けない。
普通に人と話せない。

「普通」からどんどん遠ざかっていく自分を、
責め続けていました。

でもあるとき、ふと思いました。

「普通」って、誰が決めたんだろう。

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「普通」という言葉


「普通」を辞書で調べてみました。

特に変わったところがなく、ごくありふれているさま、または一般的で通常であること(名詞・形容動詞)を指します。広く世間に通用する状態や、平均的・標準的な様子を表す際によく使われる表現です。

Google AIより

変わったところがない。
ありふれている。
平均的・標準的。

そんな生き方ができたら、
すごくいいわけではないけれど、
今の生活水準は保たれる。

そんな生活も悪くはないなと思っていました。

でも、
「普通に生きる」という言葉には、
何か見えないプレッシャーがある。

普通に働く。
普通に結婚する。
普通に子どもを持つ。
普通に老いていく。

この「普通」からはみ出ると、
家族や親戚、
友達や時には職場の人にまで、
説明を求められます。

「なぜ働いていないの?」
「なぜ結婚しないの?」
「結婚しているのに子どもはいないの?」

「普通」は、基準であると同時に、
そこからはみ出た人を裁くものさし
なっている気がします。

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「普通」は、誰かが作ったもの?


「普通」は、たぶん、
最初からあったものではありません。

時代によっても変わるし、
国や文化によって違います。

私が生まれた頃の「普通の生き方」と、
今の「普通の生き方」も、
かなり違っているはずです。

携帯がガラパゴスからスマートフォンになった。
アルバムの写真が鮮明になった。
AIを日常的に使うようになった。
ものの値段も上がってきた。

また、別の国に旅行に行けば、
日本での「普通」は通用しないことが
たくさんあります。

つまり「普通」は、
その時の時代や社会が作り出した
「多数派のルール」なんだと思います。

多数派のルールが、
少数派の人を「普通じゃない」と呼ぶ。

それが「普通」という言葉の正体。

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うつ病になって見えた「普通」の暴力性


うつになってから、
「普通」という言葉にとても敏感になりました。

「普通はそのくらいできる」
「普通に考えたらわかる」
「普通の人はそんなことで休まない」

これらの言葉は、
「あなたは普通ではない」と
宣告されたようなものです。

普通ではない=おかしい、という思惑が
その言葉の裏に隠れています。

では、
動けなくなった私は
「おかしかった」のでしょうか。

壊れるまで頑張った私は
「普通ではなかった」のでしょうか。

そうだと言う人もいるかもしれない。
でも、私は違うと言いたい。

ただ、限界を超えていただけ。

「普通」という基準に合わせようとして、
心や体を壊してしまった人間を、
さらに「普通ではない」と裁く社会。

この構造こそが、
問い直されるべきだと思います。

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「普通」から遠いところにあったもの


うつ病の療養中、
「普通」から完全にかけ離れた生活を送りました。

昼まで寝ている日。
何日も誰とも話さない日。
一日中、布団の中で天井を見ていた日。

とても「普通」とは言えない日々。

でも、その「普通ではない」時間の中で、
「普通」に生きていたときに見えなかったものが、
たくさん見えてきました。

それは、自分の本音。
自分が本当に大切にしたいもの。
人の優しさ。
生きていることが、当たり前じゃないこと。

「普通」から遠いところにも、
心が豊かになるものがありました。

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あなたに問いたいこと


「普通に生きたい」という気持ちは、
自然な気持ちだと思いますし、
間違ってもいないと思います。

でも一度だけ、問いかけてみてください。

あなたが思い描く「普通の生き方」は、
本当にあなたが望む生き方ですか。


それとも、いつの間にか
「こうあるべき」として受け取ってしまった
誰かの生き方ですか。

「普通」に戻ろうとすることが、
あなたを再び壊す道になっていませんか。



私なりの考えですが、
「普通」は、きっと存在しません。

人の数だけ、普通がある。
人の数だけ、生き方や考え方がある。
人の数だけ、正義がある。

だからこそ、
あなたの「普通」は、
あなたが決めていいんです。

朝すぐに起きられなくても、
ゆっくりとでもいいから
ベッドから起きられたのなら、
それがあなたの普通かもしれません。

人より休みが必要でも、
心や体を休めることで
また少し動けたのであれば、
それがあなたの普通かもしれません。

人生の回り道をしていても、
「急がば回れ」と言うように、
次につながる何かになっていれば、
それがあなたの普通かもしれません。

「普通に生きる」とは、
社会の基準に合わせることではなく、
自分の基準で、自分らしく生きること。

私は、そう思います。

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おわりに


今、「普通」という言葉に
苦しめられていませんか。

普通にできない自分を、
責めていませんか。

その「普通」は、
誰かが決めたもので、
あなたが決めたものではありません。

自分の「普通」は、
自分で決めていいんです。

私にとって、
「普通」という言葉から解き放たれて、
自由に考えられるようになった日が、
本当の意味で自分の人生が始まった日でした。

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