【島小#09】海が「よし」と言わなきゃ学校も始まらない!?──“海まかせ”で始まる二学期/離島の小学校編09
離島の学校に勤めるということは、時に「海の気まぐれ」と付き合うということでもあります。 2002年9月、夏休みが終わろうとしていたある日、私はそのことを身をもって実感することになりました。 二学期を迎える前日の出来事――それは、「船が出ない」というたった一つの理由で、あっさりと計画が覆される一日でした。
前回までの話👇
離島で勤務することとなった1教師の奮闘記です。 今から約20年以上前の2002年(平成14年)9月初めのお話です。
※注:本文中の一部地名や固有名詞等は仮名(かめい)にしています。
赴任したのはこんな島です。👇👇
【目次挿入】
1.船は来ず、時間だけが過ぎていった“夏の終わり”
夏休み最後の日。翌日の始業式に備えて昼の第2便の船で島へ渡るつもりで、家を出ました。 今週は西日本をぐるりと回った台風の影響で、どんよりした空が続いています。この日も朝から雨が降ったりやんだり。 「台風はもう日本海に抜けたし、まさか欠航なんてことはないだろう」と、まだどこか楽観的にハンドルを握っていました。
港まではおよそ1時間。少し早めに着いてみると、肝心の船がいません。 「昼の便は今ごろ着くはずだが…」と首をひねりながら駐車場へ車を入れると、見覚えのある車がありました。乗っていたのはお隣の中学校の先生です。
話を聞くと、朝の便に乗ろうと来たものの、1便も2便も欠航になってしまったとのこと。「3便を待ってみるつもりだ」と言います。 私はいったん自宅に戻ることにしました。その先生が「3便が出るかどうか、携帯で知らせる」と言ってくれたのです。
自宅に戻っても,家族に事の次第を話すくらいの時間はありませんでした。しばらくして荷物をまとめ、「さあもう一度出発だ」と玄関を出ようとした瞬間、携帯が鳴りました。 無情にも、3便も欠航です。連絡をくれた中学校の先生は「おみやげができたから帰る」と言い残して帰路についたとのことでした。(この中学校の先生は自宅が私よりも遠く港まで片道2時間かかります。)
さて、私はどうするべきか。校長先生に電話を入れました。 校長先生はすでに、翌日の始業式を10時半からに変更する旨を子どもたちの家庭へ連絡してくれていました。そして、「ひょっとしたら島からパチンコか何かで本土に来ている人がいるかもしれない。漁船を探してみる」と言います。
この「パチンコで本土に来ている人がいるかもしれない」という一言が、いかにも島らしいところです。 私も「できれば今日中に渡っておきたい」と校長先生に伝え、一緒に漁船を探すことにしました。もっとも、連絡船が止まるほどの海です。漁船が出たとしても、潮をかぶるのは覚悟しなければなりませんし、事故が起きても何の補償もありません。
それでも、まずは港へ行ってみることにしました。 17時ごろ、港で校長先生と待ち合わせると、すでに校長先生は来ていました。しかし、結論は「島の漁船はない」。あえなく作戦は失敗です。
港には私たちと同じように足止めされた人たちが何人かいました。しかし、それ以上に人だかりができていました。 そして目に飛び込んできたのは――大きなイワシが次々と釣り上げられている光景。 なるほど、あの中学校の先生のおみやげとはこれだったのかと合点がいきました。海が荒れている関係で、この漁港にイワシも逃げ込んできたのでしょう。

結局この日は島に渡ることができず、港と自宅を何度も往復しただけで終わってしまいました。 「まあ、一応できるだけの努力はしたんだから。」と自分に言い聞かせながら、夏休み最後の日は“海の都合”に振り回されて暮れていきました。
2.満員の船と高い波の先に待っていた二学期初日
翌朝7時すぎ、再び家を出ました。今日こそ船が出てほしい――そう祈るような気持ちで少し早めに港へ向かいます。 見慣れた連絡船の姿を見つけて、ようやく胸をなで下ろしました。
昨日は丸一日欠航だったため、島へ渡れなかったのは先生たちだけではありません。 この日の船は、先生方はもちろん、島に渡ろうとする多くの人々で満員でした。 まだかなり波も高く,その波に揺られながらも、なんとか無事に島へ到着。宿舎に寄って荷物を下ろし、ネクタイを締めて学校へ向かいました。

やがて子どもたちの顔もそろい、二時間遅れながら体育館で始業式を行うことができました。 海が「よし」と言ってくれなければ学校も始まらない――島の学校ではそんなこともあるのです。
式を終えると、学校は一気に慌ただしさを取り戻しました。 二週間後には、保育所・小学校・中学校・町民が合同で行う大運動会が控えています。6年生の代表役を決める話し合いなどもしましたが、島での合同運動会は私にとっては初めての行事。子どもたちは勝手を知っていても、私はまだ手探りです。
この時代は始業式の日も給食なしの午前中で子どもたちは放課でした。(懐かしい,現在は始業式の日も普通に午後からも授業があるし,給食もあります。)しかし,午後は職員会議、行事計画の確認、山積みの文書整理と、次々に仕事が押し寄せます。 あっという間に時間が過ぎていき、「さあ、明日から授業だ」と気づいたときにはすっかり夕方になっていました。
おわりに──自然まかせの毎日が教えてくれること
本土ではまず考えられない「先生が始業式に行けない」という出来事も、島では“起こっても不思議ではない”現実です。 連絡船が止まれば、学校の予定も止まる――それが、海と共にある暮らしの一面なのです。
この日、港には足止めされた人々の姿があり、波の合間を縫ってイワシを釣る人たちの姿もありました。 漁船を探して走り回ったことも、電話一本で予定を組み直したことも、そして“海まかせ”の一日が終わったあとの静けさも、すべてが島で働く日々の一部です。
自然の機嫌ひとつで予定が変わるこの環境は、たしかに不便で、時に翻弄されます。 けれど、それもまたこの島で生き、子どもたちと共に学びを紡いでいく上で、避けては通れない大切な風景なのです。
離島の小学校編10へ続く👇👇
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