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水槽に海を呼び、漁船で海を越える──スクールバスは船だった【島小#16】/離島の小学校編 16

前回は、陸上記録会の前日準備に行こうとしたところで船が欠航し、私は島に足止めされました。それでも翌日の本番には無事に船が出て、子どもたちとともに海を渡り、なんとか大会に参加することができました。島では、準備も本番も、まず“船が動くかどうか”が前提になります。

 そんななか、次にやってきたのは、また“海とともに動き出す一週間”でした。玄関の水槽をよみがえらせるために海水を汲みに行き、さらにその週末には、三年に一度の“大きな運動会”に向けて漁船で本土へ――。

前回のお話👇

離島で勤務することとなった1教師の奮闘記です。 今から約20年以上前の2002年(平成14年)秋頃のお話です。
※注:本文中の一部地名や固有名詞等は仮名(かめい)にしています。

私が勤務していたのは,こんな島です。👇👇

【目次挿入】


1. 水槽が満ちるとき、学校もまた目を覚ます

 玄関に据えられた大きな水槽は、この島の学校の“顔”のような存在でした。伊勢エビやカニ、大きなサザエが子どもたちを出迎えるその光景は、赴任したばかりの私にとって「島の学校らしさ」を象徴するものでした。

 しかし、一学期の終わりに魚を追加した際、環境のバランスが崩れたのか、中にいた生き物が一度に死んでしまいました。それ以来、水槽は空のまま夏を越え、秋になっても動きがありませんでした。玄関を通るたび、「どこか学校全体が静まり返っているようだ」と感じる日もありました。

 そんな中、教育委員会の訪問や研究大会が近づき、「水槽を復活させよう」という話が職員室で持ち上がりました。ただ水を張るだけでは意味がありません。入れるのは“海の水”です。水槽にもう一度この島の海を呼び戻すところから、準備が始まりました。

 荷車にポリバケツを二つ積み、港まで十分ほど歩いて漁協へ向かいました。潮の匂いが近づくにつれ、水槽が再び動き出す実感がしだいに湧いてきます。漁協では、市場に出荷する漁船が忙しく動いていましたが、「学校の水槽に使います」と伝えると、海水をくみ上げるホースをポリバケツに差し込んでくださいました。揺れる海面がそのまま透明な容器に満ちていくようで、そこにはすでに“海”の気配がありました。

 帰り道、漁師をしている保護者の方から「またサザエ持ってきちゃるでな」と声をかけられました。水槽は単なる観賞用ではなく、地域の暮らしと学校をつなぐ“海の入り口”でもあったのだと、そのとき改めて感じました。

 空になっていたのは水槽だけではなかったのかもしれません。そこに海が戻るとき、玄関には再び潮の気配が漂い、この学校にもまた、この学校にも、小さな海の呼吸が戻りはじめたように思えました。

2.漁船で出発する朝、三年に一度の“海越え”運動会

 水槽に海水を満たした数日後、今度は私たちが海を越える番になりました。三年に一度だけ行われる「もう一つの運動会」。まさにワールドカップ並み。赴任している教師はほとんど3年間の任期ですから,参加は最初で最後です。島の小・中学校だけではなく、海を隔てた本土側の地域に所属する学校や、保育所、老人会、婦人会なども参加する、大規模な地域合同運動会です。島に暮らす全世代が一つのチームとなり、他地域と競技を通して交流する、いわば“海を挟んだ共同体の再確認”のような行事でもあります。

 会場となる中学校までは、島から漁船で海を渡ります。出発は朝七時半。いつもは連絡船で静かに出かける子どもたちも、この日は漁船のスピード感に胸を躍らせ、船首にちょこんと座って風を受けていました。船が波を切るたびに水しぶきが跳ね上がり、まるで映画『タイタニック』の一場面のような光景が広がります。「この瞬間こそ島の学校の運動会前」と、心の中で記録していました。

 桟橋に船をつけると、乗っていた人々が次々と本土側へ降りていきます。漁船はそのまま港内の一角に停められ、閉会式まで静かに待機していました。会場までは歩いて五分ほど。学校という枠を超え、「村ごと海を渡って来た」感覚が子どもたちの表情にもにじんでいました。


3.バトンは速さだけでなく、“地域のつながり”も渡していった

 この運動会が三年に一度行われる理由は、参加する学校や団体の規模にもあります。一つ一つの学校では人数が少なく、徒競走の成立すら難しい場合もあります。しかし、こうして海を越えて集まることで、一列に並ぶ子どもたちの人数が増え、競技としての熱気が生まれます。だるま運び、台風の目、団体リレー。競技名はどこにでもあるものですが、そこに至るプロセスには「渡海した先で一緒に走る」という特別感がありました。

 私は徒競走の担当を任されていたため、子どもたちの誘導を中心に動いていました。しかしこの運動会は、“職員も競技者”というルールも持っています。各種団体対抗リレーには、当然のように出場することとなり、第2走者を任されました。3位でバトンを受け取り、なんとか2位に順位を上げましたが、1位との差は縮まりきらず、息だけが最後まで戻ってこなかった記憶があります。

 競技数が多く、また保育所・中学生・婦人会・老人会など、世代ごとの競技や出番も重なるため、気づけば閉会式は16時を過ぎていました。秋晴れの空の下、汗と砂と海風を全身にまとった子どもたちの表情は、いつもの運動会よりも少しだけ、大人びて見えました。

 閉会後、再び漁船が並ぶ港へ戻り、帰りの船に乗り込むころには、島のチームに特有の一体感のようなものが自然と言葉の端々に生まれていました。


4.揺らぎながら進む、海に決められた歩幅で

 少し前、私は欠航によって記録会の前日準備へ行けず、島に取り残される経験をしました。波一つで予定が変わるという不安定さは、都会では想像しづらいかもしれません。しかしその数日後、私は子どもたちと海を渡り、今度は地域の人々とともに走りました。さらには、玄関の水槽にも海が戻り、生き物たちが再び揺らめき始めます。

 水槽に海を呼び込み、漁船で風を受け、海の向こうでバトンをつなぐ。離島の学校とは、止まることと動き出すことを、その都度“海”によって決められる場所です。しかし同時に、それは「海があるからこそ始まる行事」や「海を越えて広がる交流」を持つ学校でもあります。


学校という水槽には、島の海が満ちている

 空になっていた水槽が再び青く満たされるとき、それはただの装飾の復活ではなく、島の人々が「学校にも海があるべきだ」と思っている証でした。同じ週に漁船で本土へ向かった運動会も、日常の延長というより、「島だからこそ生まれる行事」でした。

 波に止められ、波に運ばれ、それでも子どもたちは走り、笑い、また次の行事へ向かいます。こうして学校は、海とともに呼吸を繰り返すのだと、水槽の中を泳ぎ始めた小さな魚たちを見ながら、私はそっと思いました。

第17話に続く・・・

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