【島ICT#05】ブロードバンドの影で──離島教師の小さな反撃/離島のデジタルデバイド編
前回、離島の教室に“電子黒板”が登場し、子どもたちの学びが新しいステージへと動き出した。 しかし、その直後、思いもよらぬ“通信の壁”が立ちはだかる。 インターネットが止まり、教室が再び「情報の孤島」と化した一週間。 今回は、その停滞と再起動の記録を振り返る。
前回の話👇
勤務した離島の当時のICT環境👇👇
離島の小学校で,一小学校教諭が当時の島のデジタルデバイドに挑戦しました。 今から約20年以上前の2002年(平成14年)4月からのお話です。
※注:本文中の一部地名や商品名等は仮名(かめい)にしています。
1. 静まり返った朝、消えたネットワーク
全町運動会が終わり、その代休を挟んで本土の自宅で束の間の休息を取った後、再び島へ戻った。 運動会当日は土曜日で、そもそも衛星インターネットの稼働時間外。 そして平日になったこの日も、朝からネットがつながらない。
いつもの8時15分を過ぎても、ブラウザの画面は白いまま。 しかも、いつもと表示のされ方が違う。 英語のメッセージが出て、接続先が見つからない旨を示している。 これは単なる一時的な遅れではない──そう直感した。
中学校の先生に確認すると、「どうやら中学校のサーバーが落ちているらしい」とのことだった。 つまり、島全体の学校ネットワークの“心臓部”が止まっていたのである。
この日は総合的な学習の時間に、子どもたちにインターネット上の資料を見せる予定だった。 だが、あっさりと計画は頓挫した。 携帯電話でメールの確認はできても、当時の通信速度ではウェブページを開くことは到底できない。 仮に可能だったとしても、電話料金が跳ね上がる。
離島のICT環境は、やはり厳しかった。
2. ブロードバンドの時代、届かない教室
業者が島に来られるのは次の週の中頃。 つまり、復旧まで一週間近く、島の学校はオフラインのままだという。
世間では「光ファイバー」「ADSL」「ブロードバンド」という言葉が飛び交っていた2002年。 だが、離島の現実はまるで別世界だった。 「電話回線を使ったインターネットさえ安定しない」──そんな現実を、教師として見過ごすわけにはいかなかった。
IT社会、情報化社会と呼ばれる時代に、 この島だけが取り残されていくような気がした。
文句を言っても、何も変わらない。 “たった一人の教師”にできることは限られている。 それでも、「実践を通して変えられることがあるはずだ」と、心の中で静かに火がついた。
3. 復旧の瞬間、そして突きつけられた現実
ようやく通信が復旧したのは、週が明けてからのことだった。 昼の船便でやってきた関係者らしき人が中学校の校舎に入っていったのを見かけた。 それから五分ほどして、いつも英語で止まっていたブラウザの表示がすっと切り替わり、ホームページが開いた。
「つながった!」 思わず声に出した瞬間、職員室の空気がふっと明るくなった。
ただ、その喜びは長くは続かなかった。 どんな作業で直ったのか、誰がどんな手順で対応したのか──詳細はわからない。 そして、通信の仕組みを自分たちではどうすることもできないもどかしさが残った。

そのとき、中学校の担当の先生から衝撃的な話を聞いた。 この衛星インターネットのシステム自体が、来年度いっぱいで運用を終了する予定だというのだ。 もともとこの仕組みは、テレビ会議システムに付随する“おまけ的”なインターネット接続であり、 接続時間や閲覧内容に厳しい制限があるうえ、ファイルやデータの送信はできない。 それでも、島にとっては貴重な「外の世界」とつながる手段だった。
その「細い一本の通信」が、いずれ途切れてしまう――。 そう思うと、復旧の喜びよりも先に、静かな焦りがこみ上げてきた。
この出来事をきっかけに、自分たちの足元でできることを考え直した。 教室の中で、できる範囲のICT環境を整えること。 授業を止めない工夫を重ねていくこと。 そうした日々の実践こそが、この島の“現実”を少しずつ変えていく力になる──そう感じたのだった。
4. 教室にパソコンを──“再生”から始まる整備計画
サーバーダウン騒動のあと、ようやく時間を取って進めたのが、教室へのパソコン設置だった。 夏休み中に前任校から譲り受けてきた中古パソコンのチェックを行い、5年生や1・2年生の教室に配置した。
譲り受けた中古パソコンの経緯👇
とはいえ、すぐに使える状態ではなかった。 動作確認にかなりの時間を取られ、ネットワークやインターネット設定までは手が回らない。 幸い、職員室から教室まではすでにLANケーブルを引いてある。 あとはハブを設置し、ケーブルを接続するだけの段階にまでこぎつけていた。
動作チェックでは、事前に「1台は画面が表示されない」と聞いていた通り、実際に電源は入るが映像が出ない。 起動音はするので、内部の動作はしているらしい。 モニタ部の故障と判断し、その1台は部品取りとして保管することにした。
限られた機器をどう再利用するか。 “ないなら、あるものでやる”──離島のICT整備は、まさに知恵と工夫の積み重ねだった。
5. できない理由より、できる方法を
サーバーが止まった週は、ただのトラブルではなかった。 それは「離島の教育をどう支えるか」を考えさせる、ひとつのきっかけになった。
通信が止まっても、教師が動けば環境は動く。 古いパソコンも、つなぎ方次第でまだ使える。 「できない理由」より、「どうすればできるか」を探す──それが、この島ICTプロジェクトの原点である。
(次回へ続く)
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