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研究か、実践か。大学院で迷いながら見えた景色 【研#02】/研修で出会う探究の風景

教員10年目を迎えた頃、私は西暦2000年前後の国立“新構想”大学院へ、現職のまま2年間の派遣として進学することになりました。
教員志望の学生と現職教員が同じキャンパスで学ぶ、当時としては珍しい大学院での学び。
その2年間の経験を、ここで少し振り返ってみたいと思います。

前回(第1回)の話👇


1 2000年問題の時代に、私は大学院の門をくぐった

和菓子プロジェクトの記事でも少し触れましたが、新任から十年ほど経った頃、私は二年間の大学院へ進むことになりました。
といっても教職を辞めたわけではありません。
現職のまま「長期研修」として派遣される形です。

大学院を修了してからの実践「和菓子プロジェクト」👇

当時は、学校長 → 市教委 → 県教委という手続きを踏み、市教委の推薦を受けて進学しました。
この流れは、現在の教職大学院への派遣と大きくは変わりません。
(※追記:気になって当時の様子を昔の記録で調べてみました。
夏休みには2日間にわたり,筆記と面接の入学試験を受けていました。
つまり推薦だけではダメだったってことですね。
さらに,入学金と授業料は自分で出す,つまり私費だったようです。

他県からの人は,研修費として出ていたようですが・・・。
現在の教職大学院についてはわかりません。)

実は学部生の頃、私は県外の 同じ“新構想の国立教育大学”の系列 にあたる教育大学で学んでいました。
「教員志望の学生」と「現職教員」がともに学ぶ、あの“新しい形の教員養成”を掲げていた大学です。

今回通うことになった大学院は、その同系列となる地元の国立教育大学でした。

その大学院には、教員志望の学生と、私のような現職教員(2年派遣)が同じ教室で学ぶ仕組みがありました。
「これから教員をめざす人」と「すでに現場に立っている人」が同じキャンパスでやり取りをする──いま思えば、非常に先進的な取り組みだったと思います。

県内の現職が多い中、他県から派遣されてきた先生方は特に優秀で、議論の切れ味も鋭く、大きな刺激を受けました。
「この2年間は本気で学ばないといけない」と感じたのもこの頃です。

進学を希望した理由は、勤務校で体育主任から情報視聴覚主任へと移り、県より大きなレベルの放送・視聴覚・情報教育研究大会で主任を務めた経験が根底にあります。
「情報教育をもっと深めたい」という思いがふくらんでいきました。

時代は2000年問題でコンピュータ業界が揺れていた頃。
その狭間で私は大学院の門をくぐり、そこで 総合的な学習の時間 に本格的に触れていくことになります。


2 理論と実践のはざまで──研究型大学院の厳しさ

大学院に進んだ当時、今のような「教職大学院」はまだ存在していませんでした。
私が入ったのは、完全に“研究型・学術型” の大学院です。
現在の教職大学院は、

  • 現場実習や授業改善を中心にする実践型

  • 修士論文を書かずに実践レポートで修了できる大学もある

  • 学位は「教職修士(専門職)」

という特徴があります。
一方、当時の大学院は、

  • 修士論文の提出が絶対条件(書かない=卒業不可)

  • 理論研究・学術性が重視

  • 学位は一般的な「修士(教育学)」

という、いわば“純研究型”でした。
特に私の所属したコースはアカデミックの厳しさで有名で、

  • 先行研究の徹底読解

  • 新しい概念には必ず定義を与える

  • 分析方法の根拠まで説明する

など、研究者レベルの要求が課されていました。
そのため、同じゼミの現職教員がよくこうこぼしていました。

「私たちは研究者になるわけじゃないのになあ。」

その気持ちは痛いほどわかりました。
私自身、研究としてまとめることに手応えやおもしろさを感じる瞬間もあったのですが、同時にこう思っていました。

「でも、自分は純粋な研究者には向かない。 やっぱり子どもたちと向き合う実践の中でこそ、学びが生きる。」

研究に没頭する面白さは確かにあったものの、 「自分の軸は現場だ」と気づかせてくれたのも、この“学術型”大学院での2年間でした。


3 “現場に生きる研究”を求めて選んだゼミ

大学院1年目は講義中心で、他コースの現職教員との交流も深まりました。
ゼミが決まったのは12月頃で、この時期に自分の研究室を確定させます。

私は情報教育を深めたいという思いから、メディア教育にも造詣が深い先生のゼミを選びました。
在籍中に助教授から教授へ昇進されたことも覚えています。

実は候補となる先生は他にもおられました。
いわゆる“コンピュータそのもの”を専門とする先生もいましたが、私が選んだ先生は現場をとても大切にされる方でした。
総合的な学習の時間の研究にも力を入れておられ、「現場に生きる研究をしたい」という自分の思いにぴったりでした。

一方で、心理・認知系など、学校の授業改善とはやや距離のある研究を扱うゼミもあり、同じコースの現職教員が、

「これ、現場では使わないよなあ……」

とつぶやく場面もありました。
この現場感とのズレも、大学院ならではの体験だったと思います。


4 発表会の嵐──教授陣の厳しい問いに鍛えられて

大学院の二年間を振り返ると、

「楽しかった。だけど、苦しかった。」

この表現がいちばんしっくりきます。
理由はもちろん 修士論文 の存在感です
テーマを立て、資料を集め、分析し、文章にまとめる── これはまさに「探究そのもの」でした。

しかし本当に苦しかったのは、

  • 構想発表会

  • 中間発表会

  • 最終発表会

に加え、

● データ整理と分析方法の“壁”

でした。当時の私は、

  • データの分類やコード化

  • どこまで数値化し、どこから質的に扱うか

  • その分析方法を選ぶ根拠

  • 有意差の読み取りの難しさ

  • 学術的手法と実践研究の折り合い

こういった部分に本当に苦労しました。

夜遅くまで分析表とにらめっこしながら「これでいいのか?」「別の方法があるのか?」と悩み続ける日々でした。
時には同じゼミ,同じコースの人たちに教えてもらいながらです。

さらに発表会では、教授陣から容赦ない質問が飛んできます。

  • 「その概念、あなたの言葉で定義できていますか?」

  • 「この分析方法を採用した理由は?」

  • 「有意差の解釈が甘いのでは?」

  • 「先行研究、全部押さえていますか?」

答えられなかったり、途中で詰まったり……。
けれど、その経験が確実に自分の力になったことは今でもはっきりわかります。


5 研究型だったからこそ得られた視点

制度としては“研究型大学院”でしたが、私はそこで現場の実践を材料にしながら、学術的に研究を組み立てる経験をしました。

これは現在の教職大学院がめざす「実践研究」に非常に近いものがありますが、そこに 学術的な厳しさ が加わっていた分、得るものの深さは大きかったと感じています。

制度は違っても、現場を見つめ、問いを立て、改善し、記録として残す。

この営みは、当時も今も変わりません。
あの二年間での経験は、いまの自分の実践や文章の支えになり続けています。

次回に続く👇👇

これまでの連載は,マガジンで。
どれか1つでも読んでみてください。👇👇👇



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