実践を見つめ直した浜松研修【研#14】/研修で出会う探究の風景
浜松までの移動は決して楽ではなかった。
それでも、その遠回りの先で得たのは、自分の実践を見つめ直すための確かな視点だった。
実践を研究として捉えるとはどういうことか、その入り口に立った時間である。
浜松へ向かう決断
2004年1月、冬休みの終わりに浜松で行われるセミナーに参加することを決めた。
あえて外に出て学ぶことに意味があると感じていたからだ。
実はこの日は恒例のゴルフコンペと重なっていたが、すでにこのセミナーへの申し込みを済ませていたこともあり、今回は迷わずこの研修参加を優先した。
夏も市の生徒指導研究発表会と重なってゴルフには参加できなかったが、それでもなお、今回はこちらを選ぶという判断に迷いはなかった。
自分の中で、学びに対する優先順位がはっきりしてきていたのだと思う。
参加するための交通費はゴルフのプレー代よりも当然高くつく。
それでも「投資する以上、何かを持ち帰る」という意識が自然と芽生えていたし、むしろその負担の大きさが、自分に対する一種の覚悟のようなものをつくっていた。
久しぶりに乗る新幹線へのわずかな高揚感も、その決断を後押ししていたように思う。
遠さの先にあった学び
浜松への道のりは想像以上に遠かった。
まず大阪へ出てから、そこから新幹線に乗り換える。
大阪までの移動だけでも時間と労力がかかり、そこからさらに移動が続く。
東京へ行くなら飛行機で一気に行けるが、浜松はそうはいかない。
この移動だけでも一つのハードルだったし、「学びに行く」という行為そのものにエネルギーが必要だと改めて感じた。

それでも、その労力に見合うだけの価値は確かにあった。
参加したのは、「自分の教育実践を研究として成立させる方法について学ぶ会」という、募集開始からわずか24時間で定員40名が埋まってしまう人気の研修会である。
こうした場に身を置くだけでも、自分の立ち位置を問い直される感覚があった。
会の内容は、実践者が自身の授業や取り組みを発表し、それをもとに研究者が「どのようにすれば学術的な論文として成立するのか」を具体的に指摘していくというものだった。
単なる実践報告ではなく、その実践をどう捉え直し、どう言語化するかという視点が徹底して共有されていた点が印象的だった。
聞いている側も常に「自分ならどう書くか」と問われ続けるような、密度の高い時間だった。
「知っているはずなのに、分かっていなかったこと」
話を聞きながら、どこかで聞いたことのある内容だと感じていた。
データを残すこと、言葉の定義を揃えること、主張と根拠を対応させること。
これらはかつて大学院で修士論文の指導を受けた際に、繰り返し言われていたことだった。
しかし、そのときには「言われていること」は理解していても、「なぜそれが必要なのか」という実感までは伴っていなかった。
研究という文脈の中で語られていたそれらの言葉が、自分の日々の実践と結びついていなかったのである。
振り返れば、自分は「現場の実践者である」という意識に寄りかかり、研究そのものをどこか遠いものとして扱っていたのだと思う。
それは決して間違いではないが、その意識が結果として、自分の実践を深く捉え直す機会を逃していたのかもしれない。
今回の学びは、「知っている」と「分かっている」はまったく別物だという、ごく当たり前でありながら見落としがちな事実を、改めて突きつけるものだった。
実践を一歩引いて見るということ
今回の研修を通して強く感じたのは、「実践を一歩引いて見る視点」の重要性である。
教師にとって実践が中心であることは変わらない。
目の前の子どもたちと向き合い、その場で判断し、動いていくことが仕事の本質である。
しかし、その実践をそのままにしておくのではなく、少し距離を置いて捉え直すことで、初めて見えてくるものがある。
その過程を経てこそ、実践は他者に伝わる形となり、再現可能な知へと近づいていくのだと感じた。
そう考えると、大学院時代に書いた修士論文も見え方が変わってくる。
出来映えに自信があるわけではないが、その中には当時の自分の迷いや葛藤、試行錯誤の跡が確かに刻まれている。
そうした過程そのものに価値があると考えれば、形にして残した意味も見えてくるし、むしろそこにこそ自分の学びの原点があるようにも思えてくる。
もう一度じっくりと読み直し、自分の実践と向き合い直してみようか。
そんな思いが、自然と湧き上がってきた。
人との出会いが広げる実践
懇親会では多くの実践者と直接言葉を交わすことができた。
これもこの研修の大きな価値だったし、むしろここからが本当の学びだったと感じる場面も多かった。
ちょうどアワビの実践中でアンケートに協力していただいた方々へのお礼やWebページ公開の案内をする中で、これまで点だったつながりが少しずつ線になっていく感覚があった。
画面越しや資料の中でしか知らなかった相手と直接話すことで、関係性の質が一段深まることを実感した。
また、企画されていた当時S大学のH先生には、blogを活用した実践構想について話を聞いていただき、自分の取り組みを言語化するよい機会にもなった。
自分の考えを外に出すことで、曖昧だった部分が整理され、次に進む方向が少し見えてくる。そうした循環の入り口に立てたような感覚があった。
帰りの新幹線では、同じ県の実践者や大学の先生方と同席し、地域での学びの広げ方について話が弾んだ。
これまでゆっくり話す機会のなかった相手とも腰を据えて語り合うことができ、今後のつながりの可能性が一気に広がった。
将来的に自分のいる地域での研究会開催や、研究室との連携の構想まで話題に上がり、視野が大きく開けた時間だった。
最終的に帰宅したのは深夜1時を回っていた。
身体は疲れていたが、それ以上に頭の中は刺激で満ちていた。
移動の大変さも含めて、この1日は確かに「投資」と呼べる時間だったし、その手応えははっきりと残っている。
次回に続く・・・👇
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初めてこのページに来られた方へ
「研修で出会う探究の風景」は、教師としての学びの記録です。
教育公務員特例法には、「教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない」と記されています。
教師にとって学びは、仕事の一部でもあります。
私自身、これまで校内研修や教育センターでの研修、研究大会、学会、そして自主研修など、さまざまな学びの場に関わってきました。
そこには毎回、出会いがあり、葛藤があり、ときに自分の教育観が静かに塗り替えられる瞬間がありました。
このシリーズでは、そうした研修の風景を綴っています。
現在進行中の連載とも時系列でつながる形で、掲載しています。
今回は勤務していた離島の小学校(へき地2級)2年目、2004年1月の記録です。
これまでの研修編はこちら👇👇
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