まだ船は動いていた【島学#05】/離島の小学校三年目の学び編 05
町会長さんへ相談に向かった頃には、6月4日の公開授業や講演会の話も、少しずつ島全体の予定になり始めていた。
2004年5月。 研究会、取材、公開授業準備。
本土との行き来が続く中、島には台風の気配も近づいきた。
1.代船に揺られて
その朝の空は、今にも降り出しそうな色をしていた。
島の出張の日は、まず天気が気になる。
この日は本土で市教育実践論文の表彰式と研究発表が予定されていたのだが、連絡船ではなく代船の漁船に乗らなければならなかった。
波をかぶるかもしれないし、どうせなら雨合羽を着て乗った方がいいかなと考えていた。
出発前、昨年度まで一緒に勤務し、転勤された前校長先生から頼まれていた今回のプレゼン資料をCDに焼く。
その頃は、こうしたデータの受け渡しもまだCDが普通だった。
2便で本土へ渡り、午後からは打ち合わせ、市教育会総会、そして教育実践論文の表彰式と行事が続いた。
表彰式のあとには、市内の小中学校の先生方へ向けて実践発表も行った。
もっとも、このあたりの詳しい経緯は「研修編」の方に書いているので、ここでは省略しておこうと思う。
ただ、本土へ渡ると、出張は出張だけでは終わらない。
その足で、「2005年の教室を考える会 in 地方特別大会」の案内文書を市内小中学校へ発送し、さらに電力会社広報部へ送るCDも制作して発送した。
気がつけば、出張鞄の中には、研究会資料や発送書類がいつも混ざっていた。
2.6月4日に向けて
週が明けても、慌ただしさは相変わらずだった。
本土の中学校で胃検診を受け、15年ぶりくらいにバリウムを飲む。
昼便で帰島すると、今度は「毎日パソコン入力コンクール」の案内が届いていた。
以前から気にはなっていたのだが、資料を読み直してようやく内容がわかった。
認定会場として団体受験をすると、料金が安くなるらしい。
「これは中学校とも相談してみようかな」
そんなことを考えながら、今度は県総合部会の仕事に移る。
この年、自分は事業部長になっていたため、夏の事業計画も立てなければならなかった。
師匠(大学院時代のゼミの指導教授)へ講演と指導の日程打診のメールを送り、県総合部会事務局長のFさんへその確認FAXを送る。
さらに、6月4日に予定している公開授業の内容も考えなければならない。
静岡大学のH先生、金沢大学のN先生にも確認メールを送った。
しかし、授業構想はなかなかまとまらない。
考えれば考えるほど、「せっかく両先生が来てくださるなら」という気持ちばかり大きくなっていった。
そんな流れの中で、校長先生と一緒に町会長さんのお宅へ相談に向かった。

せっかくの機会だから、研究会参加者だけではなく、島の方々にも両先生の話を聞いていただけないか。
町の行事として広く声をかけてもらえないか。
ちょうどその頃、島でも少しずつインターネットへの関心が高まり始めていた時期だった。
町会長さんは快く了承してくださった。
帰り道、「これは面白い1日になりそうだな」と思ったのを覚えている。
3.自分の実践、その外側
この頃になると、自分の授業だけではなく、他校の総合的な学習にも関わることが増えていた。
バドミントンの練習途中、県総合研究大会会場校の研修主任の先生から電話が入った。
7月に予定されている6年生の校内研究授業についてだった。
自分は、その授業づくりの協力者として関わることになっていた。
日程確認を終えたあと、「自分の実践だけではなく、他の学校の授業づくりに関われるのはありがたいな」と感じていた。
総合的な学習の時間は、まだ各学校が手探りで進めている時代だった。
だからこそ、学校を越えて相談したり、一緒に考えたり、何よりも違った環境の題材からの単元を構想すること自体が、大きな自身の学びだったのである。
その日の夜には、県総合部会事務局長のFさんと、夏季研修会の日程について最終打ち合わせを行った。
学校の外の予定表も、少しずつ埋まり始めていた。
4.3便が出た夜
翌日は、朝から台風接近の話でもちきりだった。
近づくのは夜半らしい。
防波水門は閉鎖になるのか。
連絡船は止まるのか。
朝からなんとなく落ち着かない空気が流れていた。
とはいえ、その時点ではまだ船は動いていた。
そんな中、NHK地方局のディレクターさんが来校された。
今回はカメラマン同行ではなく、お一人での下見である。
6月4日の公開授業に向けた具体的な打ち合わせを行い、5・6校時の授業として子どもたちが進めていた交歓学習用プレゼンづくりの様子もDVで撮影されていた。
話をしているうちに、昨年度の「アワビいっぱい大作戦」の記録DVもお渡しすることになった。
ディレクターさんは、台風が近づく前の3便で本土へ戻られた。
そして、その船が帰ってきた直後だった。
18時過ぎ、漁協の放送が島中に流れた。
「台風接近のため、防波水門を閉鎖します」
やはり来たか、と思った。
これで、明日の船はおそらく動かない。
島の空気が、一気に“閉じる前”の空気へ変わっていく。
その後、自分は研究会関係のメールを送信し、YMCA利用申込書やプログラム記入を始めたのだが、そのあたりから急に目の前がキラキラし始めた。
胸も少しムカムカする。
「ああ、これはまずいな・・・」
いつもの眼精疲労である。
連日の夜の再出勤が、さすがに少しこたえていたのかもしれない。
この日は無理をせず、そのまま宿舎へ戻ることにした。
単身赴任だと、どうしても際限なく仕事をしてしまう。
身体は正直だなと思った。
その日、県教育会機関誌の5月号も届いていた。
「アワビいっぱい大作戦〜ふるさとの未来につながる学習〜」
そんなタイトルで送っていた原稿が掲載されていた。
あとから読み返してみると、「ずいぶん思い入れて書いてるなあ」と、自分で少し笑ってしまった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
次回に続く👇
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◆本シリーズについて(初めて読んでいただく方へ)👇👇
約25年前の2002年、船が生活のすべてを左右する離島の小学校に赴任しました。
予定通りにいかないことが当たり前の中で、学校と暮らしが地続きの毎日を過ごしていました。
そんな環境の中でも、子どもたちに自信をもたせたいと考え、総合的な学習の時間に取り組んでいました。
この話は、離島の小学校勤務2004年度当時の日記をもとに、島の学校編では収まらないプロジェクトや情報教育、外部との関わり等について描いていきます。
※本文中の地名・固有名詞は一部仮名としています。
マガジン離島の小学校三年目の学び編👇👇
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