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島で育った学びを、どう届けるかを考えた日【島ICT#10】/離島のデジタルデバイド編

このシリーズは,前回から少し間が空いてしまった。
前回は、当時の学校だよりに載せたコラムを紹介し、インターネットの魅力を地域に伝えようとしていた頃の思いを振り返った。
総合編でデジタル図鑑が完成したこの時、私自身もデジタルデバイド解消への挑戦を少しずつ進めていた。
今回は、その前提となる当時の島の通信状況と、私が抱えていた思いをあらためて記しておきたい。

前回の話(離島ICT09)👇

離島の総合的な学習の時間編 デジタル図鑑の完成はこちら👇👇

離島の小学校で,一小学校教諭が当時の島のデジタルデバイドに挑戦しました。
今から約20年以上前の2002年(平成14年)4月からのお話です。
※注:本文中の一部地名や商品名等は仮名(かめい)にしています。


1 固定電話が役に立たない島で

2002年当時、私の勤務する離島での固定電話を使ったインターネット接続は、ほぼ不可能に近かった。
音声通話とFAXは問題ないが、データ通信となるとプロバイダに通じない。回線の向こう側に“開かない扉”があるような状態だった。

そのため、宿舎でのインターネットはドコモ携帯のデータ通信に頼るしかなかった。
島には漁協のアンテナがあり、携帯電話の電波だけはよく通じていた。
漁師町なので、漁に出た際の安否確認にも関わっていたのだろう。

しかし、この電波をパソコンのインターネット利用に転用するのは無理があった。
夜にできる作業は日記更新とメールチェックが中心で、FTPも必要最低限にとどめた。
余計な操作をすれば通信料金が跳ね上がるからだ。

「使いすぎない」ことが、当時の生活を守るための前提条件になっていた。


2 期限・制限つきの回線にすがる日々

唯一の希望は、隣の中学校に設置されていた衛星通信システムだった。
こう書くと最先端の設備のように聞こえるが、実際にはテレビ会議システム用の回線に付随した“おまけ”のような存在だった。
それでも島では貴重な通信手段であり、頼れる窓口はここしかなかった。
しかも、この事業自体が2003年度末で終了し、翌年には使えなくなる予定だと知らされていた。
希望には、すでに期限がついていた。

朝8時半から夜19時頃までは学校で接続できたが、教育用フィルタが極めて厳しい。
ショッピングサイトは軒並み閲覧不可で、本や教材の注文すらできない。
離島の生活だからこそネット注文が必要なのに、その窓口が閉ざされているという矛盾が常につきまとった。

さらに状況は悪化する。
「窓の杜」のようなソフト配布サイトまでいつの間にか閲覧不可となり、教師仲間との情報交換に使っていたレンタル掲示板も表示できなくなった。
外の世界へ伸びていた“細い糸”が、次々と断たれていく感覚だった。

それでも、「制限があっても使えるだけありがたい」と思っていた。
当時の島では、回線があること自体が奇跡のようなものだったからだ。

しかしある日、その衛星回線が17時に突然切断された日があった。
唯一使えるようになっていた掲示板に書き込もうとした矢先の出来事で、細い橋でさえ、いつ途切れるか分からないという不安が胸に残った。


3 技術の進歩と島の現実のあいだで

私はパソコン通信からインターネットへ移行した世代である。
ダイヤルアップ、タイムプラス、フレッツISDN、ADSL1.5M、ADSL8M、さらには大学院時代の専用線。
調べ物をしたいときにすぐ調べられる環境が、すでに当たり前になっていた。

だからこそ、島での「つながらない」という現実は、身体感覚としても厳しかった。
しかも,当時のウェブサイトはブロードバンド前提で重くなりつつあり、携帯電話の低速データ通信では実用にならない。
通信料も高額で、1ページ表示することが家計に響くような感覚だった。

自由に調べられない不便さは、人とのつながりを閉ざすことにもつながる。ネットの便利さの恩恵を受けて生きてきた私は、そのギャップの大きさに戸惑い続けた。


4 通信の壁と、届けたい学びへの思い

私が抱えていた不便さは、島での暮らし全体の厳しさの一部にすぎなかった。
船が止まれば島に渡れず、物資も遅れ、予定していた仕事がまるごと変わってしまうこともある。
そうした環境の中で生活する以上、さまざまな困難は“織り込み済み”でもあった。

それでも、通信だけはどうにもならない。
調べ物ができず、外の世界とつながる手段が途切れがちになる不便さは、他の不便さとは質が違っていた。

私は、こう願っていた。

常時接続でなくてもいい。
高速回線でなくてもいい。
NTTでなくてもいい。

「毎晩1時間ほどつないでも、月1万円以内に収まる方法があれば、それで十分だ」
必要なのは、豪華な設備ではなく、 外とつながるための“最低限の橋”だけだった。

そんな日々の中で、ある学びが大きな節目を迎える。
子どもたちがつくり上げた「島の魚図鑑」を、どうすれば島の人にも見てもらえるか。
その問いを前に、私は小さな工夫と準備を重ね、“次の一歩”を踏み出す決意をした。

それは、島の中に新しい“つながり”をつくる挑戦だった。
具体的な形はここではまだ書かないが、 海に囲まれたこの環境の中で、できる限りの方法を探し、試し、実現させようとした。

あのときの挑戦が、後に島の学びに新しい風をもたらすことになる。


次回に続く・・・👇👇

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