島の6年生を、東京へ連れて行く【島小②#42】/離島の小学校編Season2 42
前回、海辺でカレーを作りながら「東京行き」の準備を進めていた6年生たちを、いよいよ本当に東京へ連れて行く日がやってきました。
表彰式へ出席するため、子どもたちは前日のうちに島を出て、我が家へ宿泊です。
始発便で向かった東京では、島とはまったく違う景色と、めまぐるしい1日が待っていました。
2004年の2月も終わろうとしていました。
1.我が家にやってきた6年生
東京で行われる「マイタウンマップコンクール」の表彰式へ出席するため、島の6年生3人と一緒に本土へ渡ってきました。
島を朝に出発していては始発の飛行機に間に合いません。
そのため、前日の夕方には島を出て、自宅へ戻ってきていたのです。
つまり、その晩は子どもたちが我が家に泊まることになっていました。
家へ着くと、まず向かったのは近くの温泉施設でした。
大きな銭湯のような場所です。
さすがに自宅の風呂へ3人入ってもらうのは難しく、「まずはここだな」と考えていた場所でした。
風呂から上がると、子どもたちも少し緊張がほどけたようでした。
そのあと家へ戻ると、妻が夕食を準備してくれていました。
急に子どもが3人増えるのですから、食事の支度だけでも大変だったと思います。
それでも、島からやってきた子どもたちを自然に迎え入れてくれていました。
子どもたちも最初こそ少し遠慮気味でしたが、食事が始まる頃にはすっかり打ち解けていました。
すると今度は、我が子たちが大騒ぎです。
島の子どもたちが泊まりに来ることが、よほど嬉しかったのでしょう。
家の中は一気ににぎやかになります。
特に一番下の娘は、少し熱があるにもかかわらず興奮気味で、眠そうな顔をしながらも子どもたちの後をついて回っていました。
子どもたちも、そんな我が子たちと一緒になって遊んでくれていました。
布団を敷き終える頃には、こちらまで修学旅行前夜のような気分になっていました。
翌朝の起床は5時30分です。
「寝坊したら飛行機に乗れんぞ」
そんなことを言いながらも、子どもたちはなかなか寝ようとしませんでした。
2.始発便で東京へ
翌朝、5時30分起床。
まだ暗さの残る道を車で走り、子どもたちを乗せて空港へ向かいました。
島の子どもたちにとって、飛行機で東京へ行くこと自体が大きな出来事です。
空港へ着いてからも、子どもたちは落ち着かない様子で周囲を見回していました。
そして、いよいよ出発です。
前年は管制塔トラブルの影響で到着が大幅に遅れ、予定していた時間がほとんど使えませんでした。
しかし、その年は違いました。
予定どおり東京へ到着し、そのままお台場へ向かいます。
子どもたちは、見るものすべてに反応していました。
高い建物、人の多さ、広い道路。
島とはまったく違う景色です。
フジテレビへ着くと、まずは下級生たちへの土産探しでした。
帰りは荷物も増えますし、表彰式が終われば早めにホテルへ入りたいと思っていました。

とはいえ、子どもたちはすでにかなり疲れている様子でした。
朝が早かったこともありますし、東京の人の多さだけでも相当な刺激だったのだと思います。
3.ホテルの夜
日本科学未来館での表彰式とその後の見学を終え、ホテルへチェックインした頃には、子どもたちもすっかり疲れ切っていました。
「何か食べるか?」
そう聞いてみても、「大丈夫」と返ってきます。
懇親会が立食形式で、かなり食べていたようでした。
というより、それ以上に「もう部屋で休みたい」という空気が強かったのだと思います。
そこで、部屋の内線電話の使い方を書いたメモを渡し、何かあれば携帯電話へ連絡するよう伝えました。
私は少しだけ外へ出る予定がありました。
実はその日、ブログつながりで知り合った方々の集まりが東京で開かれていたのです。
偶然にも東京滞在の日程と重なっていました。
当時は、ブログというもの自体がまだ新鮮な時代でした。
離島の学校でホームページや総合的な学習に取り組んでいた自分にとって、インターネットを通じて学校外の人たちとつながることは、とても大きな意味を持っていました。
教員という仕事は、どうしても学校という世界の中だけで完結しがちです。
けれど、自分はずっと「それだけではいけない」と思っていました。
これから社会へ出ていく子どもたちを育てるなら、教師自身も学校の外を知らなければならない。
総合的な学習の時間で「本物」を大切にしたかったのも、そんな思いがあったからです。
もちろん、そんな堅苦しい話ばかりではありません。
単純に、「一度参加してみたい」という気持ちもありました。
ただ、持ってきた服はスーツだけでした。
会場では、ネクタイ姿の自分だけが少し浮いていた気もします。
せっかくなので、子どもたちが総合的な学習の時間で作り、実際に販売していた「ぽこぽん!」のまんじゅうも土産として持って行きました。
時間の都合で長居はできませんでしたが、学校とは違う世界の人たちと話をする時間は、自分にとってとても新鮮でした。
4.東京の長い1日
ホテルへ戻ると、まず子どもたちの部屋へ電話を入れました。
「大丈夫か?」
そう聞くと、「もう眠いです」という返事が返ってきました。
外へ食事に出る必要もないし、このまま休みたいとのことでした。
確かに、朝早くから飛行機に乗り、東京を歩き回り、表彰式にも出席したのです。
小学生にとっては、めまぐるしい1日だったに違いありません。
「じゃあ、明日の朝また起こすぞ」
そう伝えて電話を切りました。
窓の外には、島では見ることのない東京の夜景が広がっていました。
子どもたちは、どんな気持ちでその景色を見ていたのでしょう。
そして自分自身もまた、島では出会えない人たちと話をしながら、「学校の外の世界」の広さを改めて感じていました。
子どもたちにとっても、自分にとっても、長くて特別な1日でした。
ここまで読んでいただきありがとうございました。。
次回に続く・・・👇
前回の話👇
◆本シリーズについて(初めて読んでいただく方へ)👇👇
約25年前の2002年、船が生活のすべてを左右する離島の小学校に赴任しました。
予定通りにいかないことが当たり前の中で、学校と暮らしが地続きの毎日を過ごしていました。
そんな環境の中でも、子どもたちに自信をもたせたいと考え、総合的な学習の時間に取り組んでいました。
▶ 離島の小学校編Season1〜教室とくらしの物語
マガジンこのシリーズでは、当時の日記をもとに、島での仕事の大変さと、その中にあるささやかな温かさを綴っていきます。
2年目2004年の、Season2(2年目)3学期のお話です。
※本文中の地名・固有名詞は一部仮名としています。
離島の小学校編Season2👇👇👇
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