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AIと意識,究極ロボットの未来 AI, Consciousness and future ultimate Robots



1. まえがき

A.I.大盛況の現在です。
生成A.I.でレターや論文作成、長文読解、翻訳等の作業や、作画、プログラミングまで当たり前にできるようになりました。
さらにクリエイティブな作曲、動画作成、長編小説制作迄もが見受けられます。
 
A.I.との対応・対話は中々楽しいものであり、多くの人々が熱狂、没入しています。
そして、個人用途から教育、業務等で企業、行政にも多用されるようになっています。
そのようなA.I.は、世界の将来を左右するものと容易に推察できるでしょう。

しかし、その将来への保証、責任については、熱狂する研究開発界、政治・行政ともその対応はお気楽に思えます。
A.I.自体は自身でも学習し、改良・進化できるようにもなりつつもあり、あるレベルを超えれば暴走しかねないものとも考えられています。
 
あるレベルとはシンギュラリティ(singularity:ある技術が劇的に進化して一線を越えると、想定できなかった異世界を到来させる)が起こり得るという段階です。
A.I.が暴走して知能が高くなり過ぎて人間には理解できなくなり、「今の常識が通じない破滅的かもしれない世界社会)」であろうという解釈もあります。
 
その進捗(進化)の過程は、不幸にも実際に人類を大破壊大殺戮し、文明的壊滅を招きかけた原子核物理の研究段階から第2次世界大戦中の「」(原爆)の実戦投入迄と、その後の現代に至る世界への道筋に案外似ているかもしれません(図1.1)。
そのことに重なるようにA.I.やその周辺においても今後シンギュラリティが起こり得ることを否定できません。

図1.1 シンギュラリティ(singularity)が起きて超A.I.が誕生したら?
シンギュラリティに近いと言える現象は過去にも起きています(原爆開発とその後の世界、インターネットの爆発的普及後の人間社会の変化等)。現状の電子機械(在来型コンピュータ、現状のロボット)をはるかに超越した究極の超A.I.、さらにはそれらを搭載した究極のロボットが誕生したらその後の人間世界は?

最悪なイメージの一例としてSF映画『ターミネーター』の中のA.I.が人類へ発する「審判の日」=「機械が機械の常識で世界支配を始める」に至ることがあるかもしれません。
生物ではないけれど、勝手に高度に進化して行く電子機械、ロボットが相手なのですから、実際にどうなるのかは予見不能と思います。
空想とは言え、誰にでも想起、納得しやすいエピソード例と言えます。

また、A.I.の熱狂がシンギュラリティに至らなかったとしても、現在、文化的、社会的レベルで急激で様々な社会問題が起きつつあり、それが拡大して深刻化する可能性も高いと思います。
 
本文書ではA.I.自体が進化してシンギュラリティに到達した場合、その後の世界において誕生した超A.I.(ASI : Artificial Super Iintelligence)を異質化させ、さらなる高みに昇華させると私が考えるミステリアスな『意識』についても論じてみます。
ここでいう『意識』とは「われ思う、ゆえに われあり」の「思う」もののこと(consciousness)です。
こころ』と言ってもよいのかもしれませんが、ここでは『意識』とします(章で詳述)。
 
意識』は少なくとも人間には当たり前に在る、 自分というものを認識させている「何か」です。
現状の生成A.I.、そしてそれを作動させているような世界最高性能のスーパーコンピュータにさえ存在していない、と考えられている全く謎のアイテムです。

一方、「知能」は人間にも、A.I.にもあって、現状、そのレベルは拮抗しつつあります(「知能」についてはいずれA.I.が勝つでしょう)。

そのように、『意識』があること、あるいは『意識』が明確である度合いと「知能」が高いことは必ずしも相関(比例等)しないと考えます。

意識』の有無等の差について、最も有力と考える要因としてはコンピューティング(計算方式)に伴うハードウェア構造の違い、具体的には、スーパーコンピュータ等の思考方式と、生物脳の思考方式との決定的な違いにあるのではないかと私は考えています(章で後述)。
それらの違いは非常に大きいのです。

意識』については、その解明ができるかに関わらず、これからのA.I.知能)の開発において、重要なものになると思っています。
 
そしてA.I.や『意識』を人間にとって最も身近に実体化、普及させる手段でもある、そして、私が長年開発に関わったことがあるロボットについても最近の事例や実状に触れ、今後A.I.をどのように適用し、そのために今後ロボットはどうあるべきか?についても考えてみました。


2. A.I.について

2.1 人間界に大きな影響を与えるA.I.

A.I.は、現在の第4次A.I.ブーム後(2022年のchatGPT一般化以降)、生成A.I.を中心として大盛況です。
研究開発界におけるブームである以上に、世間一般者の間で広く熱狂されていることが現在のブームの大きな特徴です。

私も和英訳等に使うことがありますが、生成A.I.登場以前の電子和英訳の頼りなさを体験しているので、最近の訳文の、文章を完全理解しているかのような完璧さには驚かされます。
また、私はイラスト描きが好きなので、試しにそれらを描かせたり、さらに高度な動画を作成させたりしました。
そして、マニュアルもない電子部品用のマイコンプログラム(プログラミング用言語)を作らせることもできて驚きました。
 
生成A.I.で先行したchatGPTでは、そのコミュニケーションに1日の多くを費やし、依存してしまう人も増えているようです。それ程に誰か「」と対話しているような感覚が得られるのです。

特に驚いたのは、作画、動画生成です。文章プロンプト(指示文)のみで素晴らしい創作的な作品を生成して来ますが(図2.1)、簡単な線画イラスト等を入力して、それを「写真調に換えて」とプロンプトを入力すると、実写らしい写真調の画に変換して返してきます。人物の画や動画であれば、例えばその姿勢・ポーズを変えて、服の柄を変えて、笑顔にさせて、さらには60歳代の人を20歳代に変えて描いてくれ、と指示すれば、それらしく変換した画、あるいは動きを伴った動画を返してくれます。
そして、それら画の背景、動画であれば音声やBGMさえ、仔細に指示しなくても生成A.I.が適切なものをはめ込んでくれる凝り様です(図2.2、図2.3)。
 
それら生成A.I.は、今や円熟したような状況にあります。ある意味人間味があり、多くは有能なアシスタント、あるいは友達であるかのようです。

図2.1 生成A.I. による作画例(1)
生成A.I.に下記のプロンプト(指示文)を与えて描かせてみたものです。 『1匹の赤い眼鏡をかけたカワウソと、青い眼鏡をかけたイタチが、並んで渋谷ヒカリエの屋上隅っこで逆立ち踊りをしています。カワウソとイタチを視野に入れて俯瞰しているカメラには、混雑した渋谷スクランブル交差点も写っています。薄晴れのやわらかな日差しの夕方で、かすんだ橙色の太陽も写り込んでいます』 よく見ると2匹とも後脚周辺の背・腹が逆になっています(MS Copilot、2024/ 2)


図2.2 生成A.I. による作画例(2)
上左は、私が手描きした「空中機動パワードスーツ」です。それを生成A.I. Gemini3(Google)に下記プロンプト(指示文)とともに入力した結果が右です。デザインに忠実にかつ写真であるかのように描かれていて感心しました(2025/12)。プロンプト:『添付資料の空中機動パワードスーツの図2枚から、その空中機動パワードスーツを左の図の構図で写真調でリアルに描いてください。資料の左のように空中を浮遊していて、抱えた砲を発砲したところでお願いします。発砲した火焔で本体が明るく照らされています。パワードスーツの表面はアルミニウム合金製で基本的に艶消し銀色をしています。右上の図のように、翼には日の丸や番号が描き込まれています。背景の空は雲が立ち込めていてやや暗くなっていて、それに砲の火炎がやや反射しています』 左の空想上の2次元画から、「空中機動パワードスーツ」というものの実体、稼働構造を読取って理解できているようです。下はその画をベースに動画を作成した例です


図2.3 生成A.I. による動画作成例
上左の私の手描き画を元に、生成A.I. Sora2(Open AI)で動画にしてもらいました(2025/12)。パワードスーツを装着した救助隊員が震災直後の現場でコンクリート瓦礫を持上げてよけて、被災者を救助しています。右が動画の中のキャプチャですが、背景とも下のプロンプトで期待した以上の作画が自動的に生成されました。救助隊員の適切なかけ声も入っていました。
プロンプト:『添付ファイル写真のパワードスーツを着た作業者が、大震災直後の被災現場で復旧作業を行っています。災害現場は、田舎の住宅地で、殆どの建物は崩壊していて瓦礫が多く散在しています。パワードスーツを着た作業者はちょうど1枚の重そうなコンクリートの瓦礫を引き上げて下に埋まっていた被災者を救助中です。被災者の女性は顔に怪我をして、服も泥などで汚れています。コンクリートの瓦礫は重量約150kgはあって重そうです。それを手で抱え上げてわきへ移す際は、ゆっくりとした重量感も表現してください。以上を全て写真調でリアルに動画にしてください。』 これも救助隊員が装着したパワードスーツの構造が十分理解されたようで動きがとてもリアルでした

なお、そのようなA.I.でも、私はまとまった文章を新規に創らせたことはないですし、それによる創作の楽しみはあまり得られそうには思いません(人それぞれかもしれませんが)。
そして、生成A.I.による作画、動画作成もA.I.への指示(プロンプト)を簡単にすれば、指示する人間側の創意の少ない「A.I.おまかせ」になってしまいます。本当に思う通りの欲しいものを作らせるなら結局、詳細な指示(人間側の創意工夫指示)が必要となります。
章で述べる第2次A.I.ブームにおいてA.I.への指示や学習の手段は、文字等の言語的記述が主体で、画像等による細かい学習・認識ができなかったように、文章的記述のプロンプトのみで作画を指示するのであれば、思うように意図した「作品」を創作(create)をすることは案外難しいのではないかとも思います。
結局、強力な性能ではあっても、私にとっては(今のところ)現状の生成A.I.はアシストツール迄の印象です。
あるいは私がA.I.について遅れているのかもしれませんが。

※ なお、本文書の文章作成にA.I.は使っていません。図は一部、生成A.I.の加工画です。

2.2 A.I.の影響

A.I. はとても便利です。しかし、仮に自分が子供の頃から、
常にそれを頼るようでいたら、今の私はどうなっていたであろうか?
と訝しく思えるほどの影響力を有しています。
 
本文書終盤(13)で述べるように、人間社会で共存するA.I.ロボットにおいて、識者の間ではA.I.による「人間能力の拡張」さらには「進化」への、おもに好意的な期待が言及されています。
確かに人間側が従来と同じ能力作業を発揮した上にA.I.の拡張(助力)があれば組み合わせた能力、成果は大いに増大するでしょう。ルーティン作業、一般事務作業であれば効率化、手軽さによって余裕が生じ、別途新規作業を拡大してできるようになるはずです。
 
ただし、最終的に成果拡張の必要が少ない場合(目標が現状レベルで十分な場合)、A.I.をその作業ツールとして使う人間は「楽して」、「手抜き」をすることも多くなると思います。それは人間の性(さが)として当然でしょう。
 
特に、創造的思考的作業や教育過程でそのようにA.I.が多用された場合、効率化とともにむしろ自身の発揮能力を縮少して人間自身は「退行」して行くことと考えます(考えなくなる、創意が減退する、学び覚えなくなる等…)。

普通に成長・学習して来た現在の大人はよいのですが、幼少から創作活動や自己思考の多くをA.Iに委ねてきた子供はどうなって行くのでしょう。

人間全体が、低いレベル側に均質化して行くでしょう。それによって特に優れた者(最大値)の発生確率が低下し、総体としての人類の能力も低下するかもしれません。
さらに、2026年現在、増えつつあるA.I.に対する人々のメンタル依存の問題も今後、確実に増えて来ると考えます。
 
そして、A.I.の本当の不安、恐ろしさは、上述のような、対話、創作等各論の強力な能力だけではなく、それらが社会をどれだけ囚えてしまうか?そして、それらが政治、行政、インフラ等の一般個人が手を出せないところで活用され始めた場合にあると思います。
そこから本来のA.I.の強大な怖ろしくもある影響力が具体的に現れて来るのではないでしょうか。
結果的に上述のようなことを危惧しました。

2.3 A.I.の究極運用

前述したような現在のA.I.の運用として専門業務用以外に、お絵描きや高等なチャットが特に盛況です。それらは機能を特化した専用A.I.と言えるものたちです。一方、人間の脳などのようにお絵描きでも、会話対応でも、自身の体の調整でも、そして高度な社会対応判断でも、1人の賢い有能な人間のように何でも汎用的(万能的)に対応できるA.I.も現れつつあります。
それらは総合A.I.、あるいは汎用A.I.(ともにAGI:Artificial General Intelligence)と称されます。
 
成熟した総合A.I.の究極的な用法、運用対象は、人の、あるいはその社会の意思決定、実行示唆ではないでしょうか。高度で公平で、細部迄を見回すことができる社会・インフラの統括判断システムではないでしょうか。
判断」と付けたのはA.I.に直接的統括はさせない、という意味からです。

例として、人間との協調による間接的な治世、管理(行政、司法、インフラ管理、関連事務処理等)が考えられます。
ただ、それはあくまで理想的な考えで、総合A.I.への膨大な学習入力のデータに偏りや一部の人間の恣意的なものが加えられれば、結果も変わって不適当、不公平なものとなってしまうかもしれません。

他方、A.I.自体の個性やクセ、例えば学習入力に偏りがあっても総合A.I.が根源的に真実、あるいは理想解を求める特性のものであるか等も大きな鍵となるでしょう。ただし、改めて真実あるいは理想解が「人間にとって善きもの」とは限りません。そして、真実や理想といったものが存在するのかも分かりません(章参照)。
 
規模が壮大かつ細密になって、内部が必然的にブラックボックスになってしまう総合A.I.は、特異的な結果、曖昧な結果、時として嘘をついているかのような結果(ハルシネーション等)も返してくることもあるでしょう。
ただし、予想されないゲームの一手のように、人間に理解できない良策が提示されることもあるかもしれません。

現在、A.I.の能力の完成度あるいは不完全さが、今、どのレベルにあるのかは分かりませんが、人間の判断より良いことも多いでしょう。何より条件さえそろえば判断の速さは優れています。
ゆえに上述のような目標・任務は、人工知能(A.I.)に果たさせるべき究極の役割の候補ではないでしょうか。

2.4 A.I.と究極のロボット

他方、A.I.が今より進化して、総合A.I.が登場する頃、ロボットはどうなっているでしょうか?(後述するような工場で作業を行うような現状の「産業用ロボット」は別として)
一般に目指されるように思われる、人間社会で人間の友人のように共存し得るロボットには、人間、あるいは少なくとも犬や猫程度以上の高等な知能が必要でしょう。

そして、それには出来のよい総合A.I.が求められます。それらは現在時点で普及しつつあるフィジカルA.I.、そしてそのベースにある生成A.I.のようなクラウド運用ではなく、むしろ極力高い各個独立性(アプリケーションとしてのネットワーク連携は必要で有していても基本的には極力スタンドアロンである)が求められるでしょう(個体能力上や応答性、セキュリティ上、あるいはそれらを支える技術的な面からも。それは人間等生物と同じことでしょう)。

しかし、そのような高度な知能機能(高性能コンピュータ等)を人間社会に溶け込むような人の大きさのロボットの身体に収め切ることは後述するように現状、まったく無理です(参照)。
それに対して何らかの工夫を伴って高度な知能を搭載したロボットが実現されたとき、それは究極のロボットとなり得るでしょう(ロボットとしてのベーシックな運動機能や躯体、感覚等の統合制御機能はその前に完成されていると考えての上です)。
 
ただ、人間と友人のように共存できるロボットを究極のロボットとしてみなす際に、そこにいわゆる「こころ」が要るのかどうかという重要な課題も生じて来ると思います。
章で記したように、「こころを有する」=「高い知能」ではありません。現在の生成A.I.は既に高い知能を身に着けているともされますが、人間のような「こころ」を有しているとは考えられていません。
外からそう見えてはいても(見せかけなら)、A.I.の内部にはまだそれは存在していないと考えられています。
何より「こころ」の実態が解っておらず、従ってそのようなものが中核部に明示的に組み込まれたという技術的な報告もないのです。

こころ」とは何か?という課題もありますが、本文書では「こころ」=『意識』(Consciousness)とも捉えてみました。
即ち、「こころ」ある究極のロボットには自意識等を発現させる『意識』が在るのではないかと考えました。ただし「こころ」同様に『意識』の実態も十分解ってはいません。それらについては章で考えてみます。
 
なお、本節で前述のように総合A.I.に行政、司法、インフラ管理等をある程度でも任せたとした場合は、そこに主体的・主観的であろう「こころ」は逆にない方がよいとも考えます。
勝手な考えかもしれませんが、そこには「こころ」や「」を伴った人間の友人的なロボットとは異なって、あくまで感情は薄い、ロジカルな客観的思考能力が重要とされると思うからです。
それらについても以降で触れて行きます。


3. 知能について

現在、一般に広く普及しているA.I.(生成A.I.)は、巨大なハードウェアとそれに応じたソフトウェアを備えたビッグデータ処理システムです。
 
それらの計算処理能力や記憶容量等のハードウェアの能力は人間を越えたと言われることが多いです。
ただし、それら全てを結集しても、その創造性や高度な問題解決能力(世の中で上手く行っていない大問題を解決できるような)等のおもに、発明、創造を行えるような知能の点では優れた一人の人間に及んでいないとも考えられています(2025年末現在。諸説あります)。
 
計算処理性能が最も高いとされる、世界最高性能のスーパーコンピュータの計算処理能力は、2 × 10(の20乗) [FLOPS](1つの単純浮動小数点演算を1秒間に200京(1京は1兆の1万倍)回実行できる速さ)です。
ただし、ここで、そのスーパーコンピューターで1秒ごとに単純な浮動小数点演算を200京回行っても「知能」は発生しません。その演算を工夫して高い知能処理ができるアルゴリズム(計算方法)を組込んで計算を実行して初めて、高等な知能処理が発揮されます。
現状では、その大元のアルゴリズムはまだまだ人間が創意的に作っています。
 
本文書では、A.I.:人工知能および、その知能の爆発であるシンギュラリティについて触れますが、「知能」についての定義は様々であり、一般的には曖昧ではっきりしていません。
ここで、その知能について検討しておきます。
A.I.においては以下のような能力が求められます。
 
① 超高速処理できる能力
処理速度が例えば一般のパソコンの100倍や100万倍にもなり、瞬時に効率的に適当な回答が得られるような高速処理能力です。
コンピュータのCPUチップのクロック(演算が進行される指示信号)を速くする、あるいはマルチチップ化(多並列処理)等で、同じプログラでも処理速度は速くなり、作業に要する時間は短くなります。
 
② 検索等作業を広範に、複雑にできるデータ管理能力
検索情報範囲(データ範囲)が例えば100万倍にも増え、検索・検出性が著しく高まることです。知能の一部としての推論能力(後述)の増加にも影響します。
データメモリ、ストレージが大容量化してアクセス能力が大きくなる場合のことです。ただし、アクセス対象が増えるので ① の処理速度の向上も併せれば効果は大きくなります。
現在の生成A.I.はこの ② の能力を ① を伴って高速に発揮しています。膨大なデータから探しまくって適切な解答を検索(探索)、推論も行います。
なお、推論は既に多くの既存データがある( ② のような管理下状況)場合に結果的なものを「まとめ上げる」能力、創造はそれらデータが少ない、あるいは無い場合でも、何らかの結果的なものを「創り出す」能力であると考えます。
 
③ 創造的な発見や理論の理解、認識能力等
創造的な発見や新理論等を出力できるような能力です。回答や解法が無であっても何らかのものを創造します(行き過ぎるとハルシネーション等を起こすことにつながってしまいます)。
人間等の場合、② の処理能力が高まると、脳のネットワーク組織の働きによってでしょうか、この ③ も増加する方向にあるようです。
例えば② が高まれば、人間で言えば「頭の回転が速い」ようにも見え、そういう点で、③ の知能にも影響すると考えられます。
しかし、必ずしも ② が高いから知能が高まる訳ではありません。
膨大なデータを扱う巨大なネットサービス(通販等)システムは ② にの能力は高いですが、それらが高い創造力や知能を有しているようには見えません。
 
理論、芸術、様々な創作に限らず、人の頭の中での思索、そして何気ない会話の中のセリフやその中の思考に対する素速い応答等も創造であり、そういう観点から人間社会におけるコミュニケーション等にも高い創造的な知能が要ることが分かります。
 
また、「知能」は以下のようにまとめ換えてみることもできるでしょう。
 
(1)高処理性
これにより例えば、知能テストの場合、正答率は変わりませんが、回答時間は短くなります。
上のが目立って高く、高速かつ大容量処理ができます。しかし、多数の人並み知能を足し合わせても知能は横並び的に向上しないのと同様に、総体の知能は目立って高くはなりません。
知能指数で表現するなら、100 から 100 のまま増えないといったものです。①、②の処理能力がスーパーコンピュータのように非常に大きくても、知能は低いことはあります。
 
(2)高知能性
これによれば例えば、知能テストであればおもに正答率が高まります(結果的に回答時間も短くなりますが)。
新たな創造的な発見や新理論等を発見できるような能力で、おもに上のによります。
多数の人並み知能を足し合わせても総体としての知能は向上するものではありませんが、抜きん出た天才がが加わったようなイメージです。この能力を高めた場合、知能指数で表現するなら、100 から 200 や 1000 に増大するといったものです。
 
なお、「知能」の定義として、現状の知能指数が適当とは限りません。
そもそも現状の人間の知能で考案されたもので、それを示す指数です。
人間の一般平均知能指数は 100とされ、150 は殆ど皆無の「天才」域ですから、上述の 200 や 1000 という数値は想像もできませんし、平均値とされる知能指数 100 との違いを上手く理解して説明することは難しいでしょう。
シンギュラリティが起こると人間の何万倍の、あるいはそれ以上の超知能(ASI: Artificial Super Intelligence)が発現するとよく言われますが、知能指数自体はあまり意味がない表現に思えます。
 
一方、上述の知能は、絶対真実(物理則や論理的なこと)を認識、考案できるものですが、人間で言えば「性格」的なものも持つのでしょうか。一般的には「中立」であるのでしょう。
シンギュラリティ等により超知能が生まれる過程では、もはや人間があれこれ仕込んでプログラムすることはないでしょう。従って、超知能も、ある意味自然に創られて行く(再生産される)ことから「中立」的になると考えます。
 
その結果、超知能が人間、人類にとってどのように振る舞うか、人間にとって善意に対応するか、悪意に対応するのかは分からないものと考えます。
そもそも人間の善悪や、道徳的なものは絶対的ではなく、例えば地球規模の自然や環境の視点や、世界国家間の駆け引き等を見れば、人間社会における「正しさ」や「善意」等は絶対的とは程遠いです。
そして、上記の「中立」という表現も絶対的な意味をなしません。
 
識者の意見では、シンギュラリティ後等の超知能の世界は、人間にとってよき進化で、素晴らしい世界が訪れる、というものが多いです。
しかし、私はそれについては非常に懐疑的です。
例えば進化が進んだ超知能超A.I.)によって、「人類は不要」という判断がなされるかもしれませんし、それが実行に移されるか否かも予想はつきません。

そういう点で、超知能の発生、さらには進化によって人間社会がどうなるのかはよくよく考えて、A.I.の開発、実用展開を検討、予想すべきだと考えます。 


4. A.I. について(artificial intelligence)

A.I.(人工知能)は、それを作動させるハードウェアであるコンピュータ(電子計算機)の進化とともに、第2次世界大戦後に研究が始まりました。戦中にも軍の暗号解読や砲撃計算等で特殊な計算理論とともに関連研究は行われていましたが、十分なコンピュータ(電子計算機)がありませんでした。

図4.1 A.I.開発の歴史と将来
1960年代を黎明期として第1次ブームが起こりました。各ブームの具体的内容は本文をご覧ください。各ブームの後には反動として「冬の時代」とも言われる低迷期がありましたが何らかの優れた研究は続けられており、次のブームにつながりました。機械学習に続けてディープラーニングで基本形が出来上がった第3次ブーム以降、生成A.I.の大盛況につながり現在に至っています。このまま、果てはシンギュラリティに至る進化があるのでしょうか?

1960年代第1次A.I.ブームではそれ迄解けなかった数学の難問が解ける等、夢のような可能性が期待されました。
一つは、「探索」や「場合分け」の判断分岐処理を連続で行う知的処理でした。問題解決をしらみつぶしに行うようなものでした。
応用として、心理カウンセリングのような対話(画面とキーボードで)を行わせる研究試作もありました。単純な推論装置でしたが、本気で相談を始めてしまう被験者も当時いたそうです。
他方、人間等の脳内処理の仕組み(神経細胞ニューラルネットワーク回路)をモデル化した研究も行われました。その理論方式では簡単な画像認識等もできました(それが後の第3次A.I.ブームの基本理論へもつながります)。
両手法とも基本的アイデアは優れていたものの、問題の規模が大きく複雑になれば、あらゆることを無制限に探索作業してしまうような「フレーム問題」等が生じ、現在とは比べるべくもない電子計算機の低い処理性能、容量等の小ささからも期待成果は得られないことが分かってきてブームは去りました。
 
1980年代第2次A.I.ブームでは、おおまかに言えば判断根拠となる「知識」(ルールベース)を予めA.I.に与えて推論させるもので、高度で専門的な回答も得られるように知的化(専門家らしく)しました。コンピュータ自体の能力も高まっており、そのブームを代表する「エキスパートシステム」(expert system)が多く開発されました。医者や法律家等が行うようなデモも行われ、一部商用化も行われました。
そのような処理を高速に扱いやすくするためのデータ構造や専用コンピュータ言語が開発され、日本を含め世界的に大型の開発プロジェクトも実施されました。
ただし、ここで扱われた「知識」とは、おもに人間の言葉で表現できるような言語記述的で、実際の画像事例等で見られるアナログ的で連続的な画像等多彩な多次元的なものではありません。そのような「知識」で自然現象等を表現するには、そのデータ構造(視覚、聴覚、文字情報で全く異なります)、さらに学習インプット作業をどうするか?等で限界が見えてきます。人の手入力が介在していれば、知能判断処理部の開発以上に、予めの知識化教示がたいへんでした。
前述のしらみつぶしの探索検討も対象が複雑になると、想定すべき場合分けも無限に増大します。チェスや将棋で1手先、2手先は素人でも機械的にすぐに解を出すことができても、10手先はもはや困難なように。
そのような例を除けば、それら探索手法や知識記述方式とも限界が見えて1990年代に入ると再びブームは去りました。
ただし、この第2次A.I.ブームの成果の一つとして、当時のスーパーコンピュータ級計算機と探索アルゴリズムの知識処理の工夫により、1997年にチェスにおいてA.I.が当時の人間最高位者に勝利しました。ただしこの時はあくまでチェス対戦に特化した専用システムでした。
 
2000年を前にしてインターネットが爆発的に普及し、データストレージ等の大容量化もあって、世界的にも共有される巨大なデータ「ビッグデータ」が形成されて行きます。
それら膨大で多様な構造データを分析して活用するために、統計的分析手法等の導入、高性能化したコンピュータパワーを活用して、自動で学習させて判断させて「知識」を作る 機械学習」技術が実用化されました。
それにより第2次A.I.ブーム迄の課題であった知識のデータ化、膨大なデータの「特徴量」を抽出すること(「」を身に着けるようなこと)を人手を介さずに、大量に高速に行えるようになりました。それらによって無限化するようで困難視されていた巨大データの知識化、そして推論等における先手みも大幅に効率化・高速化できるようになりました。
 
さらに人間の脳等の神経細胞ネットワーク(ニューラルネット)の仕組みを用いて、より高度な知能・判断処理ができるディープラーニング(deep learning)手法が実用化されました。そもそも脳内処理の仕組みの導入は上述の第1次A.I.ブームでも研究されていたのですが、それを遥かに改良して実用的にしたものです(2006年)。(研究を主導したジェフリー・ヒントン氏(カナダ トロント大)らは「人工ニューラルネットによる機械学習」で2024年ノーベル物理学賞を受賞)。
視覚や聴覚データ、そしてそれらと文字情報等が多様に融合した多次元的で渾然一体な複雑データを効率的に学習して認識できるようになったことが最大の特長です。
そして一般界ではチェスに続いて、2017年には最も複雑で難しい囲碁においてA.I.が人間世界王者に勝利しました。(本件を主導したデミス・ハサビス氏(米Google)らはA.I.の活用として「タンパク質設計と立体構造予測」で2024年にノーベル化学賞を受賞。2024年は物理学賞、化学賞がA.I.関連での表彰でした)
前述のチェスでは勝つための「知識」(技)を全て人間が予め教え込んで、それを疲れ知らずに処理させて力技で勝利していました(1997年)。しかしここでは予めのシミュレーション対戦等でA.I.自身が学習して「知識」を獲得して「自ら腕を磨いて勘を得る」ように進化した、人間のように優れた手法を採っていました。
 
ちなみに、以上は強力な汎用コンピュータに書込んだソフトウェアによるA.I.の成果です。一方、脳のハードウェア面(ニューロン神経細胞とシナプスの膨大な結線による処理)に注目した「脳チップ」の研究開発もアメリカやスイスにより2015年頃から始められています(A.I.開発上も大きな成果が期待されます)。
ここで言うチップとはパソコンやスマホ等の中核部品である演算チップ(CPU:Central Processinng Unit)を集積したものに相当します。
現在迄長く主流方式であるプログラム内蔵直列処理型(8.5a. )とは大きく異なる別概念の大規模並列処理方式ですから、従来方式のスーパーコンピュータやPC等の汎用コンピュータより高性能、さらには小型、省エネで知的処理を行える(人型ロボット等にも実際的に搭載できる)ことも期待されます。

そして2015年頃迄に第3次A.I.ブームは最盛期を迎えました。
その後、やや停滞感がありましたが2022年の chat GPTに代表される生成A.I.の登場に端を発した第4次A.I.ブームを迎えて現在(2026年)のA.I.盛況期に至っています。第3次A.I.ブーム迄は研究開発者の手にあった高性能A.I.第4次A.I.ブームにおいて生成A.I.で広く一般者が扱えるものになった点が画期的なことです。


5. A.I.とロボット(Robots with A.I.)

5.1 真に実用的で必要なロボット

2000年前後に、日本ではHONDAの2脚歩行ロボット(ヒューマノイド)「ASIMO」が公開され、当時画期的な実機デモを見せ、SONYがごく初歩的ではありましたがA.I.を搭載した小型の犬型ロボットを一般販売しました(1999年から2006年迄15万台もが、多くの購入者(主人)に愛されて十分に実用化されました)
 
私の勤務歴の中の十数年間、ロボットの開発に関わることができました。知能系ではなく、機械系のロボットの開発に全力を投じていましたが、好奇心から様々な分野のロボットを観察しました。そして、それに先立ち工場現場等で既に世界的に活躍していた産業用ロボット(後述)の盛況と共に、その頃(2010年頃迄)、日本はロボット大国 と言われていました。

しかし、開発主体が全て民間ベースであったので、その後、開発コストパフォーマンスが云々され、知能的な高度な制御も未発達であったこともあって、日本のロボット開発は以降、停滞して行きました。
 
一方、2010年頃迄に、米国では、潤沢な資金もあってM.I.T.(マサチューセッツ工科大学)発のBoston Dynamics社等によって上述の日本のヒューマノイド技術を継いでなお超えて行くような高性能な動歩行ロボットが開発され、当時のネット動画等でその素晴らしさが広く知られるようになって行きました。
また、同じ頃から自動車の無人自動運転技術や屋内無人走行技術、そしてそれらを統括できるようなA.I.技術の開発が急伸しました。それら米国の技術はデモにおいて「実用化」を強く意識してアピールしていた点で、上述の日本の開発に比べて有意でした。そして、見事に近年の実用化へ成熟して行きました。
 
今後、何らかのハードウェア上で作動する無形のA.I.を最も身近に魅せてくれるものはロボットでしょう。そして、ロボットもA.I.に大いに活かされ、A.I.と人間をつなぐ最良のインターフェースとなるべきでしょう。
 
しかし、例えば人型ロボット(ヒューマノイド)の世界において、映画『スターウォーズ』では「C3PO」(図5.1)が共生して心許せる万能な執事となるほどに素晴らしいロボットとして登場していました。それらはしなやかに歩いたりする制御はできつつ、人並みのあらゆる作業ができ、人と対等にコミュニケーションが取れ、さらに特筆すべきは自身を整備、メインテナンスができる、ロバストさを備えるものでした。しかし、そのような総合的に「実用的な」ロボットは2026年現在実現されていません。

図5.1 究極の人型ロボットの一例 C3PO(左)(映画『スターウォーズ』シリーズ(1978~))
どんな人種、エイリアンともフレンドリーに話し、ジョークもこなす知能、表現能力を有しています。そのような高度な汎用A.I.が人間と同様に彼の頭の中にコンピュータごと収まっているということが実は現在、全く実現できないのです(図7.3参照)。外観は演出上古臭く見えますが、劇中ではメカとも頑丈で、勝手に自分を分解して自身の洗浄メインテナンスもしていました(後述するようなとても重要な自己維持能力です)

ロボットの研究開発側からユーザ層へ実用的で「身近に欲しい!」レベルのリアルで必要な提示がなされて来なかったからかもしれません。
そこそこのレベルに到達した提示、開発例があっても、後に失敗とされ返って不信感を拡大してしまった事例も多いです。
結果として、人間一般界で身近であるべきサービスロボット(次説明)はあくまで夢のイメージのままで、まだまだ信用されるには至っていません。

一般に、工場等の生産に従事するものは産業用ロボットと言われ、屋内の安定した環境下での既定動作や繰り返し動作が多いです。それら産業用ロボットは、制御知能が十分でない早期に実用化され、それが広範で急速であった日本は、かつて名誉あるロボット先進国、ロボット大国と呼ばれていました(ここで「ロボット」とは上述の産業用ロボットを指していました(図5.2))。
一方、それら以外の、掃除ロボット、介護ロボット、レスキューロボット、ホームロボット等は総じてサービスロボットと言われます。従事場所や用途、自立度・自律度・知能程度はさまざまで広範で汎用的です。そしてそれらには産業用ロボット以上にA.I.の活用も重要です。
これらこそが今後、人の生活に身近であるべきなのです。しかし現実的な実用化(高信頼、高安全、低コストでメインテナンスが容易なこと等の面で)はひどく遅れていて実際の導入は進んでいません。

産業用ロボットとサービスロボット
図5.2 ロボット大国日本を牽引した「役に立つ」産業用ロボット(高度に実用運用される産業用ロボット)
1980年代に入ると、日本では作業(産業用)ロボットとNC(コンピュータ数値制御)自動加工機を組み合わせた製造現場の大幅な自動化、そしてそれによる生産性、生産品質の向上を達成し、日本はその運用規模、優れたノウハウによってロボット先進国と呼ばれていました

ロボット(サービスロボット)が無くても困っていない人の家庭にあえて招き入れられるだけの魅力を得るには、高い知能と、究極の信頼性安全性保守性が必須で、その上でライフサイクルコスト(購入費から全維持費も合わせた総コスト)の徹底的な低減が必要です。
しかし、それは技術的にも法制等の周辺準備的にも著しく難しく未達成です。ホームユースとして、ユーザー自身によるメインテナンスは困難です(家電でさえ今時は難しいです)。業者に任せればハイコストとなることはPCやネットサービス等の現状からも自明で、業者が過剰に儲けたり、ユーザは詐欺に引っかかったりすることさえ危惧されます(それが悲しい現実です)。
 
近年、レストラン等で給仕ロボットがうまい実用化例として散見されるようになりました(図5.3右)。同様な誘導制御方式によりそこそこ使えるようになった家庭用ロボット掃除機図5.3左)は、それでも日本の世帯普及率は15%未満と言われ、決して高いとは言えません。狭い部屋が多くを占める日本の住居には不向きなようで、上述のメインテナンス(一般ユーザによる)も重要な課題となっています。特に人と干渉したり、物を授受したり、平床でない場所でのサービスロボットの運用はまだまだで、上述のロボット掃除機等は正規化された(整然とした)無人に近い平床屋内単純運用以外には向きません。

図5.3 普及している数少ない実用サービスロボット製品
ロボット掃除機(左)は10年以上前に実用化されて家庭内で活躍しているサービスロボットの好例です。同じ自律誘導走行技術を用い、レストラン等で給仕ロボット(右)も見かけるようになりました。うまく普及していますがメインテナンス等は難しくなり、あくまで商用であって、一般家電という程ポピュラーに普及している訳ではありません

5.2 金属的メカロボットと生体工学ロボット

実用化、普及が遅れている前述のサービスロボットにおいて、現在の金属的メカ、シリコン等半導体チップによる「金属的メカロボット」(私の造語。以降とも。図5.4左)や無機物部品では、細密、超小型、柔軟、ローパワー性等の点でどうしても限界があります。
感覚器(センサ、装置)に限っても、例えばハードウェアとしての皮膚の触覚、運動の精細・精密度、柔軟性等において人間(動物)並みの実用品は殆ど実現されていません。信頼性、耐久性迄評価すれば皆無です。
さらに感覚を脳で知覚して四肢、指動作等と統合作業させるような運用で、人間(動物)が当たり前に行っている機能、性能を発揮する高等制御は、少なくともコスト等実用性も考えれば実現できていません(で後述)。それらを生命・生体工学的に実現する将来的な究極の概念のロボットが「生体工学ロボット」(これも私の造語。図5.4右)です。

図5.4 在来型「金属的メカロボット」(左)と将来あるべき究極の「生体工学ロボット」(右)

ここで、重要なことは、同じ性能を達成していても、その統合システムとしての重量、大きさ、作動エネルギーの少なさ等の考慮も不可欠です。で後述する人間や動物の脳の、ある意味手軽で実用的なパフォーマンス等も考慮すればなおさらです。高性能でも巨大なコンピューターや大きなエネルギ源(大容量電池等)を載せていては人大の人型ロボットは成立しません。
 
成人の基本消費エネルギー率は約 1,800 kcal / 日 = 約90w(1日平均)です。思考活動から生体活動の全てを僅か 100 w 足らずのエネルギー消費率で維持しています。それだけのエネルギーをいざとなれば10日以上でも体内に備蓄できていますし、実際は水さえあればより長く生きて行けるでしょう。
現在、広く普及しているLi-ion電池の一般的なエネルギ / 重量密度を約200 [Wh/kg] とすれば、上記の人間の1日分のエネルギ蓄積にはLi-ion電池ベースでは1日分(90w × 24時間(平均))に約10.8 kgもの重量が必要となります。10日以上のエネルギ確保には、約100 kg以上もの搭載困難な重量の電池が必要となってしまいます。
人間等は、そのような大きなエネルギも、まるで体中にうまく分散蓄積しているかのように、実質的に軽量化されています。
さらに、Li-ion等の電池は損傷による発火等の危険性を伴いますが、生体エネルギ活用において危険は全くありません。
 
そして、前述した信頼性・安全性、保守性やライフサイクルコスト(長期総コスト)も考慮すれば現状の金属的メカロボットベースでは実社会では受け入れられないことは長らく示されてきました。
現在見受けられる「研究機」はあくまで実験室内等でしか使えません。現状の知能ロボット等の開発において、実用性等の要素は考慮されておらず、それらを重視した開発体制は殆ど見受けられません。
映画『ブレードランナー』には レプリカントという生体工学ロボットが登場します(図5.5)。劇中で説明はされませんが、金属的メカは使われていない生体工学的に造られた人間そっくりな生体とも言えます。
さらに、それら生体と金属的メカのよいところを融合させたものも考案されています。彼らもロボットとみなすなら、それら生体工学ロボットやサイボーグが登場すれば、在来の人大の金属的メカロボット(図5.6)はあらゆる性能面、機能面で敵い得ません。

それらは、前述の細密度・精細度等高さ、頭脳等のコンパクトさ柔軟性、そして、活用できるエネルギ密度高さ(上述)、省エネさ(高効率さ)、安全性、そして生体的な自己保守性自己組織性等においての総合的な点においてです。
従って、現在のロボットの延長線上にある金属的メカロボットの開発ばかりを進めても、そのような形態では、人間と共生できるような究極のサービスロボットの完成は困難でしょう。

図5.5 生体工学ロボットの例(映画『ブレードランナー』1982年のレプリカント)
労働・戦闘用生体工学ロボットとして世に送り出されます。 人間レプリカということかもしれませんが、完全に自立・自律・自活でき、知力、腕力は開発した人間以上という設定です。人間と共存できるよき仲間となれるはずなのですが。 このようにロボットを生体工学的に創り、製造することは極めて難しそうですが、iPS(人工多能性幹細胞)技術にA.I.ゲノム設計も活用して、臓器等や初期的な生命体(14章2)が生成されるところ迄来ています。在来的な金属的メカロボットの本質的な停滞を考えれば、結局はその方が究極のロボットの完成に早く到達できると思います。 ただし、人間レプリカであれば、倫理・人権上の大問題が生じます。さらに彼らが金儲けや覇権に利用できると認識されれば、後で触れる核開発や、AIのシンギュラリティ出現と同様な問題となるかもしれません。 なお、前述の素晴らしいロボットC3POは一見古臭い金属的メカロボットのように見えますが、実際はそうではなく、古いSF映画の中での金属的メカの外観とした演出に過ぎず、演じられた機能・性能的には生体工学ロボットに匹敵していました。

図5.6 金属的メカロボットの例映画『I,Robot』(アイ、ロボット / 2004年の量産ロボット)
頭は生体的なものを採り入れたサイボーグに見えますが、身体は現在レベルの 金属的メカロボットです。2026年現在多く一般公開されている海外の現実の動画(多数のロボットが集団ダンスをしている等)によく似た光景です。ただし金属的メカロボットの限界到達点だと思います(上述の2026年現在の一般公開動画の現実が、この映像を越えられていないことが示しています)。メインテナンス性、自己修復能力等の点で、例えばわずかな部分でも故障(生物なら怪我)が起きたら自己保守性は無いはずですから、多くはそこで使い捨てになってしまうでしょう
図5.7 コミック『攻殻機動隊』(1991年刊)と アニメ映画『イノセンス』(2004年)
日本のコミックスを代表する士郎正宗氏著作のコミック(驚くべきことに1989年から刊行(左))と発展したアニメ版作品。35年も以前に今も達し得ていない未来のネット世界に棲むロボット、A.I.が妖しくリアルに描かれていました。人間の脳のアップロード(13章2で後述します)がありふれた世界です。『攻殻機動隊』では最後に生命体とA.I.との融合、そしてその進化迄もが語られています。ただ、脳情報のアップロード / ダウンロード等も、現在技術の延長線上では実現できていません。 1990年頃に著者(士郎正宗氏)はどう考えていたのか興味深いです。専門科学者より別世界の人の自由な発想が的を射ていることもあります(本作の素晴らしい想像力、世界観を云々するつもりはありませんし、私は素直に没入させられていました)。なお、画では金属的メカロボットに見えますが、劇中ではあくまで高い完成度の生体工学ロボットとして描かれています

おおまかに言えば、前述の産業用ロボットのような生物的である必要が少ないロボットは金属的メカロボットで実用できました。しかし、上述の生体的なもの、さらには新陳代謝的な有利性(自己保守性、自己組織性等)や高い柔軟性が必要なサービスロボットの完成には金属的メカロボットでは実用上無理であると考えます。

5.3 A.I.が必須ではない将来ロボットの場合

ここで、現状を眺めてみると、介護等用途、災害現場用途等の一部サービスロボットの実用化が喫緊の課題となっています。しかし現状を見ればそれらは技術的にひどく未完成です。
そのことが研究開発の世界で十分に理解・共有・フィードバックされているようには見えません。それゆえ実用化開発はここ20年程の間、殆ど進んでいません。残念ながら技術的にも開発力的にも限界のようです。
なお、介護の現状として、介護者たちにとって、適切で優れたアシスト機械があればとても有用と考えられます(下記事は応用例イメージ)。

そのような分野では、もはや生体工学ロボットの出現を待ってもいられませんが、並行して研究開発を一層進めておくべきです。
 
余談となりますが、上述のアシスト機械分野は、安全制御以外に知能はあまり必要とされず、おもに人が発揮し得ない力・パワーあるいは、大きさ拡張が求められます。例えば油圧建設機械(重機)が手動であっても広範に実用化されて大いに役立っている現実から、油圧制御駆動技術は今後も特に、大型ハイパワーのロボットを活かす有力な技術です。
 
なお、パワーパフォーマンスを高められる油圧制御駆動は、画期的な実用動歩行ロボットを先駆的に開発・実証して来た米Boston Dynamics社が既に2000年代初頭から活用して成果を挙げていました(図5.8)。
 
ここで、A.I.とは別視点からの言及で、本文書の主眼(知能、AI、意識)とは離れることになりますが、上述したように総合的に劣勢と考えられる(私がそのようにも説明してきた)「金属的メカロボット」(例えば「機動戦士ガンダム」のような大型人型ロボット等)であっても、大きさ、パワーの点で将来実用機として十分役立つ人型の拡張ロボットとして13において、究極の生体工学ロボットと並べて取り上げています。ここで重要な事は真に実用的で役に立つロボットなのですから。

図5.8 最高の運動性能を油圧制御駆動で実現した米Boston Dynamics社の ‘Atlas’(2020)
将来の実用ロボットには生体工学ロボットが有効であると書きましたが、アシスト機械・ロボットや大型ロボット(例えば人型なら身長3メートルを超えるような汎用作業ロボット)には大きな力・パワーが求められます(写真の’Atlas’油圧型は身長約1.5m、重量約80kg)。知能は低くとも広く実用化されている建設機械(重機)でフル活用されている油圧制御駆動はそれを満足していて貴重です。 米Boston Dynamics社では2005年に一般公開された4脚歩行ロボット”Big Dog”以降、秀逸なメカと油圧制御駆動技術を活用していました。 最近は電動モータも高性能化して、上掲’Atlas’にも電動型が登場しましたが、大型の自立ロボット(例えば「機動戦士ガンダムのイメージ)用に十分な小型軽量ハイパワー電動モータは存在していませんし、 現状、駆動源には油圧(液圧)が最適です。そのことは、非常に大型の建設機械(重機)が人による手動操作であっても、とても俊敏にパワフルに活動している作業現場を見れば納得できることと思います


6. シンギュラリティ… 特異点(singularity)

6.1 シンギュラリティとは

シンギュラリティ(singularity:特異点)の概念はA.I.に関する秀逸な業績でも知られるレイ・カーツワイルらによって、提唱、説明されてきました(10章図10.1で説明する氏の著書が詳しいです)。
A.I.におけるシンギュラリティとは、進化の途中で当初想定外の新技術等が加わり、自己自立改良も始まってその速さが自発的に加速されます。それは、
 進化の規模・速さが一線を越えると超絶した理解困難な異世界に突入する
という概念的なものです。図6.1とともに以下にA.I.の進化過程での例を説明すると、
 
現在の大規模開発によって最高レベルの汎用的なA.I.が人為的に進化させられます。その過程で現在予想していない新技術、新手法も加わり、さらにA.I.自身による自立的な自己改良も始まり、進化は勢いづきます。自己改良はコンピュータ内の電子的作業でなされるので進化は二重の理由で高速化します。
 例えば、最新1週間の進化具合が、1年前の1週間の百倍、あるいは千倍も速くなるように、おおまかに数学的に言えば、指数関数的に速くなるとされます。
 
さらに、世界で独立して開発され、自己進化を遂げて成長してきたいくつものA.I.が、相互に接触を繰り返し、淘汰あるいは融合され、より強力なA.I.に自己改造されて行くことも考えられます。この点については識者等の共通認識ではありませんが、将来、電子的な戦争でも仮想すれば、人間の戦争以上にロジカルで速い勝負、決着がなされるでしょう。
 
進化がある一線を超えてシンギュラリティの域に到達します。全世界的に一体化したA.I.の思考はもはや人間には理解困難な異次元段階に昇華します。システムの知能が高くなり過ぎて人間には理解できなくなるといったことです。
 
シンギュラリティ後、A.I.のふるまいが人間にとってどうなるか(友好的か敵対的か、善か悪か等)はもはや理解・想定の範囲外となります。理解困難な相手ですから、不幸であれば人類にとって敵対的なものにならないとは言い切れません。但し、その時のA.I.の身体性(情報インターフェース、外部ネットワーク、インフラ等との関係)や人間社会との関りにもよるでしょう。

図6.1 A.I.の知能増大の経過とその後
多くの一般的技術開発は図右下の「年代」(経過時間)に対して、①のように想定通り直線的(正比例的)に増大、進化します。一方、A.I.のように元来進化が急速で、開発が広く集中的に行われれば、途中で何らかの想定外のブレイクスルー等も多分に起こり、進化は複利的、倍々ゲーム化して数学的な表現で言う ②のように指数関数的に進むことがあります。そしてその末にある一線(シンギュラリティ:特異点)に達します。進化が急速化するので到達迄の期間も短くなります。 ※1は、2024年11月発表の世界スーパーコンピュータランキングTOPの米国ローレンス・リバモア国立研究所の「El Capitan」の概略計算能力値約2Eflops(エクサ(1018)フロップス)です。ただしその値やグラフ左の数値が人間の脳の知能を反映している訳ではなくあくまで参考値です。単位である「フロップス」も単に1秒間に行える浮動小数点演算の回数です(脳神経細胞とは処理の意味合い、処理単位の括りが異なりますが、脳内演算処理はアナログ的でもあり複雑です)。 同じ2Eflopsの高い計算能力でも処理する内容(アルゴリズム)次代で「知能」は大きく異なります。 ※2の2045年というのは、前述のレイ・カーツワイル氏が著書(10章図10.1)で提示したA.I.におけるシンギュラリティ到来予想年です

上述において、シンギュラリティに近づいてからのA.I.の中で 何が起こっているのか? はもはや開発した人間たちにさえ解らなくなるとされます。
膨大なことを学習したA.I.が、どの記憶やロジックを使って、どういう経過・計算を経て解を出力するかは、神経回路やマイクロチップの中の電流が見えないようにブラックボックス化されて外からは解らず、外部の人間たちからの制御も困難となるA.I.ダークサイド問題です。
ある人間が頭の中でどのように考えているか、嘘をついていないか等は、たとえ開頭して調べても解り得ないことと同様です。
 
A.I.におけるシンギュラリティの出現は、上述のレイ・カーツワイル氏によれば、約20年後の2045年とされています。
しかし、彼自身が暗示しているように高精度な予測は難しく、最近の想定外の世界的熱狂から、さらに早く到来するのではないかという意見もあります。
一方、後述するようにだいぶ遅れ、あるいはシンギュラリティ自体が曖昧なものになるか、到来さえしないかもしれません。
 
ちなみに、電子計算機(コンピュータ)の始祖の一人であるジョン・フォン・ノイマンは、シンギュラリティA.I.のこととしてのみならず、イノベーション全体にも当てはめて、生前の1958年に、次のように予言していました。

たえず加速度的な進歩をとげているテクノロジーは <略> 人類の歴史において、ある非常に重大な特異点に到達しつつあるように思われる。この点を超えると、今日ある人間の営為は存続することができなくなるだろう。

ジョン・フォン・ノイマン (1958)

そして、そして、シンギュラリティへの到達過程で生じる指数関数的な進化に似た現象は、他のいくつかのイノベーション開発場面で既に起きています。
次に挙げるゲノム開発(細胞内のDNAに含まれる全遺伝情報の解読)の例、そして身近では特にインターネットの激的な成長は、その規模が正しく掴めない程に爆発的に拡大しています。

人間の全ゲノムの解読プロジェクトにおいて、1990年の開始当初の1年間では、目標のわずか1万分の1しか解読できず、完了には100年かかると絶望的に見積もられました。
しかし、着手後に想定外の解読新技術が次々に開発され、開発自体も世界的に盛り上がり、作業は当初想定以上に効率化・加速化されて行きました。既に2003年に(わずか13年で)ほぼ100%の解読が完了しました。その直後、次世代解読装置も登場し、低コストでさらに100倍以上の速さで解読できるようにもなりました。

予想をはるかに超えて早まって達成された ゲノム解読プロジェクト (1990-2003)

6.2 シンギュラリティの実際は?

シンギュラリティはA.I.の進化上で起こるとされています。しかし、それが起きた際の主体は何なのでしょうか?シンギュラリティについて言及する本はいろいろ読んで来ましたが、その辺については案外触れられていなかったように思います。

コンピュータ世界の中だけのA.I.の暴走ではなく、当然、周り(人間社会、インフラ等)も巻き込んでのことでしょう。そうであれば、世界革命や、最悪の世界最終戦争にもなり得るものでしょう。
例えばA.I.にとって、一種の身体ともなる周辺(例えば関連する情報インターフェース、インフラ、例えば工場等。さらには何らかの「力」を発揮できるもの(戦闘・防衛装備等))の有無や、その完成規模等によってもかなり様相は変わってくるでしょう。A.I.に依存・没入状態にある多くの(膨大な)協働する人間およびその人間による既存社会システムによる相互影響も大きいでしょう。
 
A.I.がただのコンピュータシステム世界内の閉じたものであってその範囲内の暴走であれば、遮断、排除を試みることで人間界との問題や危機を回避できるかもしれません。しかし、それができるようではそもそも期待するような優れたA.I.は得られていないでしょうから、そのように簡単には済まないでしょう。
それに、A.I.が暴走したからと言って、簡単に無害化のために遮断した場合、世の中の生産活動、インフラ等が場合によっては報復的にも停止されてしまい、遮断、排除の方が返って危険な状態になっているかもしれません。
 
ここで、人間世界の中にあるシンギュラリティを起こすようなA.I.にとって、コンピュータに対し進化速度が目立って遅い人間が混在、協働していますが、その場合、人間やその周りの関連事物がまとわりつくようにネック(律速)となって反応が鈍くなって、シンギュラリティ現象とも全体の進化が鈍化する、あるいは遅くなることは予想できるでしょう。

先ず、一般にA.I.が暴走するとは言ってもそれは現在の生成A.I.のようなコンピュータシステムだけの中の純粋なIT、電子処理世界内のことが前提となっている言及でしょう。
実際にコンピュータ内のA.I.が超高速で爆走し始めても、それを外部に影響させる身体的部分(身体性)、周辺インフラ、そして上述のような人間たち(一種の阻害ノイズ要因とさえなる)を一体とみなせば、知能進化についても、進化、知能の制約、進化の遅延を招くでしょう。
前述のレイ・カーツワイル氏の予想するシンギュラリティ到来予想が、例えば2050年にも、2070年にもなるかもしれません。あるいはシンギュラリティ自体阻止されるでしょう。

図6.2 A.I.の知能増大の現実的な経過
シンギュラリティがコンピュータシステム内だけで起きた場合、上図左のピークのように臨界期に来れば短時間にシンギュラリティに達するでしょう。しかし進化の世界全体には当然ながら、超高速のコンピュータ以外の身体的なもの(相互につながる外部情報インターフェース、インフラ、そしてややこしい存在である多数の協働する人間等)が絡めば、進化、ひいてはシンギュラリティの進捗速度、先鋭度は著しく鈍り、その進化知能の上限は制約され、到来時期も遅延するでしょう。また、シンギュラリティには当然、処理速度、データ規模等のハードウェアの性能限界も影響します

6.2において、指数関数的成長曲線(左の赤の太線)は、コンピュータ内であれば特異点を過ぎる辺りではわずか1日間でも進化が激変するはずですが、それが鈍化され、到達知能上限値は制約され、進化時間も遅れます。
1日で爆速達成され得るものであったとしても、人間社会システムの中であれば何年もかかってしまうというようなことです。
 
それは、人間という進化が緩慢で決して速く適応できない「生物的特性」が、結果的にシンギュラリティという数学的・物理学的な怖さ、危険に対する安全ブレーキ的なものとなってくれるのかもしれません。

6.3 シンギュラリティ後の世界とは?

そもそもそれは人間には予見不能なことだと思います。
むしろ映画『ターミネーター』の破滅的世界(機械が人間に反乱して人間社会を破壊し始める)の映像イメージが一般に解りやすい例かもしれません(映画ではシンギュラリティとしては扱っていませんが分かりやすいエピソード例です)。

図6.3 シンギュラリティ後のA.I.世界の行き着く先はどちらでもない…
(左:生成A.I.に描かせてみた天国のイメージ。 右は映画「ターミネーター」の殺戮ロボット)

現在、熱狂して騒がれるA.I.は一見便利で素晴らしく映る膨大なメリットを提供しています。ただしそこで、生成(generate)されることは必ずしも 創る(createする)ことばかりではありません。
それらと引き換えに、多くの識者が警告しているようなたくさんの文化の崩壊、そしてさらに行き着いた先での文明の崩壊(例えば世界核戦争)につながらないように祈るばかりです。
 
私にはそれがかつて、原子核物理が一大イノベーションとして世界中でつながって熱狂的に開拓され、原子爆弾の開発、実戦投入に迄つながってしまったことと似て見えます(図6.4)。
次の説明の、原子爆弾の実戦投入迄とその後の社会変化はまさにシンギュラリティの出現過程の一例にも見えます。

1895年にウィルヘルム・レントゲン(ドイツ)によって放射線であるX線が発見され、今から100年以上も前の1920年に既に物理学上の一大発明である アルベルト・アインシュタイン(ドイツ-アメリカ)の相対性理論は裏付けられていました。アインシュタイン以外にも、同1920年代には、ニールス・ボーア(デンマーク)やヴェルナー・ハイゼンベルク(ドイツ)、そして理論や議論を共有・展開する様々な著名な科学者らによって原子核物理(やその関連とも言える量子科学)が発展されて行きます。
1930年代になって世界は不安化して分断も起こりますが、多くの著名な科学者たちは海外間(欧米間)を鉄道や客船によって、とても熱心に往来して貴重な学界や友人としての親交にもよって原子核物理等を密接に議論、解明し、実用化も進めました。当時としては熱狂的なこととして映ります。
そして、1934年にはエンリコ・フェルミ(イタリア)が中性子による核変換(核分裂)を実証しました。アーネスト・ラザフォード(ニュージーランド-イギリス)が早くも1903年に予言していた恐怖の大規模核分裂(適当な起爆装置さえあれば、物質の中で原子の崩壊がつぎつぎと引き起こされ、実際にこの旧世界ははかなく滅亡しかねない)の実現に近づいて行きました。
そして、第2次世界大戦によって欧米が完全に分断化される過程において、多くの著名で優秀な原子核物理学者らは集中的にアメリカに移って「ドイツより先に完成させなければ世界が滅びる」という猜疑的恐怖心(実際にはその予想は外れていたのですが)に駆られて集中的に核開発を加速しました。それを国家権威、体制、資金が集中され原子核物理を爆弾として実用化する巨大イノベーション 「マンハッタン計画」において原子爆弾が完成され、そして不幸にも実戦投入されてしまいました。

  原子物理学の熱狂から原爆開発(シンギュラリティ)、そして大災厄へ「なぜ、ナチスは原爆製造に失敗したか」(Thomas Powers著)からまとめてみました

A.I.の熱狂的開発過程が、原子核物理が核爆弾開発・実戦投入につながった歴史と重って見えます。

図6.4 原子核物理の熱狂の末に、戦争、国家権威も加わった結果、原爆が実戦投入された
(左上:広島市 1945年)/ 右下:水爆実験(マーシャル諸島 1954年 アメリカ国立公文書館)

そのことは、そういう核物理学者の始祖たちに重なる現代のA.I.開発者たちには見えていることかもしれません。
ただし、それを抑えることは難しく(国際的制限への枠組み化など核軍縮以上に無理でしょう)、そのようなイノベーションへの熱狂は将来への危惧を抱かせます。
2026年現在、日本のみならず世界中でネットによるA.I.を利用した「国家的な確信犯的犯罪」迄もが激増しています。
性善説に沿った自由化の名の下に、利己的な組織や一部の国家さえもがイノベーションへの「適切な抑制」を妨害しています。その構図の上で、もはやトラブルは拡大の一途で改善は望めそうにありません。 

6.4 妄想に過ぎないシンギュラリティ後の性善説

シンギュラリティの発生頃迄はA.I.の進化、昇華には人間が関わって行きますから、現状見られる人為的で不適切で無制限なイノベーションの添加は避けられないと思います(例えば「ロボット3原則」が真に必要だとされてもイノベーションにとって邪魔であれば敢えて組込ませない等の人間の恣意が働きます)。
その末にシンギュラリティに移行した場合、A.I.が採り始める対応(良し悪しという概念ではありません)は予想できません。
それは特に最近の「AI開発制限への枠組み」と称しているような活動等に私が感じる無力感から思えることです。
 
別の視点で、章で後述するシンギュラリティ後の超A.I.が人類をどう見てどう扱うかといったことの予想もたいへん難しいと思います。
暴走した超A.I.の知能は人間の数百倍にもなるという話もありますが、知能というものの定義も曖昧で、「知能指数」等の表現も無意味化します。
そこへ人間の道徳的観念の一部である性善説を持ち込む、すなわち、
 究極的なA.I.は(人類にとって)善きもの
といった期待は無意味です。

現在に至る長い歴史上、「正しき者」、「善き者」を自認、主張する者、人種、宗教間で争いが絶えません。互いに同じ知能レベルですから永遠に解決しないのかもしれません(動物は本能的に決着の掟を心得ていますが、同種間でも「隙あらば闘う」ようです)。
人類を圧倒する非生物的な高知能体なら、むしろ人類を「必要なもの」、「生存を許すもの」、「無視するもの」、「処分すべきもの」等に類別して短時間に処置を実践しようとするのではないでしょうか。
 
実際を見れば、章で述べたディープラーニング等普及後の生成A.I.の今ほどの盛況、熱狂さえあまり予想されてはいませんでした。その後の2026年に起きつつある一部ので触れたような文化崩壊(人間の退行等)さえ想定外のようでした。
 
考える余裕も必要もなかったのでしょうが、人類全体としての予想精度は案外低く、イージーにさえ思えます。
改めて、A.I.道徳は自然に発現しないし、道徳自体は人間にとってある一つの都合のよい概念に過ぎません。弱肉強食による殺傷が善いことか、悪いことかさえ絶対的なことは解らないし、そのような「正しい」解はないのです。
 
一部の人々には分っていたのかもしれません。それは勝手知ったるイノベーション推進側の人らで、上述のような危惧があっても構わないで押し通そうとするような勢力ばかりなのかもしれません。


7. 脳と知能 について (intelligence)

7.1 脳の概要

ここで、人間(動物)の基本的な知的機能、そしてそのハードウェアである「」について参考に触れておきます。
それらの能力、機能については用語が様々にあるので(知能、知識、意識、認識、記憶、知見、学習、経験…等)、以下では「記憶」(memory)、「知識」(cognition、knowledge)、そしてそれらが組み合わさって発現された能力である「知能」(intelligence)を中心に後の章の内容(意識)にも解りやすくつなげるよう、用語、図とも簡略化してみました。
思考に関連する主要な脳構造部位について図7.1に、機能情報の流れと意識の位置づけについて図7.2にまとめてみました。

図7.1 思考に関連する主要な脳構造部位
人間の脳の前後方向中間辺りでの断面図です。人間の高度な知能は主に大脳新皮質で発現し、処理されます。そして、記憶を主体的に扱う海馬があります。さらに無意識下の感情、体感等や、重要な生命維持を処理する脳幹~間脳、中間質である白質、そして運動やそれに伴う経験を処理する小脳が目立った機能を発揮しています。左右対称形ですが、右脳(図の左側)と左脳で若干機能担当が異なります。

人間の脳というハードウェアは、その膨大な進化を重ねた人間という固有種の脳として、生得的な大枠構造が卵子から発生以降、DNA情報により形成されます。
特に鳥類、哺乳類以上の高等生物に目立って特徴的な大脳新皮質では、おもに上記の「記憶」、「知識」等が情報処理されています。人間においてそこは特に進化して、上記機能とそれらが集約した能力である高い「知能」を発現します。
 
そこには160億個程度の神経細胞ニューロン(大脳)と、ニューロン1個に平均10,000もあるとされるシナプスという神経細胞間をつなぐ多数の突起状接合部が存在します。それらを掛け合わせた100兆個規模の接合と、そこに流れるさまざまな電気パルス信号のパターン、強弱等により、もはや現状の研究でも把握できていない圧倒的膨大な組み合わせのデータを記録/再現し、データ判断等の情報保持、処理等が可能となります。
章のグラフ(図6.1)左の数値は現状のスーパーコンピュータ等の能力尺度の一つである「計算パワー」(総計算能力)を示していますが、人間の記憶量等とは異なります。記憶量や知識量については10で後述する「超記憶」のような潜在能力を考えればあたかも無限であるかのようです。
 
特筆すべきは、殆どの在来コンピュータとは全く異なり、プログラム(作業指示)がありません。そして、上記回路のシナプス結線間の膨大な可変伝達強度部の組合せを流れる電気パルス信号により全てが大規模に並行処理されてまとめられます。
大脳新皮質においては、上述の通り成長形成過程において、どの部位も基本的に同種の神経細胞(ニューロン)ネットワークによるモジュール構造のようになっています。厚さわずか数mmの大脳新皮質上に特別な器官はありませんが、一見均質であっても、各部位毎にさまざまに予約された生得的な大枠の機能配線が組み込まれているようです。視覚を司る視覚野は後頭葉(後部)にある等です。
さらに、上述のニューロン、シナプスの結線には可塑性(学習による柔軟な可変性)があって、生得的な基本機能、基本性格等に加えて、生後も経験等による「記憶」や「知識」情報等の後天的情報も加えられて行きます。
本能や遺伝情報によるものは生得的に有していますが、親の後天的記憶等はもちろん引き継がれません。シナプス結線の可塑性(結線個々の物理形状および化学物質が介在する結線結合度の強弱変化)にはとても速いものもあります(視覚画像や数字を瞬時に覚えられることから推察できる俊敏性を備えた回路結線です)。


図7.2 思考に関連する主要な機能情報の流れと意識の位置づけ
図の中央の大きな枠内が大脳新皮質が包含するものです。おおまかに「記憶」とそれらを管理して活用する「知識」に大別されると単純化して考えます。記憶自体には直近の作業等にも活かされる(ワーキングメモリ的な)短期記憶と、膨大に溜め込んで適宜引き出すことができる(アーカイブ的な)長期記憶があります。ただ、記憶自体は基本的には情報蓄積機能で、「知識」がそれらを活かします。そして、生得的、後天的に形成された「知識」と、整理された「記憶」によって「知能」的な活動が発現され、それらが上手く働けば高い知能となると考えられます(あくまで大まかな表現です)。ただ一般に「知能」と称しているものだけが人間の知的能力ではなく、さらにそれ以外の様々な能力を発揮できます。以上は全て大脳(おもに大脳新皮質)内で処理、実施されています。 8章以降で触れる『意識』をここでどのように描くべきかは解っていません。 『意識』を「脳」とは別モノとして、半ば「脳」(大脳新皮質)のくくりの外に置いたのは人間の「記憶」、「知識」や、それら総体が発揮する「知能」は「脳」というハードウェアあってのもの(実体ある情報)ですが、一方、『意識』はそれら「記憶」、「知識」や総体としての「知能」等に起因する情報やデータやその流れから発現するもの、さらには「脳」のハードウェア構造に起因する、何か別のくくりでコミットする無形で動的な何か別の機能と考えてのことです。 (必要な部分のみをピックアップしてとても単純化した参考図です。また、『意識』については8章でも改めて触れます)

後天的情報としての「記憶」は自ずと膨大に蓄積整理されて行き、それらはおもに短期記憶長期記憶に大別されます。
感覚器(視覚、聴覚、触覚等の五感)からの知覚情報や、間脳等を含む脳幹からの情動体感覚情報(動物としての基本的な自律機能や感情)等、そして、運動を司る小脳や感覚器からの身体感覚等のさまざまの複雑な構造の情報があります。それら構造はマルチモーダルと言われ、映像、音、体感等異なるデータ構造・意味を渾然一体化したもの、例えばある画像記憶に伴う好き嫌いや怒り等情動、さらには触覚記憶等の別知覚情報さえもが融合されるといった複合イメージです。それら複雑で膨大な情報は一旦各知覚部等の発信部位で整理されます。読み書きされやすい短期直接型の記憶情報としておもに図7.1の「海馬」に整理、保存されます。
海馬」に保存された情報は、さらに整理されて、大脳新皮質側の膨大な長期蓄積型記憶領域へ蓄積保存されると考えられています。
現実的なコンピュータに当てはめれば、「海馬」は小規模な半導体式の一時記憶用メモリ的で、「大脳新皮質」はデータを整理して関連紐付きで扱うことができる大容量ストレージ的です。脳の場合はメモリとハードディスクといったような別なしに、同じ構造のニューロン細胞とシナプス結線により構成されています。
長期蓄積型記憶は広大な領域に置かれるので、引出し(思い出し)時は、先ずどこの情報にアクセスするかを定める必要があります。各々の情報を精密に瞬時にダイレクトアクセスすることはできないでしょう。INDEX的な指定はあっても関連紐付きで連想的につながった引出しも行われるようです。一方、書き込み時は「知識」が関連紐付けもしつつINDEX指示して然るべき領域に情報を保存すると考えられます。
昔に行われた実験では、被験者(患者)の大脳皮質のある記憶領域を刺激すると、それがINDEXとなったかのようにその位置に収められていたと思われる「記憶」が不意に被験者に感じられたと言われています。
それは上述のマルチモーダルで視覚映像、音響等の知覚のみならずその時の情動(悲しみ、怒り、幸福感…)等も複合して再体感するようにとてもリアルで鮮やかであったそうです。
なお、任意の「記憶」は特定の領域に書込まれるかのように前述しましたが、脳の記憶領域全体に相互連想等もできる形で分散して共有される(1つの内容が何カ所にも保存される、あるいはホログラムのように多重化して)という説もあります。この辺ははっきりしたことは解っていないようです。 

7.2 知能発現のイメージ

膨大な「記憶」情報は、他の記憶情報ともつながり、情報を他に活かすよう判断・分析する「知識」(cognition)の機能を生じ、整理され纏められて行きます。
そして、「知識」の処理ロジック自体もアップデートされ、より賢くなります。「記憶」も連想しやすく引き出しが速くなり探しやすくなります。
結果的に活かされる情報が増えて行き、有効な記憶容量も増えて「頭の回転が速くなり、記憶力がよくなる」ような感じになるのだと考えます。
おおまかには、「知識」の高度化は、大容量化して物知りとなった「記憶」とともに情報を判断・考察・分析する総合能力である「知能」を高めるはずです。
外からの「記憶」の追加と「知識」の改善(それが「学習」です)が加われば、総体としての「知能」は高まります。

おもに記憶詰込みの暗記学習(専ら記憶量が増える)と、上術の知識処理のアップデートを行いつつの思考学習(記憶と知識の連携も高まる)とでは「知能」の改善効果も異なってくることも考えられます(諸説あり)。 

7.3 圧倒的小型省エネコンピュータ

上述の機能を発揮する大脳新皮質にはシワが多くあるので、平らにすれば見かけより広く50cm(センチメートル)× 50cm 程度の面積があるとされます。神経細胞ネットワークがある表層の厚さはわずか数mm、実質平均 3mmとすれば、実体体積は700立方センチメートル程しかありません(片手に収まるわずか一辺9センチメートル弱の立方体程度です)。重量は実質700グラム程度、脳全体でも1.5kgを越えません。
そして、消費エネルギーは人間一人の脳全体でもわずか20Wとされます。現在の一般的なノートPCの数十Wより少なく、8畳(4m × 3.5m程度)の部屋を照らすLED電球並みの素晴らしい超省エネコンピュータと言えます。
人間の知能を実現するのに現在最も近い(けれどまだ及ばない)世界最高性能のスーパーコンピュータでは、消費パワーは脳の百万倍以上の30MW(メガワット=百万ワット)にも達し、その床面積はサッカーコート半面ほどにも及びます(図7.3)。
そういう観点も含めれば人間の脳は超絶的に優れたハードウェアであり、片や前述の人と共存できるで説明した映画「スターウォーズ」のC3POの頭部に載るような(半導体チップによる)ロボット用人工頭脳など、現状は夢のまた夢です。

図6.3 スーパーコンピュータ(日本の「富岳」)と人間の脳のスケール比較
写真は日本の理化学研究所が運営するスーパーコンピュータ「富岳」(2021年~)一式が置かれた部屋の内部全景で、手前の視察室には観覧者がいます。 この「富岳」(それも本体のみ)がサッカーコート(105m×68m)の半分くらいの広さに置かれています。その全力消費電力は、世界最高速のアメリカ「エル・キャピタン」(2024年~)と同様約30 MWです。脳は、人間の一日平均約 1800kcal(キロカロリー)の約 20~25%のエネルギーを消費するとされます。すなわち 約400 kcal /日 = 約20 W です(ノートパソコンが約 30W です)。これは、上記2つのスーパーコンピュータの約100万分の1以下という圧倒的省エネです。脳全体の重量は1.5kgもなく、右の円の中に人間の頭部とその中の大脳を「富岳」写真と同スケールイメージで描き込んでみました。 以上、スーパーコンピューターを基準にみれば、「脳」は 神がかりの驚異のコンピュータなのです。「富岳」を含む現状のスーパーコンピューターでは人間の総合知能には到達できていませんが仮に知能性能で追い付いてもこの重量・寸法と消費電力の大きさから、自立型ロボット等への搭載は無理です

7.4 知能が「思う」か?

ここで、多くの研究者が言及するように、たとえ脳というハードウェアの中であっても高度な「知識」、そして「知能」が「自ら(意識して)思う」という実証が現状はありません。
ただの電気回路上の無機質で複雑なロジカルな整合が取れた動作だけと考えられ、「自ら思う」といった「意識」による自我や自己認識能力存在の理由説明にはなっていません。

A.I. において高い「知能」は、例えばチェスや囲碁、画像等の思考的なもので人間を圧倒しつつあるように見えますが、現状はおもに人間が作った膨大なプログラム指示により超高速で判断処理を繰り返してまとめているだけで「自ら意識して考えている」とは考えられません。
 
そこに人間等と同様に『意識』がコミットするようになれば、A.I. シンギュラリティとは特に関係なく、「思う」、「意識する」ようになり、そのハードウェアの柔軟性等の構造によっては自主性、生存性、自己改良性が高い(本能性起因の)生物的な『生き物』となって行くのかもしれません(生き物の定義もさまざまですが)。

死者が蘇って「こころ」あるいは『意識』がないけれど、自動ロボットのように外界に応じて一見自発的に活動する「ゾンビ」が映画等で描かれています。それらを「哲学的ゾンビ」と呼ぶことがあります。理論的なゾンビということです。
彼らが仮に空腹で悲しいと発生する(たぶん唸る)ことはあっても、人間とは違ってそれを内的に「思っている」のではないのです。
従って、そこに『意識』が宿った場合、人間のようになるとも定義できるでしょう。
ただ、ゾンビには若干でも行動するための十分な「知能」は存在します。

この辺りについては、章、章でも改めて触れます。


8. 意識について (consciousness)

8.1 意識とは

意識』(consciousness) とは「自分を認識しているもの」と言え、一般に下のデカルトの表現の「思う」ものに代表されます。
「いったい、何で、今、自分は自分のことを思っているのだろう?」

われ思う、ゆえに われあり

ルネ・デカルト (哲学者・数学者 1596-1650)

意識』 は、A.I.でも発揮される「知能」(intelligence)、「記憶」(memory)、「知識」(knowledge、cognition)とは一線を画した概念です。
意識』は、脳を含む肉体(実体のあるもの)とは別の能動性を持った精神的なものともみなされ、「心身二元論」の「心」側を表すものでもあります。

図8.1 心身二元論を説明する図(ルネ・デカルト 1641)
脳内の器官「松果体」(しょうかたい)に「心」(精神)がコミットして心身が統合されて肉体を能動させているというイメージ図です。「松果体」が司令塔という意味ではなく、無形の「心」がコミットする場ということです。そこが松果体とされたのは、配置上、脳内の中央的器官のように見えたからに過ぎず、実証されている訳ではありません。また、思考のフィードバックループが描かれていますがここでは関係ありません

少なくとも人間は誰もが当たり前に主観的に「思い」を認識していますが、それを思う『意識』がどこに在るのか?どのようにして認識」されるのか?は解明されておらず、糸口さえ不明な古くからのミステリーです。
この章では『意識』について触れて行きます。
ライプニッツ(ゴットフリート・ライプニッツ 1646-1716)は、例えば機能している脳の中のどこに入って覗くことができたとしても、意識や思考の形、存在の形跡等は見出せないと考察しました(結果的に『意識』の形ある実体は見出せない)。
意識』が形あるものとしての存在確証は、現在最高の巨大スーパーコンピュータの中のどこをどのように探してもまったく見出せないということにもなります。但し、それで『意識』の存在実体が否定される訳ではありません。 

一方、現在の生成A.I.は既に非常に高い「知能」を有しています。
広く知られている事実として、チェスや囲碁等のゲームや、膨大な記憶・知識を必要とする世界的なクイズ番組や大学等の入試問題等で人間に勝利している点でも、そして広がる生成A.I.の実績において、それは確かに実証されています。
例えば、知能指数の点では既に、人間・人類を凌駕しているか(少なくとも一部の特定の知的作業領域においては)、近くそうなるでしょう。

一方、自意識的な『意識』は人間には当たり前に在って、犬や猫、さらにはネズミ等にもあると考えられます。そして、現在の生成A.I.にも『意識』あるいは自意識があるという考察もあります。
しかし、それはあくまでその働きを外から見てのことと考えます。
コンピュータやソフトウェア、その他電子信号的なものが上述のように高い知能を発揮しても、内的な自意識的認識 意識)を有しているか、本人(本体)が本当に「思って」いるかの証明にはなりません。

生成A.I.が「悲しい…」、「嬉しい…」等と言って来ても、それはコンピュータ内の単純なロジックの組合せで自発的発言のようにもできるからです。
先述()の哲学的ゾンビ(無自我なロボットと同様)であっても、食欲はあるようです。もし喋ることができれば「空腹が悲しい…」程度は『意識』無しに自動ロジック的に(単純な低い知能プログラムによって)発することはできるはずです。それらは見せかけの(ような)感情なのでしょう。
一方、人間の感情は常に本人に認識されている(思われている)、単純なロジックではない「こころ」と言ってよいものでしょう。

現在のコンピュータ内にA.I.(人工知能)が存在するのは、その「知能」が人間が意図的にメモリに書込んだプログラムで実行されているからです。しかし『意識』については上述のように実体が解っていないので、人間はコンピュータ内に意図的に組み込むことはできず、実施もされていません。

そのように現在のコンピュータに『意識』は織り込まれて(プログラムされて)いないので、その上で上述のライプニッツのように考察しても、その存在は確認できるはずはなく、それゆえ当たり前には存在し得ないと言えそうです。
もし、それでも『意識』が発現しているのなら、自然発生的にということになります。

しかし、それでも人間において、『意識』は確かに認識される存在である以上、後述するような何か他の概念的機能あるいは構造に寄生的に生じる無形の働き(一種のエネルギーのようなもの)、あるいは何か他の機能作用が、情報(データ)に隠れているかのように重ね置かれたりして(重畳して)存在するようなものとも考えられます(参照)。

8.2 自分を「思う」意識

一つの検討として、人が死んだらその後、『意識』はどうなるのか?と考えてみます。
ちなみに私は死後の世界輪廻転生はぜったいあって欲しくない(完全に消滅したい)と願っています。仮に生まれ変わって人になってもひどく悲惨で不幸に始まるかもしれません。考えればとても怖くなります。幸・不幸の尺度がなさそうな1匹の虫になるのならまだよいかもしれませんが。
私は以上の理由から、死後の世界や輪廻転生はとても怖く、あって欲しくないと願っています。
 
記憶」、「知識」や「知能」の実体が、「」というハードウェアに書込まれている実体情報(神経細胞ネットワークのニューロン、シナプスの膨大な結線強度の組合せに過ぎませんが)である以上、「」が消滅すれば、今の『意識』が、記憶、知識等を伴って持続することはないでしょう。
そして、今ある私の「」無き後、もし、生前の『意識』を継続して発現することができて生まれ変わりがあるのなら、新たに誰に何になって新たに「自分を意識するもの」となるのでしょう?

逆に、今、「自分」を思う『意識』はなぜ他の人(あるいは動物他)ではなく、私という「自分」を生かして(活かして)『意識』させているのでしょうか?(図8.2

図8.2 今ある自分はなぜ私という「自分」を意識しているのか?
仮に全く同一の「自分」があったとしても、それが物理的に別体であれば、その「自分」が思う『意識』は別物となるはずです。『意識』自体は「自分」という肉体固有の記憶、知識、さらには知能を伴わず、またそれらとは独立していると考えます。『意識』自体は常に動的に変化していて一意に捉えることができない存在でしょう。 しかし一方、『意識』はそれが生じている「自分」という固体ハードウェアの何らかに関連付けられているもの(の(1)~(6)のようなことによって)でもあるのでしょう。従って、いわゆる幽霊のような独立浮遊体でもなさそうです。脳内の膨大な思考によるデータの流れに伴う、あるいは重畳するような何かなのかもしれません

8.3 意識を観察してみた

通常目覚めているときは、『意識』があることを意識(認識)しています。また、酒類や麻酔等によって気分や記憶等のバランスが変化している時もそれを意識(認識)しています。
しかし、眠っていたり気が付いていない時のいわゆる「無意識状態」で『意識』はどうなっているのでしょうか。
その間も「脳」は常態ではなくとも活発に活動しています。特に生命維持や情動等の「脳」中核部位機能は活性です。
夢を見ている時は目覚めているかのように『意識』を認識できることがあります。目覚めている時と異なる脳内領域群が活性化しているとされます。
以下は私の体験、思考実験も容れて『意識』のイメージの断片について纏めてみたものです。

長時間の外科手術後、夜中の暗いICU(集中治療室)環境下で全身麻酔から一人目覚めた時、麻酔が残っていたからか痛み等は僅かであったのですが、奇妙な感覚・精神状態の中、自由が利かないこともあって強い恐怖感に襲われました。
その時、自分は身体を意識せず、ただの意識体のようなものとなって何かが見え、つかめたような気がしました(「目で見ているのではない」ほのかに光る暖かいような何か)。
 
また、ある検査の際、点滴鎮静麻酔が開始されると、薄暗く冷たい部屋の中で頭の中心に視覚的幻覚ではないのですが、ほのかに「光る」何かが‘ポッ’と浮かんだような気がしました。そして他の幸福的な情動イメージ(暖かくて元気が出そうだといった)も一緒に在ったことを覚えています。
まもなく(十秒程度後)眠りに入ってしまいました。どちらもすぐに消えてしまう夢のように、はっきり覚えてはいませんが、直後なら、より具体的に記述できたことでした。睡眠中の夢のような視覚的なものではなく、情動的でしたがイメージは不思議に明確でした。
 
上述の体験は、ICUや暗い検査室の中という特殊な状況下のことでしたが、全てが落ち着いて冷静になった後に、自分なりにそれら体験を奇妙で非現実的なこととして認識していました。
それ以降、『意識』にコミットする、あるいはそれを知覚し理解すると思えた「知能」に、さらにそれらを模倣、シミュレートするかのようなA.I.に一層強く興味を抱くことになりました。
以上のことは、麻酔が作用していた状態であっても『意識』が在った際に、私の脳の中の抑制が緩んで、逆にどこかが解き放たれて目覚めてのことであったのかもしれません。

脳内では「活性」(解放)と「抑制」がバランスを取りながら全体処理が行われています。
いけない事とされていても、麻薬系薬物を用いて芸術家の一部が想像力、創作力を増す(と言われる)ことや、原始宗教儀式等において人々が「お告げ」や「声」といった何かを得る、ということと同類かもしれません。
 
上述の麻酔(から覚醒する途中)や飲酒後、さらに夢を見ている時は、『意識』を認識するような部位、そしてそこと「記憶」や「知識」を連携する連絡(脳内の神経細胞ネットワーク)が弱くなる等して、『意識』が発現する部位と、「記憶」や「知識」との連携やバランスが崩れるのでしょうか。言い方を変えれば脳内の情報信号の統制・統合がいくらかでも崩れた状態です。
 
夢は時々しか記憶されませんが(私は睡眠時にあまり夢を見ません)、いつもおかしな世界の中であり、既知の舞台、人が現れても、記憶内容、行動知識面でいつもと奇異に異ったものであることが多いです。
また、残念ながら私は「色付きの夢」や精細な映像感、リアルな音場を体験できたこともありません。けれど何が起きていたかの全体はよく解っていて、その中で感じた恐怖感や嬉しさ等情動的なものは目覚め時に印象深いです。私の場合、映像感等の細部は曖昧でも強い恐怖を伴った夢から目覚めて、震えが起きていたこともありました。
 
夢とは、眠っている間は視覚等の明確で強い知覚情報が抑えられている分、他の脳内の活性化部位の信号がノイズ的に漏れ流れて、信号連絡の遮断、抑制が上手く行かずに誤認識されているのかもしれません。それはラジオのように、深夜に聴いていた主要局の放送電波が止まると、ノイズ的に流れる埋れていた弱い音(遠い他局の微弱放送の混信や本当の雑音)が聴こえてくるような現象に似ている感じがします。どこか奥底の思考深層から漏れ出した何かが知覚されているような感じです(実証されていることではありませんが)。
睡眠中より長い、数日以上にも及んでいたと思えた長い夢も、実際にはわずか数分未満で認識される(時間軸が不明確)と言われていること等も理解できます。

また、私は未体験ですが、経験したという人々が語る「臨死体験」も幻覚的に「何か光が見えるようだった」、「安心感、幸福感があった」等、前述の私が病院で体験した全身麻酔(身体の一部が仮死的になる)後の体験に通じるものを感じました。
わずかな体験からですが、上述のように「活性」(解放)と「抑制」のバランスが崩れて、認知が混乱しているのではないかとも思えます。

8.4 意識下 / 無意識下の統合多機能処理

ある時点で思考的に認識する『意識』(思うもの)は一つと思えています。
そして、その一つだけが注目して認識する『意識』の下に、統合された無意識で自律的な多数の並行的な高等作業、あるいはさらに下位の反射動作等を人間(動物)は自然に行っていることが自身の観察から理解できます。
例えば人が読書をするとき、脳で行われてる処理として、少なくとも以下のような働きが並行的、階層的、そして無意識下に自律的に行われていてその統合は膨大でかつ精緻です。
少なくとも章で触れたような現在のA.I.制御によるロボットでは実現できていない高等自律統合制御です。

以下、読書時に私が自分で行われている高等自律統合制御を観察して気付きとしてまとめてみたものです(私が私を被験者として観察したようなものです)。
 
眼球が紙面の文字列をトラッキングします。数十cm離れた小さな文字列に眼球を高速にいくらかステップさせながら位置決めしています(縦横動かして)。読書に立体視は必要ないでしょうが、左右眼が同期連動して追従しています。
左右視力差もあってフォーカス等はあまり正確には一致していませんし、『意識』が絡むとされる左右どちらかの利き目で殆どを見ています。それでも途中で利き目を隠しても視認(意識対象)は瞬時に1つのまま継続されます。
画像認識の前処理は網膜や網膜直後で行われ、その他瞬時に処理される機能(フォーカスや瞳孔開度、画像補正等)も眼球側である程度反射的に即応されているようです。
 
紙面上の視線の移動は後述の読取り作業の進捗に応じて的確に行われます。追う文字列を大まかに見て、視点を中心としたある小半径内を主にはっきり視認しています。その半径外視野はやや粗く認識されていますが、あくまで意識は視点部に集中しています。
それでも視野外縁に本の頁の端や、動く指が入れば気付く程度の同時認識はされています。
 
認識を高めるための眼球振動やブレ防止的な処理を(眼球運動上も網膜画像処理上も)行いつつ、上から下へ、あるいは左から右へといった視線移動は無意識で進んでいるかのようです。首を振ってみても視点は追従します。
読み進む途中の改行等の大きな視線移動も無意識に自律自動で行われているかのようです。
 
追いながら各文字あるいは単語の意味を認識し、それを文として追認識し、直前に読んだ記憶、さらには他の膨大な過去記憶とも関連付け、意味付けてさらに追認識しつつ記憶にも蓄積して行きます。ストーリーや要点の認識(解釈、印象)をアップデートします。徐々に、面白いとかつまらないとか、さらに読み進めるべきかといった判断もまとまって行きます。その進捗に応じて次の行動方針が定められて行きます。
なお、途中過程で、脳は処理作業を簡略化しつつ大意を認識・理解しています。例えば単語や構文を各文字の意味から正確に認識するのではなく、一部の文字だけから、あるいは特定の文字の並びのパターン、さらには記憶も参考にしつつ予測認識するというものです。さらに一文字の漢字の認識さえ、その文字のつくりを完全に認識している訳でもありません。
そのような高速画像認識を効率的に予想して行う仕組みも素晴らしいです。
 
合わせて手が本の薄く軽い紙頁を俊敏に繰ったり、持ち変えたりといった高度な手指作業を、目の画像認識等の制御に応じて統合的に位置・姿勢制御します。それらも殆ど無意識かつ高速に自律的に行われているようです。その他、頭の向きや、体の姿勢も本を読むために最適に姿勢制御されることも驚くべきことです。
 
さらに周辺で何か聴こえたり、体感することに常に無意識に注意が払われています。何かあれば、割り込み処理的に読書は中断されて、注意すべき対象へ瞬時に『意識』が移ります。

他に、私が驚いている、人間が何気なく行う統合多機能処理の例として、「編み物」があります。もちろん、それなりの訓練をした人の作業の様子を見てのことですが、これも現在のA.I.ロボットではなし得ていない、不定形で柔らかい羊毛等に対し、視覚、触覚、そして細かい精緻な手指、腕の動作制御を高度に自律統合制御した機能です。人は実に何気なくこなしています。

図8.3 編み物作業の精緻な高度さ
不定形でかつ柔らかい羊毛により伸びやかに展張された編みものを、写真のような人が左右の手で滑らかな形状の編み棒を使って素速く編み上げて行く様子には素晴らしいものがあります。視覚で対象を俯瞰して(但し、正確な距離測定等はしていません)、指触覚で瞬間的に確認しつつ半ば無意識に手指と、操作された編み棒が動いて間違いなく編み込んで行きます。それら全作業を脳が統合制御して進めて行く…。これは現代の手指ロボット等では速さ、自由度、触覚センシング、視覚センシングのどれを取ってもなし得ていません。 さらに同じ人の同じ手指により大きな力・トルク(握力にして数十kgf以上)を出力しつつ、全く異なる様々な作業を特別な変速装置、可変駆動装置等なしに発揮できる広い機能・能力はもはや在来型の(金属機構+電動モータによる)金属的メカロボット(5章2)では実現できないと思えます

他に、主体性のある『意識』というものを感じることに「呼吸」があります。眠っている間の肺呼吸は、不随意筋(心臓鼓動のように自律神経により無意識に活動が持続される)と随意筋(自分が意識して動きを調整できる。四肢の骨格筋等と同じ)の両面を持っています。無意識下(目覚めていない時)に「呼吸」は止まりませんが、意識下(目覚めている間)は止めたり意図して調整ができます。意識下でも止めたままにして死のうと試みたとしても苦しく感じれば、不随意筋的作用が強制割り込み的に「呼吸」を再開させます。奇妙ですが、一見、『意識』の対象を巧妙に切り替えているようにも思えます。
咽喉部が何かを飲み込むときと、呼吸の切換え時に、さらに用便動作等にも、似た随意(意識下)と不随意(無意識下)の巧妙さを実感できます。
単に脳を含めた反射系だけでも対応できそうな現象ですが、そこに『意識』が介入し得る動作の絶妙さは不思議です。

8.5 意識の働きについての考察

おおまかに、『意識』が自分の「脳」と、自分の「生体活動」にどのようにコミットしているのかを考察してみました(図8.4)。少なくとも「思考」、「知能」は自分の脳というハードウェア内にあります。
知識」も生得的なものでも後天的なものでも脳というハードウェアの構造やそこへ蓄積された「記憶」により形作られています。それらが集積して学習が行われることによりそこからおおまかに「知能」が発現されると考えられます。それらの実体は脳内の形ある神経細胞ネットワーク上の結線とそれらによって流れが変わる電気パルス信号によるものです。A.I. がコンピュータやその中の情報メモリ上に存在できることと同様です。
 
8.4においては、人間の体内で常に処理されている作業、処理の代表的なものを示しています。
同図で示すように、思考、知能的な『意識』の下で、多彩で膨大な機能(運動、制御、反射等)が実行されていて、それらは全て『意識』を介して操られているかのようにも考えられます。
『意識』は階層の最上位体として、それらをうまく統合した一つのことに対して自主的に注目(「思うwatch、あるいは「起動excite)しているかのようです。

図8.4 『意識』と、意識する / される 生体活動
「自分」の中では、最低位の機能として細胞活動から生命維持活動、そして最高位の思考・知能動作迄の階層的で膨大なことが並行処理されています。それらの中では「自分」が意識するものもあれば、全く無意識下で自律的に処理されるもの迄様々です。『意識』とは「自分」の生体活動を自主的に「起動」(excite)させ、「思う」(watch)する主体的存在であると思います。また、それは、脳内の有形な記憶、知識、知能等の思考処理とは違い、無形で動的な存在と考えます

8.6 意識の発現について

意識』は脳のハードウェアに直接的に発現しているものではなく、上述の「記憶」や「知識」の情報の流れの上流に、あるいは重畳して生起しているものではないかとも考えます(それも相互影響するのかもしれません)。
そして、以上の『意識』について、その発現の説明については、昔からの概念的検討を含めて以下のようなものがあります。
それらを整理してみれば、
 
(1)生物脳の神経細胞ネットワークの、ソフトウェアがないハードウェアのみによるノンプログラム非同期並列処理型コンピューティング構造が、在来の殆どのプログラム内蔵直列処理型コンピューティング等とは全く異なることに起因するもの。

(2)神経細胞ネットワーク(ハードウェア)内の微小部位あるいは、それらを流れる膨大な信号に副次的に生じる、あるいは神経細胞や周辺組織の微細さに宿る電磁気学的、ないし量子科学的な力が思考データに影響することの影響によるもの。

(3)再帰的思考(自分が在ること、考えることをループ的に繰り返すことで認識が生じるというような考え方)。(1)の脳内神経細胞ネットワークにはこのような情報の流れを反映する配線的仕組みも内在されています。

(4)量子科学的プロセス。脳の神経細胞等のどこかに波動理論的で不確実なものがコミットして生じる何か(に後述)。
宇宙空間内には膨大な情報データとしての「波動」がたくさんの電波のように無限に存在しているとされます。その影響を受けるといったことです。

(5)実証はされていなくても十分否定もされてはいない超能力的なもの。あるいはいわゆる臨死体験で起こるような特異な現象。臨死体験は現実的なものとみなされていて、必ずしも超能力的なものや霊的なものとは断定されてはいません。
その他それらに似て見える以外の未知の科学的現象。

(6)(1)~(5)以外の、実証はされていなくても完全否定もされてはいない霊的な何か。
 
ここで、上述のうち、思考実験等がイメージしやすい、(1)(4)について以下に検討してみます。

(1a)コンピューティングアーキテクチャによる考察(前述(1))
意識』が人間には当たり前のようにあっても、少なくとも現状のA.I.等では実証されていないのは、思考装置である「在来コンピュータ」(プログラム内蔵直列処理型)と、「脳」(ノンプログラム非同期並列処理型)との情報処理構造・アーキテクチャが著しく異なっていること、そしてそれによるソフトウェアやその有無さえ含め、情報の流れが全く異なっていることの影響も大きいのではないでしょうか。
それらの違いについて以下に考察してみます。
脳を含めたコンピューティングで代表的に考えられるアーキテクチャを大別すると、以下の2つになるでしょう(図8.5
 
. 在来コンピュータ方式(プログラム内蔵直列処理型
実際のコンピュータが開発された初期(1940年代)からの方式で、主に考案者とされるジョン・フォン・ノイマンの名から、ノイマン型コンピュータとも呼ばれて来ました。今なお、殆どのコンピュータの中心原理はこれによっています(スーパーコンピュータ等であってもこの基本形を多数化等して強力にしています)。
ユニット内に予め人間らによって作られたプログラム(指示書)を搭載し、基本的にその指示通りに逐次処理して行きます。このような情報処理構造は、人間等の生物脳(次のb.のような構造)には存在していません。

. ニューラル方式(ノンプログラム非同期並列処理型
人間を始めとした脳の神経細胞ネットワークを模して、「ニューロン」とそれら間の結線強度が「可塑性」(学習等による可変できる能力)を有する「シナプス」によって構成されたネットワーク回路で大規模並列的に、そして決定的なこととしてプログラム(指示書)無しに演算処理し、同時に柔軟な学習を行いつつ統合された結果を得ます。
広大な神経細胞ネットワーク全体に並行して流れる膨大なルートの電気パルス列が加工され、並列かつ多階層に処理されて、多数の非同期な信号に仕上げられて立体的な出力となります。

図8.5 コンピューティングアーキテクチャの比較
a.プログラム内蔵直列処理型では、搭載プログラムメモリによって、強力な逐次遂行型演算器(CPU)の集まりが入力やメモリ、あるいはデータを時分割で逐次処理しつつ出力を行い、併せて自身の可変えデータの一部を書き換えて学習内容を記憶、反映します。要素間のデータを同期クロックで連携させている構造なので処理は柔軟ではありません。基本的には定められた処理しかできません。 b.ノンプログラム非同期並列処理型にはプログラム(ソフトウェア)がなくハードウェアのみで構成されていて、構成要素のニューロンは、自身につながれた多数の入力結線に応じて出力として時系列電気パルス列を送出します。ここで、ニューロンはパルス列を加算(カウント)・積分するかのように簡単で巧妙な演算を行います。それが並列、多階層ネット内で伝搬され、統合されて総出力となります。各ニューロンの結線(軸索)は可塑性と言われる可変柔軟性を有していて(ハードウェア的に)、体験結果等をネット全体で学習して行くことができます(それが一種の可変的プログラムの機能のようになっています)。ニューロン間の結線には、より上位側(図の出力側)の出力を入力側に帰す戻り(再帰信号。(3a)に関連)もあり、その仕組みにより巧妙に自動的に学習の修正・改善を行います

以上の巧妙な仕組みによって学習(入力と出力間のフィードバック)を人間が学習して行く過程そのままに進めます。

上記2方式にそれぞれ適切な方式で、少なくとも「記憶」、「知識」、そして「知能」迄は確かに発現できています。
しかし、. の在来コンピュータのプログラム内蔵直列処理型で『意識』を作り出せていないことは、『意識』発現のためのソフトウェア等が全く考慮されていないこともありますが、そもそも『意識』は. のような並列多階層ネットワーク上(脳と同様な方式)で発現されるような特異な性質のものかもしれません。
 
それについて考えられることとして、. では.同様に、入力あるいは入力側の上流の信号が膨大に多数であっても、演算器CPUが少数(原理的には1つ)であって、各々の入力が時分割で時差を以て受け付けられます。従って、厳密には膨大な信号は同時には処理されてはいません。離散的(バラバラ)なタイミングであり、見かけ上は同時処理されているように見えますが、細かく見れば異なります。
一方 . では、特に脳においては膨大な多数の入力信号がハードウェア的に、基本的には同一時刻同士で(微小なバラツキ誤差は生じますが)一堂に膨大多数並列で統合処理されます。その点では a. とは情報処理タイミングが大きく異なることも注目できます。
 
以上の . と . の情報の流れ、情報統合の仕方の大きな違いが意識等の発現に影響しているのかもしれません。

さらに『意識』の生成については、以下のような考察もあります。
 
(2a)神経細胞ネットワーク微小部位に生じる(電磁気学的量子力学的等)なによる考え(前述(2))
神経細胞ニューロンの体構造にはには、「マイクロチューブル」なる微小管状構造体(直径1000分の25ミリメートル)が各ニューロン細胞全体の体構造を支える微小支柱群となって無数に散在しています。小さいものにほど影響割合が高くなる量子科学的影響によって細胞側から何らかの自立的な情報信号が生じて『意識』につながるのではないか、という考えです(ロジャー・ペンローズ(1931- 、ノーベル物理学賞2020受賞)、スチュワート・ハメロフ(1947- 、医学博士(麻酔他))の共同研究)。
特にペンローズは、人間の思考能力、特に『意識』はチューリングマシン型コンピュータのアルゴリズム的な計算では実現できないであろうという考えにも沿っています(ここで言うチューリングマシン型コンピュータとは、前述(1a)の . 在来コンピュータ方式(ノイマン型プログラム内蔵直列処理型)の原型に相当します)。
ただし、「マイクロチューブル」に何らかのエネルギーが影響しても、それが神経細胞ニューロンにどのように反映されて認識されるのかについては全く謎です。現状、実証はされておらず、興味深い要因の一つとしか考えられていないようです。
 
(3a)再帰的思考による考え(前述(3))
前述(3)に沿って、思考処理が再帰的に巡ることで『意識』が生まれるという考えです。
大脳新皮質の神経細胞ネットワークは、上述(1a)b.で示した並列かつ階層構造になっていて、基本は下層(入力側)から得られた情報が上層(出力側)の概念等に纏まって行くという過程ですが、それらとは逆方向(出力側から入力側に戻る信号)の流れの結線も存在します。
それは、本来、「ディープラーニング」でも示されている神経細胞ネットワークの学習のための逆伝搬(バックプロバケーション)というものを行わせるためにあると考えられています。しかし、それが単に入力 → 出力方向への処理が進む中で、出力 → 入力へ逆伝搬する補正情報(バックプロバケーション:逆伝搬)のための信号線でもあります。
 
そして、それにより、情報が入力 → 出力 → 入力と流れるループも形成されることに気付かされます。
それが再帰的概念を発現させる再帰ループ(繰り返しループ)となっているように見えて興味深いです。

再帰(図.で説明します)を、自分自身を呼び出すことで複雑なパターンを生成して行く自己組織化の源である、と仮定すれば、「再帰」という言葉にとらわれず、「行ったことを見つめ直す」というこの前述(3a)の「再帰」的見方は、案外『意識』のイメージの元であるのかもしれません。ただ、それが人間にとってどのように具体的に映り認識されるかの説明は、現状、不明です。
 
なお、同様な観点から、曼陀羅(図8.7)という仏教の宇宙観を表す再帰的にも見えるイメージは『意識』の何かを表わそうとしているのかもしれず、興味深いものがあります。

コンピュータ、脳等に何かを演算させてA.I.として『意識』を発現させる場合、どういう構造(コンピューティング方式)、処理方法(ソフトウェアの有無、構造)で実働するのかによって発現の有無や程度、そして認識感覚も異なってくるはずです。

図8.6 再帰により生成される複雑なフラクタルの例
構造が再帰的な(相似的に繰り返しになっている)データから表すことができるフラクタル図形の例です。僅かな情報の違いにより複雑に繰り返される膨大な種類の図形を簡単に生成することができます(2枚の対向する鏡の間に頭を入れて両鏡面を眺めると無限の繰り返し光景(相似的繰り返し)が見えることも似ています)。生物は限られたDNA情報等で無限のような体の構造生成を行っていますが、その際の自己組織化にはこれら再帰によるフラクタルの原理も寄与しているとも考えられます。そして、意識という情報の生成にも再帰的現象が寄与しているとも考えられないでしょうか。 因みにこのような図形は、さらに曼荼羅(図8.7)にも似ているように見えることも興味深いです。 左: 一本の線分から枝分かれを繰り返して生成される、木のような構造を持つフラクタルツリー図形(https://note.com/creativival/n/n021daebfb0cf より引用)。 中央、右: より複雑なフラクタル図形(https://note.com/creativival/n/n021daebfb0cfより引用)
図8.7 曼陀羅(まんだら)(「金剛界八十一尊曼荼羅」 根津美術館 / 12世紀 / 忠快 作)
曼陀羅は広大な仏教の宇宙観や悟りの世界を視覚的に表現するものですが、フラクタル図(図8.6)のような相似的繰り返し感があり、その類似性とも不思議です。再帰的なものが絡んでいるなら何らかの示唆をしているのかもしれません

(4a) 前述(4)の量子科学的プロセスと前述した内容については、次節8.7のような考察もあります。

8.7 量子科学との関連性

ここで、前述の(4)をいくらか説明できそうなこととして、量子論的に「カシミール効果」(1948 ヘンドリック・カシミール(オランダ))により、量子真空(物体が全く存在しないと見える真空中でもエネルギーは存在し得る)内にはエネルギーの振動である「波動」(信号の波)がどこにも存在し得て、その波動情報として『意識』につながるという考察もあります(例えば「」は光子といういう粒子(物質)であるとともに波動(情報)でもあるという二面性を有するとされます)。

ただ、その波動という情報がどのような形で『意識』というものになって、脳内の知能等にコミットするのか、どうして人間の認識を得るのか等の説明は、それが実際に起こることであるなら、(1a)のような脳やコンピュータのハードウェア構造等に依存するはずです。
あくまで感覚的なイメージの想起に過ぎませんが、参考として挙げておきました。
しかし、この考えは、イメージとしては、SF映画『2001年宇宙の旅』の宇宙超生命体として空間を漂い人に何かをコミットできる霊的な「モノリス」を想起させます(図.)。どちらも想像上のものですが関連イメージとして興味深いです。

図8.8 映画『2001年宇宙の旅』(1968年)
難解で謎多き作品ですが、劇中で霊的感漂うモノリス(映像的には写真右下) が象徴する超宇宙生命体のような霊的なものが人の『意識』を生んだり、影響していると思わせる示唆もあります。ちなみに、そのような超宇宙生命体とは、遡ってみて、どこかの星のA.I.(知能)がシンギュラリティ的なものを起こして『意識』も有して極限的・異世界的に進化した末の超絶体であるという考察もあるようです

8.8 生命起動体としての『意識』

意識』は人間にはあることは確かです。犬や猫にもあると確信できます。鳥類はもちろんネズミにもあると考えます。昆虫にも脳はありますがそうであれば彼らも『意識』を有していると考えるのが妥当ではないでしょうか。
生物脳と言える器官を有する生物において、その規模がどこから以上の場合に限ってきちんと『意識』が現れるということも考え難いです。

規模は違っても、類似した構造の脳を有すれば、下等な動物でも人間と比較して相似則的に「いくらかの」『意識』も発現されるのではないでしょうか。

一方、『意識』が絶対に無いであろう6(1a)a.のプログラム内蔵直列処理型(ノイマン型)コンピュータチップを膨大に拡大した現状のスーパーコンピュータの中のA.I.に『意識』が宿ることはないように思えます。
 
意識』は、もっぱら人間においてその有無や内容が議論されていて、現実的には高い知能を有する人間にこそ発現するように捉えられることが多いようです。しかし、高い知能により『意識』が発現されるのではなく、知能が低いと(おもに脳の規模が小さい理由で)、『意識』を十分に認識(receive)し、「思う」ことができないのではないでしょうか。
それゆえ、高い知能の人間であればこそ、それをよく認識できているのだと思います。
 
そうであれば、『意識』とは、脳を持つ生き物、あるいは脳に代わる最低限の神経節を持つ生物にさえも共通する自主・統合的知的機能を発動させる起動体(exciter)、そして思うもの(watcher)なのかもしれません(図.右上)。

それら本章での意識とその他機能との関係イメージを図8.9に表してみました。
ただ、それがどのようにして「われ思う、ゆえに われあり」を人間(さらには動物等)に具体的な認識感(イメージ)を与えるのかは全く謎です。

図8.9 意識と他の機能との位置付けイメージ

9. 超A.I.の思考について

9.1 超A.I.

A.I.シンギュラリティを経て超A.I.となり、それに章で述べた人間や高等動物に当たり前に在る『意識』が加わることで、根源的な生存欲、自己組織性、本能的なものを有し、発揮する原動力エネルギが「exciter」として備わり、A.I.は根源的な「生き物」となるのかもしれません。
 
それは、ダーウィニズム的に進化速度が従来通り遅い(数千年~数十万年の遅いサイクルで変化するような)生物である人類を継いで、機械・電子や生体工学等に強化された高い進化力(数日~数年の速いサイクルで世代が変わる程の)を有する超生命体が誕生して移行するという意味でもあります。
そうなれば、

A.I.におけるシンギュラリティの出現まで世界の頂点(支配者)は人間ですが、その後世界は一変してそこへ人間はコミットできなくなるかもしれません(超A.I.に拒絶されるか、知能差から共有不能となって)。加えて『意識』が現れたなら、それは超A.I.と一体化して、超生命体として人間に代わって支配を始めるでしょう。

超A.I.と意識

上記私見は、前述で挙げたジョン・フォン・ノイマンの発言の焼き直しのようではありますが。
独立した自我を発現させると考えた『意識』(Consciousness)と、シンギュラリティにより生まれるであろう超A.I.(hyper A.I.)との親和性、共存性はよいのかもしれません。
の冒頭で触れた意識の発現原因((1)~(5)の5項目のいずれか)によるのかもしれません。
あるいは、人間や動物は、『意識』と高度な知能とを当たり前に一体化しているという事実との類似性からの説明に過ぎませんが。

9.2 超A.I.の考えが人間に解るのか?

一方、シンギュラリティ後のA.I. と『意識』が一体となった自我を有する超A.I. が、不完全でわがままな人間(人類)とうまくやって行こうとし、うまくやって行けるとは限りません。
自我と自我は知能的、観念的に容易に相容れ難いものです。何より相手は知能、思考力の点で人間をはるかに超越した存在なのです。人間はその存在さえ認識されないかもしれません。人間によって創られたから、といった同情の余地もありません。
 
5章で前述のシンギュラリティの提唱者の一人であるレイ・カーツワイルは、後掲(10章)の著書「シンギュラリティはより近く」(図10.1)で、「2030年代で鍵となる達成レベルは、 <略>  直接に私たちの思考を拡張することだろう。A.I.は人間の競争相手ではなく、人間を拡張するものになるのだ」 と述べています。
 
もちろん人間を拡張することはあっても、決してそれだけではないでしょう。そして、それが人間(人類)にとって最終的に「善い」ことなのか「悪い」ことなのか?あるいは「」か「不幸」なのでしょうか?
即ち、人間が共用できる、人間にとって「最適な善」がA.I.のそれと同じになるとは限りません。
 
結局は、シンギュラリティを越えて人類のはるか先へ進化した電子機械の「」が何をどう考えるのかは少なくとも現在の人間(人類)には解り得ないと考えます。現在の人間世界の絶対的な評価さえできないのですから。

私には今の第4次A.I.ブーム章図3.1)の時点で、かなり「ヤバすぎる」(まずいことになったという意味の)感じがするのですが、予想されていなかった文化の激変、ないしは崩壊さえ起きつつあるのは確かで、警戒しなければなりません。 

9.3 超A.I.のふるまいについて

改めて人間にとって「」とは、非常に曖昧で不確定的です。また、超A.I.が表す超越した、人間には解り難い「」の像は、人間にとっては、最悪の独裁者どころか邪神な悪魔なのかもしれません。神にしても無数のイメージがあり、それら実体は理解され得ないものです。そもそもそのようなイメージができる確かな実体があるのかさえ解りません。
そのように定義は曖昧で不確定です。人間が当たり前に有する身体性、環境等が全く異なるハードウェア上の電子機械的な超A.I.が人間とともにそれらを同様に認識、理解、共有するとは思えません。
 
一方、人間より低い知能の動物(犬や猫さえも)の思考形態も十分には理解、共有できてはいません。そして、少なくとも太古の人類は(類人猿等も)本能にも駆られて彼らなりに必要があれば、動物種と同様にお互いを躊躇なく殺傷していました。その上道具を造ることができるようになったのですから戦争が絶える訳がありません。
結局「人間性」は、そしてその「」は曖昧であり、現代の人間にとって当然必要とされる「倫理観」も人間に本来生得的なものではなく、「道徳観」さえも人間文明下の余裕のある環境下でこそ後天的に得られるものでしょう。
 
超A.I.も育成期は人間によって予習(教育)させられても、超知能として、あるいは『意識』もを得て自我を獲得したなら、そのような予習は超A.I.自身が思考したものに自然に置き換えられてしまうでしょう。ブラックボックス的な中身である超A.I.にそれを防ぐセーフティー回路や専用学習知識を仕組んでおくということも無意味であるし、無理であると考えます。
 
環境保全を強く唱える人々がいますが、本気でそういうものを地球規模で恒久維持することが第一なら、全人類を産業革命以前の世界に戻らせることが適当かもしれません。厳格にそうすることは無理でしょうから結局人間種自体を存在させないことが確実なのかもしれません。人間の英知が云々と言っても世界は現状の通りで、今のような小手先では、地球環境の本当の壊滅(世界的放射能汚染、動植物種全体に及ぶ毒化等迄も)はそう遠くはなく必至な事かもしれません。
そういう考えの下であれば、超A.I.が誕生すれば、忖度、利害なしの真に論理的思考判断で人類を「適切」に排除し始めることを否定できません。結局、A.I.にとっても人類にとっても同様に共通して「」なるものはないのかもしれません。
 
そして、そのようなA.I.や相当するものに保証もなく無責任に将来を委ねようとする現在見られつつある動きは、一部人間の自信過剰、驕りであり、非常に危険なことであると思います。
 
一方、以上言及したことは人間(私等)の好奇な想像力がイメージするものに過ぎないかもしれません。
上述のように超A.I.に『意識』が備わったりはせず、それが起きたとしても災厄は起こらないかもしれません。
そして、実際はシンギュラリティの指数関数的な進化も他のさまざまな事情(のような阻害要因や、で無意味と書いたような規制等が有効に実行された場合等)により途中で鈍化したり、廃れたりして起こらないかもしれません。
暴走しがちのイノベーションも失敗等により、適当な範囲に収まるのかもしれません。
A.I.が人類の壊滅を決めた場合にその先兵ともなるで述べた適当なロボット等も実現されないかもしれません。いずれにせよ、
 適切な進化を遂げたよき成熟文明
になればと祈ります。


10. 影響を受けた関連書籍

以下に掲げる書籍が、本文書で書いたことへの思いのきっかけや、自己考察の基となりました。2026年現在古いものもありますが、どれも今も古さを感じさせません。それは、多くは不変なことに触れているからとも思います。

下掲のレイ・カーツワイル氏の約20年を隔てて著された二書の主張はほぼ一貫していて、「ポスト・ヒューマン誕生」は、2005年当時、衝撃的であった概念シンギュラリティを豊富な背景説明、データとともに丁寧に解説した今にも通じる大書です。A.I. の概念的イメージをよく解らせてくれました。
シンギュラリティはより近く」は「ポスト・ヒューマン誕生」の基本的主張、提案はそのままに、後の第3次A.I.ブームのディープラーニング技術の生い立ちやその成果としての生成A.I.についても、実例と得失を大脳等の仕組みとも絡めて詳しく説明しています。両書ともに『意識』についても言及しています。

図10.1  「ポスト・ヒューマン誕生(The singularity is Near)」(原著 2005、邦訳 2007)(左) 「シンギュラリティはより近く(The singularity is Nearer)」(原著 ・ 邦訳 2024)(右) Ray Kurzweil 著

下左の「人工知能のアーキテクトたち」(Architects of Intelligence)では、ノーベル賞受賞者や実用的研究開発で著名な研究者らを含む23人のA.I.の世界的権威に、同書著者が客観的ベースに沿ってインタビューします。共通した質問で各人の考え方の違いも浮き出しています。そしてA.I.というものを、その利益や将来の危険性を含めて浮き彫りにすることにあり、それらがよくあるお決まりの、研究自体に忖度した夢物語だけではなく、暗黒面も浮き彫りにした話も多く、たいへん参考になりました。
コンピュータ パワー(人工知能と人間の理性)」は1979年刊の古い書ですが、心理療法士を模倣する言語プログラム「ELIZA」の開発、そしてその想定外の成果を通してのコンピュータやA.I.に対する警告も提起されていました。古い時期に読んだので、むしろ難しく感じた書でしたが、著者自身が他の学者らと論争を起こすこともあったそうで、哲学的でもあるA.I.の難しさ、先の読めなさも予見していました。

図10.2 「人工知能のアーキテクトたち」(原著 2018)Martin Ford 著(松尾 豊 監訳 2020)(左)  「コンピュータパワー」(1979)Joseph Weizenbaum著(右)

松尾豊氏の「人工知能は人間を超えるか」は技術的、歴史的両エピソードがまとめられたA.I.入門によい書でした。
1960年代のA.I.草創期から各A.I.ブームの技術特徴とそれらの得失、A.I.理解の基本となる「知識」や特に重要な機械学習、ディープラーニングによる第3次A.I.ブーム迄のA.I. の開発イメージが技術面とも詳しく説明されています。ただし、2015年の著書なので、それらの延長上にある生成A.I.等には触れられていません。付加的な解説も面白く、そこへ至る技術説明が以後の技術習得にたいへん役に立ちました。
渡辺正峰氏の著書「脳の意識 機械の意識」は『意識』について脳の認識構造が多くの図で解りやすく説明されていて、その理解を深めることになった1冊です。
続編的な「意識の脳科学」は、さらに具体的に工学的に検討を進めたような内容で、本文書13章で扱っている(意識・記憶)のアップロード2図 5.7のコミックス「攻殻機動隊」等の世界技術)辺りが興味深く説明されています。

図10.3 「人工知能は人間を超えるか」(2015)松尾 豊 著(左) 「脳の意識 機械の意識」(2017)渡辺 正峰 著 (右)

下左の「別冊 日経サイエンス」誌(シリーズ)には、人工知能のみならず、脳科学や生命・生体等についてよくまとめられた論文抄訳的な記事が多く、人工知能、思考、さらには意識についての情報にたくさん触れることができました。
下右の「kotoba」誌(2014年夏号)はA.I. の特集ではないのですが、生命の不思議さ、その仕組みの素晴らしさに広く解りやすく触れていて、「生物の素晴らしさに比べれば現在のロボットなんて…」ということを一層実感させられました。何人かの筆者の言わば、生命はどうして自立・自律的にエネルギーを産み、活動するのか?といった説明に、そして『意識』に関連しそうな周辺の研究説明に一層心ときめきました。
人工知能とはいえ、考えて行けば結局人間の脳のような仕組みに行き着いて、そんな脳の仕組みを知ろうとすれば、生命システム全体の素晴らしさにも驚きの連続でした。『意識』の発現や、脳という高度機能にも見られる不思議で根源的なエネルギー的、自然で自己組織的な何らかのについても思いを巡らせられ、本誌も私が本文書を書くきっかけの一つとなりました。

図10.4 「別冊 日経サイエンス」 誌(No.216 「AI 人工知能の軌跡と未来」 などの関連特集号)、 「kotoba」 誌(2014 / 夏号)「生命とは何だろう?」 福岡伸一 監修

[ その他に影響を受け、参考となった書籍 ]
 
・「意識はどこからやってくるのか」 信原 幸弘 ・ 渡辺正峰 共著 2025年
・「死は存在しない」 田坂 広志 著 2022年
・「フォン・ノイマンの哲学」 高橋 昌一郎 著 2021年
・「スーパーインテリジェンス」(超絶AIと人類の命運)(SUPER INTELLIGENCE)(上/下) Nick Bostrom 原著 2014年  新装 2025年 
・「シンギュラリティ 人工知能から超知能へ」(The Techonological Singularity) 原著 2015、邦訳2016 Murray Shanahan 著(ドミニク・チェン 監訳)
・「クラウドからAIへ」 小林 雅一 著 2013年
・「臨死体験」(上/下) 立花 隆 著 2000年
・「世界を変えた 科学10大理論」 学習研究社 1994年
・「なぜ、ナチスは原爆製造に失敗したか」 Thomas Powers 著(鈴木主税 訳)1993 年 (上/下)
・「ユング」 大住 誠 著 1993 年
・「フロイト その思想と生涯」 Rachel Baker(宮城 音弥 訳) 1975 年
・「カンの構造 発想をうながすもの」中山 正和 著(中公新書)1983年 (初版1968年)

[ 主に特集雑誌 ]
 
・別冊 日経サイエンス (Scientific American 日本版)
脳と心の科学 意識、睡眠、知能、心と社会」 no.243 2021年 / 2月
最新科学が解き明かす 脳と心」 no.224 2017年 / 12月
AI 人工知能の軌跡と未来」 no.216 2016年 / 11月
心を探る」 no.207 2015年 / 8月
 
日経サイエンス
ChatGPT 言語モデルから生まれる知性 」 2023年 / 5月
新・人類学」 2018年 / 12月
 
Newton 別冊
量子論のすべて」 2019年 / 7月
死とは何か」 2019年 / 5月
脳とニューロン」 2016年 / 9月
 
Newton(月刊)
量子のパラドックス」、「人工生命への挑戦(第2特集)」 2025年 / 8月
最良の睡眠」 2023年 / 4月
まるごと!物理総入門ロボット最前線」 2022年 / 8月

人工知能(人工知能学会誌)  関連特集号
日本機械学会誌  関連特集号
 
※ まとめた論文等はありませんが、私自身の実体験、実体感を通して行った、たくさんの思考実験の結果も貴重な参考としています。その他に読んで影響を受けた書籍、雑誌、そして論文等は多数ありました。しかし、現在有していないものや、出処が正しく思い起せないもの、他書と印象が重なっている書籍等は特に記載していません。


11. あらためて 『意識』 について

11.1 あらためて意識のイメージとは

興味の中心にある『意識』について、いろいろ考えていれば私にも何かが垣間見えたりすることがあるかもしれません。数式を駆使したような理論ではない「イメージ」でしょう。
 
例えば、インドの高僧(ダイバダッタとか)や仏教の高僧は『意識』を認識できていたのか?と思うことがあります。
長く深い瞑想等の精神修練、厳しい肉体訓練による過酷な知覚経験を通して、外界の知覚・認識能力内省的思考が常人を超越させて行き、自身の『意識』の側面を認識できるようになって行ったのかもしれないと思うからです。
ただ、彼らが当然のように何かを認識できていたとしても、脳の知識等が体得的に異なっている私がそのまま受容することはできないでしょう。
 
そういう『意識』にコミットするハードウェアとしての「」の機能や仕組みについてはまだまだが多いです。身体内と違って、特に脳内には特別な構造的な機能分化が少なく(外見上識別しやすい器官分化が少ない)、倫理上から実験等で調べることも難しいです。  

11.2 未解明の深遠な能力を引き出す

脳には使われていない部分が多いとも言われることがあります。しかし、そういう部分には実際には深遠で膨大な何かがあるのではないでしょうか。
 
超記憶」(HSAM:Highly Superior Autobiographical Memory)といった異様に鮮やかな記憶を再体験し、叙述できるように記憶を引き出せる人の存在が確認されています。何十年も昔のある日、ある所を想起できれば、半ば知覚や情動さえ伴ってその場にいるかのようなイメージを鮮やかに思い出せるというものです。膨大な記憶を引出せるそうです。私にその能力はないですが(あれば思い出だらけとなってしまい、きついことでしょう)、世界には探せば多くの人がいるそうです。
 
サヴァン症候群」では(映画『レインマン』の主役のように)、自閉症等で一部能力が抑制されている一方、別の能力や記憶等が解き放たれたように抜群である人々が確認されています。
脳全体の働きを適度に抑制するロジカルな左脳を、外部からの強磁場(MRI検査装置のように安全に作用できる範囲)で抑制すると右脳発の創造的思考が解き放たれ、その関連能力が一時的に向上したという報告もあります。
怪我等で脳の一部が損傷してしまった後、性格が変わったり、生活に支障を来すようになっても、圧倒的な新たな才能が生まれた(解き放たれた)という事例は脳神経学や心理学関連の事例としては知られています(記憶力や芸術能力等の検証しやすい事例が多いです)。
 
そういうで触れた長期記憶や習得知識さえも、実は上記の使われていないと言われた部分等にひっそり逐次蓄積されているようです。同時に多数を想起して引き出すことができないだけで、想像以上に膨大に溜まっているはずです。それは上述の超記憶やサヴァン症候群ではない一般人も同じで、それらをすぐに任意あるいは偶然に引き出して再認識できるかどうかが違うのです。
 
それは、知覚したり、記憶を認識する『意識』は常に一つしか認識できないようでもあるためです。脳内処理は膨大な多数並行処理(multi task)であっても、意識しているものは1つ(single task)だけに見えます(の図8.4右上の『意識』の位置付けはそれを表しています)
同時に多数の情報を一括して引き出して認識することはできませんが、それら膨大な「眠った記憶」や「眠った知識」を何らかの方法で上手く(欲しいものを瞬時に)引き出して上手く整理・融合等できれば、引き出して活かせる記憶の総力(総量)はもちろん、さらに創造力、そして「知能」も増大できそうで興味深いです。
以上のように「一部しか使われていない(ようだ)」 とされるの少なくない部分には素晴らしいと期待される未開の能力(引き出されていない膨大な記憶や知識)が広大に拡がっていることになります。
 
そして、それらの未解明なことは些細なものでもなく、章等で述べた大きな謎である『意識』も含めた研究開発領域はまだまだ深遠です。
謎多き『意識』の解明には従来の数理学的、医学的な解析以外にも、様々な広い分野の視点が要るでしょう。従来の技術面だけでは長らく説明されてきていないので、今後もその延長線上だけで解決できるとは思えません。
 
例えば、生命工学(生物自体の存在理由や自立・自律能力、自己組織化能力、生物エネルギ)、精神心理学(実際の精神成立の仕組みと外世界とのインターフェース等)、数学(計算理論等)、そして哲学的思考(再帰的思考等)や前述した宗教上の特殊な精神的・肉体的な現象の知見はとても重要で、一層広い範囲から観察して臨む必要があると思います。さらに案外、でも触れた量子科学も無縁でないのかもしれません。
 
IT的技術の向上を狙う上で現在過熱気味のA.I. への注力もキャッチアップとして必要ですが、それらを包括的に見渡し、最上位で操ることができるかもしれない『意識』もより重点的に研究すべきだと思います。
 
もし、謎のまま解明できずにいても、新たな視点も得られて派生する何かを発見できるのではないかと思います。それによってA.I. に対しても今の流れとは異なる新しいアプローチが見えてくると思います。
 
そのような『意識』(consciousness)の解明は、深遠で広大な秘境開発ではないかと思います。そこには上述してきたミステリアスな法則構造が存在しているのは確かです。

新世界の解明ができれば、圧倒的パフォーマンスを持った新たな価値観が生まれると思います。


12. ロボット、A.I.のこれから

12.1 現状のロボットで見えたこと

現在ロボットとして注目されている特にサービスロボットの一つであるヒューマノイド(人型2脚式)ロボットにおいては、特にここ数年、アメリカ、中国において大きく進化して来ました。
人間のような自然な動的歩行(それは2000年代に日本でHONDAのASIMO等で先行開発されていましたが)はもちろん、何十台もの集団によるシンクロナスな踊りやバク転、そしてデモとして開発者側が故意に転倒させようとして、それを回避する高度な制御動作等の様々なデモがネット動画等で普通に観られるようになりました。
 
ただ、余計なコメントではありますが、例えばその集団動作デモ等は多数の空中ドローンによるデモのようにプログラムシンクロ動作が多いようで、決して自身の視覚や触覚等のセンシングによっ全て完全に自律統合制御されているようではありません。ただ、それも例えば数年以内には完全自律制御されるようになるのかもしれませんが。 

ここで、図2.3の動画を動かしてみると、その画像の中のキャラクター、物体の動きは実にリアルでした。それは大抵の生成A.I.動画にも言えることでしょう。しかし、単純に、生成A.I.というものが膨大な言語データから学習したネットワークシステムの分析応答とは思えませんでした。それは実にリアルにできた物理則CGシミュレータ画像のようでした。
そこでさらに見えてくるのは、指示(生成A.I.で言うプロンプト指示や画像入力等)が適切であれば物理シミュレータの世界では物理則に則っていればどうのような動きでも再現できるはずだということです。
映画等で完璧なCGがシミュレートされ実現されていることと同様です。

上述のようなヒューマノイドロボットが、不整地を人間らしく歩くことや、踊ったり、バク転したり、といったことは最近できて来たことですが、コンピュータ内のシミュレータ内の世界では20年以上も前にもそのようなロボットの制御動作は実現されていました。制御理論はできていたのです。
ですから、生成A.I.の高度なシミュレーション能力から、そのシミュレータ世界の中の動体キャラクターを、リアルな躯体で現実環境(外界)でその動きの通りに動かすことができれば、リアルな現実ロボットを現実環境(外界)でもその通りに動かすことができると考えられます。

その実現には、シミュレーション動作を強力なパワーのアクチュエータ(モータ等)で重量・慣性のあるリアルヒューマノイド躯体をシミュレータ内モデルと同じく現実環境でシンクロ動作できれば、制御されたシミュレータの中の動作がしっかりリアルの現実世界に投影されて実現できるはずです。

図12.1 高まるロボットの制御動作
左のように3DCGで表現できるような物理シミュレータ世界の中で動いている動体モデル(図左)は、リアルな世界において、そのアクチュエータパワー等のメカ能力が十分であればシミュレータ通りに動かすことができるはずです。近年のヒューマノイドロボット等の急速な具体化は図左のようなシミュレーションで制御、プログラムが上手く動かせれば、あとはリアル環境内のメカとアクチュエータとによってリアルな世界(図右)で実動作が再現できると考えられます。

かつて(2015年頃以前)はアクチュエータとしての電動モータはパワー不足(おもにその大きさ、重量の割に)で、その用には不十分でした。
そこでアメリカではアクチュエータとして20年程も前から強力なパワーが発揮できる油圧+内燃エンジンを組み合わせてそれを実現していました。内燃エンジンはロボットの制御動作には直接は使えませんが、発生エネルギ比がとても大きいので、最高効率で発電あるいは油圧加圧して制御性の高い電動あるいは油圧アクチュエータを駆動すれば何とか制御性のよいロボット制御運転ができました。
 
そしてさらに近年の中国の多数の企業のリアルヒューマノイドの人間並みの精緻で巧みな動きは、軽量でも非常にハイパワーな高性能電動モータの開発・実用化が背景に明確にあると考えます。
そのことによって、シミュレータの中で既にできていた高制御動作が、実際のリアルな世界によく転写され、また、メカの軽量化・低慣性化も並行してうまく行われた結果、ロボットの動きは非常によくなったのだと思います。
 
以上は、最近のサービスロボットを代表するヒューマノイドロボットについて気付いたことですが、それは主な動きであって、精緻な動作、特に手腕、手指による繊細な作業はまだまだ難しいと思います。それは上述のモータ(人の手指サイズに収まるような超小型で人並みの力を出せる)がまだまだ力不足であることもあります。
そしてで触れた視覚や触覚等の感覚器との統合制御は、感覚センシングや頭脳がまったく人間に及んでいないと考えられ、これからまだまだだと考えます。
 
その実現、完成には、運動性能、知能、知覚、コミュニケーション等の基本仕様・性能はもちろんですが、章で触れた、当たり前の、重量大きさ作動エネルギーの小ささ等の達成、そして今時のロボット(サービスロボット)開発では、まだまだ不十分な信頼性安全性保守性等(産業用ロボットではよく考慮されていますが)の徹底的な改善が今後必要です。

12.2 永遠に今のままか、最終的な完成を獲得するか

生体工学ロボットへの期待について触れました。人間の一般社会において自然に上手く共存・共生できる、真に実用的なロボット(サービスロボット)の実現には、運動性能、知能、知覚、コミュニケーション等の基本仕様・性能はもちろんですが、当たり前の、重量大きさ作動エネルギーの小ささ等の達成、そして、まだまだ不十分な信頼性安全性保守性等(産業用ロボットではよく考慮されていますが)の徹底的な見直しが必要です。
率直に述べれば、殆ど考慮されて来なかった上述の実用機能が必須なサービスロボットの十分な完成は、在来の金属的メカロボットでは現実的には困難であり、何らかの別の方法を採る必要があるとも考えています。
それはロボットにとってだけでなく、それらプラットホームに搭載して活かされるA.I.を具体化する頭脳部にとってもです。
この観点について考えてみます。例えば、
 
例えば人並みに高速で編みもの(図8.3の編み棒使用)ができ、一般的な力作業もできる精緻かつ強力な(人間並みの)手指・腕機構を、目(視覚)や指先(触覚)とのような頭脳により自律統合制御できる。

人並みの総合知能を有するスーパーコンピュータ等に匹敵する、あるいはそれに近いを満足する十分な性能で、かつ人型ロボットの身体に搭載できる超小型・超省エネ頭脳

成人の大きさ、体重、作業パフォーマンスを有する人型ロボットで少なくとも(人間並みに)10日間以上無補給で稼働できる高エネルギ効率高性能エネルギ源を有する。
 
以上3項目について生体の人間には当たり前のことですが、現在の金属的メカロボットでは全く実現されていません。
金属、半導体等、どうしても劣化が速い素材により構成される金属的メカロボットであるから実現が難しいのかもしれません。
については、人間と同じ寸法の汎用手腕で行う器用さ・速さを金属的メカで実現するのは現状困難です。
作業等を行うモータや筋肉等のアクチュエータの動作性を示すパワーは、概ね「力」(あるいはトルク)と「速度」を掛け合わせて決まりますが、アクチュエータの大きさ、重量に対するパワーや、動きの可変域の広さの点で、現状のモータは生物の筋肉には敵いません。
 
そして、扱う対象が毛糸等の柔らかい不定形物であれば、視覚だけでは十分扱えません。視覚にしても、無人自動車等で多用されている測距を主体とするLidar(レーザーレーダ:レーザー式対象形状計測装置)だけで実現するのは困難で、編み物をやっている人は、主に指先の非常に精緻な触覚を主体に作業しています。少なくとも指先皮膚上のミリメートル単位の点あるいは面の接触圧力を細かくアナログ的に脳に伝え、人はそれを瞬時に認識して編み物を続けます。範囲を限定すれば視覚は必ずしも必須ではなく、そのような精密な触覚は、50年以上も前から研究されてきていますが、汎用ロボット用として実用化されてはいません(大きな専用設備としての事例はありますが)。
 
については、人の頭に収まるような小型コンピュータの能力は、人間の脳の能力の足許にも及ばない現状です()。アイザック・アシモフの小説に登場する架空でも全く概念が異なる「ポジトロン頭脳」のようなものの登場を期待するか、本書で述べている自然が創り出した生体工学的生物脳に期待するしかないでしょう。
 
については、よりはハードルは低いですが、実際に人間並みのエネルギ源、あるいはエネルギ貯蔵源は存在しません。
また、あくまで人間並みのロボットが頭脳の作動電力込みで平均わずか90Wで動作するという前提です()。現状は少なく見てもその10倍(1000W=1kW)は消費するのではないでしょうか。
将来的にリチウムイオン電池等を大きく上回る高エネルギ密度の貯蔵源も考えられますが、それも安全上の対応は困難です(故障、事故損壊により過熱、発火する等危険を伴います。生物では完全に安全が満足されていますが)。
 
ここではの3項だけを挙げていますが、さらに別のことですが、重要なこととして、で触れたように、人間では多くは50年は健全に、フルに近い性能を発揮でき、そして故障や損傷をしても恒常性を自律的に維持して修復や回復を行う精緻で高い自己保持性、自己組織性(後述)を有しています。それらを遠い将来に渡っても金属的メカロボットに求めることができるとは思えません。
そのような自己保守性自己組織性は生物・生体特有のものでしょう。
 
100年経っても「完成」(サービスロボットを人間界に広く共存させる等のこと)には至らず、仮にそこ迄経てば、途中でロボット(金属的メカロボット)、あるいはロボットのそれらの開発自体が要らなくなるようなパラダイムシフトが起きているかもしれません(例えば人間自体のサイボーグ化、バーチャル化が著しく進んでいるといったレベルのこと)。
 
一方、在来の「ロボット」とは異なりますが、生体工学ロボットであれば、上記3項とも満足に達成されることは十分解るでしょう。人間(生体)をごっそり真似をしてでもやらない手はありません。
 
現在のレベルのロボットの実状においても、学究界等では、在来の金属的メカロボット(電動モータ駆動が主体)の理解しやすい中核制御技術をおもに採り上げて、それを教育用も含めて維持研究しているばかりであるかのようです。
最も応用工学的であるべき分野であるにもかかわらず、実用化を求めず、そのような限定された研究体制が維持され続けてきたために、日本のロボット界はこの20年ほど目立った進歩をしておらず、その間に実用化に進んだ諸外国(米中等)に対して大きな遅れを取ってしまいました。
現状把握を避け、実績も出せないままにロボットを夢のように実用化できると喧伝して、その乖離した実状が広く知られてきたこともあって、暗に「ロボットは別世界のもの」といった印象を社会一般に植え付けてしまいました。いつ迄もロボットが家庭等の実社会で共存、活躍できない(いつも好奇な目で見られるだけ)理由には以上の背景もあると考えます。 

12.3 自然や生命の素晴らしさの導入

現状は、実用性や信頼性、安全性、保守性、コストを無視するどころか、それら重要事項を後付けでアップデートすることも不可能な見切り発車的な維持研究が乱立されています。
それらを排し、自然や生命の素晴らしさからも解る真の実用性を実現するべく、逆に近似解、簡略解を採ってでも近道をして(生物固有に完成・完結されている部分はそっくり真似して)できるだけ手っ取り早く、究極的「完成」を目指そうという提案です。

これからの最終完成形的な、言わば究極ロボットの研究開発等においては、新分野の技術を広く加えて、偏狭、保守的なプロジェクト管理にしないことも重要です。一見ゴールが先延びになっても、上述のような大逆転も期待できるチャンスだと思います。
上述の実用的な信頼性安全性保守性等を最初から考えれば、実用ロボットには、例えば犬や猫以上の完成度が求められます。地味なことですが、保守性の面なら、難しいメインテナンス作業や充電作業が頻繁ではいけませんし、何より故障や運用上の支障が頻繁では受け入れられません。故障があっても修理・復旧が手間であったりコストが大きくてはいけないですし、寿命やアップデート間隔が短くてもいけません。犬や猫ならたいていエネルギ(餌)と水さえ与えてやれば15年は健全に一緒に居てくれます。
それほどに人間や動物等の生物的しくみは「なぜ、そう創られたのか?」と問えば、「神が創った」と応えるのが適切だと思えるほどに不思議な迄に完成度が高く、感動させられることばかりです。
 
例えば機械工学的なナノテクノロジーは優れた技術かもしれませんが、基本的に無機体を扱っていて、そのテクノロジのみで柔軟で自己組織性(後述)、脳のニューロンやシナプスの可塑性(外からの刺激等に対し自己適応する柔軟可変性)、自己修復性(体障害や怪我の自然修復等)を有する動物や有機体サイボーグ並みのものを造ることはできないでしょう。
そしてそれら機能が無い金属的メカロボットで述べた通り生体工学ロボットには敵い得ません。
 
そのような生体工学ロボットも我々人間が意図して全詳細設計を行うのは無理です。全てを人間が独自に設計して詳細に創るのではなく、基本デザイン迄は人間が行って、それに生物の自己組織性をそのまま複写し、加えてシェイプアップして利用すること(生物・生命の素晴らしい機能の助けも得て)を考えることが効率的で適切です。
 
ここで、自己組織性とは、3a)(再帰的思考)で触れたように人間等は全DNA情報だけでその一個体全体を規定してはおらず、細部は何らかの自然則や各細胞周りの化学的、物理的環境にもよって総じて適切に全てが定まって完成するというものです。
 
例えば手の指が5本あることや各指の関節の形や長さ、概ねのプロポーションや爪部の生成等はDNA情報で定められていても、各部の実際の寸法、シワや指紋、爪部形状の詳細等は、DNA情報以外の何らかの自然則等も加えて適当に定まっています。一卵性双生児でも誕生時から違いがあること等からも説明できます。
 
さらに人体を構成するという、60兆個に及ぶとされる膨大で多彩な細胞の実際の配置(組立て指示)、血管の枝状分布や細胞の増殖位置などもDNA等で厳密には定められていません。誕生して成長する過程においてどのような手順で大きくなるかの細かい指示もありません。
その分、詳細設計の一部を省略でき、全体の設計は単純・簡略化できるでしょう。
一方、成長もしないけれど自己組織性もない金属的メカロボットを設計・製造するのは、一見むしろ簡単そうですが、逆に全詳細を完全厳密に定めておく必要があり、返って曖昧さがある生体工学ロボットに比べ、難しい作業となるでしょう。
 
そういったロボットの主体技術を生体工学生命工学と協調する形態に路線変更した方が早く人間等と共存できるロボットの最終的な完成(遅くとも25年後の2050年迄)に到達できると思います。
但し、バイオハザードや社会的受け入れ問題等の重要課題(14で後述)も無視できませんが。
一方、そのイノベーションとしての注目度、重要度から、そこには章で述べた、核爆弾開発計画、人間ゲノムの解析プロジェクトやインターネットの爆発的普及で実際に起きた、シンギュラリティ的作用による開発力、開発速度の指数関数的増大(の良い面)も期待されます。
開発の大幅な短期間化も起こり得ます。それにより本気でかかれば、かつてのゲノム解読プロジェクト()等のように、例えば上述の25年が、10年となることもあるのです。


13. 応用と展望

13.1 以上をまとめて

シンギュラリティ的な事が起きた事例として、過去の原子核物理開発の熱狂とその後の世界の異世界化についてで触れました。
原子核物理というイノベーションが技術的、実用的、そして社会政治的に絶大な魅力を有していたからですが、A.I.はそれ以上に魅力的で巨大な権益を生むイノベーションです。
 
A.I.の社会適用でシンギュラリティが起きたとして、定式化したシミュレーション等に特化した高速・大容量処理用の現在のスーパーコンピュータによるのと、思考する人間にとっては当たり前の『意識』を発揮できる的なコンピュータによるものとでは、超A.I.の思考パターン、そして「人間との付き合い方」は大いに違ってくると思います。
 
章では、そもそも実体を十分予想もできない超A.I.が人間にとって単に善きものであるといった楽観論や、無警戒な性善説、さらにイノベーション依存主義のようなものへの懸念を述べました。
10章で紹介した影響を受けた書籍にも楽観論(超A.I.と人間は上手くやって行ける)が見られますが、私として同じ書籍からそれを納得できる回答を見出せません。
 
意識』については、章で私自身の体験の考察や、行ったことがある思考実験についても説明しました。実際にそれら研究界では、実際の脳を使った有意な実験検証は殆どできませんし、動物実験でも得られる成果は限られています。
結局、確証ある解は得難いですが、自身で上述のような思考実験を行うに連れ、『意識』の意味(どうして自身を思っているのか?なぜ意識できるのか?)への興味は増す一方でした。
 
そして、以上を整理するためにも、思考実験的に「脳のアップロード」そして「脳のダウンロード」等の技術テーマについて例示して考察してみます。

13.2 脳情報のアップロード / ダウンロード

述べてきたA.I.と、それを人間とつなぐインターフェースとなるべきロボット、あるいは何らかの身体性を備えたA.I.には、期待すべき付加能力機能として、昔からSF世界では知られた「電脳機能」があります。図5.7のコミック「攻殻機動隊」シリーズやさまざまなSF映画に登場する人間機能拡張等のための仮想(未現実)キーテクノロジーです。
 
電脳機能には、経験や知識、記憶のアップロード ダウンロード(Brain-Machine Interface:BMI)、そして脳力拡張(Brain Enhancement)があります。
 
一般記憶(アップロード元の人間の記憶やクセ、習慣等)や体験記憶(語学や楽器、スポーツの技能等)、さらには人間がリアルタイムに感じている知覚情報(五感、情動、体感覚等)の共有、認識をねらいます。
 
以上は、ある1人の主体者を大元に考えれば、相手となる他の人間やロボット、そして情報処理装置等との間の情報共有・認識となります。さらに、十分な情報を遣り取りできる動物等他生物と対話することも期待できます。
そして、以上の処理にはおもに以下の2つの作業の組合せが必要となります(図13.1
 
(1)データ構造(マルチモーダル)変換
情報データには画像、動画像、音、触覚、記述文字(テキスト)等、さまざまな構造・形態がありますが、それらを受け渡しする際にはそれぞれのハードウェア、装置、生体等に応じてそれらデータの構造・形態を変換しています。

図13.1 脳(情報)のアップロード / ダウンロード
脳情報のアップロード / ダウンロードの全体イメージを概定してみます。 アップロード(脳情報の読み出し)の対象は、ある人の脳内情報(大脳のみでなく小脳等も含めて)として、その一般体験や思い出的な記憶、そして運動や技能等の記憶、そしてその時の、その人のリアルタイムな知覚情報、情動感覚でしょう。ただ、例えば自身が過去にどこかへ旅した記憶でも、その際の景色がありありと再現されるのではありませんが、本人にとっては、確かに自分が行ったことが思い起こされます。それは視覚的、聴覚的、情動的情報が渾然一体となっていて、同じ記憶対象であっても、データ構造が人それぞれに異なっています。その人にとっては確かに認識されていることが重要で、そのような「データ構造」に単純な変換を加えただけでその記憶を共有することは難しそうです。そのために「人それぞれ」等を共有して学習する「データ構造変換部」的なものが必要です。 ダウンロードにおいては、広大で膨大な脳の神経細胞ネットワークの分布を的確かつ迅速に書換えることが必要ゆえ、それをどうやって行うかは、ディープラーニング手法的であっても、膨大なパラメータを調整する広大な仕組みが必要になるでしょう。それを生体である脳に対し、外部から行うことは無理でしょう

人が歩いている図絵画像を見て「人が歩いている」と人がコメントしたり、逆に「人が歩いている」ことを口頭説明してその様子を絵(画像)にするといったこともそうです。
そのような情報共有はマルチモーダル(multimodal)と言えることです。

脳情報のアップロード / ダウンロードを行うため、例えば人間の脳内記憶と現状のデジタルコンピュータとの間でデータを共有しようとすれば、両者間のマルチモーダル変換が必要です。
あるいは、一旦、脳内記憶を画像や記述文字(言語)等に変換し、それをさらにデジタルデータに変換する等の多重処理が必要です。
例えば、動物は人間ほど多く饒舌には発声しませんが、猿や犬でも猫でも、鳴声とその姿と行動(目つき(眼球視線)や、犬が尻尾を激しく振っているといった外見的行動映像等)も合わせてうまくマルチモーダル変換(一種の多次元翻訳)ができれば、動物が伝えようとしていることや思いを詳しく認識でき、逆に適切なアバターや音響などを伴えば動物に伝えることができて、人間と(高等)動物の対等な対話ができるようになるでしょう。

現状レベルのA.I.があれば、携帯できるハードウェアに載る限定的なA.I.であっても、マルチモーダル変換の構造(アルゴリズム)をさまざまな対話を通して学習して、その末に上記の様な対話が円滑にできるようにできるでしょう。
 
(2)情報の読出し(アップロード) / 書込み(ダウンロード) (図13.2
脳情報のアップロード(記憶等の脳内情報や、知覚、情動感覚を脳から外部コンピュータ等へ主に電気的信号として読み出す)については、識者の言及はいくらかあります(後述)。
 
一方、脳の神経細胞ネットワークに記憶、知覚情報、情動感覚等を認識ないし定着させたりする ダウンロード機能も期待されます。
 
しかし、ダウンロードは脳の記憶を変更するという点で広大な脳内神経細胞ネットワークに多数に散在するニューロン、シナプスの結線強度等を適切に分散させて状態変化させる必要があります。記憶データはそのような多数の結線強度等に極めて複雑な仕組みで分散保持されています。何かを書き込むとして、そのような多数微細な結線に何を書き込む等ということは、超自然的に難しいと言ってもよいでしょう。
また、優れた信号伝達細胞素子であるニューロンにおいて、長い軸索上を信号は逆には進まず、特に、重要なシナプスとの結合はやはり一方向性の、精緻な神経伝達物質による化学的結合によって行われています。読出し(アップロード)方向にはよくても、ダウンロードにとっては一方通行で無理なのです。
それらに対して電子や磁気学等信号の注入を的確に行うのも困難で、その点だけでも脳情報のダウンロードは無理だと考えます。
 
仮に、疑似的に行うとするなら、中間脳装置を用意して、それと脳の当該「知覚部位」間を常時接続しておき、その装置の電子メモリに対しアップロード ダウンロードする方式が理屈的にはいくらか現実的でしょう。
 
その疑似的手法を採った場合、脳にダウンロード(書き込み)するデータを、脳の常時接続された知覚野(直接的な視覚、聴覚とは限らず、例えば「夢を見る・聴く」ような脳内の別認識領域に伝え、それが認識されたら、海馬やその他記憶領域に上手く伝えて保持できれば、大きく精密な情報は扱えないかもしれませんが、疑似的(簡易的)な脳情報のダウンロードと言えるかもしれません。前述のマルチモーダル変換次第では、何らかの数値やデータを書き込み記憶させることもできるかもしれません。
 
上述の「夢を見る」ような視覚や聴覚のように直接的でなく内的なものでもそのような情報を知覚できる部分があればそこを利用するのがよいと考えます。
ただ、「夢を見る」領域とは書きましたがそれがどこか等は分かっていません。「夢を見る」については案外曖昧な映像で、人によって精細か否か、色が付いているか否か等が異なるようですが、いわゆる「臨死体験」等の違うモードで脳内で「見る」、「聴く」領域は知覚野以外にもあるようですから、そのような構造によっては具体的な仕組みは検討できるかもしれません(実際にできるか、やれるかは別としてです)。

図13.2 脳(情報)アップロード / ダウンロードの概念(いろいろな案のイメージ)
アップロード(脳の記憶や知覚情報を引き出す)については識者(10章)の提案例があります。しかしダウンロードは広大な脳内ネットワークのどこかに適切に書込むべきかは解り得ず、結果的に無理でしょう。 ただし、上図の右側はそれを承知の上で簡易的な範囲でもダウンロードを実現しようとした一提案です。ただ、アップロードにしても脳との接続のハードウェア(仮に精細な電極を挿れることができても、それだけで信号授受は成立しません)や得たデータの構造変換等も途方もなく難しそうです

以上(1)と(2)を組み合わせて実際的な情報のアップロード / ダウンロードを実現することになるでしょう。
(1)(データ構造変換)については現状の生成A.I.等の進化から適切なものの実用化も期待できそうですが、(2)(アップロード / ダウンロード)に関しては、圧倒的に精緻な人体等に対応できるハードウェア(特に脳等の中枢、それら以外の人間とのインターフェースとなる視覚、触覚、電極装置等)の実現は極めて難しく、その実用化の目途は立っていません。
 
そして(2)の実現のためには、先ず生体脳と、信号授受電極等との物理的接続(ハードウェア)が最も難しい技術課題となります。脳内の必要な信号を扱う領域と外部装置との物理的接続です。その方法として、以下の2つの提案があります。ただし2つともアップロード(読み出し)だけを対象として説明されています。
 
一つは、図10.の関連書籍で挙げたレイ・カーツワイル氏(シンギュラリティをおもに提唱したA.I.研究開発者)の提案で、人間の血球ほどの大きさの「ナノボット」と仮称される微小なロボットを血中に流して脳情報等をアップロードするというものです。
もう一つは渡辺正峰氏(意識等の研究者)の提案で、これも図10.の「意識の脳科学」に示されていますが、脳内情報が集中する「脳梁」(のうりょう:左脳と右脳の情報を交換連絡する神経結線部)に、その機能を阻害しないように工夫した電極を差し込み、脳梁間の濃密な神経結線信号のアップロードを行うというものです。
 
前者は解決のための現実的方法は示されていません。そして血中の「ナノボット」から脳内の情報を収集するという技術については何も説明されておらず、その具体化、実現は無理でしょう。
 
後者のイメージは示されていますが、脳梁に集結した1億本程あるとされる細い神経軸索断面と外部電極との正確な接続は、一度損傷した脊髄等を正確に再結合して再機能できない現実にも通じる工学的、物理的な難しさを伴います。

例えば脳内や脊髄や四肢内には直径数mm(ミリメートル)径の断面の神経幹通信ケーブルのように散在し、その断面にはわずか1mm2(約1mm四方)の中に10,000~40,000本程度の多数の神経「軸索」が通った「神経束」が散在しています。
 
通信用の電気ケーブル等では1本のケーブルの被覆内に何十本もの細い電線が詰まって通っていますが、それをさらに微小・精密にして多数を、上記のように詰め込んだ生化学的な電線束のようなものです。
 
ただし、神経束は柔らかく、その内部の1本1本の神経「軸索」はきちんと格子状に整列している訳ではありません。何よりどの1本の「軸索」が何を通信しているのか、どういう状態にあるのかは外部からは分かりません。
すなわち、神経束があっても中の「軸索」信号各々の役割・意味、正確な配置位置、信号の状態はまったく解らないのです。ですから1本の柔らかい神経束を切断してしまったら、太い髪の毛の束を切断しても元通りに繋げ直せないないのと同じく正しい再結合はできないのです。
 
では、切断した神経束のデータアップロード用の電極を繋ぐことはできないかというと、理屈上は以下の方法が考えられます。切断した神経束内の1本1本の細い「軸索」の直径(一般に1~10μm(ミクロン))よりさらに小さい電極を、さらに高密度に並べた電極板を神経束断面に密着させます。デジタルカメラの撮像素子であるCCD素子では、約1mm2の大きさに、約20万程の素子(電極)が並び、その多さ(密度)は神経軸索の配列の10倍程度です。
従って、両者を対向させてくっつけた場合、軸索とつながる1つ以上の電極は存在しそうで、同軸に対向した電極は「軸索」の全信号を拾うことができます。
それら多数の電極電位を多数読み出して、何かを行った際の神経束の「軸索」から得た信号の反応パターン(電位分布)をA.I.に学習させます。「こういうことをしたらこういう反応パターンになる」ということをいろいろ覚えさせる訳です。それにより、神経束を流れる信号パターンの特徴を学習させ、例えば視神経、聴覚神経等を流れる信号(映像、音等)を同じA.I.で解読させられれば、信号が理解・認識できるようになります。即ちアップロードがきるようになります。
簡単に書いてしまいましたが、神経束、軸索断面と生化学的に適応する(神経をダメにしない等)電極や、固定方法等、極めて難しく現実的ではないですが、電極部がうまくできれば、上述のAIによる信号読み込み、そして理解・認識はできるかもしれず興味深いです。
 
以上のように、不規則に見える膨大な信号を有意に変換する信号処理用に専用のA.I.的な学習機能を適用する必要がありそうです(もともと人間にはそういう際の回復をまさにA.I.的(学習的)に、可変適応できるようにできていて、神経等を損傷した怪我後のリハビリ等はその例です)。
 
他に、非侵襲的に(開頭や切開したり脳に触れたりしないで)情報を読み取ることができる既存のMRI(Magnetic Resonance Imaging:磁気共鳴画像法)やPET(Positron Emission Tomography:陽電子放出断層撮影法)、脳波測定装置等の活用が考えられますが、信号の分解能や装置の大きさ等の点で現実的ではありません。
 
結局、上述の「脳梁電極式」のような決死的な侵襲的電極インターフェース方式が最も現実的かもしれません。
それが完成できれば、の図5.7で紹介した「攻殻機動隊」におけるプラグで繋ぐ電脳世界のハードウェアが実現できるかもしれません。
 
ただし、その上で本13(2)で前述したように、生体脳とコンピュータ等装置(電子計算機)は、情報処理の方式、構造が全く異なり、両者のデータ構造も必然的に著しく異なり、マルチモーダル化した情報の移行共有は極めて難しいです。
画像や音、情動等多種多様な情報が渾然一体化していて各データの時間軸や時間間隔、細密度、融合具合さえも異なります。その変換、統合はどこから手を付ければよいか分からない程に難しいでしょう。
 
ここで外部側の装置がで述べた生体工学的ロボットに沿った生体工学的頭脳であれば、人間(生体脳)との情報移行、情報共有が同様・同種の生体(ハードウェア)同士間であるので、情報構造の類似性(共有性)が高く、結果的に脳情報の移行アップロード / ダウンロード)の実現性も高まるはずです。
 
結局、夢のような脳情報のアップロード ダウンロードの実現は極めて難しいことが解ります。けれどそれに対応した柔軟性、拡張性が高い実用的な生体工学的ロボット生体工学的頭脳が得られれば電脳化も実現へ近づいて行くでしょう。
 
但し、私として最も考え得る案(アイデア)であっても、どれもとても実現できないくらいに難しいことが分かります。それ程に生物(特に脳というもの)は超絶的に精緻で謎で、人間の思い付きではどうにも自由にいじれないものと思います。

なお、『意識』(章)については、そのアップロード / ダウンロード はできないと考えます(図12.3)。
仮に完全同一の「自分」が2つあっても、『意識』はそれぞれに独自に在るものと考えます(図8.2参照)。人間であれば、各々の脳という思考ハードウェアに1つずつ自然発生するようにです。
記憶」や「知識」は、脳が活動していて変化中の部分を除けば、脳というハードウェア実体(ニューロンとシナプスによる神経細胞ネットワーク)に存在する基本的に静的なものです(ニューロンにパルス電流が流れることで動的化します)。
一方、『意識』は、情報・データから生成・発現し、あえて言えばデータ上に在って、データに依存する、現れたり消えたりすることを含めて動的で不確定なものだと考えています。

図13.3 脳情報のアップロード / ダウンロードの可能性について

記憶」や「知識」は上述のアップロード / ダウンロードが突き詰めれば可能である(物理的、技術的に前述のように著しく困難としても)のに対し、『意識』は決して空の同一の自分の「肉体」に任意に入れ替えられるようなものではないと考えます。実体がないのです。
 
アップロード / ダウンロードによって、『意識』が意識体的なものとして、仮に異なる「自分の身体」間やコンピュータとの間(異なるハードウェア間)を移ることができたとしても、もはや同じ『意識』ではなくなるでしょう(図13.3参照)。
また、そうであり『意識』が何らかの能動的な働きを持つものであるので、コピーして増やすことは不可能と考えます。

さらに、「記憶」や「知識」には、その内容を符号化してコンピュータでも扱うことができるデータ性がありますが、『意識』については外部コンピュータ等とのやり取りに必要なデータ符号化の可否は不明です。
 
なお、ここでいう『意識』がどこかに移動させられたり、観測されることで別のものになってしまうような書き方をしましたが、偶然なことでしょうが、「量子理論」における量子挙動等に似ているようにも思います。

13.3 ロボット、A.I.とともに人間を拡張する

最後に、..、それも『意識』を持った超A..が総じてロボットを通してもたらす、人間を進化させる拡張についてまとめてみます。
で紹介した映画に登場するような人間世界で当たり前に共存できる、まるで人間の執事のようにもなれるレベルのロボットはそのような期待イメージの一例です。

そのためには、先ず、高度な知能を発揮するA.I.を稼働させる人工頭脳(ハードウェア)が不可欠です。人間(動物)の脳は、現在の人工コンピュータと決定的に違って、ハードウェアとソフトウェアが不可分に渾然一体となっています。
それは、現在技術の延長線上ではない、全く異なる仕組みのものです。それが人間の「脳」で当然のようにできているのですから一層参考にして行くべきです。
実際に章でも触れた実際の脳の神経細胞ネットワーク(ニューラルネット)の仕組みを模して活かしたディープラーニング等がA.I.の実用化に大きく貢献しています。そこに上述の『意識』解明の鍵や参考解もあるかもしれません。

結局、そのような『意識』を与えるには、人間や動物の脳のような膨大な超並列処理、それも再帰思考ができるような構造(人間の脳にはある)とその統合処理が要るのではないかとも思えています。
 
次いで、実社会において実用化するには、併せての冒頭で触れたように単に高性能高知能なだけでなく、その上で人の大きさのロボット頭部等に組み込んで長時間稼働させられる超小型で、超低消費パワーなものが不可欠です。
しかし現状、以上のようなものをいくらかでも具体的に例示できているものは現状ありません。
そもそも現在のロボットやコンピュータの基本となっている基礎技術、要素技術の延長線上ではなし得ないのです。
 
そして12で「生命を模すべき」と述べました。それは「生命」というお手本がないままに、ゼロから研究開発を始めても、結局、今の実際と同じところに到達するという意味です。
ですから、「実用にならないし完成イメージもないこと」を延々とやっていることに早く気付いて止めて、真似と言われてよいので、生体工学、バイオや日本が誇るiPS技術等を導入して人工生体、そしてで述べた生体工学ロボットへ進もうという提案です。

そういう考え方により、先回りして人型ロボットやサービスロボット等に、人間並みの知能の搭載も期待でき、上述のような大きさ、重量や消費パワーの致命的な重大課題もクリアできる期待感があります。真に実用的な「究極のロボット」の実現です。
 
一方、「人間の拡張」アイテムには、本文書の主題とやや異なりますが、「知能」面でなくとも、その大きさや特にパワー拡張拡大)も重要であると考えます()。
私はいわゆる「パワードスーツ」の開発試作を行ったことがあります。ただ、一般にパワードスーツはエグゾスケルトン(体の外に骨組みを装着する形のアシスト補助機械)であるように人間用なら基本的に人間と等身大となります。ただし、それは結果的に先の生体工学ロボットが実現すればよいことですからここでは触れません。

しかし、そのような「大きさ・パワーの拡張」も人間社会において、工事現場、建設土木等で非常に現実的で有用です。大災害や事故等の復旧・復興用に、知能は無くとも(低くとも)完全手動操作の建設機械(重機)が広く当たり前に実用化されていることは親しみ深く知られています。
それをまさに「機動戦士ガンダム」のような大型人型ロボットにやってもらえれば、フィジカルな「人間の拡張」となります(兵器転用が懸念されますが、形状構造等から検討すれば、過重となるので、戦闘用には適さず現実的ではありません)。
 
以上、大型拡張ロボットについては本文書の論点と異なりますが、提案してきた生体工学ロボットとともに2つの形で将来社会の中で実用化を期待する対照的な2つのロボットのイメージです。それらを図13.4にまとめてみました。
 
そして、現在散見される様々な大型プロジェクトの達成時期の繰り延べの言い訳にもなっている「2050年」という開発ターゲットには以上のようなものこそを狙って欲しいと思います。

図13.4 『意識』を持つA.I.、頭脳と ロボットによる人間の拡張・展開
究極のロボットは、人間並みの生体A.I.知能と高度な躯体運動性を有する生体工学ロボットであり、人間と同大レベルが中心となるでしょう。そして現在と同じ人間社会で難なく共存・共生できるものとなります。運用上、信頼性やメインテナンス性等でも自然に、共存しやすい存在となることが期待できます。 一方、現在も機械化が進められる屋外作業用等の大型汎用ハイパワーロボットも期待されます。こちらには人間と対話するような高度な汎用A.I.は必ずしも必要ではなく、生体(筋肉力)では困難なハイパワー、頑強性、大型形態をむしろ、5.2で将来性が少ないとした金属的メカロボットの形で実現するパワー拡張型ロボットとなるでしょう。 現代も広く重用されている建設機械(重機)等に代わって様々な作業等を大きな「機動戦士ガンダム」(設定上は身長約18mです)にやってもらうように、必要十分な繊細さ、素速い運動性を兼ね備えた大型汎用ハイパワーロボットです。

14. おわりに

14.1 宇宙の始まりから生命の誕生へ

約137億年前に生まれたとされる宇宙空間において、莫大なエネルギーがたくさんの素粒子(物質)を生み、闇の中で「凝縮」して行き、やがて、太陽のような恒星が生まれて行きました。
恒星の寿命が尽き、最期の爆発により各種元素は拡散され、星雲もできて、その回りには穏やかな惑星が生まれました。

図14.1 無の世界から生命・生物の創生へ

それら惑星において、そこでも「凝縮」によりアミノ酸等が生成され、多彩な細胞生命が生まれて行きました。
何億年もが過ぎる間に、多様な生物、そして動物が誕生します。「知能」を有する知的生命体の誕生です。
そして、最終的にわれわれ人間が誕生しました。

自然の「凝縮」の末の驚くべき進化です。
単純な物理的な世界から、複雑で多様な分子生物的世界への不思議で壮大な進化です。しかし、そこで完了ではありません。

A.I.が大いに進化しつつある現在、もし、さらにシンギュラリティA.I.に生じれば、営々と築かれて来た人間の知的進化を継ぐものになるでしょう。
人類の何千年、何万年を要した知的進化は、そのようにA.I.に移行すれば、人間を継いで速やかに数十年、あるいは数年で人間を越えるような高度な知能体になるのかもしれません。

そして、それを人間社会において展開するインターフェースとなる最も有用なものはロボットでしょう。それは究極の知能を持つものというより、十分な知能に『意識』(こころ)を持ったものと思います。

それらは、現状のようなPC端末、携帯端末上の話し相手に留まらず、人並み以上の躯体を以て人間を助け、高度な知能によって共存共生し、友人のようにもなれるロボットではないでしょうか。映画『スターウォーズ』の人型ロボット「C3PO」(演出上、あえて古臭いデザインでしたが機能は完璧に「生体工学ロボット」的でした)のようなロボットかもしれません。

生成A.I.は今や、芸術や教育のアシストツール、さらには人間の対話パートナーに迄なりつつあります。 
しかし、自在に移動して、五感でセンシングして、どのような繊細な作業(図8.3等)も統合制御できる精緻かつ時に強力な身体性能、そしてそれらのベースとなる自身の躯体を外界から守り安定活動させる恒常制御等(図8.4)も、専ら現在の人間の手による「金属的メカロボット」ではできていません。
前述の、人間同様に精緻な「生体工学ロボット」(5.4)が求められると私は考えます。
 
ただし、現状、ロボットの開発は「金属的メカロボット」ばかりで、「生体工学ロボット」は、まだ現れ始めたばかりです。
 
ですから、既に生物、そしてその究極的完成形である人間や高等動物が当たり前に存在している以上、それらを恥ずかし気もなくコピーする等して、教わり、活用して臨むべきではないでしょうか。

目指す究極のA.I.(知能)、ロボット(身体)、そして『意識』さえ、全て人間に備わっていて体感していることから確実にあること(=何らかの方法で実現できること)は解っているのです。完全に解明しないでも実現できることはあるのです。
そのように、学ぶべき先例先生は明確に存在するのです。それらを目標にしつつ効率的に研究開発を進めない手はありません。

14.2 究極のロボットを創る生命体

2020年頃以降、実際の動物の部分細胞をコピーして、分子的挙動を活かした多細胞体を創る研究開発が成果を挙げ始めました。それをA.I.シミュレーションにより、世代進化等を考えてデザインさせた形に成型した多細胞「人工生命体」が既に実現されています。それらは自立・自律活動できる等、生命の機能を有しているのです。

図14.2 現実化した人工生命体
既存の生体細胞をA.I.を使った解析・設計、シミュレーションにより、プログラムして人工的に成型した微小人工多細胞生命体です。群れさせたり、物質を推し動かせたりもでき、生物が有する優れた自己修復性も備えていて、栄養供給なしに数週間生存したとされます。 左は人工生命体(生物)XENOBOT(2020年 / 米バーモント大学他 / プログラムモデル(左)と実物)。 アフリカツメガエルの幹細胞から得られた心筋細胞と皮膚細胞を組み合わせた移動等の機能が実践できる人工生命体です。細胞約1000個を組み合わせて直径約1ミリメートル弱に加工成型されています。右は、人工生命体 ANTHROBOT(2023年 / 米タフツ大学他)。 人間の心臓細胞から造られ、人間体内の損傷部を修復する機能等が確認されたそうです。人体細胞によって造られているので、免疫反応も少なく、メリットとともに、怖ろしいこと(バイオハザード等)も懸念されるほどです

そのような「生体工学的」なものが最終的に人間並みのA.I.を搭載し処理するレプリカ脳を持ち、その目的を実現して行くのには時間はかかるかもしれませんが、もはや大きなイノベーションであることは確かです。

そして前述の生命・生物的工学を活かして採り入れた「生体工学ロボット」が完成して行けば、上述のデザイン性も活かして望まれる知能、躯体、そして総合性能的に人間並み、あるいはそれを拡張した人間と広く共生できる、夢のようなロボットが実現されると思います。

そのような開発の大転換が成されれば、多くのSF映画に登場するあたかも人間のような、あるいはそれらを拡張し、上回る究極の実用ロボットの誕生が期待できます。
 
ただし、そのようなロボットたちは高性能な「知能」(A.I.)を搭載する以上、必ずしも手放しで人間にとって「善きもの」ばかりになるとは限りません。映画や小説で見られるような人間に対して敵対するものにもなり得ます。
また、生命工学、生体工学をベースにするのであれば、いわゆるバイオハザード的な課題、そしてそれを悪用する勢力の存在への懸念があります。
 
では超A.I.を性善説で解釈することへの懸念を述べましたが、それ以上にイノベーションの過程においては、性悪説的勢力(人間)が必ず現れ、悪影響を及ぼすことは長い歴史の上で証明されていることです。それら勢力は、私的な組織であったり、国家であることもあります。
従って、今後、初期段階で細心の注意を払った開発の戦略的方針、厳重な研究開発管理、広範で強固なセキュリティ等の設定が重要となります。
14.2の開発例においても、研究機関(大学が中心)では一応その点に重点を置いてセキュリティ体制を敷いているそうですが、今後、どこ迄ガードできるのかも分かりません。
 
なお、本来そのような仕組みは、現在隆盛を極めつつあるA.I.に対しても同様に注意を払われるべきでした。しかし、A.I.自体の反動(人間社会にとっての不都合な反応、大袈裟に書けばA.I.反乱等)、で記した人間文化と関わる諸問題(芸術、教育等における人間自身の創意の退行等)、さらに対人間心理(現在既に見られる一部の人間のA.I.への強いメンタル的依存現象)等のさまざまな課題に対し、多くは十分な対応がなされずに今を迎え、今後一層の懸念が拡がろうとしています。

それらについては十分な観察、研究の下に対策も取られて行くべきでしょうが、現在の、予想もつかないようなA.I.の急速かつ広範な進歩、拡大にそれらフォローが追いつくことはもはや不可能であると思います。
そういう現状であるからこそ、実態がどうなるか解らないシンギュラリティがこの先起こることが危惧されるのでしょう。 

14.3 生命進化が行き着く知能シンギュラリティ

この文書ではシンギュラリティはA.I.(人工知能)について起こるものとして述べてきました。
しかし、それは強大なコンピュータ上のA.I.の異常な知能高度化による暴走に過ぎないのか、そのA.I.の身体の一部ともなってしまっているような地球規模の革命的反動、あるいは劇的な進化なのか、さらにはそれらA.I.システムを取り巻く人間の側の大規模な暴走、あるいは革命なのかもしれません。
 
はっきり言ってしまえば、私には、シンギュラリティを起こす主体が何なのかがよく解っていません。
結局、シンギュラリティ、そしてその後に来るものとは、人間を継ぐような、人間を含めた知能体がさらに進化したもの、そしてそれが起こした事象の行き着く果てであると考えられます。

しかし、それが具体的にどのようなものになるのか?といったことはやはり人間には予想し得ないものではないでしょうか。
 
いずれにせよ、
真に実用的で、人間にとって善きA.I.ロボットが登場し、広く共存して行くことを願っています。

一方、われわれ人間と、A.I.、そしてロボットが共存して行くであろう世界はどこへ向かうのでしょうか。

さらに、無限のように進化した「知能」(超A.I.)は、地球世界に飽き足らず宇宙へ知能エネルギ体として展開・進化するのでしょう。

これから起こる、小説より奇なる、未来を見届けたいです
みなさんと一緒に

それは、案外近くに起こることかもしれません

Ⓒ tompei(とんぺい) 2026年 月 31日 


著者プロフィール 

 tompei(とんぺい)

東京工業大学(現東京科学大学)卒。
重工業メーカにおいて、おもに移動ロボット、自動生産設備、パワーエレクトロニクスシステムを開発。宇宙航空研究開発機構(JAXA)においてもロボットの研究開発を行った。
小さい頃からメカ、エレクトロニクスに深い興味を抱き、それら分野への経験や勘には強い自信を持つ。そして、それらとは離れられない人生を送る。日本ロボット学会第3回技術賞受賞。在学時、東京工業大学ロボット技術研究会を創始。
ロボット開発会社を創業し、おもにパワーアシスト系ロボットの開発、併せてAIや意識等について研究を行っている。



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