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【#創作大賞2025】平成の暗黒時代を生き抜いたソルジャーへ ~第一章~

平成の暗黒時代を生き抜いたソルジャーへ

【あらすじ】

これは私の20代から30代後期を駆け抜けた物語。今の若者には想像もつかない「平成」という時代、そこはブラック企業が跋扈し、多くの夢や希望が死屍累々として横たわる戦場だった。しかし、私たちはその無数の屍の山を越え、血と汗と涙を捧げ、今の時代を築き上げてきた。工場で、営業の最前線で、まるで国家を築く兵隊のように、ひたむきに働き続けたソルジャーたちがいた。これは、そんな名もなきソルジャーたちへの、そして彼らが遺した偉大な功績への、心からの感謝を込めた物語である。

【本編】

プロローグ:歪な働き方をする私



私は、至って普通の会社員だ。少なくとも、世間一般の基準からすれば、そう見えるだろう。だが、その実態は、まるで多重人格者のように複雑に入り組んでいる。本業で会社員として働きながら、美容サロンの実店舗を経営し、さらにはビジネス再生のアドバイザーという、まるでミステリー小説の探偵役のような顔も持ち合わせている。

なぜ、こんなにも奇妙で、世間から見れば「歪な働き方」になってしまったのか? その答えは、私の過去に深く根ざしている。それは、平成後期という暗黒時代を、泥まみれになりながらも必死に生き抜いた、一人のソルジャーの物語だ。今からその、血と汗と涙、そして時折、腹を抱えて笑えるような地獄の記録を語り尽くそう。

第1章:工場という名の牢獄



今から遡ること二十年。私の青春は、工場という名の、まるで厳重なセキュリティで固められたかのような牢獄の中で幕を開けた。朝から晩まで、繰り返される単調な作業。ベルトコンベアの上を流れる無機質な部品を、ただひたすらに、同じ動作で加工し続ける毎日。正直なところ、嫌気が差していたどころではない。吐き気がするほどだった。このままでは工場でしか通用しない、まるで化石のようなスキルしか身につかないのではないか。そんな漠然とした不安が、私の胸を焦がし続けていた。

なぜ、そんな場所を選んだのか? 答えは単純明快で、他に行き場がなかったからだ。世はまさに就職氷河期真っ只中。高卒の私にとって、正社員という肩書きは、手取り12万円程度がせいぜいの、まるで雀の涙ほどのものだった。ならばと選んだのが、派遣社員という道だった。時給は高めで、残業ありきで手取り18万円。運が良い時は20万円を超えることもあり、決して裕福とは言えなかったが、最低限の生活はできていたし、月に一度は家族で外食を楽しむほどの、ささやかな余裕も持ち合わせていた。
そんな、まるで絵に描いたような安寧な日常を、突如として、まるで巨大な津波のように飲み込んだのが、あの「リーマンショック」だった。百年一度の不況。それは、私の人生に、そして多くの人々の生活に、深々と爪痕を残すことになる。

ある日、私が働いていた現場から、派遣会社撤退という、まるで死刑宣告のような通知が届いた。派遣会社の担当者から呼び出され、告げられた言葉は、私にとってあまりにも衝撃的で、その場で膝から崩れ落ちそうになった。

「来月から○○の現場に移るか、辞めるか決めてくれ」

私に、選択肢など存在しなかった。このご時世、他に仕事など見つかるはずもない。私は言われるがまま、まるで操り人形のように、現場を移ることを選んだ。

次に配属されたのは、時給1100円、残業なし、そして何よりもアットホームな職場の軽作業だった。冷暖房は完備され、夏は涼しく、冬は暖かい。まさに砂漠のオアシスのような快適さ。派遣元の方も気さくで優しく、何より残業がほとんどない。あってもせいぜい1時間程度。これはまさに天国だ、と心底思った。私はこの恵まれた環境で、精一杯、まるで生まれ変わったかのように働いた。様々な改善提案を実施し、派遣元からも高く評価された。毎日が充実し、「いつかここで正社員になるんだ」と、密かに夢見ていた。それは、あの工場という名の牢獄からの一筋の光だった。

しかし、その夢は、再び、まるで紙切れのように打ち砕かれることになる。
ある日、またしても派遣会社の担当者から呼び出しが掛かった。

「撤退です。現場を変わるか、辞めるか…略」

まさかの、再びの撤退宣言。リーマンショックという百年に一度の大波の恐ろしさを、私はその身をもって、これでもかとばかりに叩きつけられた。家族も絶望し、一家心中でもするかと、笑いながら絶望の縁に立たされた。

そこから、私の本当の地獄が始まった。
事前に知っておいていただきたい。
これは私だけが経験した地獄ではなく、
平成にはこのようなソルジャーが無数に存在した。屍になったものもいれば死肉を喰らい生き延びた者もいる。決して私が特別な訳ではないということをご理解いただきたい。

次の現場は、さらに過酷なものだった。時給は1000円。1日14時間、2交代制。早番だろうが遅番だろうが関係ない。とにかく12時間働き、作業の遅れを取り戻し、その後はまるで奴隷のように掃除をしてようやく帰れる。これでトータル14時間だ。通勤に片道1時間。往復2時間。もはや仕事をしているのか、移動しているのか分からなくなる。辞めたくても、高卒でスキルもない私に、他に仕事など見つかるはずもなかった。学生時代に勉学を放棄した私に選択の余地などあるはずもない。死んだ魚のような目で、私は黙々と働き続けた。やがて、現場リーダーという、まるで名ばかりの地位まで手に入れた。しかし、時給は変わらない。それでも、嬉しかったのは、自分の努力が認められたという、ただそれだけの理由だった。

着実に結果を残し、またある日、派遣会社の担当者から呼び出しを受けた。

「撤退~略~」

その言葉を聞いた瞬間、私の脳内では「リーマンショック怖すぎるやろがい!」という叫びが木霊した。
さすがに、もう無理だ。そう思い、辞めると伝えた。すると、担当者は意外な言葉を口にした。

「君にオファーがある現場があるんだが」

「え?僕にですか?」

「以前の○○さん、君の働きぶりが良かったから是非お願いしたいと」

そう、時給1100円、残業なしの、あの天国のような現場だったのだ。

「行きます!」

私は、心躍らせ、まるで救世主が現れたかのようにそう答えた。
そして出勤当日。胸を弾ませながら、再会を夢見ていた。

「ただいま戻りました!」

「お待たせしました僕です!」

そんな言葉を頭の中で何度も繰り返し、まるで恋する少女のように待合室で古き仲間との再会を楽しみしていた。

「お待たせしました」

派遣元の方に案内され、現場へ向かった。

部署が、違った。
確かに会社は同じなのだが、部署が全く違ったのだ。そして、本当の地獄はここから始まったのだ。

1日12時間、2交代制。毎週土曜日出勤。2週間に一度は土曜連勤。時給1050円。メッキ品の検査業務。

何より辛かったのは、2週間に一度のメッキ槽の清掃だった。硫酸や塩酸の結晶がびっしりと付着した、まるで毒の沼のような槽に入り、清掃するのだ。
目が染みる。まるで玉ねぎを千切りにしているかのように。作業着は変色し、まるで実験の失敗作のようだ。とにかく熱い。ガスマスクで息苦しい。
金曜日の夜から12時間の夜勤でメッキ品を検査した後、土曜日の朝8時から夜8時まで12時間のメッキ槽清掃。土曜日の夜9時過ぎに自宅へ帰り、日曜日は休み。しかし、目が覚めない。起きたらもう、月曜日の朝。

「さぁ、今日も元気に頑張るぞ」

私は3年間、この仕事を続けた。

そして私はメッキ工程から組立工程へと異動する。

少し先でお話しよう。

地獄の底なし沼:係長という名の「部品拾い」デスゲーム


私が工場、そして組立工程という名の地獄で背負っていた肩書は「係長」だった。聞こえはいい。まるでエリートサラリーマンのような響きだ。だが、その実態は、まるでデスゲームの参加者、いや、最下層のゴブリンの巣窟で泥にまみれる下級兵士と寸分も違わなかった。

係長の本来の仕事は、生産管理、新商品の生産準備、改善活動など、聞こえだけは立派なものばかりだ。しかし、この工場には、常に「突発欠勤する作業員」という、まるでゾンビのような存在が徘徊していた。そして、彼らが現れるたびに、班長がリリーフに入る。本来の班長業務は現場監督なのだが、そんなこと言ってられる状況ではない。当然、係長の私は、まるでパーティーから突然離脱したメンバーの穴を埋めるために、不慣れなジョブチェンジを強いられるようなものだった。

しかも、そこに「突発欠勤者がいない日」など、都市伝説と同じレベルで存在しなかった。まるで、この世から希望が消えたかのような現実だった。

つまり、私の日常業務は、必然的に「班長業務」にスライドする。そして、その班長業務の筆頭が、まさかの「部品拾い」だったのだ。

「部品拾い」と聞いて、あなたはどんなイメージをお持ちだろうか? 小さな子供が好奇心旺盛に拾い集める、キラキラとしたおもちゃの部品? それとも、丁寧に落とし物を回収する、高尚な作業? 残念ながら、どちらも違う。これは、まるで『カイジ』の地下労働施設で、ペリカのために毎日血反吐を吐きながらレンガを運び続けるような、底なしの絶望作業だった。
本来、この「部品拾い」(異常報告の対応)は班長の仕事だ。しかし、肝心の班長は、突発欠勤者が発生するたびにそのリリーフに入っているため、本来の業務である現場監督(部品拾い)などできるはずもない。結果、班長が部品拾いに回れない分、係長の私がその業務を代行する羽目になるのだ。そう、まるで『諸葛孔明』が前線に出て緑の扇子を振り回す、そんなちぐはぐな状況だった。

なぜ、そんなことになるのか。ここからが、このブラック企業の「脳内洗脳センター」とも呼ぶべき、おかしなルールが顔を出すところだ。

この工場では、「品質は標準(マニュアル)から作られる」という神話がまことしやかに語られていた。つまり、マニュアルにない動きは全て「異常」なのだ。

作業員がうっかり部品を落とす。

はい、ここで異常発生!

するとどうなるか。作業員には

「異常が起きたので異常報告」

という手順が発動する。

工場内に設置された工程別の掲示板に、けたたましい音とともにランプが点灯する。その音、例えるなら、スーパーマリオブラザーズのステージのような、どこかポップなBGMに近いものがあった。だが、その音は、私にとっては地獄の鐘の音に他ならなかった。

監督者(この場合は私)が、そのランプが点灯した工程へと、まるで死神にでも呼ばれたかのように急行する。

「係長! 部品が落ちました!」

「よし、異常報告を受けた! 部品を拾う!」

私は落ちた部品を拾い上げ、そして新しい部品を準備し、作業手順を確認し、最後に作業再開の指示を出すのだ。そして、ようやく製品が完成し、品質検査へ。この一連の流れが、部品が落ちる度に、無限に、そして絶望的に繰り返されるのだ。まるで自分で降りることが不可能な無限列車に他ならない。

工程には次々とランプが点灯し、あのポップな音楽が工場中に、まるで地獄のBGMのように響き渡る。それはまさに『地獄の黙示録』のワルキューレの騎行が、工場全体でエンドレスリピートされているような狂気だった。

しかし、私の仕事は部品を拾うこと。次々に点灯するランプと、まるで鬼の首でも取ったかのように鳴り響く音楽に、私は全く間に合わない。工場内は走ることが出来ない。競歩である。時間が経つにつれて、作業員の機嫌は地の底へと落ちていく。生産が止まり、残業になるからだ。
彼らはやがて、口で報告することすら億劫になり、落ちた部品を指差しで指示し始める。

「おい、そこ。」(指差し)

次のランプ。間に合わない。
今度は「顎」で部品を指し始める。

「あれ。」(顎でクイッ)

次のランプ。間に合わない。
もはやランプすら点かなくなった。なぜなら、残業になるのを嫌った従業員が、勝手に部品を拾い始めるようになったからだ。そう、まるで『北斗の拳』で、秘孔を突かれて無抵抗になった雑魚キャラが、最後の抵抗を見せるように。

しかし、それが元請けにバレると、翌日の「朝会」で文字通り「フルボッコ」にされるのだ。これは、もはや仕事ではない。毎日が死と隣り合わせのデスゲームだった。

社畜の極み! 有給は蜃気楼、脳内はデスマーチプロプレイヤー


さらに恐ろしいのは、私の「係長」としての本業だ。午前中から夕方17時まで部品を拾い続け、そこからようやく係長業務が始まるのだ。ちなみに、私は朝6時から工場に来ている。つまり、朝会を除いても10時間ぶっ通しで部品拾いをしていた計算になる。これが空き缶ならそれなりの収入になったかもしれない。

そして、係長業務は夜遅くまで続く。

21時にやっと夜ご飯。
工場で食すと何を食べても、まるで囚人のような食事だ。

23時に束の間の休憩。

そして退勤は午前1時。

家に帰って1時半。

すぐ風呂に入って、午前2時には就寝。

午前5時に起床し、また午前6時には出社。

こんな毎日が、延々と、まさに無限列車に乗り合わせたかのように繰り返され、私の心身も摩耗していった。

「残業代? あるわけが無い。ああ、有給は蜃気楼のように存在しない」皆さんご存知だろうか? これを「残有ミラージュ」と界隈では呼ぶ。

毎日10時間の残業。にもかかわらず、月44.5時間以上の残業代は決してつかない。つまり、約4日で残業代は消化され、残りの日々は「無償の奉仕」と化すのだ。私の家政婦ナギサさんも真っ青になるような状況だ。

さすがにこの状況に、私は給料交渉を決意した。面談相手は、通称「頭スッカスカのデスマーチプロプレイヤー上司」だった。

私が

「もう少し給料を上げていただけませんか」

と切り出すと、上司はニヤリと笑い、おもむろに自分の拳を胸に当て、熱く語り出した。

「金じゃねんだよ! ここなんだよ!(ドンッ)」

そう、それはまさに、大人気アニメ『進撃の巨人』で、兵士たちが人類のために心臓を捧げるあのポーズ。しかし、上司のそれは、人類の未来のためではなく、完全に「ブラック企業の理想の社畜」を体現した、狂気じみたポーズだった。

彼はとっくに壊れていた。ネジが足りないとか、そういう次元の話ではない。長年のデスマーチが、彼のネジを根こそぎ奪い去っていたのだ。いや歯車を回す為のネジ、更には歯車すら存在しない。もはや、彼らには立体機動装置が装着されており、会社の無理難題を縦横無尽にこなす化け物と化していた。彼らは領域展開せずとも常時領域内に存在する。面談でどれだけ手を替え品を替えようとも、その術式は彼らの手によって反転する。

思い返せば、私が所属していた派遣会社の上司やパイセンは皆、同じことを言っていたのだ。
彼らもまた、その「心臓を捧げよ」の精神に骨の髄まで浸食されていたのだろう。「夢を諦めて死んでくれ」と言わんばかりの社畜っぷりだった。

夢と現の狭間、品質管理部との無限フルボッコ


ある日のこと、納品先から品質クレームが入った。当然、翌朝の朝会では「フルボッコ」だ。まるで四皇カイドウにでも挑んだかのような、完膚なきまでの敗北感に苛まれた。

しかし、仕事は待ってくれない。
今日も元気に一日部品を拾い続け、定時を過ぎてから、その不具合対策書の作成に取り掛かった。睡眠不足と朝会でのフルボッコによるメンタルブレイク。精神安定剤がまるでフリスクのようだった。

そのせいか、不思議なことが起こった。

本来なら少なくとも数日はかかる対策書。現場調査、仮説、実験を繰り返し、ようやく対策書に着手。真の要因を究明するため、まるでコナンくんそのものだ。

しかしなんということだろう。フリスクの効果なのか、脳内に次々と究明と対策が浮かび上がるのだ…!普段なら途方もない作業なのに、PCを打つ指は滑らかに動き、キーボードは「カタカタカタ」と軽快な音を奏でる。過酷な環境下で死を目前としていた私は、そう、まるでサイヤ人の如く覚醒していた。あぁ…世の天才達よ、君たちはこのようにして生まれ落ちたのか…。人生の一筋の光。なんの才能も無いと思っていた私に、神が与えたギフト(賜物)。恐るべき早さで対策書が完成していく…!

その時…!……

私は目が覚めた。

夢だった。

現実と同じ姿勢で、同じ仕事を夢の中でしていたのだ。目の前のPC画面には、真っ白な対策書。

「だがしかし…!」

夢とはいえ、一度完成させたわけだ。あの時の閃き、あの時の滑らかかつ大胆な指の動き、あれは間違いなく「天翔龍閃(あまかけるりゅうのひらめき)」。

これは「イける!!」と確信した。

…が、覚えていなかった。

夢って、本当に都合よく全部忘れてしまうものだ。

やはり私は無限列車に乗っていた。
そんなこんなで、数日かけてようやく対策書が完成した。渾身の力を込めて作成した対策書を手に、品質管理部へ報告に行った。

「やり直し、全然ダメ」

はい、フルボッコのやり直しだ。
事務所に戻って修正。疲れてまた夢を見る。夢の中で完成。目が覚める。やっぱり覚えていない。

だがしかし!夢で見たというその記憶だけを頼りに、また対策書を修正し、品質管理部へ。

「これもダメ! やり直し!」

そして、私は具体的な指示を仰いだ。

「あの、具体的な原因と対策を教えていただけませんか…?」

すると、品質管理部の担当者は、まるで『スラムダンク』の安西先生が「諦めたらそこで試合終了だよ」と言うかのごとく、しかし全く異なる、冷徹な一言を放った。

「てめぇで考えろ、ボケカス。」

その一言で、私の精神は完全に崩壊した。思考停止。対策書は終わらず、次の日に持ち越しだ。ちなみにこの日は家に帰っていない。

翌朝、朝会砲が発射される。

「なぜ対策書が終わっていないんだ!」

という怒号が、私に降り注ぐ。数十人の元請け管理職から。これが下請けイジメだ。私は泣いた。大粒の涙を流した。
ひとしきり泣いたら、不思議と「スンっ…」と気持ちが切り替わる。感情を切り離したような、奇妙な感覚だ。そして、また元気に一日が始まる。

部品を拾いに。


想像して欲しい。こんな日々を送ったことがおありだろうか? まるで、楽しいはずのディズニーランドが、呪われたデスアトラクションに変わってしまった「闇落ちディズニーランド」のようだ。部品を拾う時のあのポップなミュージックが、私の脳内でエンドレスにリフレインしていた。

希望と絶望の狭間で、そして旅立ち


ここで少し時間を戻そう。

メッキ工程から組立工程へと異動するに至った過程だ。

ある日、派遣会社の担当者から呼び出された。

「もうそろそろ3年経つので現場移ってください」

そう、「派遣法」だ。派遣元は3年間で派遣社員を正社員にしなければならない。そして、同会社の別部署へ案内された。

そこは「組立工程」。部品を手作業で組み立てる工程だ。

「ここはうちの請負になる工程だから」

なるほど。これが「偽装派遣」か。工程丸ごと生産を請け負ってしまい、派遣ではない体裁を取ろうというわけだ。そうすれば、派遣元は3年間は派遣として使い倒し、その後は請負工程に「廃棄」すれば、正社員という固定コストを抱えずに無限に非正規社員を抱え続けられる。あくまで実態は派遣なのだが。

まあ、そもそも選択肢なんてなかった。気にしてもしょうがない。私は請負工程の非正規社員として、新たなスタートを切った。意外と楽な仕事で、程々の残業。あれ?これは…当たりか?そう、とても良い環境だった。あのメッキ槽を掃除していた時から比べれば、まさに天国。何より作業着が変色しない(紺色がピンクになることもない)。

そこから半年後、またしても派遣会社の担当者からの呼び出し。もう嫌な予感しかしない。
しかし予想を裏切るまさかの展開。

「うちで正社員にならないか」

なんと。既にこの派遣会社に入ってから4年半。私は古株となっていたようだ。
ちなみに当時の「正社員」というハードルは高卒のソルジャー達にとってはエベレストのように高い山であった。

ただ、スーツを着て派遣元との交渉や、派遣社員の採用など、ノースキルの私にはできる気がしなかった。そうすると、現場の班長としてのオファーだった。断る理由がない。あるはずもない。家族も泣いて喜んだ。その日の夕食はスーパーの薄いステーキだったことを覚えている。

こうして正社員になった私。しかし、それは

「心が壊れるまで使い潰される」 ことを意味した。

資本主義の世に生贄なく利益を得ることなど到底出来ない。体裁は現場の班長。現場を監督する親分である。しかし実態は、突発休暇のリリーフマン。慣れない工程を作業員として渡り歩き、定時過ぎからようやく班長業務。私が感情を失ったのは、もうそのあたりからだ。

そして、無事、係長に昇進。しかし、それは毎日朝会で派遣元の各管理職からボコボコにされる役職だった。下請けは辛い。毎日朝から夜中まで働き、派遣元からの下請けいじめを一身に受け、気づけば精神科の待合室にいた。

「はい、鬱です」

ただ、感情を失っているので、「鬱」と言われても何のことかさっぱりだった。私からすれば毎日「今日も元気です」という感覚だったのだ。

でも、周りから見ると様子がおかしかったようだ。目の焦点は合っていない。ブツブツと独り言を言う。職場で噂になっていた。

「アイツ大丈夫か?」と。

そんな鬱状態の私にも、誰も手加減はしてくれない。相変わらずのボコボコ具合だ。

ある日、派遣元の部長が変わった。

まるでヤ○ザのような、デカくて熱い、兄貴分的な人だった。

とある日の朝会。私は相変わらずのサンドバッグ状態。いつもの風景だ。

新部長が、静かに言った。

「お前らなにやってんの?請負先はそもそもウチの工程だったわけだろう?特大ブーメランだぞ。下請けをイジメたいだけだろう?恥を知れ。」

感情を失っていた私の目から、止めどなく涙が溢れだした。「あれ?なんだこれ?」力が抜け、膝から崩れ落ち、涙が止まらなくなった。そう、とっくに限界だったのだ。

そして、新部長は事あるごとに私を助けてくれた。新部長も私も喫煙者で、喫煙所でのコミュニケーションが日課となっていた。いつの間にか、私は新部長の弟分のような存在になっていた。

ある日、新部長が言った。

「次の期からお前、正社員だから」

え?

「お前、ウチに引っ張るから」

一応、上場企業だ。おそらく役職なしの一般社員でも年収500万円は間違いなかった。

「係長待遇な」

係長にもなると、700万円台が最低だと聞いた。ちなみに、当時の私の年収は200万円台だった。

光が差した。
そこから、正社員になる日を楽しみに、私は頑張った。どれだけ辛くても、頑張れた。

そして、ある日事件が起きる。
新部長、横領で死す。
そう、飛ばされたのだ。横領していた。
正社員の話は事実だったのか?もちろん、そんな話も空の彼方へ飛んでいった。

新部長から守られていた私は、また、攻撃対象に戻った。しかも、以前よりもひどくなっていた。心も体も壊れていた私のトドメを刺したこの事件。以降、廃人となった私は、自殺を考えていた。
毎日、楽な逝き方をネットで漁る日々。そこで、ようやく気づいた。

「あ、辞めよう。」

遅せぇよ。遅すぎる。

この時既に20代後半。私は「一生できる仕事」をしようと思い、営業会社に面接に行き、採用された。

工場という名の牢獄での日々は、ここで終わりだ。

▼第二章▼


▼第三章▼

▼第四章▼


#創作大賞2025 #お仕事小説部門



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