見出し画像

野口良平「幕末人物列伝 攘夷と開国」 第5話 本居宣長(3)

← 本居宣長(2)へ戻る
← 本居宣長(1)へ戻る
→ 野口良平著「幕末人物列伝」マガジンtopへ
→ 野口良平「幕末人物列伝」総目次

 

弥四郎少年は、伊勢山田の紙商人で御師おんし(伊勢神宮の神職)だった今井田家の養子になったものの、二年で離縁(1750)。その間に『源氏物語覚書』を起筆していること(1749)は、この頃までにすでに『源氏物語』に熱中していたこと、そしてやはり商人修業には身が入らなかったことを物語っている。義兄の死とともに家督をついだ弥四郎の生き方を案じた母のかつは、息子に医者として生計を立てるよう勧め、京都遊学を許した。これは、経済的に不如意な一家を担う母にとって、大きな決断だったはずだ。

 宝暦2年(1752)3月、23歳の弥四郎は、憧れの京都に赴く。徒歩で三日ほどの旅である。
その弥四郎が真っ先に訪ねたのは、綾小路室町の儒者・堀景山(1688-1757)だった。漢文は、どんな分野の学問を学ぶ上でも必須の、(東アジア世界における)国際共通語だったのである。
景山は朱子学者だったが、古文辞学(恣意的な解釈に終始する朱子学を批判し、古典の厳密な読解を基礎にすえた儒学の研究)にも通じ、その提唱者荻生おぎゅう徂徠そらい(1666-1728)と親しかった。その一方、国学(日本の古典研究の通称)にも関心をもち、国学者で歌人の契沖けいちゅう(1640-1701)の著書百人一首ひゃくにんいっしゅ改観抄かいかんしょうを刊行していた。平曲(『平家物語』の琵琶語り)を得意としていたと伝わるが、型にとらわれるのを嫌う性向のもちぬしだったことをうかがわせる。

「本居宣長先生修学之地」堀景山、武川幸順の二人の塾跡。*
京都市下京区綾小路室町
「堀景山書幅」掲載許可お願い中

その景山を通じて徂徠契沖の仕事を同時に知りえたことは、弥四郎=宣長の学問形成にとって、はかりしれない意味をもつ出来事だった。

荻生徂徠(1666-1728)
『先哲像伝 近世畸人傳 百家琦行傳』有朋堂書店 、大正3〔1914〕年1月より
(パブリック・ドメイン)
契沖(1640-1701)
『國文学名家肖像集』永井如雲 編 出版者 博美社、昭和14〔1939〕年5月より
(パブリックドメイン/撮影Hannah)


弥四郎が医術の勉強を始めたのは、翌宝暦3年(1753)のこと。医書講読を業としていたげんこう(1684-1754)に師事したが、元厚亡き後は、景山の門人で室町四条に住む小児科医の武川幸順(1725-80)に入門。宝暦5年(1755)3月、医者となり、名を「宣長」、号を「春庵」と名乗る。医師の国家資格が必要だったわけではなかったのだ。

このころより古学への関心をいよいよ強め、景山より預かった『日本書紀』全巻の校合を終えるとともに、『古事記』『万葉集』そし『源氏物語湖月抄』(1673年に成立した北村季吟による注釈書)を購入した。京都での宣長は、水を得た魚のようだ。

宝暦6年(1756)7月には、細々とした暮らしのなかから仕送りをしていた母かつが、「さかづきに三つよりうへたべ申されまじく」と、宣長の大酒を叱責する手紙を書き送っている(宣長の飲酒にまつわる逸話はその後ほとんど現れてこない)。芝居をみること。歌会に出ること。遊び歩くことまでが、宣長の京都だった。京都滞在中の宣長に母が送った手紙は、現存するだけで67通を数えるという。

宝暦7年(1757)9月、宣長の学問を鼓舞してやまなかった堀景山が死去。その翌月に宣長は松坂に帰り、魚町の自宅で医者を開業した。この運命的な京都滞在は、23歳から28歳までの6年間におよんだ。

本居宣長宅跡(松阪市魚町)の松*
(本居宣長が大切にしていた松?)
本居宣長旧宅跡の看板(松阪市魚町))*
《 この旧宅跡に残る松は、本居宣長の大切にしていた木です。
息子で津に養子に行った小西桑村宛書簡に、弱っていた庭の松に
この頃、緑が見え、持ち直してきたことを喜ぶ一節があります。
旧宅を松阪城跡に移す時には、移植は困難と、枝振りのよく似た松を
探して植えています。そしてもとの木は魚町に止められました。》
と書いてあります。
現在の魚町(本居宣長旧宅跡に面した通り)*


→ 本居宣長(4)へつづく
← 本居宣長(2)へ戻る
← 本居宣長(1)へ戻る
← 野口良平著「幕末人物列伝」マガジンtopへ
← 野口良平著「幕末人物列伝」総目次

*ヘッダー写真:「本居宣長先生修学之地」堀景山、武川幸順の二人の塾跡。京都・綾小路室町(著者撮影)

◆参考文献

主な使用文献と参考文献は、こちら↓

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◆著者プロフィール

野口良平(のぐち・りょうへい)
1967年生まれ。京都大学文学部卒業。立命館大学大学院文学研究科博士課程修了。京都芸術大学非常勤講師。哲学、精神史、言語表現論。

〔著書〕
『「大菩薩峠」の世界像』平凡社、2009年(第18回橋本峰雄賞)
『幕末的思考』みすず書房、2017年
『列島哲学史』みすず書房、近刊(2025年9月)
〔訳書〕
ルイ・メナンド『メタフィジカル・クラブ』共訳、みすず書房、2011年
マイケル・ワート『明治維新の敗者たち 小栗上野介をめぐる記憶と歴史』  みすず書房、2019年
〔連載〕
「列島精神史序説」(「月刊みすず」2020年7月号~2022年9月)
「幕末人物伝 攘夷と開国」(けいこう舎マガジン)!!!!!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◆著作権等について


・全文章の著作権は、著者(野口良平先生)に(版権は、編集工房けいこう舎に)帰属します。
・キャプションに*(著者撮影)、**のある写真・図像は、図像の転載転用はご遠慮くださいませ。→画像について
・地図の転載・引用は、けいこう舎にご一報を(出典を書いてくださいね)。
・記事全体のシェア、リンク、ご紹介は、とっても嬉しいです!! ありがとうございます!!
(編集人)


いいなと思ったら応援しよう!