それ、爆走モードです。
気づいたら、前に出ている。
話をまとめている。
結論を急いでいる。
次の打ち手を考えている。
周りが止まらないように、場を動かしている。
誰かが迷っていると、すぐに答えを出したくなる。
会議が少し停滞すると、すぐに方向づけたくなる。
曖昧な話が続くと、つい整理したくなる。
「で、結局どうするんですか?」
「まずはこう進めましょう」
「それは論点が違いますね」
「ここは一旦、決め切りましょう」
そう言いながら、場を前に進めている。
動けている。
判断できている。
成果にも向かっている。
だから、自分ではあまり問題だと思わない。
むしろ、止まっている人よりはいい。
迷っている人よりはいい。
何も決めない場よりはずっといい。
そう感じることもある。
でも、どこかで少しだけ違和感がある。
速い。
強い。
正しい。
けれど、少し狭い。
話は進んでいるのに、問いは深まっていない。
結論は出ているのに、納得は育っていない。
場は動いているのに、人はついてきていない。
それ、爆走モードです。
爆走モードとは、
不確実さや圧力の中で、安全を確保するために、速く・強く・正しく動き続ける状態です。
止まれない。
待てない。
曖昧なまま置いておけない。
自分が動かさないと、場が崩れるような気がする。
だから、前に出る。
決める。
整理する。
管理する。
引っ張る。
それ自体は、悪いことではありません。
むしろ、多くの職場では、爆走できる人が評価されます。
早く判断できる。
場を仕切れる。
論点を整理できる。
結論まで持っていける。
責任を引き受けられる。
それは、確かに能力です。
でも、その能力が安全確保の反応と結びつくと、
少しずつ別のことが起きてきます。
周りの沈黙が待てなくなる。
誰かの迷いが許せなくなる。
曖昧な問いが、すぐに課題へ変換される。
違和感が出る前に、解決策が出てしまう。
結果として、場は速く進む。
でも、深まらない。
爆走モードでは、
身体はすでに「急げ」と言っている。
呼吸は浅くなる。
声は少し強くなる。
視野は狭くなる。
相手の表情より、次に何を言うかに意識が向く。
そして、思考はその身体に追いつくように、
もっともらしい理由をつくる。
「時間がないから」
「レベルを上げないといけないから」
「ここで曖昧にするとまずいから」
「自分が決めないと進まないから」
どれも、間違ってはいない。
ただ、そこに少しだけ問いを置いてみる。
本当に、今すぐ決めなければいけないのだろうか。
本当に、この人たちは分かっていないのだろうか。
本当に、自分が動かさないと場は崩れるのだろうか。
それとも、自分の身体が、
「揺れ」を危険として受け取っているのだろうか。
爆走モードは、
揺れを止めるために前に出ます。
沈黙という揺れ。
迷いという揺れ。
ばらつきという揺れ。
理解の遅れという揺れ。
自分の中に生まれる不安という揺れ。
それらを感じる前に、
動く。
動けば、少し安心する。
決めれば、少し落ち着く。
整理すれば、場が収まる。
指示すれば、進んでいる感じがする。
でも、その安心は長く続かない。
なぜなら、揺れを受け止めたのではなく、
揺れを止めただけだから。
だからまた、次の揺れが来る。
そしてまた、前に出る。
さらに速くなる。
さらに強くなる。
気づいたら、
自分だけが場を動かしている。
周りは、考えるより先に待つようになる。
自分の答えを待つ。
自分の整理を待つ。
自分の判断を待つ。
そして、ますます自分は思う。
「やっぱり、自分がやらないと進まない」
こうして爆走モードは、自己補強されていきます。
でも、これは誰かが悪いわけではありません。
爆走モードは、たいてい過去には役に立っていた。
早く動いたから、乗り越えられた。
強く出たから、守れた。
正しく整理したから、評価された。
迷わず決めたから、成果が出た。
だから身体は覚えている。
危ないときは、速く動け。
曖昧なときは、決めろ。
場が揺れたら、前に出ろ。
それは、かつての安全モデルです。
ただ、その安全モデルが更新されないまま、
今の場にも自動的に適用されているのかもしれない。
では、どうすればいいのか。
いきなり止まらなくていいと思います。
爆走している人に、
「止まってください」
「待ってください」
「もっと相手を信じてください」
と言っても、簡単ではありません。
止まること自体が、怖いからです。
だから最初は、止まるのではなく、
ほんの少しだけ速度を落とす。
一拍置く。
相手の顔を見る。
次の言葉を飲み込む。
結論ではなく、問いをひとつ置く。
「今、急いで決めようとしているかもしれない」
「少しだけ、他の見方も聞いてみようか」
「まだ言葉になっていないものはありますか」
そんな小さな遅れが、爆走モードの入口を少し緩めます。
爆走モードから戻る鍵は、
止まることではなく、
速度に気づくことかもしれません。
今、自分は速くなっていないか。
声が強くなっていないか。
相手の言葉を待てているか。
沈黙をすぐ埋めようとしていないか。
問いが生まれる前に、答えを出していないか。
その問いが入った瞬間、
場に少しだけ余白が生まれます。
余白が生まれると、
他者の言葉が入ってくる。
他者の言葉が入ってくると、
自分の意味づけが少し揺れる。
意味づけが揺れると、
次の反応を選び直せる。
それが、爆走モードから戻る入口です。
強くあることは、悪くない。
速く動けることも、悪くない。
正しく整理できることも、悪くない。
ただ、それしかできなくなると、
場は少しずつ固くなる。
本当の強さは、
いつも前に出ることではないのかもしれません。
前に出られる。
でも、待つこともできる。
決められる。
でも、問いを置くこともできる。
速く動ける。
でも、あえて一拍遅らせることもできる。
その行き来が戻ってきたとき、
爆走は少しずつ、自然な推進力に変わっていきます。
それ、爆走モードです。
ご参考までに:
適応麻痺という状態について書いた記事です
https://note.com/totonoe_oe/n/n1a7ce1f62a90
