【正常値の外側】第4章「予測誤差」
迷言です
今回は【正常値の外側】第4章「予測誤差」をお送りします
前回のお話はこちらから
このシナリオは【叔父さん勇気を出して】のメインヒロインを決める為の企画で一番人気が高かった正史の物語
それではこの章のイメージBGMを聴きながらお楽しみ下さい
整体院の引き戸を開けた瞬間、俺は思った
(俺、普通に通ってんな……)
いや……まあ……うん。実験だし
発明家が継続観測のために現場へ通うのは当然だ
そういうことだ。別に会いたいとか、そういう話じゃない
「やっほー実験体でーす」
軽く手を上げた瞬間、翠が来た
無言
そして当然みたいに俺の手首を掴む
「確認」
「もう挨拶みてぇなノリで脈取るな」
「日課」
「日課!?」
即答だった
「怖ぇよ」
「正常」
「何がだよ」
「理人」
「主語だけで会話すんな」
祖父さんが新聞をめくりながらぼそっと言った
「すっかりいつもの光景だな」
「不本意です」
「問題ない」
「お前が問題ないなら余計問題あるんだよ」
そんなやり取りの最中、院の外が少し騒がしくなった
車が止まる音
スーツ姿の数人
見た感じ……日本人じゃない
「……何?」
祖父さんが立ち上がる
「見学だ」
「急にイベント始まったな?」
「翠の技術を見たいそうだ」
「え?」
思わず翠を見る
本人はいつも通り無表情だった
だが患者対応が始まると空気が変わった
「失礼します」
静かな声
細い指が患者の肩に触れる
首筋
背中
ほんのわずかな接触
「ここですね」
患者が目を丸くする
「え、何で分かったの?」
「硬いので」
淡々と……でも、説明が短すぎないか?
まあ……当たってるみたいだが
海外の見学者たちがざわつく
翠は気にしない
いつも通りだ
次の患者
また触れる
また当てる
迷いがない
俺は補助で器具を渡しながら、妙な気分になった
(いやこいつ普通にバケモンなんだよな)
普段は俺の脈を勝手に測る変人だ
だがこうして見ると、ただの天才だった
何か……変な感じだ
そうこうしているうちに……何か面談が始まった
翠はあまり話すタイプではないので、通訳がつくと思った
海外側の男性が話し始める
Miss Kamishiro, your tactile diagnostic ability is extraordinary.
(神代さん、あなたの触診診断能力は驚異的です)
(あぁ……通訳も付けず喋りだしたよ)
Thank you. But I need details.
(ありがとうございます。でも詳細が必要です)
俺は固まった
(えっ……普通に会話していますが……)
翠は続ける
Is your research focused on neurological diagnostics?
(あなた達の研究は神経診断が中心ですか?)
Yes.
Can tactile diagnostic techniques be integrated into your current system?
(現在のシステムに触診技術を統合できますか?)
We believe so.
What is your current measurement precision?
(現在の測定精度はどの程度ですか?)
……会話してる
普通に……英語で
(ええええええ!?)
俺の知ってる翠さんは、単語で世界回してたよな!?
しかも質問がガチだ
研究内容
設備
神経分野
技術応用
向こうの担当者も真面目になる
翠は珍しく食いついていた
面談後
俺はようやく聞いた
「……お前、英語しゃべれんの?」
「しゃべれる」
「そんなテンションで言う事!?」
「必要だったから覚えた」
「かっけぇ……」
思わず本音が漏れた
「あと、そんな興味あったのか?」
「ある」
即答
「向こうならもっと精密な触診ができる」
「へえ」
「神経研究もある」
「うん」
「今の診断精度をもっと上げられる」
そこで初めて気づいた
翠の目……いつもより少しだけ違う
無表情なのは同じだ……でも空気が違う
ほんの少しだけ楽しそうだった
(翠って……こんな顔するんだ)
俺の知らない神代翠だった
いつもの変な整体師じゃない
未来を見てる顔だった
翠がこっちを見る
「理人」
「ん?」
「理人なら向こうの設備、好きだと思う」
「……は?」
思考が止まる
「精密機器ある」
「うん」
「研究設備ある」
「うん」
「神経分野も強い」
「それは分かった」
「理人、好きそう」
「まあ……好きだけど」
「うん」
翠は納得したみたいに頷いた
いや待て
「何でそこで俺?」
翠は少し考える
本当に考えてる顔だった
「……自然だから」
「何が?」
翠は当然みたいに答えた
「未来の構成要素として」
「……は?」
そこで会話が終わった……正直、意味が分からない
だがまあ……いつものことか

面談が終わったあと、俺と翠は整体院を出た
夕方の道は、少しだけ冷えていた
翠は珍しく、黙らなかった
「向こうの研究設備は、かなり精密らしい」
「へえ」
「神経リハビリのデータも多い」
「そうなのか?」
「触診診断を組み合わせられたら、今より原因特定が早くなる」
言ってる内容は、いつも通り理屈ばかりだ
研究設備
神経伝達
診断精度
触診技術
正直、普通の学生の放課後の会話ではない
でも……
(こんなに喋るの珍しいな)
翠は歩きながら、ずっと話していた
いつもなら必要なことだけ言って終わる
なのに今日は、言葉が続いている
「今の診断だと、触れた瞬間の情報に依存する」
「うん」
「でも向こうの設備なら、触診前後の神経反応も比較できる」
「おお」
「理人の装置と合わせたら、もっと面白い」
「俺の?」
「うん」
さらっと言われて、一瞬だけ詰まる
だが翠はそのまま続けた
「精度が上がる」
「再現性も取れる」
「診断の幅も広がる」
止まらない
本当に止まらない
俺は翠の横顔を見る
無表情に近い
いつもの神代翠だ
でも……違う
ほんの少しだけ、目が明るい
青い瞳の奥に、いつもより熱がある
(翠ってこんな顔するんだ……)
その瞬間、変なものが胸に刺さった
中学から知っている
変なやつだと思っていた
無表情で、人の手首を当然みたいに掴んで、脈を読んで……
俺を比較対象だの継続対象だの言う変なやつ
その翠が、今は未来の話をしている
俺の知らない顔で
俺の知らない声の温度で
それを見ていたら……急に分かった
(あー……)
(俺、翠のこと好きだわ)
あまりにも急だった
でも、不思議と否定できなかった
今までの全部が、ひとつに繋がった気がした
手首を掴まれて嫌じゃなかったこと
他のやつに触れてるのを見てモヤったこと
二日会わなかっただけで落ち着かなかったこと
必要と言われて、妙に嬉しかったこと
全部……気づいてなかっただけだ
「理人?」
「え?」
「呼吸が変」
「急に戻ってくんな」
翠が俺を見る
「今、何か考えてた?」
「いや~世界平和について少々」
「嘘」
「即答やめろ」
「呼吸が違う」
相変わらず容赦ない
俺は笑ってごまかした
「まあ……何だ……すげぇじゃん。誘わてるんだろ……そんなに興味があるなら行けばいいんじゃね?」
言った瞬間、自分の胸が少し痛んだ
でも、言うしかなかった
だって、こんな顔をしている翠を初めて見た
こんなに楽しそうに未来を話す翠を、俺は知らなかった
俺の気持ちで止めていいのか?
みらいちゃんも言ってじゃないか
人類が滅びる未来はもう変わっている
だから……ここで無理して翠を引き留める必要は……ない
簡単だ……俺が我慢すれば済む話だ
それで……翠は幸せになれる
だから……俺がいつも通り軽口を叩いて、背中を押せばいい
「お前なら向こうでもやれるだろ」
「そう?」
「そうそう。神代翠、海外進出。いやー、すごいな。俺も鼻が高いぜ」
「理人の鼻は関係ない」
「比喩!」
翠は少しだけ首を傾げた
「でも、悪くない」
「何が?」
「今の反応」
「反応で判断するな」
「無理」
そう言って、翠はまた未来の話をした
研究
設備
診断
可能性
俺はそれを聞きながら、ずっと笑っていた
笑えていたと……思う
別れ際
翠がいつものように俺の手首を取った
「確認?」
「うん」
指先が触れる
いつものこと
日課
なのに今日は、意味が違って感じた
翠が少しだけ眉を動かす
「理人、さっきから脈が速い」
「前にも言ったろ。成長期だって」
「……便利な言い訳」
「便利だから使い回してんだよ」
俺は笑った
翠は淡々と俺の脈を読んでいる
やがて、ぽつりと言った
「でも、悪くない反応」
そう言って、手を離した
いつもより簡単に離れた気がした
俺は自分の手首を見る
そこに、翠の指先の感触だけが残っていた
(……悪いのは、好きになった俺の方だ)
でも言わない
言うわけにはいかない
翠があんな顔で未来を見ているなら
俺は、邪魔しちゃいけない
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