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【つながる旅行記#423】松本城に残る加藤清正の伝説を君は知っているか!?【駒つなぎの桜】

前回は松本城内の展示を見つつ、天守からの絶景を楽しんだ。

では急な階段を気をつけて降りながら、残りの展示を見ていくとしよう!

天守の4階に降りると、何やら御簾(みす)に囲まれたゾーンがあった。

この階は天井が高く、四方から光も入るようになっており、柱はしっかりと鉋掛けがしてあるようだ。

こうやって幕的なもので仕切れば部屋みたいにできるので、有事の際の城主の座所として当てられていたとのこと。

ふむ、最上階ではなく途中階に居場所を作ることもあったんだな。

(……階段がきついから?)

御座所
三階は窓無し

そしてまた展示が始まったようなので見ていこう。

これは……碁石か?

碁石

自分はヒカルの碁の影響で囲碁を始めた人間なので、昔の人がこれで遊んでいたのかと思うとなかなかこみ上げてくるものがある。

なお、碁石の素材はというと、白石は『ハマグリ』や『素焼き』を使用して、黒石が『那智黒石』で出来ているそうだ。

那智黒石は三重県熊野市神川町のみで産出される貴重な石で、硯や庭園用の玉石として使われてきたという。

だが調べてみると、どうやら碁石への加工が広く行われるようになったのは、明治20年以降とのこと。

(つまりこれは明治以降の碁石なのだろうか……?)

【近畿の石材(切石) -那智黒石-】
https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/05_05_07.pdf


今度は『変わり玉』という展示物を発見。

なになに……?

変り玉

うーむ、なんだか不思議な構造の玉の絵がいっぱいだ。

自分は火縄銃というものは『丸っこい玉』をただ発射するだけの単純な武器だと思っていたのだが、実際にはこんな複雑な構造をした特殊弾が存在していたようだ。

説明文によると「製作に手がかかる割には破壊力がさほどではなかった」とのことだが、こんな工夫を昔の人が試していたことに驚きだ……!


花頭窓
花頭窓からの眺め
混雑
なんだろう?

月見櫓

そんなこんなで月見櫓に到着。

現存する城郭建築で月見櫓を持つのは、松本城岡山城だけらしい。

ちなみに、松本城の月見櫓は徳川家光を迎えるために増築されたものだそうだ。

(将軍を迎える側の人は大変なんだな……)

月見櫓からの景色
のびのび泳ぐ白鳥

そして、なにやら松本城の古い写真も飾ってあった。

どれどれ……?

明治の修理直前の松本城(倒壊危機)

いやめっちゃボロいな!!

なるほど、本丸庭園のレリーフで紹介されていた小林有也(うなり)は、こんな屋根が曲がった松本城の姿を毎日眺めた結果、流石にどうにかしようと立ち上がってくれたわけか……。

今の松本城は本当に綺麗で素晴らしいわけだが、まさかこんな悲惨な状態になっていた時期があったとは。

そりゃもう感謝を込めて保存の功労者たちをレリーフにするわけだ。

天守を現代に残してくれたことに、本当に感謝である……!


というわけで、松本城天守でした!

いやー、これは来てよかった!!


……そうだ、上から見たときに本丸庭園にあった木も見ておかねば。

清正公 駒つなぎの桜

どうやらこの木は『駒つなぎの桜』という名前のようだ。

そして『清正公』……?
となると、加藤清正だろうか?

加藤清正は熊本(九州)のイメージが強すぎて、長野に来るようなイメージがまったくないわけだが、どんないわれが伝わっているんだろう。

さっそく解説板を読むとしよう。

解説板

さて、書いてある内容はこんな感じである。↓

あるとき熊本城主の加藤清正が、江戸からの帰りに松本城に立ち寄る。

当時の松本城主の石川康長は、「お土産に名馬を二頭用意したので、片方をプレゼントしますよ!」と提案。

加藤清正はそれを聞いて、
「いやいや、貴殿ほどの目利きで用意した馬を私ごときの目利きで選ぶだなんて申し訳ないことだ。 だから二頭とも貰うね?😊

あとでそれを聞いた民衆は、「さすが清正公だわ…」と感じ入ったという。

(何だこの話は……?)


清正公はめっちゃがめついという伝説かな?

うーむ、どうも自分には難しいやりとりだったので、松本城のサイトで正解を見るとしよう。↓

一頭を良い馬として選べば一方は駄馬ということになります。
また悪い馬を選べば清正は見る目がなかったと人々に笑われるかもしれません。

二頭とも連れ帰ることでそれを避けることができ、これを聞いた人々は「さすが清正公」と大いに感心したということです。

https://www.matsumoto-castle.jp/legend/668.html

なるほ……ど?

いやまあ確かに選択することで起きる問題は回避できたのかもしれないが、「二頭とも貰っていくとか何なのあいつ!?」と思われる問題が新たに発生してないか?

だがそもそもの話、石川康長の『名馬を二頭用意して選ばせる』という行為は、清正を試しているようで失礼な気もするな……。


そう、この頃はまだまだ戦国時代なのだ。

戦国時代はとにかく『舐められたら終わり』という殺伐とした時代だったらしいし、当時の清正は30代半ばで、石川康長は一回り上の40代半ばである。

こりゃあバチバチとしたものを感じるような気も……!?

……いやはや、かつてこの本丸庭園で凄まじい駆け引きがされていたと思うと、妄想が捗る。

こういう楽しみが出来るのも知識があればこそ。(ありがとう戦国無双)

これからも頑張って頭に知識を入れていくぞ……!


次回へ続く!!


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