結婚式のドタキャンと、送り返された『母の日』。家族の理想を押し付けた私と、夫の逞しさ
6、7年ほど前のこと。
母の日に贈った花が、そのままの状態で送り返されてきました。
「もしかしたら私のせいで孤独な思いをしているのかも」
「大事な息子を奪われた気がしているのかも」
と私が夫を説得して手配したものだったのです。
夫は以前から「母のことなんてもういいよ」と言っていたのに。
私は自分の勝手な「家族の理想」を押し付けて、彼を傷つけてしまったのでした。
■ 複雑な親族たちと、不思議と「まとも」で誠実な夫
私は義母と生涯で「2回」しか会ったことがありません。
夫の両親は、夫が大学を卒業して一人暮らしを始める前に離婚しています。両親の仲は昔から良くなかったそうで、さらに、親族関係も何かと複雑だったようです。
義父には姉が1人、妹が2人います。そのうちの2人は、きょうだい仲が良いわけでもないのに、体裁だけはやたらと気にする口うるさいタイプ。
残る妹1人は祖母(義父の母)の介護で苦労した背景があり、一度家を捨てるも同然で生家を出たくせに離婚して出戻ってきた義父に対して、強い怒りを抱いているといいます。
そして義母自身も自分の親族(こちらも何かと問題を抱えていたようです)とは縁遠くなり、頼れる身内はいない状況でした。そんな義母も、何かと言われる義父の実家には寄り付かなかったそうです。
幼い頃は、父方・母方それぞれのいとこたちと仲良く遊んでいた時期もあったと聞きます。祖父母もやさしい人だったそうです。一体何が起きて、そこまで修復不能な家族になってしまったのか。
義父も義母も、その親族も、正直に言ってしまえば、お世辞にも円満とは言えない、複雑な性格やしがらみを抱えた家系だったようです。
そんな環境で育ちながら、夫がどうしてここまで「まとも」で誠実に、愛情深く育つことができたのか。不躾ながらに、少し不思議に思ってしまうような家系でした。
■ 空回る私の配慮と、叔母に頭を下げた結婚式の行く末
義父母が離婚した後も、夫が声をかけて年に数回は食事で集まっていたそうです。
私たちが結婚する前の冬に初めて4人で食事をした際も、和やかに終わり、仲の悪い夫婦には見えませんでした。
私が義母と2回目に会ったのは、入籍後、義父が体調を崩して入院したときのことです。
実はその前、私の地元で行った両家顔合わせに、義母は直前で「体調不良」を理由に欠席していました。
顔合わせの冒頭で義父が深く頭を下げていたのをよく覚えています。
お見舞いの席で、義父がその顔合わせの時の話をすると、義母は「そうやって仲間外れにして私を責めているの」と突然不機嫌になりました。
それでも、よほど悪い空気になることはなく、みんなで義母の買ってきてくれたメロンを食べ、その後は義母と夫と私の3人でファミレスに行き、楽しくご飯を食べた記憶があります。
決定的なすれ違いが起きたのは、私たちの結婚式でのことでした。
夫は「母に気兼ねなく来てほしいから」と、口うるさい義父の姉と妹たちをあえて招待しませんでした。
ぐちぐちと文句を言うおばたちを夫自身が呼びたくなかったのも事実です。
「なんだかんだ言ってもここまで育ててくれたんだから、やはり呼ぶなら母親だ」という夫の思い。
夫はおばたちに誠実に頭を下げて説明をし、母の出席を優先したのです。
(今でもおばたちからは恨まれているそうですが)
義母も私の母の衣装などを気にして、自身の留袖を選んでくれていました。
それなのに、式の前日の夕方になって、義母は「行かない」と言い出しました。
当日の朝、義父と夫で迎えに行っても頑なに出てこず、結局「体調不良」として欠席になったのです。
おばたちに頭を下げてまで母を呼びたかった夫の気持ちを思うと、私はいたたまれない気持ちになりました。
(そういえば、その前後で義母と一切連絡が取れなくなり、夫と義父が家まで押し掛け、賃貸のオーナーまで巻き込む騒動になったこともありました。私と結婚したことで、義母はメンタルを崩し、より孤独を感じていたのかもしれません。)
■ 送り返されてきた、結婚式の品と母の日の「ありがとう」
式で渡すはずだったプレゼント(夫からのメッセージ付き)や引き出物を義母に送りましたが、それはそのまま送り返されてきました。
「ドタキャンせざるを得なかった結婚式の品を送りつけるなんて、私の配慮が足りなかったのかもしれない」と反省する反面、母を呼びたかった夫に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
そんな出来事があったにもかかわらず、その年の5月、私が夫に薦めるかたちで「母の日」に花を贈ってしまったのです。
夫はもう「母なんてどうでもいい」と言っていましたが、私は心のどこかで、夫と義母の親子の絆を信じていました。
私が背中を押せば、きっとまた繋がれるはずだという自分のなかにある「家族の理想」を優先してしまったのです。
しかし、無残にも、そのきれいな花は送り返されてきただけでした。
まさかあんな結果になるなんて、本当に思いもしなかったのです。
今は、私の独りよがりな理想が夫を無駄に傷つけてしまったと、夫に対して本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
■ たったひとつの約束と、静かな決別
あろうことか私は、それでもなお、送り返されてきた母の日の花に懲りず、夏には「夫が気が向いたら書いて送れるように」と、暑中見舞いの葉書を購入していました。
そんな矢先、義母から絵柄すらない一通の葉書が届いたのです。
そこには、ただお金の要求と夫への非難が文字だけで綴られていました。
鳥肌が立ちました。
夫は一定のお金を払い、義母と縁を切ることを宣言しました。
この期に及んでも、愚かな私は、「お金の話をしてくるのは、関係を継続したい裏返しなのでは」「月に少しでも払えばいいのではないか」と余計なことを言ってしまいました。
温かい家族の中で育ってきた私には、親子の縁をすっぱり切るということが、どうしても理解できなかったのです。
「自分は怒っているんだ」
感情を昂ぶらせることもなく、至って普通の会話と同じようなトーンで、夫はよくそう口にしていました。
両親が離婚する際、夫は「自分に迷惑がかからない形なら、好きにしてくれていい」とだけ伝えたそうです。
彼が出した条件はそれだけ。
その、たったひとつの約束を反故にして迷惑をかけられている。
だから怒っているのだと。
以前、私は「ここまで育ててもらったんだから、迷惑をかけないでと言うのは違うんじゃないの?」と食い下がったことがありました。
しかし、いざ縁を切ると決めた夫は、怒りや悲しみを見せることもなく淡々としていました。
もしかしたら、感情を押し殺すほどに、すでに諦めの気持ちが強かったのかもしれません。
夫にとっては、過去の恩がどうこうではなく、「絶対に守ってほしかった一線を越えられた」という事実だけが残ったのかもしれません。
そこに未練は一切ないと言います。
それは単なる強がりではないように見えました。
そしてようやく、本当にようやく、自分のしてきたことは完全に間違いだったと悟りました。
私は「話し合えばわかりあえる」「家族なんだから」という、自分のエゴを押し付けていただけだったのです。
夫は引っ越した先の新しい住所を教えていません。
今、義母の消息は不明です。
■ 断ち切った過去と、今の家族への愛
今、義父からも義母について聞くことはありません。
私の「家族は仲良く繋がっているべき」という無邪気なエゴは、夫の傷をえぐり、彼を深く傷つけてしまったと猛省しています。
実の親との繋がりを断ち切るという壮絶な決断をしてまで、彼は「今ここにある、私と子どもたちとの家族」を守ろうとしてくれました。
今、私や娘、そして生まれたばかりの息子のことを、彼はいつも一番に考え、大切にしてくれています。
私にとって偉大な夫であり、子どもたちにとって偉大なパパです。
複雑なしがらみを抱えた身内に囲まれて育ち、嫌味を言われてまで招待した実母には結婚式をドタキャンされ、さらには勇気を出して贈った母の日の花まで送り返されてしまう。
そんな悲しい経験をしてきた夫が、子どもたちを、そして私たち家族を目一杯愛してくれること。
その愛情の深さに心から感謝していますし、ひとりの人間として、夫をすごく逞しい人だと思います。
(言い訳のようになってしまいますが、これらの出来事について、夫は「ネタにしてくれ笑」と話していたことを申し添えます。)
