【連載小説】第30話『真昼に潜む影と真夜中に猛る獣の物語』
トコトコトントン チャリンシャンシャン
軽快な和楽器の音色で賑わう大通り
捜索① 宿場町
イオリが入ったのは下越に向かう宿場町
硫黄の香りが鼻をくすぐる温泉地
幻想と現実が交わる祈りと魂の叙事詩
夜。上越の北部にある宿場町にイオリがいた。
賑やかな温泉宿に共通する硫黄のにおいに行き交う人々が酔っているようだ。
店先の提灯が赤く灯り、橙色の温かな光は街道沿いを明るく照らして賑わいに華を添える。
流れてくる三味線の音色と鼓を叩く音。
男の歓声と女の嬌声が浮き立つ心にさざめく。
イオリは視線を巡らせた。
宿場に並ぶ旅籠を見回していたが、目ぼしいのを見つけ、そのお店の前に立つと、暖簾をくぐって入っていった。
『いらっしゃいませぇ!』
『――らっしゃいませ!』
『――ませ!』
仲居の歓迎する声はよく通る。
手前の仲居だけでなく、イオリの姿も見えない店の奥などあちらこちらから、釣られるように聞こえてくる。
イオリは左右を見回し、なるべく丁寧に仲居の一人に声をかけた。
「もし? ごめんなさいね。ちょっと尋ねたいのだけれど」
「はぁい?」
と恰幅のいい人の好さ気な若い仲居が答えた。
「下越に向かうには北の関所を通ればいいのかしら?」
「あ、はい。
でも、夜は関所が閉まって通れませんよ?
いかがでしょうか、うちにお泊りなさって下さいまし」
「ごめんなさいね。急ぎなの。
でも、なぜ?」
イオリが問いかけると仲居は手招きして呼び寄せ、そっと人目を忍んで耳打ちした。
「なんでも、先日防人さまがこれだけ……」
と、右手を開いて五本の指を動かした。
「これだけ、殺められたそうで……」
「五人も……それで?」
「――警戒が厳重になりまして。
そればかりか、昨日のことなんですが」 「?」
「ここからほどない下越の南に緒川村ってあるんですけど」
「どうしたの?」
「村の人、三十人ばかりいたんですけど。
家の中に土足で踏み荒らされた跡が残って……」
「それで?」
「人っ子一人もいないそうなんです。
冷めたお茶が入っていた湯呑はそのままで、村の幼子もいなくて。どうしちゃったんだろうね、って皆で云ってます」
「それで関所を閉めたのね?」
「――殺しの下手人も捕まってませんし。
怖いじゃないですか。
用心するに越したことはないそうです」
目をゆっくり閉じて、イオリは耳を澄ませた。
人々のざわめきを遠ざけ、記憶に写る緒川村の透き影を詠む。
「ありがとう。
でもよくそこまで詳しく判ったわね?」
「お客さんが話してくれるんです。
お宿ですから、いろいろなお客さんがいらっしゃるんです。
皆さん、旅慣れた事情通で」
ニコッと微笑むイオリ。仲居の手を取り
「はい。これお駄賃」
イオリは五文銭を四枚、仲居に手渡してそそくさと宿を後にした。
「む?」
障子の木枠が震えお猪口の酒が揺れる。
定宿で煙管を一服していた商人が隣で酌をする遊女に尋ねた。
「今、かみなりさま、落ちたかい?」
「はて? 気づきませんでやんす」
立ち上がり閉まっていた障子を開ける。
「――あれ? お月さまがきれいだ?」
クスクスと、遊女は着物の袖で口元を蔽い、
「酔いが回りやんしたか?」
とからかって、意地悪を云う。
「そんなはずは? あれ……? 酔ったかな? いや……? 揺れてないか?」
首を傾げるばかりの商人。
春の朧月は夜空にぼんやりと浮かび上がる。
迅雷風烈の如し。
月明かりは追いつくことができず、ただ切り裂いた風は旋風となって従った。
長く尾を引き、揺らめく陽炎が遅れて立ち昇る。
