【AOE2DE】文明メモ(50)日本
文明別戦術シリーズのラストは日本。初代AOEに続いて日本語を喋るキャラクターたちが可愛い。歩兵文明とはいうものの、弓小屋ユニットが充実しており、実質弓騎兵文明である。中盤までは(重)騎士もそこそこ使える。陸マップでは内政は弱い方なので、しっかり農民を出して戦力を蓄えたい。
文明特性と基本戦術
「歩兵文明」。最序盤に木材が浮く他は陸ではまともなボーナスがなく、民兵/軍兵でプレッシャーをかけられなければジリ貧。中~終盤に弓騎兵がフルアップ可能だが決め手を欠きがち。大砲も砲台もないが、ユニテク入りの塔を乱立してマップを制圧し、戦場を限定して剣士や矛、強化破城槌または進軍の速い遠投投石機などで緩攻を目指すのは一案。海マップでは後半ほど効率を増す漁船が無視できない強みだが、守るのに必要なコストもまた大きい。
ユニークユニットと天敵
ユニークユニットの武士(サムライ、45F30G)は「他のユニークユニットに対するボーナスダメージ」という特徴を持つ歩兵ユニット。最近のアップデートで、敵に対し一定距離に近づくと突撃をするようになった。訓練時間は9秒で速い方。EL化(750F650G)で精鋭武士(以前は剣豪と名が変わった)にアップグレード。海外では「エリートサムライ」。天敵は、普通の騎士・射手系統や砲撃手、ジャガーウォリア等。
内政面
粉ひき所、伐採所、採掘所のコスト-50%
……最序盤に木が150~200程度浮く。港を建てる木材の確保には強い。
漁船の作業効率アップ。暗黒/領主/城主/帝王で+5/10/15/20%
漁船のHPが2倍、射程防御+2
……海マップでしか効かないが、後半ほど強力になるボーナス。
テクと出せないユニットのメモ
文明ボーナス
領主の時代から歩兵の攻撃速度が +33%
……民兵/軍兵から槍、剣士等に応用が利く。2025年4月のアップデートで歩兵が復権しつつあるので活用したい。
弓騎兵が射撃ユニット(散兵を除く) に対して攻撃力+2
……弓騎兵メタ時代に輝くかと思われたが、そうでもなかった。
チーム ボーナス: ガレー船系の視界が +4
……気休め程度。
ユニークテクノロジー
城主ユニテク: 矢狭間(300F300W)
塔が追加で矢を射る。
……中~終盤に塔でマップ制圧を図るのも日本の勝ち筋の一要素。
帝王ユニテク: 投擲術(旧名カタパルト・550W300G)
遠投投石機の攻撃速度、組立/梱包速度が向上
……プロは大砲の弾すら避けてみせるが、我々には無理。とはいえ大砲が出せない以上はこれを入れて戦うほかない。
鉄工所テク
鉄工所テクは、馬鎧3のみ研究不可。
出せないユニット・使用不可テクノロジー
戦士小屋……近衛剣士、矛槍兵がフルアップするほか、攻撃速度+33%。
弓小屋……重石弓、砲撃手、重弓騎兵等フルアップ。
馬小屋……ハサー・近衛騎士アップグレード不可。血統・繁殖ありで騎兵と重騎士が使えるものの馬鎧3がない。
兵器小屋……強化破城槌、改良投石機、ヘビスコが使える。攻囲技術あり。大砲なし。
聖職者……異端のみ研究不可。使い勝手は良い。
学問所……火砲学、建築学、砲台研究不可。他に、土木技術なし。
内政テク……石の掘削と輪作が研究不可。
海軍……重爆破工作船のみアップグレード不可。サイフォン・焼夷兵器なし。詳細は割愛。
戦績・対策
対・日本入りチームは38勝40敗でやや負け越し。序盤の軍兵や、後半戦からのTRは有効戦術の一つ。特にアップデートで軍兵(~剣士)の移動速度が0.96にアップした環境下なので、対策として前衛は散兵ではなく射手をしっかり出したいところ。自分のピックでは移住で1勝、アリーナと遊牧で2敗。数が少ないので詳細割愛。海マップで使う文明という思い込みはある。1vs1では対日本、モンゴル・アラビアで1勝。ノーマル弓騎兵ではマングダイに勝てないので違うことを考える必要がありそう?
キャンペーンシナリオ等
12世紀の源平合戦にモチーフを採った倶利伽羅(1183)、戦国時代の単発シナリオである本能寺(京都、1582)が古くから存在。勝者と敗者DLCでマルチシナリオの「信長(1551)」と、九州を舞台にした「島津(1545)」が実装された。他に、朝鮮サイドで文禄・慶長の役を扱った露梁(1598)で敵役として登場する。個人的には13世紀の元寇や、南北朝時代、応仁の乱などを取り上げてほしいところ。対外戦争としては他に白村江の戦い(663年)があるが、むしろ朝鮮サイドが(戦後の唐との戦いも含め)魅力的なシナリオになりうると思っている。今後に期待。
参考動画
以上です。ご意見・ご感想はツイッターまで
歴史のうんちく
敢えて他文明と同じように日本を紹介してみる。例えばこの記事が英訳されたときにボリューム、解像度で他文明の記事と釣り合いが取れるように……
初代AOEと日本前史
「日本」は初代AOEから存在する東アジアの島嶼文明で、当時は戦車・戦車射手を持たず騎兵や弓騎兵が強い、また海軍も強力な構成だった。1990年代までは未だ有力であった、騎馬民族征服王朝説なども背景にありそう。日本を舞台にしたキャンペーンシナリオではヤマトタケルの英雄譚に採材したと思われる少人数での暗殺ミッションも存在。また、西ローマ帝国のカタラウヌムの戦いシナリオではフン族の役を当てられてもいた。
大陸国家の記録には3世紀の邪馬台国や、南北朝時代の倭国として断続的に朝貢している様子が見えるが、それらの系譜的関係には不明な所も多い。6世紀末~7世紀半ばまでには物部氏や蘇我氏といった豪族の力を抑えて天皇家への集権が進んだとされる。いずれにせよ663年、白村江の戦いで唐・新羅に敗北するまでは、任那日本府の運営や百済との国交を通じ朝鮮半島に一定の権益と影響力を保持していたことが窺える。戦後しばらくして唐との国交を回復、また渤海国などとも通交があった。8世紀には平城京(奈良)や平安京(京都)など、唐の長安に倣った条坊制都市が盛んに造営された。民族の象徴のモチーフは、8世紀なかばに建立された東大寺の大仏殿。12世紀と16世紀の戦乱で二度焼け落ち、現在の姿は18世紀の再建に成るものである。
さて、10世紀に入ると律令制の矛盾が蓄積し、地方において有力な武装農民や土豪、臣籍降下した皇族の子孫などが台頭。それらが混淆して武士階層が育ち始める。当初は中央貴族の権威に服属していたが次第に自立し、対等以上の存在となって権勢を振るった。12世紀半ばの平氏政権などが典型である。桓武天皇の血を引く伊勢平氏から出た平清盛は、清和天皇後裔の河内源氏との十数年にわたる抗争を勝ち抜き、太政大臣となったが1181年に病死。復興しようとする源氏との間で源平合戦が始まる。
キャンペーンシナリオ概説
倶利伽羅峠の戦い(1183)は12世紀後半の源平合戦の転換点となったもので、源頼朝の従兄弟である木曾(源)義仲が北陸方面から畿内への侵攻を企図。火牛の計は史記からとったフィクションだが木曾義仲は平氏軍を散々に撃破。首尾よく京都を制圧したものの平氏の焦土作戦もあり、困窮して略奪・狼藉に走ったため同じ源氏の源義経(頼朝の末弟)の征討を受けて敗死。また、1185年に壇ノ浦で平氏を滅亡させた義経もその後、頼朝と決裂。奥州藤原氏の庇護を受けたが裏切られて滅亡したとも、逃れて蝦夷地から大陸へ渡ったともいう。
勝ち残った源頼朝は征夷大将軍となって鎌倉に政権を開き、守護・地頭制による全国的な武家支配の大枠を作った。彼の血筋は3代で途絶えてしまうが、妻の実家であった北条氏が執権の位を世襲して統治に携わった。13世紀後半には2度にわたりモンゴルの侵攻(元寇)があったが撃退に成功。14世紀に天皇のクーデターから親政へ復帰しようとする動きがあり、北条氏の政権は滅亡。しかし天皇親政の試みは鎌倉政権でも要職にあった足利尊氏らにより頓挫。足利氏が同様に征夷大将軍となり、京都の室町で執政を行うようになった。足利政権では当初から傘下の武家諸勢力(守護大名等)が強力であり、15世紀半ばから日本各地で戦乱の兆しが起こる。関東における享徳の乱(1455-)、続いて京都の応仁の乱(1467-)は全国に波及し、戦国時代の前哨戦となった。
応仁の乱では東軍総帥の細川勝元考案により?「発石木」「飛砲」という投石機が使用されたという記録が残っているが、これがゲーム内の遠投投石機に似た機構だったのかは不明。
『新九郎、奔る』を大河ドラマにするなら、応仁の乱で使われた『発石木』『飛砲』と言われた投石機を出さないといけませんよね♪ただこの発石木оr飛砲は、文献に記録されているものの、構造等がさっぱりわからんのですよ。 pic.twitter.com/xigf1WNlCx
— ケロロ軍曹 (@keroro2gunsou) January 24, 2020
戦国時代のキャンペーンシナリオ
織田信長(1534-82)は日本三英傑の一人で、室町幕府の管領斯波氏の守護代織田氏の、さらに分家の血筋である。祖父の代から津島を拠点とする交易利権で力を持つようになり、主家と守護代宗家の争乱に乗じて尾張一国を掌握。東海地方の大勢力・今川氏の侵攻(1560年)を撃退し、妻の実家である美濃斎藤氏を打倒して一大勢力となった。「信長(1551)」ではかなりの大勢力としてスタートするが、これは1568年に上洛して足利義昭を奉じた頃の姿である。キャンペーンシナリオの詳細についてはこちらの記事も参照。
信長はその後、妹の嫁ぎ先である浅井氏や、同じ斯波氏の守護代から始まった朝倉氏、甲信の雄であった武田氏などを滅ぼし、大坂本願寺や毛利氏と抗争する中、美濃斎藤氏の姻戚でもあったという重臣の明智光秀の叛乱により横死(本能寺の変)。「京都(1582)」はその後の豊臣秀吉(当時は羽柴姓)による事態収拾を扱ったもの。当時秀吉は毛利氏との前線に在ったが信長の横死を秘して早急に講和。ゲームでは大坂本願寺の拠点を奪取、丹後一色氏の介入を退けて明智光秀を打倒するミッションとなっている。実際には秀吉の軍勢は、普通に陸路で京都の手前まで到達して山崎の戦いにおいて野戦で明智軍を打破*。秀吉はその後、織田家の有力家臣による抗争を勝ち抜いて天下人となり、西国の毛利氏、島津氏や関東の後北条氏などを1590年までに屈服させて日本に束の間の平和をもたらした。彼も三英傑の一人である。
*2026年、新説として羽柴秀吉は山崎の合戦そのものには参加していない、という研究が発表された。
「島津(1545)」はそれと前後する時代、薩摩島津氏(源頼朝後裔を称する)の傍流伊作氏・相州家出身の島津貴久による薩隅統一と、息子たちによる九州制覇を扱ったもの。種子島へのポルトガル人の来航(1543)を踏まえ、銃火器の使用やフェイトリアなどギミックが多いシナリオ。また、大名の名を冠した英雄ユニットが多数登場するのは後のクロニクルDLCや三国志キャンペーンシナリオへの影響を思わせる。一定条件を満たすと「将軍」の大軍勢が来襲するが、時期的にいってこれは上述の豊臣秀吉による九州征伐(1587)がモチーフであろう。
その後、豊臣秀吉は全国統一の余勢を駆って朝鮮半島への遠征を行った。「露梁(1598)」はその最終局面、李氏朝鮮側の李舜臣将軍による陸海での抗戦を描いたものである。朝鮮半島北東部に日本の駐屯軍が居るが、実際、日本軍の一部は現北朝鮮北端の鴨緑江を越えて女真族とも接触したとされている。
その後の日本
二次にわたる朝鮮出兵が現地住民の抵抗や明の援軍により頓挫する中、豊臣秀吉が病死。引き揚げてきた諸将の不満を汲み取った徳川家康(三英傑の最後の一人)は、奉行衆や毛利氏、上杉氏らを相手取った紛争に勝利(1600年の関ヶ原の戦いとその前哨戦)。1603年に征夷大将軍となり、1614~15年の大坂の陣で秀吉の遺児を滅ぼして政権を盤石とした。徳川政権は傍流への継承を重ねつつ19世紀後半まで存続するが、諸外国の圧力や長州(毛利氏)や薩摩(島津氏)といった潜在的な敵対諸家の勢力伸張もあり自壊。日本は1867年の大政奉還・その後の明治維新を経て立憲君主制の近代国家へと脱皮を遂げたのだった。
