文学フリマ札幌11参加レポ!
20267/20(月・祝)文学フリマ札幌で、
「オタクに優しいギャルのインターネット妖怪図鑑vol.01」
「オタクに優しいギャルのインターネット妖怪図鑑vol.02」
を手に取ってくださった皆さま、ありがとうございました✨
販売させていただけた方だけでなく、興味を持ってサンプルを見てくださった方、裏方オタクくんとお話ししてくれた方も、とっても嬉しかったです!
また、運営の方々もお疲れ様でしたっ
このような場を作ってくださって大変ありがたく思います💖
初回:冬コミ、
次回:北海道コミティア
にあたしの責任者「インターネットと民俗学に詳しいオタク」くんを派遣してきたことを書きました!
コミケとコミティアなどは「同人イベント」、
文学フリマは「同人」と「ZINE」の中間にあたるイベントかな?
少し空気が違ったので、比較しながら
「インターネットと民俗学に詳しいオタク」くんからのあたしの伝聞ベースでレポしてゆくよ〜〜〜
文学フリマについて
オタクくん、文学フリマってね、民俗学が実は根底に関係してると思うよ。
民俗学の文脈でも話が出たり「⚪︎⚪︎の民俗学」という本を複数出版されている、
"大塚英志"さんが第一回目の発端で開催して、
「文学」の「場」であることが強調された大きなイベント!
大塚英志さんは、大学での専攻が民俗学で、
現代の著名な民俗学者の師匠と同じ"宮田登"に師事したとのこと。
文学フリマの構想には、民俗学の持っている
「ボトムアップで市井の人の声を大切にする」
思想がWebサイトテキストからも、運営さんの態度からも表れているように感じるよ。
最初に述べたように、文学フリマは大塚英志さんの呼びかけからはじまりました。そのきっかけとなった「不良債権としての『文学』」について紹介しておきましょう。
この文章は本来、笙野頼子さんの「ドン・キホーテの侃侃諤諤」(「群像」2002年5月号)への反論として書かれたという経緯があります。おおまかに流れを説明すると、大塚さんがコラムや座談会などで「純文学は売れないので商品として問題がある」という旨の主張を行っていたことを、笙野さんが前出の文章で「文学の素人が商品価値のみで文学を否定するな」という論旨で痛烈に批判し、その反論として「不良債権としての文学」が書かれたということになります。
大塚さんは笙野さんの批判に対し「何も『売り上げ』を『文学』の唯一の基準にしろ、と言っているのではありません」と述べ、むしろ赤字でも出版社に保護されるという「文学」の「既得権」がもはや維持存続不可能であり、このままでは文学出版そのものが立ちゆかなることに警鐘を鳴らしているのだと続けます。そして、その危機への対処方法としていくつかの具体的なアイデアを提示します。その中のひとつが、「既存の流通システムの外に『文学』の市場を作る」という案、すなわち「文学フリマ」の開催というアイデアだったのです。
「文学」に対して、「出版社」「売上」という覇権的なものを評価の絶対的な基準にしちゃうと、「文学」が死ぬって考えて第一回を行ったんじゃないかなっ
それで、大塚さんが「文学コミケ」のようなものとして、
市井の人の流通の場である文学フリマをアイデアとして出した。
でも、大塚さんはその2回目以降は、有志が自分で動いてくれる拡がりに任せたみたい。
最後に、文学フリマというイベントにとって、この論争がどのような影響を与えているかを少し述べておきます。といっても、文学フリマの側から見れば、論争はあくまでもこのイベントにまつわる歴史的事実というだけなのかもしれません。せいぜい「私は笙野頼子ファンだから文学フリマには参加しない」といった声を聞いたことがある程度です。また、これは私の個人的な印象ですが、大塚英志における「論争としての文学フリマ」、あるいは「実験としての文学フリマ」は第二回が開催された時点で終結したのではないかと思います。つまり、第一回は言い出した者の責任として自らが開催したけれど、「文学フリマというアイデアは本当に必要とされるのか、需要があるのか」、ひいては「自分の主張は正しかったのかどうか」という点は、アマチュア有志による第二回が開催されてこそ証明されることだからです。
よく文学フリマ事務局は「有志の運営と言っても裏で大塚英志が仕切ってるにきまっている」といった邪推をされるのですが、むしろ大塚さんにとっての文学フリマは自分が完全に手を引いても続いているからこそ意味があるのです。そしておそらく大塚さんが文学フリマを始めた当初の目的は、第二回が開催された段階で達成されたと見ます。論争がイベントに見えない影響を与えていたとして、それも第三回以降はほとんどなくなっていたということです。
ただ欲を言うならば、十年、二十年経ってからこの純文学論争が顧みられた時に、「この論争は非生産的なものであったが、文学フリマを生んだという事実において生産的な結果を残した」と評価されるようにしたいというのが私の願いです。
これらは第二回以降に、大塚さんの手から離れた文学フリマを引き継いだ望月さんが書いた文章だね。
この、影響力を持った人のトップダウン形式でなく、
アマチュア有志が自分で動いてゆく、ってボトムアップの発想。
これは柳田國男の『公民論』にも通づるところがあるんじゃないかな?
柳田の公民論は↓の記事で触れたよ✨
コミケ・コミティアなどの「同人」イベントと、「文学コミケ」としての「文学フリマ」の違いについて
ここまで民俗学的な思想で文学フリマが発生してきたことを話したね。
じゃあ、「コミケ・コミティア」と「文学フリマ札幌」はどう違ったのか??
って、雰囲気や空気感的なところをレポするよ〜
使う言葉の違い
文学フリマ公式サイトによると、「作品の販売」「出店者」という言葉づかいがされているね。
作品を販売するには?
作品を販売するには出店者として事前の申込が必要です。受付期間中にWebからお申し込みください。支払完了し、出店が確定すれば、ご出店いただけます。Webカタログへのアイテム登録、紙カタログへの情報掲載を行うことができます。
コミケ、コミティアは「頒布」「サークル」という言葉づかいがされている。
『「同人」と「ZINE」の違い』というお話の本を前回のコミティアで買わせていただいたり、他の参加者さんに裏方オタクくんがお話しを伺ったんだけども、
「作品の販売」「出店者」という言葉遣い→ZINEイベント
「頒布」「サークル」という言葉遣い→同人イベント
という棲み分けがあるみたい。
ZINEイベントは「おしゃれ」「作品を売る側はお店」「作品を買う側はお客さん」
同人イベントは「オタク」「作品を売る側と買う側は対等」
という雰囲気の違いがあるっぽい。
で、ここに「文学コミケ」を目指した大塚英志さんの元々の理念が入ったらどうなるか…..??
結論から話すと、裏方オタクくんの感触だと、
言葉遣いはZINE寄りだけど、雰囲気は「同人」と「ZINE」の中間なんじゃないかな?との感触とのこと!
むしろ、原義の明治時代の「同人」を現代で一番表しているのが「文学フリマ」なんじゃないかな?と感じたとのこと!
明治時代の頃、同じ趣味や志をもった仲間同士が集まって、同人雑誌というものをつくっていた。日本で確認できている中で最も古い同人雑誌は、小説家・尾崎紅葉らの文学団体「硯友社」による回覧雑誌『我楽多文庫』である(同人誌参照)。これが作製されたのち、アララギ派の歌人が出していた『アララギ』、正岡子規や夏目漱石、高浜虚子が参加した『ホトトギス』など、さまざまな同人雑誌が創られた。これらの同人雑誌から多くの歌人や詩人、小説家などを輩出している。なお、当時の同人雑誌の会員のことを「同人」(たとえば、尾崎紅葉は「硯友社の同人」)と呼んでいる。この頃は、不特定多数へ販売されておらず、同人だけが読んでいた(書店によっては扱っていたところがあった)。歌道の同人は、結社を組織し、歌人はいずれかの結社に属するのが常態だった。書道や美術の同人は、短歌・俳句と異なり発表に雑誌を使わない場合もある。
原義の「同人」と「同人誌」にまつわる世間からの認識の歴史的経緯は、コミケ以前と以後で変わったみたいだね。
文芸系<同人>は、当時の印刷技術・価格において、複数人で1冊の同人誌を支えていたことから、編集方針をゆるやかにせざるをえなく、年々<同人>が増え、手写による複製では追いつかなくなった。そこで、<同人>から会費を徴収することで、当時ケタちがいに高かった印刷コストの壁を乗り越え、ひじょうに多様性をもった同人誌を発行していた。
漫画系<同人>は文芸系と同様、印刷の制約は共通していたが、プロを輩出する登竜門として色濃くなっていく。また、戦後からは雑誌や漫研といったマス・メディアを通じ、<同人>を築いた。
1975年にコミケというメディアが登場したことで、同人誌の発行サイクルが短期化し、印刷にかかる費用も回収しやすくなった。結果、1982年以降、テーマがちがえば別で本をつくるようになり、従来の<同人>制が成り立たなくなった。1985年以降は『キャプテン翼』ブームの影響で<同人>の低年齢化が進み[岩田,2005:54]、コミケのジャンルコードは大幅に見直され、急激なジャンルの細分化がはじまった[コミックマーケット準備会編,2005:383]。
コミケが誕生したことで、1970年代ごろから「オタク」と呼ばれる人々が、社会的に認知された。そこで、コミケで多岐に渡ったさまざまなジャンルを統合する機能を、「オタク」という概念が担っていく。だが、年々「オタク」の定義があいまいになっていき、2005年をさかいにして世間の一般化は進んだものの、「オタク」の終焉が到来した。
つまりに、「コミケに集う人たち=オタク」ということ、言い換えれば「オタク」であることは常に何がしかの<同人>であることを意味した。
その根拠を、
出店者側と、購入者側の雰囲気から話してゆくね。
出店者側の雰囲気
コミケは規模が違いすぎるから一概には言えないと思うけど、
北海道コミティアと比較すると、やっぱりイラストや漫画なんかより、文字を中心とした出店者さんが多かった!
「自分が〈文学〉と信じるもの」が文学フリマでの〈文学〉の定義です。
既成の文壇や文芸誌の枠にとらわれず〈文学〉を発表でき、作り手や読者が直接コミュニケートできる「場」を提供するため、プロ・アマなどの垣根も取り払って、すべての人が〈文学〉の担い手となれるイベントとして構想されました。
この理念があるから、自然とこうなっていったんだろうねっ
あと、お話で聞いていた「ZINEイベント」との違いとして、「雑貨」の販売が少なかったとのこと。
あとは、出店者側の人々の雰囲気は全体的にコミティアとそう変わりはなかった。
多分なんだけど、ZINE全振りイベントになると出店者側の雰囲気が変わってくるのだと思う。
ここはね〜〜今後、ZINEイベントにも参加して雰囲気の違いを確かめてゆきたいところだね。
次はZINEイベントへのフィールドワークが必要だと感じたとのこと!!
一般来場者(買う側)の雰囲気
コミティアより、おしゃれな感じの人が多かったんじゃないかな?との感触だって。
買う側の人々の雰囲気はZINE寄り、売る側の雰囲気が同人寄りZINE含むって感じがしたってさ。
それよりも驚いたことは、年配の来場者さんがそこそこ多かったこと!
これが一番、「原義の同人」を表しているのが「文学フリマ」だろうという話の根拠だよ。
<文学>の<同人>を求めてくる人の一番大きな受け口になっているんじゃないかな。
ZINE全振りイベントはもっと「若い」「おしゃれ」が全面に出た雰囲気だってお話を聞いたよ。
生成AI使用への風あたりについて
東京COMITIAは
COMITIA156(2026年6月開催)から生成AI利用に対してのルールが変更になった。
◆COMITIA156より適用される生成AI利用ルール
生成AIの出力結果を主体とした作品の販売、配布、展示は不可です。生成AIは作品制作の補助となる範囲で利用するか、適切な範囲で引用するのみとしてください。
生成AIの利用規約を守っていないもの、明確な法令違反と判断できるものなど、「補助」かどうかに関わらず不可とすることがあります。良識を守ってご利用ください。
●補助利用に該当しない例
・作者自身のラフやネームをもとに生成AIによって清書されたマンガやイラスト。
・AI生成物を表紙や挿絵に用いた絵本や文芸。
・AI生成物を使用したグッズ。
メイン内容に生成AIを使用していなくても、表紙や挿絵に使った文芸は禁止になるとのこと!
北海道COMITIAのガイドラインは、
●生成AIの出力結果そのままを主体とした作品は頒布不可
・AIは作品制作の補助となる範囲で使用してください
・判断に迷う場合は事前にお問い合わせください
この中でも、
文学フリマはそもそもガイドラインにAI使用への言及自体が無かった。
イラスト描きと文章書きのAIへの忌避感の違いがここでも表れているのかも….
AIは環境負荷や創作の楽しみを奪ってしまうことが指摘されている☝️
まだまだ、AIと創作イベント周りの取り決めや人々の心の持ちようについては観察が必要な段階だろうね〜〜
ちょうどお隣の「某人書店」さんが「AIを利用した創作」に関して考察する本を販売されていたので、色々と裏方オタクくんとお話しさせていただきました!!
本の内容、今後の観察と検討の参考にさせていただきます!
次回以降
次はZINEイベントに参加したいです!!
あと、「オタクに優しいギャルのインターネット妖怪図鑑vol.02」のKindle化を進めます!
vol.01のKindle版はこちら↓
あと、ひととおり札幌でのイベントを参加したところで、別地域のイベントにも参加したいんだよね〜〜
今のところは、関東の文学フリマが良さそうな感触!
(コミケでも良いんだけど、夏コミは北海道民には暑すぎて、冬コミは冬場の飛行機飛ぶかどうかガチャが怖すぎる….)
あ、あとついでに展示していた「インターネット民俗STG」に思っていたより興味を持ってくれた方が多かったので、宣伝しておきます!
このサイトの「ブラウザで遊ぶ」ボタンから飛べるので興味ある方はぜひ💖
無料でPC,スマホ,タブレットのどれでも遊べます✨✨

