その努力、“報酬”になる?それとも“代償”?
社会人時代の自分は、
毎日なにかに追われていた。
「頑張れば、未来が良くなるはず」
「愚直に頑張っていれば、誰かが見てくれている」
そんな言葉を信じて、
ひたすら目の前のことをこなしていた。
朝早く起きて、
やるべきことを消化し、
夜にはヘトヘト。
それでも、どこか満たされない毎日。
努力はしてた。
でも、それが報われてる実感はなかった。
代わりに残ったのは、
理由のわからない疲労感と無力感だった。
メンバーが問題という名の“穴”を掘り、
自分がそれを埋めてまわる毎日。
バケツの穴を必死にふさいでいるのに、
水はずっと漏れていた。
そんな感覚だった。
正しいことをしているはずなのに、
ただ疲れていくだけの毎日。
振り返って思う。
あの頃の自分は、
“やるべきこと”の意味を、
自分の外側に置きすぎていた。
同じ行動でも、
それが「報酬」として返ってくるのか、
「代償」としてのしかかるのか。
その違いは、その行動を選んだときの
「気持ちの質」にあるのかもしれない。
努力が報われるかどうかは、
行動そのものではなく、
自分なりの意味を持てているかどうかで決まる。
誰かの“正しさ”ではなく、
自分にとっての“納得”があるかどうかだった。
意味を持って動いた日は、
どれだけ疲れていても
「今日もやってよかったな」と、
自然と満足感が湧いてくる。
意味を持たずに動いた日は、
どれだけ頑張っても、結果が出ても
「なんだったんだろう」と、ただ虚しさが残った。
それからは、問いを立てるようにした。
「今日の行動は、誰のため? 何のため?」
それは、未来の自分にとって「報酬」になるだろうか?
それとも、「代償」になるだろうか?
意味のない努力を少しずつ手放し、
心の余白を取り戻していく中で、
やっと自分自身と繋がれるようになってきた
実感を持つことができた。
でも代償も、捉え方一つだ。
たとえ今が“代償”に見えても、
その中に自分なりの意味を見つけた瞬間から、
未来は静かに”報酬”に変わっていく。
今この瞬間の選択が、
未来の自分にとって
「どんな意味」を持つか。
それを決められるのは、
やっぱり、今の自分だけなんだと思う。
ほなまた!
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