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自分を変えるとは

あの頃の僕は、
「変わること」が成長することだ
と思っていた。

常に今以上の自分になりたいと思っていた。
だから、本を読んだり、
仕事に熱中したり、
異動の打診もすべて受け入れてきた。

「環境が人を変える」という言葉を信じて、
身を置く場所を変え、人との関わり方を変え、
自分自身を変えようとしていた。

時間の使い方を変えれば、人生が変わる。
住む場所を変えれば、心が変わる。
付き合う人を変えれば、考え方が変わる。

自己啓発本の中で
何度も見かけたこの3つの言葉。
それをまっすぐ信じて、がむしゃらに動いていた。

もちろん、それは間違いではなかった。
だけど、今の僕から見れば、
少しだけ足りなかった。

結局のところ、
変えた「環境」に人は慣れる。

どれだけ刺激的であっても、
それが日常になればまた「慣れ」が訪れる。

そして、また同じ悩みにぶつかる。

問題は外ではなく、内側にあった。
僕の思考のクセや、
感情の扱い方、
過去から続く自分の価値観
それらに目を向けないまま、
環境を変えるだけでは、
本質的には何も変わらなかった。

環境を変えたからといって、
孤独が消えるわけじゃなかった。

新しい人間関係に飛び込んでも、
どこかで自分の居場所を探し続けていた。

朝5時に起きることはできても、
やる気の出ない日は容赦なくやってくる。

結局、変わったのは「形」だけで、
中身は置き去りのままだった。

そんな日々のなかで、
僕がほんとうに変わる
きっかけになったのは、
「決意」ではなく「責任」だった。

管理職で誰かのために生きるっていう選択をしたとき。
目の前の人に「ちゃんと向き合う」と覚悟を決めたとき。
やっと僕は、自分の中に新しい軸が生まれた気がした。

逃げられない場所で、
自分の言葉と行動に責任を持たなければいけない。

その緊張感は確かに苦しかったけど、
不思議なことに、その縛りが
むしろ自分を自由にしてくれた。

誰かの期待に応えることでも、
ただ「自分らしく生きる」ことでもなく、
自分がちゃんと「誰かにとっての意味になる」こと。
それが、ようやく地に足をつけてくれる感覚をくれた。

人生には、「変わろう」と必死になる時期も、
確かに必要だったと思う。
でも今は、あのときの自分にこう伝えたい。

変わることがすべてじゃない。
向き合うことの方が、ずっと勇気がいるし、ずっと根が深い。
でも、それこそが「本当の変化」だったんじゃないか。

変わることで
何かが救われると思っていたけど、
変わらなくても大切にできるものがあることに、
僕は少し遅れて気づいた。

それでも、遠回りには意味があった。
あの必死な日々も、
焦りと不安に追われた時間も、
今に繋がっている。

だから今、少しだけ優しい気持ちで、
過去の自分に言ってあげたい。

「よく頑張った。
その経験、全部ちゃんと
未来の自分に届いてるから。」
と。

ほなまた!


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