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知識が自分の武器になる瞬間

「本やnoteで学んだことを、
そのまま実践してみたら、
なんだか自分らしくない……」

そんな違和感を抱きつつも、
続けているうちに、
ある日ふと「これ、使えるかも!」
と思う瞬間がある。

まるで、最初は履き慣れない
他人の靴だったはずが、
いつの間にか自分の足に
フィットしてきたような感覚になる。

知識を身につけることは簡単かもしれない。

だけど、それを“自分の武器”に
変えられるかどうかは別の話だ。

最初はしっくりこなくても、
やると決めて続けていると、
不思議と慣れてきて、
いつしか自分の一部になっている。

「読んだだけ」「知っただけ」で終わらず、
違和感ごと実践する
そこにこそ、新しい景色が待っているように思う。

本当に強い武器は、
最初から自分にピッタリ合うわけではない。

履きづらい靴をあえて
脱がずに履き続けるからこそ、
気づけることがあるはずだ。

今日は、
そんな「知識が自分の武器になる瞬間」を、
守破離の考え方と絡めながら掘り下げてみたい。

実際、今日記を始めて
今書いていることはあっているんだろうか?とか、
この文の量でいいのかとかを
考えてしまったりしているが
そんなことを考えず
まず続けることを徹底してやっている。

読んだ本のやり方や、
noteに書かれていた習慣を真似してみるとき、
最初は「これは自分らしくない」と感じることが多い。

今までの歩き方
つまり、これまでの習慣や価値観から
外れたものだと、
どうやったってキツさや違和感が出てくる。

日記だったら、全然言葉が出てこないし、
全然考えず1日を過ごしてしまっていたのか
とか変に考えてしまう。

特にひどい日は、これをしているうちに
Xの投稿、noteのネタを
考えた方がいいのではないか
とも考えてしまう。

でも、一度決めたその“他人の靴”を
履き続けることで、
本当に自分に合うかどうか、
そしてどこを調整すれば
自分らしくなるのかが見えてくる。

日本の茶道や武道で語られる
「守破離」には、このプロセスのヒントが
凝縮されているように思う。

はじめの「守」は、
型を徹底的に真似すること。

違和感があっても、
まずはその靴を履き続けてみる段階だ。

しばらくすると
「ここがきつい」「ここがゆるい」
といった小さな違和感が明確になる。

そこで一歩踏み込み、
自分なりのアレンジを加えるのが「破」。

最終的には、他人の靴だったものが
自分だけのオリジナルに変わり、
最初の違和感など微塵も感じなくなる。

これが「離」の境地だ。

たとえば日記を
『守』の段階でひたすら書いているうちに、
『もっと短くまとめた方が合っている』
『朝より夜に書く方が自分に合う』
といった気づきが出てくる。

そこが『破』に進むきっかけになると思います。

ただし、多くの人は
「守」の途中で投げ出してしまう。

サイズが合わない、
履きづらいと感じるたびに
「やっぱりダメだ」と諦める。

そこで踏みとどまり、
何が合わないのかを
探りながら続けることで、
いつしか「自分の歩き方」を
確立できるようになる。

もし今、履き慣れない靴のせいで
靴擦れしている人がいるなら、
その痛みは大きな変化への入口かもしれない。

違和感をただの“やめる理由”に
するのではなく、
“合わない部分を調整するきっかけ”とと捉えて欲しい。

明日から一週間、
あえて違和感を大事にしながら
続けてみるとかをやってみたらいい。

ショートコント〇〇と言って
普段絶対しない選択をやってみるのもいい。

すると、思わぬタイミングで
「ここを少し変えたらもっと楽になる」
という発見が訪れるかもしれない。

あなたが今、履こうとしている
“他人の靴”は何だろう。

やると決めたなら、
まずは守の段階を
乗り越えるまで履き続けてみよう。

そうすれば、あの違和感が、
いつかあなたを
まったく新しい景色へ
連れていってくれる靴になるはずだ。

ほなまた。



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