公文式は意味ない?早期教育の限界と統計データから、教育産業のタブーを暴く。
公文式や早期教育を頑張っているのに成績が上がらない…そんな悩みを抱えていませんか? 本記事では、大手予備校や国際データの統計をもとに、数学の能力分布や公文式の構造的限界、教育産業のタブーについて赤裸々に解説します。

早速本題ですが、
人の学力に差が有るのは、数学だけ。
最近、明治大学の偏差値が国立大学を超えたという話がありましたが、差があるのは、昔からほぼ数学だけ。
公文公は、「高校数学が自主学習出来るような人は他の教科など勝手にやる。親の言うことを聞く年齢のうちに、高校数学まで進めておけば、中学、高校になってから数学で塾に通う必要がなくなる。結果として、時間、経済的に一番負担が少ない」
だから公文式とは、「高校数学が自習でスラスラできるようになることを唯一最大の目標としている」
本来の公文式は、無駄な事をせずに「一直線に高校数学に進ませる」というもの。この事を、親と生徒が理解していない。
出来るかどうかはともかく、高校数学をクリアする前に途中で辞めたら、公文式とは言えない。ただの計算ドリル。
つまり、小学生の範疇なら公文式の必要性すらなく、スマホの100マス計算で十分。
公文式という特殊な方法論が有る訳でない。中学受験との違いは、文科省の指導を無視し、ただ蓋を外しているだけ。
個別、自主学習の公文式は新しい訳ではなく、本来、日本の寺子屋は、ほぼ公文式だった。
公文式の問題点は、
まず、「公文式とは何か?」を生徒に教えないので、意味が分からずやる気が起きない事と、
学校の方法論で結果が出ないから公文式に連れて行くのに、学校と「同じ方法論」でしか勉強しない所。すでに十分訓練して出来なかった子が公文式で伸びる構造は存在しない。
公文式が良い悪い以前に、親は、公文式とは何かを?を理解せずに月謝を払っている。
早期教育や公文式をしても数学の平均点が変わらない統計的事実。
幼児、早期教育化が進んでも、数学IA・IIBの平均点が、数十年何も変わらない。大手予備校の年間数十万人規模のデータ、偏差値ごとの割合は確率として完全に固定されている。
トップ層(偏差値70以上)約 2.3%
上位層(偏差値60以上)約 15.9%
並みの層(偏差値40〜60)約 68.2%
苦手な層(偏差値40未満)約 15.9%
「2.3%」「15.9%」の割合は、どの年度の模試データを引っ張ってきても、小数点以下のわずかなズレを除いて完全に一致。この数字はどんなに、教育、方法論を変えても変わらない。
偏差値は相対評価だが、数学の能力分布は正規分布に近い。数学の能力は、ワーキングメモリ容量、抽象化能力、空間認知、情報圧縮能力といった、脳の構造で決まるため、毎年ほぼ同じ割合になる。偏差値70=数学ができる人の絶対的な割合「約2%」という変換が成立する。
国際学習到達度調査、上位層の推移。
日本は、幼児教育、塾への投資額が世界トップクラスだが、20年間の変動幅:2.5〜3.8%(ほぼ一定)
文科省「全国学力・学習状況調査」、先取りの限界数値、日本国内のデータでも、
小学校4年生時点(算数)
「1学年以上先取りしている」児童の割合は全体の約 12〜15%。この層の算数の正答率は平均より 約 15〜20% 高い。
中学校3年生時点(数学)
幼児期・児童期から先取りを続けていた層のうち、中学数学の「活用・応用問題」で上位(正答率80%以上)を維持できた割合は、わずか 2〜3%。残りの約 12% 以上は平均値(50〜60%)付近まで低下している。
高校生になった時点で、幼児、早期教育の影響力を示す統計データが、ゼロに収束している。
これらの事実が意味する事は一つ。
能力の上限は遺伝的に決まる。上限の高い人は一定の割合しか存在しない。全員が努力しても、上位2%に到達できる人数は毎年ほぼ一定になる。
方法論、習い事、中学受験、幼児、早期教育に、その限界値を突破させる効果はゼロ。
つまり公文式は、小学生で高校数学に到達するような怪物には意味があるが、80%の出来ない子を、できるようにする事は出来ない。
数学的思考、概念が理解できないなどは、公文式の弊害ではなく、生まれつき持っていないから。
「才能」=「体質」であり、体質は訓練しても変わらない。
「私には才能がある」などと言えないから、謙虚に「特別な才能など無い」と言ってしまう。だから、才能と言わずに「体質」と言う必要がある。
中学受験で、公文式を辞めてくれるのはありがたい。
公文式の完走を目指さず、途中で辞めてくれるのは、「98%が高校数学クリアまで到達できないというシステムの欠陥がバレずに済む」ので、むしろありがたい。
公文式と受験塾で、責任の押し付け合い、
公文式側は、「高校数学まで進めなかったのは、途中で中学受験に転塾して辞めたからです」
受験塾側は、「伸び悩んでいるのは、幼児期に公文で計算パターンだけを詰め込んだ弊害です」
見事な連携で、守られる幻想。
98%が公文式を完走できていないのに、プロ野球選手、プロ棋士、東大生などが、少しでも公文式に触れていれば、公文式経験者と代々的に宣伝する。
公文公は、「親の言うことを聞く年齢のうちに」と言っているのだから、自主学習は矛盾があるし、最初からやる気の無い子が、自主学習の公文式で成績が良く成る訳が無い。
親は結果が欲しいのであり、自主学習の為に月謝を払う人はいないはず。
なぜ、公文式を経験した団塊ジュニアが、構造的欠陥を親や子に伝えてこなかったのか?。
中学受験も、
親に対して従順。
文科省の指導と勉強内容に疑問を持たない。
長時間座っていられる。
立体的な算数のパズルで数学適性者の確立を上げる。
など、無駄に難しいのは、東大に行ける生徒が一人でも欲しいから、事前に受験適性の高い子を選別しているだけであり、高校数学の成績にほぼ影響しない。
もし本当に名門私学に、素晴らしい教育があるなら、中学受験などほぼ虐待みたいな事をやらせないで、ジャンケンにしても同じだけ東大生が出るはず。
高校からの外部募集を停止し、中高一貫のにこだわるのは、途中で才能が来ると、私学の受験と教育が関係なかった事が露呈してしまうから。
鶴亀算をはじめとする中学受験にしか使わない算数に、親は数百万円課金し、それで鶴亀算などやっていない、公立育ちの才能が、ふらっと大学受験にやってきて抜かれる。
公文式、塾、名門私立は、どれも文科省式の同じ方法論。それで差が出る訳が無い。
受験適性の高い人が悪いと言っている訳ではない。私立中学の商売のやりたかたを非難している。どれだけの子どもと親を壊したのか?
凡人は三倍努力しろはウソ。実際は「40倍」。
受験は単に学力だけでなく、体力、情動の安定、反復耐性を含む総合競技。
努力で結果が出る人
努力で結果が出ない人
二つに分類するべきであり、「やれば出来る人」は、存在しない。
偏差値は努力の結果ではなく、「才能の分布」をそのまま可視化もの。
偏差値70は、努力した人。
偏差値40は、努力していない人。
この考えが間違っている。
漢字なら、
才能、5回、書いたら覚える。
凡人、200回、掛かる。
2100字だと、
10500回
42万回
それでも無理なら、覚えられるまで書け、努力が足りない?。どうかしている。これが偏差値教育。
偏差値が高い人の方が絶対努力していない。
英単語なら3000×200で60万回。英語は一日で30%忘れる。倒れるほど努力が必要な人は、受験適性が無いと分類するべき。
何年繰り返し書いても結果が出ないと、やる気や、意思の問題ではなく、防御本能で脳がシャットダウンする。
よく言う、「コツコツやっただけで特別な才能はない」は、認識が歪んでいる。資質が無い人はコツコツやっても結果が出ない。
遊んでいるから偏差値が低いのではなく、やっても出来ないから遊んでいる。「順番が逆」。
営業、漁師、料理、配管などの適性がある人でも、学生は受験しかする事がないから、受験に適性が無いと、遊ぶしかない。
よく見る論調が、「学習習慣」「集中力」を付けろだが、学習習慣は才能がある領域を10~20%延ばすだけであり、
絵本を何冊読もうが、才能0が1に成る事はないし、レゴ、粘土遊びをさせたぐらいで、万人が、明石海峡大橋の土台設計が出来るように成る訳が無い。
教育産業と親が「子どもの能力の限界」を認めない。
教員、塾、家庭教師などビジネス側が、「全員は受からない」という前提で話をしていない。
勉強が出来ないと言って、屁理屈をこねているのは子どもではなく、「受験適性が無い人もいる」それを認めない、親とビジネス側。
子どもが安心して考えられている家庭。
勉強しているのに考えていない状態。
睡眠や休息、学習量の見直し。
忘れる前に思い出すが復習が大事。
勉強以前の生活習慣と自己管理能力。
成績が伸びる生徒は素直。
上記を全てみたしていて、それでも出来ない人もいる、またそれが出来ない人もいる事を、ビジネス側と親が、絶対に認めない。
「才能ではない、誰でも出来る」、これが屁理屈。
2%では後から育てたと言えるものではない。たまたまそこにいただけなのに、ビジネス側は2%の資質を後から、「私たちが教えたからだ」と、横取りしているにすぎない。
東大は、同世代人口200万人だと0,15%。後天的な、訓練、環境など入り込む余地は無い。全員勝手に行っているだけ。それを我が家の教育の成果と勘違いする親の傲慢と不遜。
東大生が出れば、どの業界も、公文、私学、剣道、ピアノ、体操、水泳をやっていたからだと出てくる。図々しい。
>>運動すると脳が育つ。「集中力」や「記憶力」に関わる部分が活性化する事が分かっている。
この論理も、1%でも違えば、脳に効果があると言ってるだけ。運動、ピアノで、凡人が才能に成るほどは変わらない。
ピアノ、プログラミングを習うと「論理的思考」が身につくと言っている側が、論理的な話をしていない。
よく見るのが「偏差値50台から抜け出す方法」これは間違っていて、その子が50を超えたら他の子が落ちているだけ。偏差値50台の子に伸びる方法を教えるのは、仕組みを理解していない教育。
偏差値受験は教育ではなく「対戦ゲーム」。対戦ゲームに攻略法など存在しない。それを、親、教育側が「攻略法」などと教えている所に問題がある。
東大に行けるぐらいの学問自体を否定しているのではく、目的から逆算し必要な事だけ学ぶ勉強方と、絶対評価にし、無駄な受験勉強と、「偏差値教育を辞めるべき」だと言っている。
偏差値教育が、詰め込み教育を生んでいる。ゆとり教育がバカげていたのは、公立校をどんなに緩くしても、受験は緩くならないので、最初から意味が無い事が分かっていた所。東大を出た役人、政治家がこの程度の事も分からない程知能が低いのか?。違うでしょう。分かっていて実行した。だからたちが悪い。
絶対評価にして、東大医学部を外科の実技で選抜し、東大、阪大、滋賀大の研究施設を平準化しないと、負担は減らない。
なぜ、東大OB、親、教育者達が、偏差値教育を辞めろ!と声を上げないのか?
日本の病理は、100人の親が、全員上位10%に成れると思っている所にある。つまり、親が自分の子は凡人と理解できるように成らないと、犠牲者が増えるだけ。中学受験などさせても結果は同じなのに。
偏差値60は、84%の人に勝つ必要がある。大学進学を目指さない人を含めた同年代全員で見れば、上位数%。それが普通?。
9割の親は幻想で子どもを壊している。
なぜそれを説明するのが医師なのか?という話。ビジネス側が最初に教えるべき。そうすれば医師の出番はない。病院に来ている段階でもう手遅れ。
教育、臨床心理ではなく、「親の、認知の歪みをどう正すか?」が、この学問の本質。
本来、体質以上の事は出来ない、「農高も東大も同じ」と教えるのが親の仕事。
子どもの成績に、親は関係ないと開き直るしかない。
努力で得られる10〜20%自体を否定していない。
しかし100が120に成っても、それ以上に 個人差は200〜300あるので、努力で偏差値が10上がる事は絶対にない。
才能を認めないから、逆に、凡人の努力が認められない。
偏差値が低くいからといって、母子ともに責められるいわれはない。
私は、早期教育、努力に意味が無いと言っている訳ではなく、
「月謝が必要ない」と言っているだけです。
むしろ、6歳から毎日100マス計算と英単語タイピング50回やらせるべきだと言っている。
そこにある「スマホ」で完結する。
家の周りを走らせる、公園でボール遊び、家で歌って踊る、子どもと一緒に遊んでいればよいだけ。
月謝で何も変わらない事は、団塊ジュニアが立証しているのに、週6で習い事を入れる親は常軌を逸している。
偏差値70が2%で年収1000万円として、偏差値50が自営業の10%で年収1000万円なら、どちらを目指すべきか?。
東大卒1000万円も、農家、足場屋1000万円も同じはず。それがなぜか、自分達で見下して、子どもに医学部に行けと言ってきた。それで代継がいなくなり、地場産業も崩壊した。
この事実に団塊の世代が気がついていないし、認めない。「親の学歴信仰や教育投資が、結果として、子どもを追い詰め、地場産業を壊滅させ、国力を下げた」と、間違いを認めて、反省する姿を見たことも聞いた事もないでしょう?
事実を見れば、最初から8割の人は小学生の算数が限界なのだから、8割の人は基礎を叩き込み、
絶対評価の存在、技能系、専門系、偏差値以外の成功モデルを教える。
適性に合った進路設計を目指す。
月謝、学費を、子ども名義の株に回す。
など、偏差値の外で暮らす方法を教えた方が良い。
お金を掛けずに、才能も凡人もベストな結果が出る。これが本質。
教育に正解は無いと言うのは、親の責任逃れ。
子どもの立場で考えたら親には最適解を採って欲しい。被害を受けるのは親ではなく、子どもだけ。
以上、よろしければ、スキと、SNSで広めてもらえたら嬉しいです。
簡素な説明で失礼いたしました。お付き合いありがとうございました。
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