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【プラトン全集第1巻『ソクラテスの弁明』】メレトス

〖はじめに〗

ソクラテスを法廷へ引きずり出した人物がいます。

メレトス。

彼は、ソクラテス裁判の正式な告発者でした。

けれど、
この人物の名前は、
ソクラテスほど強く記憶されていません。

アニュトスのように、
政治的な重みを持つ人物としても語られにくい。

ただ、
裁判の入口に立っていた人。

ソクラテスを訴えた人。

そのように見られがちです。

しかし、少し立ち止まると、
メレトスには不思議な重さがあります。

若い告発者が、
七十歳のソクラテスを訴えた。

町の若者を堕落させたとして、
一人の老人を法廷に立たせた。

プラトンの『エウテュプロン』では、
ソクラテスがメレトスについて、
髪が長く、ひげは薄く、鼻は鉤のようだと語っています。

どこか若く、
どこか目立つ姿の人物。

そのメレトスが、
アテナイの前に立ち、
ソクラテスを告発しました。

ただし、
彼は大思想家ではありません。

深い議論を残した人物でもありません。

むしろ彼の姿は、
ソクラテスに問い返されることで、
少しずつ浮かび上がります。

強い言葉を持っていた。

けれど、
その言葉の中身を、
どこまで考えていたのか。

そこに、
メレトスという人物の危うさがあります。

① 裁判の入口に立った若い告発者

メレトスは、
ソクラテスを次のような罪で訴えました。

アテナイの認める神々を信じないこと。

新しい神霊的なものを持ち込むこと。

若者を堕落させること。

ここでいう「神霊的なもの」とは、
ソクラテスが語った不思議な内なる声、
いわゆるダイモニオンを指すと考えられます。

神々を信じない。

若者を悪くする。

町に危険な考えを広める。

言葉だけを見れば、
かなり重い告発です。

宗教への不信。
若者への悪影響。
共同体への危険。

どれも、
町の人々の不安を刺激する言葉でした。

メレトスは、
その言葉を持って法廷に立ちます。

けれど、
彼一人がソクラテス裁判のすべてを動かしたわけではありません。

ソクラテスへの反感は、
それ以前からアテナイに積もっていました。

若者たちがソクラテスのまねをする。

偉そうな大人に問いを投げる。

知っているつもりの人に、
本当に知っているのかと迫る。

それは、
見る人によっては、
教育ではなく危険に見えたでしょう。

町の秩序を乱すものに見えたでしょう。

メレトスは、
その不安を法廷の言葉に変えた人物でした。

② 若者をよくするのは誰か

法廷で、
ソクラテスはメレトスに問い返します。

「あなたは、私が若者を堕落させていると言う」

では、
若者をよくするのは誰なのか。

メレトスは答えます。

「法律です」

一見すると、
もっともらしい答えです。

町には法律がある。
法律が人を正しく導く。

だから、
法律に従えば若者はよくなる。

けれど、
ソクラテスの問いはそこで止まりません。

「では、法律を知って若者に教える、その人は?」

法律そのものが、
若者の前に立って語るわけではありません。

法律を理解し、
それを用いて、
若者をよくできる人間が必要になります。

では、
それは誰なのか。

法廷には、
多くの市民がいました。

ソクラテスの問いは、
メレトス一人に向けられているようで、
その場にいる全員にも向けられていました。

メレトスは、
迷う様子もなく答えます。

裁判官たち。

市民たち。

評議員たち。

民会に参加する人々。

つまり、
ほとんどすべてのアテナイ市民が、
若者をよくするということになります。

ここで、
告発の形がゆがみ始めます。

アテナイ市民は、
みな若者をよくする。

若者を悪くするのは、
ソクラテス一人だけ。

本当に、
そんなことがあるのか。

ソクラテスは、
その一点を逃しませんでした。

③ 馬のたとえが暴いたもの

ソクラテスは、
ここで馬のたとえを出します。

馬をよくできるのは、
誰でもではありません。

馬を知る人です。

馬を扱う技術を持つ人です。

馬に慣れていない多くの人が、
好き勝手に扱えば、
むしろ馬は悪くなる。

それは、
人間の若者についても同じではないのか。

若者をよくするには、
若者をどう導くかを知らなければならない。

それなのにメレトスは、
アテナイ市民のほとんどが若者をよくし、
ソクラテス一人だけが若者を悪くすると言ってしまう。

そんな話があるのか。

このたとえが暴いたのは、
メレトスの知識不足だけではありません。

彼が、
「若者を堕落させる」という強い言葉を使いながら、
若者をよくするとは何かを、
深く考えていなかったことです。

告発の言葉は鋭い。

けれど、
問い返されると、
その中身は薄くなる。

④ 強い言葉を持った、弱い告発者

メレトスは、
ただ怒った一人の人物ではありませんでした。

アテナイの不安を背負って、
法廷に立った人物でした。

メレトスは、
その不安を言葉にしました。

神々を信じていない。
若者を堕落させている。
新しい神霊的なものを持ち込んでいる。

どれも、
人々を動かすには十分な言葉です。

けれど、
ソクラテスはそこに問いを差し込みました。

若者を悪くしたと言うなら、
若者をよくするとは何か。

神々を信じないと言うなら、
私は何を信じていないのか。

危険だと言うなら、
その危険とは何なのか。

メレトスの言葉は、
その問いに耐えきれません。

彼は、
ソクラテスを訴えました。

しかし、
ソクラテスに問い返されると、
その告発は、
少しずつ形を失っていきます。

⑤ 表に立ったが、核心ではなかった人

メレトスは、
ソクラテスを裁判にかけた人物です。

その意味で、
彼の名は歴史に残りました。

しかし、
彼が裁判の核心だったわけではありません。

ソクラテスを死へ向かわせたのは、
メレトス一人の怒りではなかった。

ソクラテスへの長年の反感。

若者が変わっていくことへの不安。
町の秩序を揺さぶられることへの恐れ。
問い続ける人間への苛立ち。

そうしたものが、
メレトスの背後にありました。

彼は、
ソクラテスを理解できなかった町の声を、
法廷で代弁したのかもしれません。

けれど、
法廷で問われたとき、
その声は十分に考え抜かれていなかった。

守ると言いながら、
守るとは何かを語れない。

ソクラテスは死にました。

メレトスの名も残りました。

ただし、
正しかった側としてではありません。

ソクラテスを訴えた人物として。

【メレトス|人物紹介データ】

名前 メレトス
生没 前5世紀末ごろの人物
出身 アテナイ(ピットス区)
立場 ソクラテス裁判の正式な告発者の一人
関係する人物 アニュトス、リュコン
仕事 詩人

主な役割:
ソクラテスを「若者を堕落させた」「国家の神々を信じない」「新しい神的なものを持ち込んだ」として訴えた人物。

人物像:
若い告発者として描かれることが多い。
政治的な重みを持つアニュトスに比べると、個人としての詳しい記録は少ない。
ただし、裁判の表側に立った人物として、ソクラテスの死に直接関わる重要な存在。

思想・特徴:
独自の思想家というより、ソクラテス裁判における告発者として知られる。
『ソクラテスの弁明』では、ソクラテスから問答で追及され、若者の教育について十分に説明できない人物として描かれる。

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