見出し画像

「雪白し」は幼稚? ~京極派スペース抄~

「心のままにことばの匂ひゆく」ように歌を詠む――鎌倉・南北朝時代の和歌文脈において異色であったこの歌論を、京極派という和歌グループは選択しました。
そんな京極派について、X(旧Twitter)にて毎週お話しています。

この記事は、そんな京極派スペースの音声を読み物として整えた京極派スペーステキスト版の一部を抜粋したものです。



2026年1月31日放送スペース「京極派の歳暮の歌」、2月8日テキスト化した「近づく春の意味」より。

春を待つ心を詠んだ京極派和歌をご紹介しながら、少々脱線した部分を、今回テキスト版から抜粋しご紹介します。


全文を読みたい方はこちら(テキスト版)
音声で聴きたい方はこちら(ポッドキャスト)
生配信アーカイブはこちら(X)




「雪白し」は幼稚? ~京極派スペース抄~

これは「京極派の色名表現」というテーマで過去にスペースで話したし、調べたら本とか論文とかたくさん出てくると思いますが、京極派には色名表現について独特なところがあって。

通常伝統的な和歌では、例えば「梅」とか「波」とか「柳」とか、色を表す言葉は名詞を修飾する接頭辞として使われるのが通常であって、
「柳青し」とか「雪白し」とかそういう言い方をするのは初心者っぽいしやめなさい、という考え方だったんですね。

だけど、京極派はそこのタブーを破って「庭白し」とか「雪白し」とかいう形で、形容詞を形容詞として述語部分に使うという使い方もするし、
動詞形にして「青む」とか「白む」とか……「白む」は京極派以外の和歌でも少し用例があるかな。でも「青む」は、この本によると動詞「青む」を使ったのは勅撰集ではこの伏見院の歌だけということですし、
そう書かれても意外だとは思わないぐらいに、京極派の和歌を読んでいると、色名表現で動詞や形容詞などを使う使い方というのが珍しくはないです。

現代人が見ると普通のことに見えてしまう部分があるものも、古典和歌の文脈から見るととても斬新だったりする。
常識はずれで品がないという見方ももしかしたらできたかもしれないけど、京極派はその辺厭わず
「自分の心の表現にふさわしい形を使うんだ」
「決まりごとに自分を合わせるんじゃない」
という思想だった。

その結果としての色名表現の特徴がありますね。


「京極派スペース抄」は以上です。ありがとうございました。


全文を読みたい方はこちら(テキスト版)
音声で聴きたい方はこちら(ポッドキャスト)
生配信アーカイブはこちら(X)


京極派スペース抄


京極派スペーステキスト版

京極派スペースのテキスト版は1記事400円でお読みいただけます。
記事ごとの購入ももちろんできますし、
続けてご購入くださる方のご負担を減らしたく、1200円のマガジンもご用意しております。
テキスト版を4記事以上読まれる方は、マガジンを購読するとお得になります。


京極派をもっと知る


和歌物語の維持メンバーになる

和歌創作や発信といった活動を、経済的な不安定さに左右されることなく、これからも精力的に続けてゆきたいと願っています。

基本的な作品や文章などは、できるかぎり無料または低価格で、広く開かれた形で届けてゆきたい。
そのためには、この活動を支える側に回ってくださる方の存在が欠かせません。

「梶間和歌の活動や生き方に意義を感じている」
そして
「経済的に余裕がある」
という方には、この活動の維持メンバーとしてご参加いただけましたら幸いです。


noteのチップやメンバーシップなど、 ご無理のない形で、ぜひ。

もし、寄付という形に躊躇のお気持ちがありましたら、低価格のコンテンツのご購入という形でも等しく有難いです。

もちろん、作品や記事を読んでくださること、私の発信を受け取ってくださること、それ自体が私にとって大きな力。
経済的に余裕はないけれど価値や意義を感じている――そんな皆様からのスキやシェアなどにも、あらためて、心より感謝申し上げます。


今後とも、それぞれの領分において世界を美しくしてゆく営みを、楽しんで参りましょう。


この記事を書いた人

photo by ミカアンドロイド

フォローはこちらから


いいなと思ったら応援しよう!

梶間和歌(令和の京極派) 応援ありがとうございます。頂いたサポートは、書籍代等、より充実した創作や勉強のために使わせていただきます!