感性と研究のあいだ ~京極派スペース抄~
「心のままに詞の匂ひゆく」ように歌を詠む――鎌倉・南北朝時代の和歌文脈において異色であったこの歌論を、京極派という和歌グループは選択しました。
そんな京極派について、X(旧Twitter)にて毎週お話しています。
この記事は、そんな京極派スペースの音声を読み物として整えた京極派スペーステキスト版の一部を抜粋したものです。
2026年1月31日放送スペース「京極派の歳暮の歌」、2月8日テキスト化した「近づく春の意味」より。
春を待つ心を詠んだ京極派和歌をご紹介しながら、少々脱線した部分を、今回テキスト版から抜粋しご紹介します。
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感性と研究のあいだ ~京極派スペース抄~
訳に頼りすぎるのは本当に良くないですね。
もちろん、
きちんとした訳や先行研究に頼ることなく、文法もわかっていないのに「私は心と心で対話するんだ」と言って、自分の感性だけで読んだ結果、その歌が全く意味していないことを自分勝手に読み取る、
などということはしない方がいい。
与謝野晶子が『源氏物語』とか他の古典作品でそれをやっているんですよ。
さすがに歌に関しては彼女もそんなに間違っていなかったと思うんですけど、原文を結構読み間違って訳していることがあって。
私、与謝野晶子はいろんな意味で本当に偉大な方だと思っているんですけど。
先行研究を頼らず、「私は心と心で古典作品と通じ合っているからいいんだ」と、そこそこ権威ある「晶子」の名でいろんな古典作品の訳とか解説とかをして、
「結構間違っているね」と後世指摘されて、参考にできるのは『和泉式部日記』ぐらい。
『和泉式部日記』は間違いが少ないと言われていますね。感性が似ていたんでしょうね、和泉式部と晶子の。だから、先行研究なしでも間違いの少ない訳や解説ができた。
そういうこともあるので、訳や先行研究を頼りにしなすぎるのもいかがかと思うんだけど、
だからといって訳に頼りすぎて、自分の目で読めば読めるもの、日本人が日本語で書いているものを……もちろん、本気で取り組むときには「別の言語である」ぐらいに思った方がいいけど、とはいえ読めますからね。
難しいことが分からなくても和歌がある程度読めるというのは、日本語ネイティブとして生まれ育った者の特権だと思うんですけど。
読もうと思えば読めるものを自分の目で読もうとせず、訳だけに頼って歌を受け取る、というのもまたちょっと偏っていて。
先行研究はもちろん参考にした方がいいんだけど。
「京極派スペース抄」は以上です。ありがとうございました。
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