<植物画とは何か>(2):資料探しから見えてきた「植物画」の位置、江戸の図譜、荒俣宏著書(ルドゥーテまで)、欧米専門家の講演(19世紀~、女性画家、ジェンダー、RHS公募展の各国作品他)
長文になります。
はじめに
前回の記事は、「植物画とは何か」というタイトルを冒頭に付けました。
自分でも少し大仰だと思ったのですが、「絵画」を理解するのに、「植物画」に何か大事なものが含まれているのではないかと感じたのです。
その”大事なもの”を伝えたく思い、かなりの量の内容になってしまいました。おそらく多くの読者の方にご迷惑をおかけしたことでしょう。
その記事の中では、ここ数年私が「線スケッチ」の立場で鑑賞を続けてきた、日本および中国の絵画で気付いたこと、そして、そのこととはまるで関係がなさそうな西欧由来の「植物画」が、ヒルマ・アフ・クリント展で見た「植物の図像を含む抽象画」の歴史的、社会的背景と接点を持つのではないか、すなわち西洋絵画史だけでなく、思想史、科学史、文化史、経済産業史、ジェンダーの問題など総合的に考える必要があるのではないか、と考えるに至った経緯を説明しました。
記事のポイントは以下のようになります。
1)「植物画」を論じるには、「植物学イラストレーション」、すなわち「自然科学」と「アート」という二分野をまたぐ視点が必要である。
2)西洋発祥の植物画を論じることは、東洋の「花鳥画」の特徴を浮き彫りにすることにもなる。
3)植物画の制作者は「学術」が求める正確性の縛りと「アート」の表現の自由との相反関係の問題、すなわち学術的客観性と個人の創造表現(創作衝動)との間の葛藤はあるのか、あるとしたらどのように折り合いをつけているのか?
4)日本の花鳥画における空間処理と西欧の「植物画」の空間処理を比較する。
5)ヒルマ・アフ・クリントの若き日の「植物画」の習作と後年の植物の具象と抽象的な図像を組み合わせた絵画は、バラ十字会の賛同者、コメニウスに端を発した実物教育、直感教育で使われるようになった「教育架図」の考え方と繋がっている。すなわち「自然界からの花とかそういう観察性で出てきたデータが先にあってそのデータ同士の対応関係から意味を見つけてくるってやり方」で、それは「実物教育」「直観教育」の考え方であり、70年代の美術家達がやっていた方法そのものである。
6)フィナンシャルタイムズの記者によれば、「長年、美術評論家たちは植物画を「真の芸術」と認めようとしなかった。」「男性評論家たちは「花の絵画」を、欲求不満の主婦や女性協会会員の趣味と見なしている」のが、欧米における「植物画」の現状のようである。
7)(日本における)「植物画」の展覧会は、いわゆる「美術館」で開催されている例はあっても少ないように見える。むしろ植物園や庭園が有名な場所などに偏っている。また主催者や共催団体には絵画団体が含まれないていないようだ。
前回の記事の反響(貴重な二つのコメントをいただきました)
さて本題に入る前に、前回の記事を投稿した直後に、二人の読者の方から上で述べたポイントに直接関係する貴重なコメントをいただきました。本記事の内容に深く関連するので紹介したいと思います。
1)近衛家熈『花木真寫』について
一つは、Eさん(お名前を出してよいのか迷ったので頭文字にいたします)から、私が知らなかった、江戸時代の植物図譜、近衛家熈が著した『花木真寫』をご紹介いただいたことです。
おそらく、記事(1)で、江戸時代の花鳥画を列記した中に、江戸時代に盛んに制作された図譜が紹介されていないことに気がつかれて、江戸時代の中でも優れた図譜の「花木真寫」をご紹介されたのだと思います。
私は、江戸時代の図譜の存在は知っていました。
とはいえ、日本美術でさえ、数年前から本格的に実物を鑑賞し始めた身ですから、江戸時代の図譜が多く出版され、その絵の水準が、いわゆる日本の伝統的な絵画とはまったく異なり、西洋の絵画を模写したのかと思うほど精緻で写実的だというのを昨年(2024年)に知ったばかりなのです。
それまでは、江戸美術の一般書に必ず出てくる、円山応挙の写生画、葛飾北斎や歌川広重の花鳥画は頭に入っていました。そして、今年(2025年)の東京国立博物館の常設展と北の丸尚蔵館で展示された花鳥画を記事その1でも紹介しました。
共通しているのは、いずれも作者は全員著名な画家であることです。それは、2024年に見た江戸時代の花鳥画でも変わりません。中でも驚いたのは、狩野探幽の《草花写生図巻 秋》です。

まさか、粉本主義中心と言われる江戸狩野の始祖、探幽がこれほどまでに写実的な写生画を多く残しているとは思ってもいませんでした。
しかし、2024年の東京国立博物館常設展で私が一番驚いたのは、「江戸時代の図譜文化一堀田正敦編『禽譜』とその魅力」と題する特集で展示された一連の作品群です。題名にもあるように、堀田正敦編『禽譜』の動物、鳥類の図譜がメインですが、植物も二つの資料が展示されていたので、図2,図3に示します。

江戸時代 ·文政12 年 (1829) 紙本着色、全7冊のうち
右:「本草図譜 5~8山草部」岩崎灌園著、岡田清福画|
江戸時代·文政11年(1828)序 紙本着色、全50冊のうち
出典:筆者撮影(2024.8.17)

江戸時代·18~19世紀 紙本着色、折帖、全2帖のうち
出典:筆者撮影(2024.8.17)
ですから、記事(1)で日本の「花鳥画」を列記した時に、図譜を入れるべきかどうか一瞬迷いました。
理由の一つは、図譜を描いた画家が絵画(花鳥画)としての意識がないこと、もっと言えば、江戸中期に蘭学が盛んになり、西洋から輸入された植物図譜の描き方を模倣したものではないかと推測したことです。
そして二つ目の理由として私自身が、江戸時代の図譜にまったく知識がないので、評価の資格がないと考えたことです。そこで記事(1)では図譜について記述しなかったのです。
今回、コメント欄でお教えいただいた近衛家熈『花木真寫』は、江戸の図譜を語る上で欠かせない資料だということがその後の調査で分かりました。本文の中で、章を設けて改めて紹介いたします。
2)〇「植物画」が美術館展示が少ない理由、〇自然が生んだ造形は「アート」とは言えないのか
二つ目は、私と同じく科学技術系専門分野ご出身のSさんからのコメントです。それは二つの大変重要な内容を含みます。
一つは、「植物画」の画材(絵具)についてです。Sさんは、「植物画」において細部描写のために、水彩絵具の使用が必然であるといいます。従って古い植物画の光耐性は低く、美術館の学芸員は重要な作品ほど、展示をためらうことが理由の一つではないかと、科学技術系のご出身ならではの指摘をされました。
私もSさんのご指摘に完全に同意します。専門的論文ではきちんと議論されているかとは思いますが、美術史家が書く一般解説書では、作品の美や経時変化に及ぼす画材の物性など科学的な因果関係に言及している例はほとんどみかけません。 このような観点はもっと一般の解説書にも取り上げられてもよいと思います。
もう一点、Sさんは「植物画」に対する、いや絵画全体におよぶ重要な観点をコメントされています(下記引用)。
①自然が産んだ造形はアート(人為)とは言えないと、切って捨てることは可能です。
②自然の造形に審美の感覚が作動した、これも人の脳の営みだと、美術で包容することもできます。
と述べたあと、「精密画、図形利用、空間構成物、全て包容です」とご自身の立場を述べられています。
コメント欄の文字数制限のため、文が圧縮して書かれているので、Sさんの本意を正確に理解できているか分かりませんが、Sさんは、「一般には植物の造形(自然の造形)は、アートではないとされているが、私は植物画も含めすべてアートの範疇に入ると考えたい」と言っているように思えます。
よく、数学や物理の世界では、ある数式で簡潔に表現されたときに、「美しい」と言われますし、芸術とは関係のない工業製品などが(あるいは日常使いの陶器なども)、機能にマッチしている場合「機能美」という言葉が使われます。
このようなケースと「植物画」の美とは、どこかで繋がっているように思います。
この問題も、本文で別途章を設けて議論したいと思います。
資料探しの段階で分かった我が国の「植物画」の位置
さて、記事(1)の末尾で、私は「欧米の専門家の意見をもとに「植物画」とは何か、ひいては絵画とは何かについて迫れたらと思います。」と述べて記事を終えました。
なぜ「欧米の専門家」なのか、それは4月から5月にかけて3編の「ヒルマ・アフ・クリント展」の記事を投稿した時に欧米の専門家の意見を求めたのと同じ理由です。
それは「植物画」が西欧で発生した歴史的文化的背景を、日本人ではその本質に迫れないのではと考えたからです。
なぜ「植物画」の資料が見つからないのか? なぜ近衛家熈『花木真寫』が目にとまらなかったのか?
さて、使用した資料の紹介の前に、資料探しで見えてきた「植物画」の位置について最初に述べたいと思います。
普段、私は資料探しのために二つの公的図書館を利用しています。一つは世田谷区立図書館、もう一つは府中市立図書館です。
実は、すでに今年2月に記事(1)で述べた植物画の展覧会に参加したころから、「植物画」の資料を両図書館で探し始めました。ところが、「植物画」については、通常の絵画資料に比べて、「これは」という基本的な資料がすぐに見つからないのです。
私はこれまでの利用経験から世田谷区立図書館も、府中市立図書館も、所蔵する絵画関係の書籍は大変充実していると思っていました。ですから見つからないのは不思議だ、不思議だと思いながらも時間は過ぎ、記事(1)を書くことになりました。
その結果、コメント欄でEさんから近衛家熈『花木真寫』を紹介いただいたことは上述の通りです。実は、Eさんは近衛家熈『花木真寫』を知ったきっかけは、今橋理子氏の著書、「江戸の花鳥画 博物学をめぐる文化とその表象」を読んだことにあるとも述べていました。
私は、内心動揺しました。なぜなら、近衛家熈『花木真寫』はまだしも、今橋理子氏の上述の著書を見逃すことなど考えられないからです。
私はEさんからコメントをもらって駆け付けた府中市中央図書館で検索を行いました。すると二つの資料ともあったのです。それは開架棚ではなく書庫の中に。道理で見つからなかったはずです。通常、書庫には、古い出版の本を保管する場所と思っていたので私は開架棚しか見ていなかったのです。
推測ですが、出版年の古さではなく、貸し出し頻度が少ないために書庫入りになったのではないでしょうか。
一方、「植物画」の一般解説書が見つからなかった理由が上記検索作業の時に分かりました。
その理由は極めて単純でした。それは美術関係の書架ではなく「植物学」の書架にあったのです。私は、当然、美術関係の書架にあるものと決めつけていました。そのために見つからなかったのです。
今思うのですが、以上の図書館における資料探しの経験は、わが国における「植物画」の位置を示しているのではないでしょうか。
すなわち、「植物画」は、基本的に絵画部門ではなく自然科学の「植物学」の方に分類されていること、またサントリー学芸賞、芸術選奨新人賞を受賞し、2017年には講談社学術文庫にもなった今橋理子氏の著名な著書が開架棚ではなく書庫に収蔵されて人目に触れないようになっている状況は、いわゆる絵画(西洋であれ東洋であれ)とは区別(差別?)されていることを感じるのです。
荒俣宏著「花の図譜ワンダーランド」八坂書房(1999)を発見!
上記のように二つの図書館で資料探しをしている中で、世田谷区立図書館のある図書館の書架の片隅で、偶然荒俣宏氏の「花の図譜ワンダーランド」八坂書房(1999)というタイトルの書物を見つけました。
おそらく、この本は「植物画」を描かれる方にはよく知られた本ではないかと思います。
しかしこの節のタイトルに「発見!」などと大袈裟な表現を用いたのは、この本のことを私がまったく知らなかったばかりでなく、私が「植物画とは何か」についてnote記事を書くためにあらかじめ用意されたのではないのかと思うほど、内容がそのものずばりだったからです。
具体的には次のような理由です:
1)「植物画」に関する私の疑問、問題意識がほぼすべて取り上げられていて、すでに著者の見解、回答、示唆などが記述されている。
2)特に著者は、西欧人の著者が苦手な、東洋(日本)絵画と西欧絵画の両者の深い知識のもとに比較検討していること。
3)狭い専門分野に特化したアカデミックな研究者(人文科学であれ、自然科学であれ)には不可能な分野、すなわち、人文科学、自然科学をすべてカバーする領域横断的な博物学や神秘学、図像学などの分野に入り込み、しかも文筆家として論文ではなく広汎な著書を若いころから世に向けて著し続けてきたこと。
4)特筆したいのは、一次資料をすべて自前の資金で購入して、直接画像を観察して記述していることは、通常の研究者とはその真剣度、心構えが違うこと
以上から、本題を記述するために用いる著書としては、基本的に下記の三つの本を採用したいと思います。
1)荒俣宏著「花の図譜ワンダーランド」八坂書房(1999)
2)源豊宗、北村四郎監修・執筆、今橋理子解説「花木真寫: 植物画の至宝」淡交社(2005)
3)今橋理子著「江戸の花鳥画 博物学をめぐる文化とその表象」㈱スカイドア(1995)
なお、冒頭に述べた欧米の専門家を選ぶという方針に反して、荒俣宏氏の著書を選んだのは、氏の著書では、植物画のルドゥーテまでの歴史と東洋絵画との比較がなされており、本書が最適だと判断したためです。
欧米の専門家による講演動画(欧米における近現代の「植物画」)
「ヒルマ・アフ・クリント展」の時と同じように、専門家の意見といっても「論文」ではなく、専門家の講演動画を用いました。また、欧米のWeb siteを適宜参照しました。
数多くの動画を眼に通しましたが、最終的に絞り込み、次の動画を参照することにしました。
1)What is botanical art?:イギリス、キューガーデン制作
2)Botanical Briefing: A Brief History of Botanical Art:Olivia Braida氏( Director of The Academy of Botanical Art at Selby Gardens)講演。米フロリダ、マリー・セルビー・ボタニカル・ガーデンズ制作
3)Lunchtime Lecture: Botanical Art: From classic to contemporary:Dr. Denis Benjamin講演。米テキサス州フォートワース・ボタニック・ガーデン制作
4)Accomplished: Female Botanical Artists of the Nineteenth century:
Dr.David Berry講演。米フロリダ州マリー・セルビー・ボタニカル・ガーデンズ制作
5)MBT - Botanical Illustrator:Catherine Wardrop氏出演(豪・シドニー、ロイヤル・ボタニック・ガーデンのbotanical illusutrator)
さいごに
以上、資料探しが手間取りましたが、次回の記事で、私の疑問や問題意識に絞って私見をのべたいと思います。
なお、欧米の講演動画を調べていて、欧米ならではと思ったことを述べて本記事を終えたいと思います。
一つ目は、上に挙げた講演動画の制作機関をみればお分かりのように、イギリスのキューガーデンをはじめ、米国、豪州の植物園が植物学研究機関として植物画と深くかかわっていることです。
すなわち、これらの植物園は植物学の研究者だけでなく、専任のボタニカル・イラストレーターを雇用して、研究者と密接な連携をとりながら研究活動に寄与しているということです。
かつての日本でも例えば牧野富太郎は研究者ですが、自ら論文の図を描く東京帝国大学に雇用されたボタニカルイラストレータでもあると見なせます。
しかし、現代の日本では、あくまで推測ですが、植物園は勿論、植物学の大学研究機関に雇用された専属のボタニカル・イラストレーターはいないのではないでしょうか?
二番目はジェンダーの問題です。上に挙げた4番目の講演のタイトル:Accomplished: Female Botanical Artists of the Nineteenth century
の、”accomplished" の英文文字を見た時は最初何のことか理解できませんでした。なぜなら「完成する」「達成する」という日本語訳しか思いつかなかったからです。
しかし、動画をみて了解しました。これは、19世紀におけるヨーロッパの上流階級の女性の”たしなみ” を意味する言葉だったのです。
まさに、記事(1)で記述した、19世紀末に生まれたヒルマ・アフ・クリントの若き日の植物画の習作の意味と繋がりました。
さらに、私が若いころ読んだジェーン・オースチンやエミリー・ブロンテが生きた時代背景、さらにはピーター・ラビットの生みの親ビアトリクス・ポターの若き日の挫折など、産業革命前後の欧州の女性の位置など、これまで私の頭の中でばらばらだったものが、植物画の歴史を通して一つの時代状況として浮かびあがってきました。
次の記事では、その辺の事情を日本とも比較しながら述べたいと思います。
記事(3)に続く。
前回の記事は下記をご覧ください。
