<植物画とは何か>(3):博物画とは?美術か? 西洋絵画、東洋絵画の違い、植物画の成立(荒俣宏著「花の図譜ワンダーランド」八坂書房(1999)より)
長文になります。
時間の余裕のない方は、末尾<さいごに>の「まとめ」をお読みください。
はじめに
本記事は、下記二つの記事の続きになります。
記事(1)で、<植物画とは何か>という題名のもとに記事を書くことについて、私は次のように述べました。
実は、今回テーマに取り上げた「植物画」を論じるには、「植物学イラストレーション」、すなわち「自然科学」と「アート」という二分野をまたぐ視点が必要です。
加えて、私の立場で言えば、西洋発祥の植物画を論じることは、東洋の「花鳥画」の特徴を浮き彫りにすることにもなるのです。
https://note.com/wataei172/n/n13f5035c1577
すなわち、自然科学とアートの二分野をまたぎながら「植物画」を理解するとともに、東洋絵画、特に日本絵画の特徴を明らかにすること。
さらには下記に引用したように、「植物画」の背後にある本質を西洋人自身が、社会史、文化史、美術史など広い視点からどのように論じているのかを知ったうえで考えてみたいと思うのです。
彼女(注:ヒルマ・アフ・クリント)が若き日に描いた「植物画」が、生涯にわたって描いた絵画に一貫して影響を与えていることが、日本人には理解できない西洋思想の本質にかかわっているのではないかと思ったことを伝えたかったからです。
私は「植物画」展覧会の記事を、以上の本質を把握しないで記事を書くことはできないと思いました。ですから「植物画」について、もう一度私は西欧人の立場に立って、学び直してみようと思うのです。
そして、日本では(おそらく世界でも共通の)一つの疑問を感じたことを最後に加えました。
最後に、現代の「植物画」に関する一つの疑問を述べて本記事を終えたいと思います。
その疑問は、「植物画」の展覧会が、いわゆる「美術館」では開催されている例がほとんどないように見えることです。
(中略)
一体これは何を意味をしているのでしょうか?
そして、記事(2)では、資料探しをした結果、次の資料を用いて記事(3)を書くことにすると述べました。
(1)資料:
1)荒俣宏著「花の図譜ワンダーランド」八坂書房(1999)
2)源豊宗、北村四郎監修・執筆、今橋理子解説「花木真寫: 植物画の至宝」淡交社(2005)
3)今橋理子著「江戸の花鳥画 博物学をめぐる文化とその表象」㈱スカイドア(1995)
(2)欧米の専門家による講演動画
1)What is botanical art?:イギリス、キューガーデン制作
2)Botanical Briefing: A Brief History of Botanical Art:Olivia Braida氏( Director of The Academy of Botanical Art at Selby Gardens)講演。米フロリダ、マリー・セルビー・ボタニカル・ガーデンズ制作
3)Lunchtime Lecture: Botanical Art: From classic to contemporary:Dr. Denis Benjamin講演。米テキサス州フォートワース・ボタニック・ガーデン制作
4)Accomplished: Female Botanical Artists of the Nineteenth century:Dr.David Berry講演。米フロリダ州マリー・セルビー・ボタニカル・ガーデンズ制作
5)MBT - Botanical Illustrator:Catherine Wardrop氏出演(豪・シドニー、ロイヤル・ボタニック・ガーデンのbotanical illusutrator)
https://note.com/wataei172/n/n4a9aa3715c29
以上の観点と資料をもとに本題に入りたいと思います。
ただし当初「<植物画>とは何か」と大きく構えた問に直接答えるというよりは、以下の二つのテーマに絞り、その中で<植物画>とは何かについて触れるようにすることにします。
1)植物画を通して、西洋絵画と東洋絵画の違いを考える
2)植物画を通して、産業革命前後の西欧のジェンダーを考える
I. 植物画とは何か? 西洋絵画と東洋絵画(特に日本絵画)違いを考える
本章では、荒俣宏氏の「花の図譜ワンダーランド」八坂書房(1999)の、
序章と本文の中で、著者が西欧博物画と東洋(日本含む)絵画との比較を論じている部分を紹介しつつ、私の問題意識と私見を述べていくことにします。
なぜ欧米の著者ではなく荒俣宏氏の著書を選んだのか、その理由については、記事(2)の中で説明しましたが、数ある理由の中で特に決め手となったのは、著者が、図像学的、絵画史的に洋の東西の違いを常に比較・考察しながら筆をすすめていること、同じく著者の専門である博物学が持つ領域横断的性格、すなわち自然科学と人文科学のすべてにわたる視点で物事を見ていることです。
なぜ、そのような人を私が求めているのか? それは私が描いている「線スケッチ」が、東洋と西洋の絵画の技法を併せ持つこと、また「植物画」を論じるには「アート」と「自然科学」の二分野をまたぐ視点が必要だからですが、それについてはすでに記事(1)の冒頭で詳しく説明しました。
ビジュアル言語としての図像の誕生と博物学の成立
荒俣氏は「植物画」の話に入る前に、西洋における図像の変遷史から始めます。
すなわち、中世の共通言語だったラテン語に代わって科学界や哲学界に登場したのが「記号」と「図像」であり、ルネサンス期には断面図や透視図など人工的図解法が確立されることで、概念や定義や意味といった非図像的な要素をも表現するメディアに育っていきました。
言いかえれば、それは言語を補足する役割、すなわちイメージ・ランゲージであり、「博物画」はまさしくその役割に応えて生まれたジャンルだと言います。
さらに荒俣氏は、近代博物学の祖、コンラート・ゲスナーが同時代のデューラーが改良した木版画をメディアとして活用することを思いつき、これが博物図鑑の始まりとなったと解説します。
アルブレヒト・デューラーがこんなところで出てくるとは思いませんでした。その木版画の例として次の図が示されています。

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博物画が、必然的に木版画と言う印刷媒体によるもの、すなわち一種の商業美術としてもみなせることは、後に大事な観点となってきますので、ここでは指摘するだけにとどめます。
以上、博物画の誕生とその役割を述べたあと、著者はいよいよ植物画を例にとり説明していきます。
博物画は美術か?なぜ博物画は美術館で展示されないのか?
のっけから、記事(1)の最後で私が感じた疑問に対する答えから入っていきます。
すなわち、なぜ「植物画」は美術館で展覧会が行われないのか? 「植物画」は果たして絵画芸術なのか? その疑問に対する回答です。しかも、ヨーロッパと東洋の絵画の対比を通して荒俣氏は自論を展開します。
まず世界には、直接的に科学の資料をめざしたわけではないのに、博物画と読んでみたくなる美術作品が存在すると言い、ヨーロッパでは「花の静物画(フラワーピース)」(図2)、中国や日本では「花鳥画」(図3,4)を例に挙げます。

出典:共にwikimedia commons, public domain

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これらの絵の主目的は美的装飾にあるが、博物的な観察精神が宿されている場合も多いので、これらを「博物画」から除外する理由が無いと指摘します。
そして、動植物を描いた美術作品の全てが博物画とは言えないのに対し、全ての博物画は多かれ少なかれ美術作品と考えることができると断言し、次のように続けます。
ところが、西洋でも日本でも、美術は博物画を排除してきました。
やはり、記事(その1)で、私が植物画について疑問に思ったことは正しかったのです。
博物画(ここでは植物画と言い換えても同じ)は、美術界から排除されていたのだと。
荒俣氏は、その理由として最初に日本の場合を取り上げます。
それは海外の文化を我が国に持ち込む場合のあるある問題、すなわちミュージアムの訳語問題にあると言うのです。
その内容を以下にまとめます。
1)西洋では、博物を管理保存する施設をミュージアムと称する一方、美術品を集めた画廊の大規模なものもミュージアムと呼ぶ。
2)明治になり博物館行政が開始されたときに、前者に重きがおかれた。だからこそミュージアムはナチュラル・ヒストリー・ミュージアムの意味に用いられ、「博物館」なる訳語が生まれた。
3)しかし、その後実権は岡倉天心らの美術関係者に移り、内実は美術館化していき、名前も「美術館」と変えられた。
4)そのために、美術作品でありながら博物画であるという双方の性格を兼備した図版類は、その奇妙な対立に邪魔されて、どちらの分野からも除外されるに至った。
以上はあくまで荒俣氏の仮説ですが、明治以降日本が西洋文化を取り入れる場合の歴史を考えると納得できる考えだと私は思います。
一方西洋ではどうか? 荒俣氏は上述の日本の場合とは全く異なる理由を披露します。
1)博物学の消滅とともに博物画の伝統は死に絶え、今日古い博物画を眼にする機会は多くない。かろうじて西洋では博物画をインテリア装飾の一部に利用する傾向が大きい。
2)しかし、本来博物画は博物学書や探検航海記録の挿絵として描かれ、関心のない人々にとって、似かよった個体群を飽きもせずに描き尽した連作図版としか見えない。
3)そこでインテリア・アートとしては一枚ずつ切り離して、単調さを救済することになる。
4)かくして本来の目的には使われていない上に室内の装飾品にとどまっていたのでアートとして鑑賞されることもなかった。博物画が美術館に展示されるアートと認定されなかった事情だと思われる。
すなわち、本来の「博物画」の目的は忘れ去られ、同じような図が続くのを嫌って、一枚ずつ切り離しインテリア・アートとしてかろうじて生き残った。かえってそれが純粋アートと見なされず、美術館で展示されなかったというのです。
以上は歴史的経緯と現在の状況から導いた理由ですが、それに加えて荒俣氏は博物画に潜む本質的な理由があることを指摘します。
それは
博物画が本質的に写生を重んじるアートだ、という点からくる問題です。いいかえれば、創造性を発揮する余地をあまり認めない窮屈な絵画と誤解された、ということです。
特に、アルブレヒト・デューラーの時代から博物画は木炭やペンで線描し、色付けも油彩ではなく水彩が用いられたことも重要な理由として加えています。
植物画に水彩が用いられた理由は、油彩は乾きが遅く、実物標本の鮮度が落ちないうちに色を塗り重ねることが困難だったからです。
その結果、
カンバスに油彩を重んじる西洋美術において、博物画はその性質からして異端とならざるを得なかった
まさに、西洋絵画における油彩と水彩との美術品としての差を指摘しているのですが、こちらも私には大いに納得する理由だと思います。
なお、ここでもアルブレヒト・デューラーの名前が出てきますが、今回の「植物画」の記事を描くまでは、デューラーの生きた15-16世紀という時代に、これほどまでに精緻な植物画を描いていることだけでなく、彼の生み出した木版画がその後の出版文化に大きな影響を及ぼしたことをほとんど知りませんでした。(有名な《草むら》を描いた水彩画や木版画を西洋絵画史の本などで眼にしていましたが、歴史的な意味についてはまったく自覚がありませんでした)。
本書で紹介されている、デューラーの植物の水彩画を下記に示します(図5)。その絵は、現代の画家が描いたと聞かされても信じてしまうほどです。

左 《アイリス》 右 《シャクヤク》 共に水彩画
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本書には載っていませんが、記憶の隅にあった草むらを描いた絵を下記に示します(図6)。

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その迫真の描写力に驚きますが、一見すると輪郭線が無いように見えます。しかし拡大してよく見ると、実は葉の輪郭が線描であることが分かるのです。

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まさに、私が描いている「線スケッチ」そのものです。遠い存在だったアルブレヒト・デューラーが、何だか身近に感じます。
「絵を読む」西洋人 vs. 「絵を読まない」東洋人(日本人)
さて、博物画(植物画)は美術か? なぜ博物画は美術館で展示されないのか?という私の疑問に答えた後に、荒俣氏は「花の寓意を読む」と題して、15頁に亘って西洋の植物画(花の静物画)と東洋(日本)の絵との根本的な違いを解説するのです。
西洋の花の静物画を借りて論じていますが、結局は西洋絵画と東洋絵画との違いを論じていることになります。
私が知る限り、一般向けの美術解説書でここまでの東西絵画の違いを論じた例を知りません。
そこで以下煩雑さを恐れず、著者の考えを丁寧に紹介したいと思います。
まず、著者は一枚の花の静物画を示します(図8)。

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そして読者に問いかけます。「一体何を描いているのか?」と。著者は言います。これは単に花瓶と花を忠実にカンバスに再現しているのではない、実はひとつの寓意を表していて、
華やかな命も、やがては死を迎え、肉体はすぐに永遠の冷たい地下に眠ることになり、魂は天空をさまようことになる。
そういう教訓をイメージ化したものだというのです。
このあと、「寓意」になじみがない、私達日本人の理解を助けるために西洋における寓意図像学史を解説します。
私も昔から西洋絵画が好きでいっぱしの鑑賞者のようにふるまってきましたが、正直に言うと、実は西洋絵画の「寓意」が苦手で、最初から拒否反応を起こして勉強すらしていません。すなわち鑑賞者としての資格もないのです。
荒俣氏は、私の心を見透かしたように、丁寧にかみ砕いて説明を続けます。
まず日本人の絵の鑑賞の仕方は、「漠然と印象だけで眺めているだけ」で厳密なルールの下で分析しているわけではない。そしてこれを「鑑賞」だと思っていると指摘します。
しかし、ある時代から西洋画においては「絵を読む」ことが始まったというのです。
観るのではなく、読むのです。もっとわかりやすくいうと、色とか形とかを「文字」や「概念」として頭の中でことばに変えていくのです。
さて、ここで荒俣氏はこの「絵を読む」ということは日本人には非常に理解しにくいことだと明言します。
その理由を東洋絵画と西洋絵画を対比して説明を続けます。
その内容は「植物画」からかなり外れますが、おそらく洋の東西を問わずあらゆる図や絵画を扱ってきた荒俣氏にとって、東西の絵画の違いは大事な問題意識だったに違いありません。その文章も熱が帯びます。
それは、記事(その1)で書いたように、「線スケッチ」を描いている私にとっても重要な問題意識なのです。
ですから、ここでは長めに引用することをお許しください。
まず、日本人が理解しにくい理由として東洋風の美学を挙げます。
というのは、日本人はむかしからその「文字」や「概念」すら「絵」として眺めてきたからです。(中略)絵を読むのとは反対で、字も観てしまっているんですね。その原因の一つは、漢字という「絵」を文字に使っていることと、それを墨と筆で表記していることにあります。(中略)筆で描いたものは絵でも文字でも、ずいぶんハイパーな方法で眺めているのです。図像のリアリズムではなくて、エネルギーを味わっている。
太字は筆者による。
ここで、東洋画の特徴、筆による表記、そしてリアリズムではなくエネルギーに話が及びます。まさに「線スケッチ」の観点で、私が水墨山水の線描に関心を持つ所以です。
続けて荒俣氏は、エネルギーの源泉について話を進めます。
その背景には、中国山水の「気」の思想となにかがあるわけですが、早い話、筆の特性からくることです。ペンじゃなく毛筆で一気に線を引いたりしますね。(中略)ポイントは、筆づかい、あるいは筆のエネルギーなんですよ。それから、筆で描いた山水画なんかを見た場合には、それが墨一色で描かれているにもかかわらず、森の部分は緑に見えたり、湖の部分は水色に見える。そういうふうに見立てるのが、ちゃんとした山水画の見方です。つまり、心眼で眺めるとか、気の自然観で眺めるとかいった方法を、中国経由で学んでいるわけです。
太字は筆者による
以上、東洋絵画における毛筆による描写の意味を強調した後、もう一つの西洋絵画との違い、光と陰影の描写について次のように述べます。
ですから、日本の絵には、たとえば影がない。なぜ影がないんだろう。リアリズムを信奉する西洋人から見たら「これは手抜きの絵だ」と思いますが、われわれ日本人はそうは思いません。影はなくても、ちゃんと立派なリアリズムであるし、むしろリアリズムを越えた絵だというふうに解釈することができる。なぜなら、影は空間をよごすものだからです。隠すものだからです。だから影のない図像は「理想画」なのです。現実の現象よりも絵のほうがエラい!進んでいる!
太字は筆者による
「影は空間をよごすものだからです。隠すものだからです。」という表現は初めて見ました。おそらく著者自身の説でしょう。その真偽は別として、あきらかに、山水画で言えば「胸中の丘壑」を指しており、西洋のリアリズムとは考え方が違うことを言っています。
実際、私も「線スケッチ」作品を制作するときに、陰影の処理にかなり頭を使います。私の東洋人としての美意識があるせいか、何でもかんでも実風景通りに陰影をつけることに躊躇するのです。あくまで私の好みになりますが、人物には原則影を付けず、地面に映る樹木の影、また家屋やビルなど建築物の陰影は強くつけるようにしています。
このあと、著者は、半分冗談だと思いますが、西洋人はぶきっちょで、現実の光景と一致させようとして影を描こうとするが、暗くなりきたなくなるので「照明」という技術を発明し、ライトをあてて肝心なところから影をなくすようにした。
すなわち現実に加工を加えたと西洋絵画を評します。
一方、東洋人はライトを当てず、影を無視する。影を空気と同じと考え記号化してしまっている。ところが西洋人はそこを曖昧にできない。
すなわち、漢字を使わないので、絵と記号の区別をはっきりとつけていて、しかも記号の方に重点をおいていたふしがあると東西絵画の差をまとめます。
以上、東西絵画の特徴とその違いについて述べた後、15世紀以降寓意的解釈法こそが絵を文字として読み解く手段として流行することになったと言い、寓意図の読み解き法の解説に移ります。
そして、図8に示したH.フロマンチュー《ガラス花瓶にいけた花》の寓意の詳しい読み解きが示されるのですが、ここでは省略いたします。
ただ、日本人が外国の文化を取り入れる時に、大いなる勘違いをしてしまうという例が、私には興味深いので紹介します。
荒俣氏は西洋の寓意画が日本にもたらされたときの勘違い状況を、ピーテル・アールツェン《市場にて》16世紀(図9)と、高橋由一《鮭》を用いて解説しています。

出典:wikipedia commons, public domain:
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Pieter_Aertsen_-_Market_Scene_-_WGA0062.jpg
図9のピーテル・アールツェン《市場にて》は、一見すると食卓か市場でいろんなものが売られている絵に見えるかもしれないけれど、実は寓意画として読まなければならない。具体的には、魚はイエスキリストそのものであり、オレンジは聖母マリアの象徴、他の果物も何かの象徴として描かれている読めるのです。
ですから、高橋由一の有名な《鮭》も、西洋の寓意画を見慣れた人はキリストを描いていると見るというのです。しかも半分身が切られており、ぶら下げられている。まさにキリスト処刑を意味する図となります。
ところが、日本人はこのような寓意画が入ってきた時には、そのリアリズムに驚いたのであり、寓意を理解することはなかった。
高橋由一自身も、大いに勘違いして、リアルに描くことに主眼を置いたという訳です。私の寓意画苦手意識は日本人の性質から来たようです。
切り離された(死亡した)植物(西洋・植物画) vs. 生きている植物(東洋・花鳥画)
さて、ここまで荒俣宏著「花の図譜ワンダーランド」の序章の中で、東洋絵画と西洋絵画の特徴と違いに焦点を絞って荒俣氏の考えを紹介してきました。
お気づきだと思いますが、まだ本格的な花の図譜や植物画について、ほとんど言及していません。
実は、荒俣氏は序章の後、I 眺められた花の歴史、II ボタニカル・アートの世界、III 花の王国、IV リンネ分類学と植物の愛、 V ロバート・ソートン伝、 VI ピエール・ジョゼフ・ル・ドゥーテ ー生涯と作品ー、と六章に亘って「花」の植物画の、内容の濃いトピックの記述が続くのです。ただし時代は19世紀初頭までです。
次回以降の記事では、欧米の専門家による講演内容をとりあげますが、そこでは、荒俣氏の著書では扱わない、ル・ドゥーテ以後、現代までの植物画についても紹介しますので、荒俣氏の著書の内容も併せて適宜触れたいと思います。
本節では、I 眺められた花の歴史、の中で論じられている西洋の植物画の原型、特に花の図の原型について、興味深い指摘がありましたので紹介します。
荒俣氏によれば、西洋の花の図像は二種類に集約できると言います。それは、<ブーケ(花束)>と<薬種>だと。
ここで私が注目したのは、以下の内容です。
そこで西洋では、少なくとも博物学的意図を持つ花の図は、地面から切り離されることを要件とした。ただし、その切り離され方は二通りの方法がある。
一つは、花を茎から手折ること。地上には、花をもがれた茎と葉が遺される。
もう一つは、根こそぎ地面から引き抜くことである。この場合は地上には何一つ残らない。(中略)
そしてこの二通りが、実は、西洋における花の図の原型となった。
太字は筆者による
以上を受けて、前者のケースは、いわゆる「ブーケ」であり、西洋では花のイメージとしてのブーケがきわめて強力に定着しているといいます。
一方、後者の場合は、根までもきちんとつけた花の図であり、それは、薬用植物の描写のため発案されたもので、紀元前1世紀のクラテウアスが彩色した薬物図譜を制作しました。 その図譜は失われましたが、同じ流れを汲む薬物研究家ディオスコリデスの写本を通じてその図が伝わっています(図10)。

出典:wikimedia commons, pbulic domain
そして、その描き方は中世から19世紀、現代に至るまで続くのです。例えば、わが国でも可憐な花でよく知られる<フクシア>の語源となった16世紀のドイツの植物学者、レオンハルト・フックスの「植物誌」の画像を著者は例示しています(図11)

出典: wikimedia commons, public domain
最後に、著者は西洋の植物図譜について次のように結論付けます。
いずれにしても、ここで明示した二種類の花のイコンは、永らく西洋植物図譜の基本図像を規定し、支配し続けた。ー八~ー九世紀に到来するフランスを中心とした植物図譜の黄金時代でさえ、両者の描法は圧倒的な力をもちつづけたのである。
太字は筆者による
次に、著者は東洋における花鳥画に目を向けます。
そもそも「花鳥」とは何か? 著者は次のようにまとめます。
中国で宋時代に一応の完成を見る画題であって、タイトルのとおり、花と鳥の組み合わせにより、中国人独特の自然観を表現しようとした、一種の写生画と考えてよい。
しかし花鳥画には大きな特色があった。それは、どちらも天然自然の状態にあることである。
太字は筆者による
当然ながら、花鳥画は、中国の絵画を語る上で切り離せない、「気」の流れを再現することが制作の目標になると指摘します。
著者は、花鳥画の例として、最初に清の宮廷画家として活躍したジュゼッペ・カスティリオーネ(郎世寧)の例を出していますが(図12)、イタリア人らしく彩色は西洋の陰影法を用いているので、宋から明にかけての典型的な中国の花鳥画とは違います。
ですから最初に示す例として必ずしも適切ではありません。しかし植物の状態は、西洋の切り離された姿ではなく、中国の伝統に従い生きた姿を描いています。いわば、東西の折衷、よく言えば融合です。

出典:wikimedia commons, public domain
著者は、このあと、自然物に対する東西文化のアプローチの違いを述べ、それが植物の描写法に反映されるとし、いかにも文学者らしい次の表現で示します。
東洋では切り取られ死にかけている花でも大地に根ざし、たくましく生きているように図像化される。その一方、西洋の花譜では、つねに死んだ標本としてのイメージをともない、たとえ大地に生えた状態の図にあっても、覆いようもない硬直さを――死の影を垣間見せることになる。
そして、東西絵画の鑑賞上、重要なポイントを指摘します。
すなわち、東洋の絵画で、植物に生気を与えている最大の要素は、茎と葉の微妙なゆがみにあると。一方、西洋の植物画では、その茎を短く切り、花々を収めたブーケ型フラワーアレンジメントであり、生命感ではなく装飾性に美意識を集中させていて、その典型的な対比例が、西洋の<花瓶に入った花>(図13)であり、日本の生花<立花図>(図14)です。
なお、本の中で荒俣氏の挙げた図のフリー画像が得られなかったので、対応する類似の画像を示しました。

出典:See page for author, CC BY 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by/4.0>, via Wikimedia Commons

出典: Artist unknown (Kanō school), Public domain, via Wikimedia Commons
いよいよ、著者の解説は、近代西洋におけるボタニカル・イラストレーション、ボタニカル・アートの成立に向かいます。 そこでは私の予想に反して、異文化圏の相互交流の歴史がありました。
ペルシア=インド・ミニアチュール、中国花鳥画(シノワズリ)、日本花鳥風月(ジャポニズム)の西洋への流入と西洋ナチュラリズムの誕生と東西相互作用
さて16世紀に入り、東洋のナチュラリズムが西洋に入り始めると西洋の花譜も茎や葉を重視するようになります。
著者によればインスピレーションを受けた文明圏は次の三つです。
1.ペルシア=インド文化圏で描かれていた生物画:
<ミニアチュール:細密画>
2.中国の花鳥画:<シノワズリ>
3.日本の絵画・花鳥風月:<ジャポニズム>
それぞれの文化圏の例を示します。(図17の広重の絵を除き、図15,図16は類似の絵で代替します)
下図は、ムガールの細密画で、18世紀の植物画に、その影響がしばしば認めらるそうです。

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次の図16は、ヨーロッパ全土に及んだ支那趣味(シノワズリ)の流行の源の一つの花鳥画です。

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日本の絵画、花鳥風月の例として歌川広重の花鳥画(浮世絵版画)が示されます(図17)。

出典:wikimedia commons, public domain
以上の三大文化圏の影響で西洋の植物画はどうなったか、いよいよ近代西洋植物画の成立に入っていきます。
まず荒俣氏は、今日西洋文明が優勢になった理由の一つ、西洋の科学的精神もまた強力なナチュラリズムを生み出したことを指摘します。その結果、
博物学の進展と深くかかわり、つとめて精密かつ正確な図が要求されるようになった。また、植物同定の必要上、花ばかりでなく、茎も葉も実も描くことが課せられ、次いで解剖図の添付まで求められる時代となった。
そして、二人の博物絵師を紹介します:
一人は、パリの王立植物園において植物画を専門に研究・実作する最初の教授、オランダ人ヘラルト・ファン・スペンドク、もう一人は、その後継者の植物絵師ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテです。
日本では、かなりの頻度で「バラ図譜」の展覧会が開催されるので、ルドゥーテの名前は比較的知られていますが、スペンドクの名前はおそらく誰も知らないでしょう。私も始めて知りました。
しかし荒俣氏は、後世の影響力から見て注目すべき人物だと断定します。
すなわち、彼は透明水彩を絶妙な技巧で用い、繊細極まりない、しかものびやかな植物画を描いただけでなく、スティップル・エングレーヴィングという微細な点刻銅版画に複写され、一般の目に触れるようになったからです(図18)。

出典:共にwikimedia commons, public domain
すなわち、透明水彩による質の高い一点物の博物画の制作だけでなく、点刻銅版画による複写で大衆の目に振れやすくなったという2点を重要視しているのです。
実は私は、今年4月に、日比谷図書会館で開催された「宮廷画家 ルドゥーテとバラの物語」展を訪問しました。

出典:千代田区立図書館HP:
https://www.library.chiyoda.tokyo.jp/information/20250220-hibiyaexhibition_redoute/
私の記憶では、スティップル・エングレーヴィングはルドゥーテが発案し自ら制作したものだという展示説明を読んだのですが、上述のスペンドクの水彩画の複写も後継者のルドゥーテが行ったのかもしれません。
ここで私が強調したいことは、本来王侯貴族のためのものだった博物画が、精密な銅版画法の発明で質の高い状態の作品が大衆の目にも触れるようになったという事実です。
それで改めて思い出すのは、図17の広重の花鳥図です。これは、一点物の高価な絵画ではなく浮世絵版画です。
ですから状上述したスティップル・エングレーヴィングという銅版画技術は、江戸時代、武士や富裕商人の特権階級向けの一点物の絵画を大衆化させたことを連想させるのです。この件については、別途あらためて取り上げたいと思います。
荒俣氏は、スペンドク、ルドゥーテが新しい花譜の典型を生み出したとし、特にルドゥーテの技法については二つの特色を挙げます。
一つは、背景や枠線を一切排除したシンプルな画像づくりである。(中略)
しかしルドゥーテの花の図像には、風に揺れる花の活き活きとした息吹も日本画以上に感じ取れる。これらの花々は生きているのである。
著者は、ルドゥーテの例は出していませんが、下に「花の図譜」の一枚を示します(図20)

出典:wikimedia commons, public domain
確かに「背景や枠線を一切排除したシンプルな画像」と言えます。しかし「生きている」様子は感じますが、「風に揺れる花の活き活きとした息吹」までは感じ取られません。他のルドゥーテの作品を探しても、そのような画像は見つかりませんでした。
むしろ、私は、図18のスペンドックの植物画にそれを感じるのです。明らかに、硬直したそれ以前の花譜の花と違い、茎は曲がり、葉はよじれて、まるで生きているかのような印象を受けます。
いずれにせよ、上述した二人の博物画の絵師が生き生きとした絵を描けたのは、ジャルダン・デ・プラント(旧王立植物園)の存在が大きいと著者は言います。それまでは、生きた状態ではなく、乾燥標本でしか描けなかったのですから。
その結果、
しかし、植物園の発展と温室の考案によって、植物絵師たちは生きた植物を自由に描けるようになった。そして、一九世紀に至ってようやく、ヨーロッパ人の植物画に日本や中国の花鳥画にあるような、たくまざるナチュラリズムを獲得したのである。
太字は筆者による
私はこれまで勘違いしていました。西洋の精密な博物画(植物画)は、東洋の花鳥画とは独立に確立されたものだと思っていました。ところが、実際には相互に影響し合っていたのです。
さいごに
さて、ここまで荒俣宏氏の著書、「花の図譜ワンダーランド」八坂書房(1999)の中の、西洋博物画(植物画)成立までの、西洋と東洋の違いを論じた部分に焦点を当て、著者の見解を引用しながら紹介しましたが、予想以上に長くなってしまいました。
実は、本記事は、下記のタイトル:
II.「生きている」:<茎と葉の空間配置>から美を考える:植物画の美、日本絵画の美(私見)
で、荒俣氏の考えに触発された私の考えを書き続ける予定でした。
しかし、そうすると、章の長さは本記事と同じかそれ以上になることが予想され、大方の読者はおそらく読むのを放棄するのではないかと危惧し、一旦ここで止めることにいたします。
次回の記事では、上述のタイトルの内容で、私の考えを中心に記事を書く予定です。
(加えて冒頭の「はじめに」で予告した以下の資料:
2)源豊宗、北村四郎監修・執筆、今橋理子解説「花木真寫: 植物画の至宝」淡交社(2005)
3)今橋理子著「江戸の花鳥画 博物学をめぐる文化とその表象」㈱スカイドア(1995)
も用います。)
なお、本記事のまとめとして、私が触発を受けた部分の荒俣氏の考えを以下に示します。
1)博物画は、一点物の絵画ではなく、木版画、銅版画により複写され印刷物となって、その目的を達すること。
2)日本で博物画が美術から排除されてきた理由に、明治期に「ミュージアム」の概念を訳す時に大いなる勘違いがあったこと。
3)西洋で博物画が美術から排除されてきた理由は、博物画の伝統が死んだあと、一枚一枚切り離されて室内の装飾に使われるようになったため、装飾品、工芸品扱いとなり、アートとして認定されることがなかったことにある。
4)西洋でのもう一つの理由は、博物画が写生中心のために、油彩でなく、水彩画であったことで、油彩画イコール西欧絵画という構図からはずれ、異端にならざるを得なかった。
5)西洋の花の静物画は「寓意画」であり、西洋人は「絵を読む」のに対し、日本人は寓意画を読むことが出来ない。なぜなら、文字も概念も絵として見てきた(東洋の美)からである。漢字という「絵」を墨と筆で表記し、それを図像ではなくエネルギーを味わっている。
6)そのエネルギーは中国山水の「気」の思想となにかがあるが、早い話、筆の特性からくること。ペンじゃなくポイントは、筆づかい、あるいは筆のエネルギーである。
7)西洋絵画とのもう一つの違いは「光と陰影の描写」である。日本の絵には影がない。影はなくても、立派なリアリズムであるし、むしろリアリズムを越えた絵だと解釈することができる。なぜなら、影は空間をよごすものであり、隠すものだから。影のない図像は「理想画」であり、現実よりも絵のほうが上なのだ。
8)西洋の花の図像は二種類に集約できる。それは、<ブーケ(花束)>と<薬種>で、永らく西洋植物図譜の基本図像を規定し支配し続けた。その際博物学的意図を持つ花の図は、地面から切り離されることを要件とした。
9)東洋の花鳥画では、植物は天然自然の状態にある。植物に生気を与えている最大の要素は、茎と葉の微妙なゆがみにある。一方、西洋の植物画は、茎を短く切り、花々を収めたブーケ型フラワーアレンジメントであり、生命感ではなく装飾性に美意識を集中させている。
10)16世紀に入り東洋のナチュラリズムが西洋に入り始め、西洋の花譜も茎や葉を重視するようになる。インスピレーションを受けた文化圏は三つである;1.ペルシア=インド文化圏で描かれていた生物画:<ミニアチュール:細密画>、2.中国の花鳥画:<シノワズリ>、3.日本の絵画・花鳥風月:<ジャポニズム>。
11)西洋の科学精神により博物学が進展し、植物同定のため花ばかりでなく、茎も葉も実も描くことが課せられ、解剖図の添付まで求められる時代となった。パリの王立植物園の二人の絵師、スペンドク、ルドゥーテにより、現代まで続く、背景や枠線を一切排除したシンプルな画像の植物画が成立した。
12)植物園の発展と温室の考案によって、植物絵師たちは生きた植物を自由に描けるようになり、ヨーロッパ人の植物画に日本や中国の花鳥画にあるようなナチュラリズムを獲得した。
記事(4)ー1に続く
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